2024年12月31日

イスタンブールの猫ちゃん

IMG_1032-50.jpg写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、15年前のトルコイスタンブールの猫ちゃんの記事を再掲載させていただきました。
喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます。
チャナッカレは前記事ケバブ料理のレストランがあった海峡の町です。
 2009年12月12日 掲載
 2024年12月31日 再掲載 閲覧数:5,859 nice!:108 CMT :18
 2025年01月01日     閲覧数:5,959 nice!:130 CMT :24
トルコのチャナッカレ(Canakkale)の猫ちゃんを紹介したしました。イスタンブール(Istanbul)でも街を歩くと沢山の猫ちゃんに出会いました。
上の写真はホテルの近くの公園で日向ぼっこしながら気持ちよさそうに眠っている猫ちゃんです。この公園にも沢山の猫ちゃんがいました。トルコに来た前回と今回の経験から、トルコは猫ちゃんが沢山いる国だなと思いました。日本語ではイスタンブールと呼ばれていますがİstanbul(イスタンブル)が一般的だそうです。

ボスポラス海峡が見下ろせる坂道の町の路地の風景です。沢山の猫ちゃんがいるから出会える風景です。みんな仲良くしているなかで珍しい光景です。兄弟かな?
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車の上は暖かいのかな。行儀よく座っていました。ここも坂道の町の路地の猫ちゃんです。
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旧市街地の方に行くと更に、沢山の猫ちゃんたちがいました。ここから下のネコちゃんたちは全て旧市街地のねこちゃんたちです。
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何かを見上げている姿が愛らしいです。


カメラを向けると気にするネコちゃんもいます。


かと思えば、気にしない猫ちゃんもいました。


後半のネコちゃんはこの道(Serdar-Ekrem Cd.又はGalip Dede Cd.)沿いだと思います。下のストリートビューはGalip Dede Cd.で、猫ちゃんが写っています。
posted by SORI at 10:28| Comment(24) | TrackBack(3) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月30日

チャナッカレの猫ちゃんたち


クリックすると拡大
もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、15年前のトルコチャナッカレの猫ちゃんの記事を再掲載させていただきました。
喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます。
チャナッカレは前記事ケバブ料理のレストランがあった海峡の町です。
 2009年07月09日 掲載
 2024年12月30日 再掲載 閲覧数:4,987 nice!:106 CMT :32
 2024年12月30日 再掲載    :5,124 nice!:132 CMT :38
トルコのダーダネルス海峡(チャナッカレ海峡)にチャナッカレ(Çanakkale)という町があります。この町は昔から軍事的にも重要なところで要塞が手前と対岸にありました。そのダーダネルス海峡(チャナッカレ海峡)と猫ちゃんです。対岸に見えるのはキリトバヒール要塞跡です。この町には驚くほど沢山の猫ちゃんがいましたのでほんの一部を紹介いたします。上の写真はクリックすると拡大いたします。

町の中の猫ちゃんです。少し警戒されている感じですが、近づいてもこちらを見つめるだけで逃げることはありませんでした。ただしカメラを構えると逃げちゃう猫ちゃんが多いので撮れるのは、ほんの一部です。もっともっと沢山の猫ちゃんに会いました。 おそらくカメラを気にしているのだと思います。


こちらは魚屋さんの前に集まってきていた猫ちゃんです。チャナッカレイは世界遺産のトロイ遺跡の近くの町でトロイ遺跡を訪れる観光客の人が必ず泊る町でもあります。私が泊っていたホテルにも十数台のバスが駐車場に停まっていましたが、ほとんどが日本の観光客の人でした。


近くの公園の猫ちゃんたちを紹介します。ほんとうにトルコは猫ちゃんが多かったです。この写真に何匹の猫ちゃんが写っているか判りますか。答えは5匹です。探してみてください。

                     
上の右上の2匹の猫ちゃんを拡大しました。


兄弟たちと思われる猫ちゃんたちが沢山います。


こちらも多分兄弟ですね。


太陽がまぶしそう


みんなこちらを見ています。


爪を研いでる猫ちゃん


この猫ちゃんもこちらを見ています。


こちらの猫ちゃんもどこかで見たような! これは爪を砥いでいた猫ちゃんかな? 額の模様が同じ気がします。警戒しているように見えますがカメラを向けなければ、どんなに近づいても大丈夫です。


