Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただきます。エジプトのナイル川のナイト・クルージングの記事を2つ紹介させていただいたので、ピラミッドの記事をブラシュアップさせてもらいます。




エジプトを代表するピラミッドとスフィンクスの写真です。エジプトのカイロに来るとギザのピラミッドには是非とも来たいですね。背景のピラミッドは有名なギザの三大ピラミッドの真中に位置するカフラー王のピラミッドです。
少し角度が違う写真です。バックのピラミッドは紀元前2520年~2494年(紀元前2558年~2532年の説もあり)に在位したカフラー(Khafra)王のものです。四角錐の頂上部分には石灰石の化粧石が残っているのが特長です。高さは143.87m(現在の高さ136m)、底辺は215.29m、勾配は53度10分の巨大なピラミッドです。参道の入口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っています。ただし、スフィンクスの建てられた時代には諸説あるそうです。


下の写真がキザの三大ピラミッドです。ピラミッドの西から東をとったもので、これもよく出てくる構図ですが、3っのピラミッドが展望出来る場所(下の衛星写真で展望場所と書かれたところ)からの景色です。自分達の車でクフ王のピラミッドの近くから展望場所まで砂漠の道を走って来ました。一番左が世界最大石造建造物であるクフ王のピラミッドです。真中の化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドで、一番右側がメンカウラー王のピラミッドです。道路の真っ直ぐ向こう側が東の方向になります。スフィンクスはそちらの方向の丘を下りたところにあります。写真ではクフ王のピラミッドがカフラー王のピラミッドより小さく写っていますが、それは遠くにあるためで実際にはクフ王のピラミッドの方が2.8m高いです。
現在高さ 建設当時高さ
クフ王のピラミッド 138.8m 146.60m
カフラー王のピラミッド 136.0m 143.87m
メンカウラー王のピラミッド 62.0m 66.50m


全体の配置を判ってもらえるために衛星写真を拝借させてもらいました。ピラミッド以外にも沢山の遺跡があるのが判ってもらえると思います。
上の写真を撮った展望場所は町からは一番離れた場所だったのです。


参考に3つのピラミッドを撮った絶景の展望ポイントの展望場所のGoogleマップの航空写真を紹介します。沢山の人が来る場所なのでいろんな設備が整っています。
展望ポイントでは観光客の人達は砂漠を楽しんでいるようでした。最高の展望ポイントなので、エジプトこられた方は、この場所に来た人が多いと思います。

お土産屋さんも沢山ありました。

突然に僅かの店番の人を残して、お店の人が集まりました。

お祈りの時間だったのです。店番は0人に出来ないので交代で店番をするのだと思います。

ラクダや馬に乗って砂漠の雰囲気を楽しむことも出来るようです。

小さくて崩れかけているのがクフ王の王妃たちのピラミッドです。展望場所とは反対側から撮ったもので、写真の右端にクフ王のピラミッドの一部が写っています。化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドです。その左側のピラミッドはメンカウラー王のものです。その左側の小さなピラミッドはその王妃達のものです。





メンカウラー王のピラミッドです。化粧石が下の方に残っています。メンカウラー王は古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオです。このピラミッドをネットで調べると高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさだそうです。その理由には諸説あるそうですが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的ださそうです。北面には大きな傷跡が残っていますが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるといわれています。1837年に玄室から遺体の一部が発見されましたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没し、石棺もろとも失われてしまいました。この遺体がメンカウラー王のものであるかは不明なままとなりました。


クフ王のピラミッドを背景にスフィンクスを撮りました。この構図もよく見ますね。


クフ王のピラミッドは大部分の化粧石は剥がれているので、石を積み上げられたことが良く判ります。下の方の石は一個13トンの重さだそうです。ピラミッドは赤花崗岩と石灰岩の組み合わせで作られているそうです。ピラミッドにより構成は違います。


これが化粧石です。石灰岩で出来ています。ピラミッド全体が化粧石に覆われている姿はまるで鏡のピラミッドのように神秘的だったと思います。


クフ王のピラミッドの北側正面からの写真です。駐車の奥まで下がって精一杯遠くから撮りましたが全体を入れることは出来ませんでした。クフ(Khufu)王は紀元前2589年~2566年に在位した古代エジプト・古王国時代のファラオです。今から約4600年前と聞くとすごい歴史を感じてしまいます。このピラミッドは紀元前2560年に建てられたと言われています。一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。今回の再掲載で写真を大きくしました。是非ともクリックして拡大写真を見てほしいです。
今回、クフ王のピラミッドの内部に入ることが出来ました。内部に入れるのは一日に300人に制限されているため、近年は観光客が増えているので事前にチケットを手に入れてもらう必要があります。



写真では確認が難しいと思いますが、当然ではありますが上がっていく通路が作られていました。記憶では上がったり下がったりしながら登ったと思います。
この入口に立つだけでも値打ちがありました記念写真を撮りたいところですが、既に説明の通り内部へのカメラ持ち込み禁止のためカメラは置いてきました。


カメラも最近は持ち込み禁止となりました。唯一の記念が下の右側のチケットです。これが内部に入るためのチケットです。左側はピラミッドエリア全体に入るためのものです。全体のチケットが50エジプトポンド(約1000円)に対して内部に入るチケットが100エジプトポンド(約2000円)です。
大回廊に到達するまでは無理な姿勢で急勾配を上るので結構登るのが大変です。そこの天井は人の高さより低く急坂のトンネルが続きます。登る人と下る人がすれ違うことが出来ないほど狭いところもある上に、かなりの距離を、かがんで登らなければならないので体力に自信がない方はゆっくりと時間をかけて登ることを、お薦めします。それだけに登りきったて大きな部屋に出ると感激すると思います。
今回は突然カイロ近郊の観光をすることになりました。カイロに住んでいる日本人の方から観光会社に段取りお願いしました。
8人乗りの車代が100ドル 日本語ガイドさん代が100ドル 昼食が1人あたり10ドルです。このときは2名で利用したので観光会社への支払いは1人あたり105ドルでした。各観光地の入場チケット代は結構かかります。丸一日観光地を廻るのであれば10000円をエジプトポンドに両替しておくことをお薦めします。


クフ王のピラミッドの断面を紹介いたします。番号2が我々がピラミッドに入った盗掘孔です。クリックして出てきた断面図の番号(1~12)の説明です。
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路
7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔
ピラミッドの内部では2→3→6→9→11→10と王の間に入りました。

クス王のピラミッド内部にはカメラ持ち込み禁止のため、ネットから下の写真を拝借いたしました。内部の大回廊(断面図の9)です。ピラミッドに入る時、カメラは車に置いてくる事をおすすめします。入口でしつこくカメラ、カメラと聞かれます。見つかると預けることになりますが、正式な預け場所でない場合はカメラは戻ってこないと、思ったほうがいいとガイドの人に言われました。内部で歩くのが急坂で狭くて、さらに低くいために、登るのが非常に苦しかったのが6の場所でした。

写真が撮れる場所からは近すぎてスフィンクスの全景が1枚の写真では撮れなかったので、つなぎ目が気になりますが2枚の写真を合成しました。


スフィンクスを後から撮りました。東を向いています。スフィンクスやピラミッドは広大な砂漠の中にあるように思われている人も多いと思いますが東側はすぐに街に接しています。カイロの中心からも30分くらいでこのギザのピラミッドエリアに来れるのには驚きました。カイロ市内からも天気がよければピラミッドが見れます。
実はこの写真にはスフィンクスの正面に作ったことで話題になったKFC(ケンタッキーフライトチキン)のお店が写っています。クリックすると拡大するので探して見て下さい。ヒントは三つの白い三角テントの少し上の赤い看板が目印です。

スフィンクスの前にスフィンクス神殿がありその横に、この写真の河岸神殿があります。この河岸神殿は王の遺体をミイラにする場所だそうです。ピラミッドに付随して河岸神殿と葬祭殿が作られたそうです。河岸神殿はピラミッドから離れた場所に作り葬祭殿はピラミッドのすぐ側の正面に作られます。葬祭殿はミイラを埋葬する前にファラオ(王)の再生と復活を祈った場所だそうです。写真はファラオをミイラにした河岸神殿です。


河岸神殿の中です。


ここに来て驚いたのがカイロからこんなに近い場所に世界最大のピラミッドがあったことです。他の多くのピラミッドはこの大ピラミッドから南にナイルの肥沃地帯に接する砂漠の端につぎつぎと建設されていったようです。

Googleマップでも位置関係を紹介します。







より大きな地図で3大ピラミッド を表示