レストランでお余りを貰う猫ちゃんかな。


猫ちゃんが沢山いた公園のGoogleのストリートビュー(SV)です。猫ちゃんの写真の中の8枚ほどはこちらの公園(Osnabrück Parkı)で出会いました。公園の女性の銅像にも猫ちゃんが入っているので猫が多いことは有名なようです。



こちらがチャナッカレ(Canakkale)の場所です。衛星写真画面のマイナスのアイコンを5回ほどクリックすると位置がわかると思います。

大きな地図で見る
posted by SORI at 11:46| Comment(42) | TrackBack(5) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月29日

ケバブ料理

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大します。
もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、15年前のトルコの記事を再掲載させていただきました。
 2009年12月03日 掲載
 2024年12月29日 再掲載 閲覧数:2,504 nice!:158 CMT :22
この日の夕食はシシ・ケバブ(日本でシシカバブとも呼ばれています。)に代表されるケバブ料理(串焼き料理)の評判のレストランへ行きました。シシは金串で、ケバブは焼肉という意味だそうです。注文した焼き物はすべて2っの大皿に盛られてきました。もちろんシシ・ケバブも入っています。場所は猫ちゃんが沢山いたチャナッカレです。料理はクリックすると拡大します。

大皿から取り分けました。これがすべての種類です。これはかなりのレベルの料理でした。これはビールを飲むのに最高の料理でした。


やっぱりシシケバブ(シシカバブ)にはビールです。


目の前手焼いてくれます。
クリックすると拡大

すべて炭火焼きです。串焼きです。本格的なシシ・ケバブを体験できました。赤い串焼きはトマトです。右の黒いのが火のついた炭です。
クリックすると拡大します。

トマトの串焼きを拡大しました。
クリックすると拡大します。

もう一つの名物がこのトルコのパンです。薄い生地を焼くと大きく膨らんで出てきます。焼きたてを出してくれるので気をつけないとやけどをしてしまうほどです。


膨らんでも中は空洞です。これが特徴であつあつなのがおいしいかったです。


専門のパンの打ち手がいます。打ちたて焼きたてが出てきます。インドのナンみたいなものかな。


前菜とサラダです。
クリックすると拡大します。

デザートの果物は洋ナシが主体です。 サラダと果物の出し方は大雑把なのがトルコ風です。


お店は雰囲気があり満員になりました。


音楽演奏もありました。食べる方に夢中で音楽は聴いていませんでしたが雰囲気だけは最高です。


変わった楽器です。バリ猫さんに楽器の名前を教えてもらいました。カーヌーンだそうです。ありがとうございました。


突然誕生日の歌を隣のテーブルで演奏した後、注文していないケーキがテープルに!


隣の誕生日のカップル(写真の一番奥)の方がプレゼントしてくれたのです。日本人だとわかったようです。すごくうれしそうでした。もちろん祝福の言葉をおくりました。


レストランはエーゲ海とマルマラ海を結ぶダーダネルス海峡(チャナッカレ海峡とも呼ばれています。)が眺められる最高の場所にあります。
ただし夜なので海峡は見えなかったのです。写真は朝の散歩のときに撮りました。月がまだ見えます。
対岸の真中付近に見えるのは昔の要塞です。


お店の名前 ADANA SOFRASI
住所 Abdullah MEMİLİ
    Yeni Kordon Mevkii ÇANAKKALE
     Tel:0286-213-9168
小さな村のレストランも趣きがありますがこんなレストランもいいですね。
写真をクリックするとお店と海峡とワンちゃんの写真がでます。


緑色のマーク( )が今回のお店Adana Sofrasıです。
トルコのチャナッカレ(Çanakkale)にありました。着色したレストラン名をクリックすると記事を表示します。トロイ遺跡の近くの臙脂色のマーク( )は小さな村マフムディエ(Mahmudiye)一番のレストランERAY Köfte Salonuです。右下の写真は小さな村のボス猫ちゃんです。IMGP9729-480.jpg
  場所(町名や村名) レストラン名
 チャナッカレ  Adana Sofrası
 マフムディエ  ERAY Köfte Salonu
 テキルダ    Kardeşler Köfteci
 イスタンブール Mavi Balik
 イスタンブール 香港大酒楼
 イスタンブール Hanedan Restaurant Meat & Fish
posted by SORI at 16:59| Comment(32) | TrackBack(1) | トルコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月28日

世界遺産 トロイ遺跡

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、15年前のトロイ遺跡の記事を再掲載させていただきました。
 2009年12月02日 掲載
 2024年12月28日 再掲載 閲覧数:7,350 nice!:105 CMT :16
 2024年12月29日 再掲載    :7,505 nice!:146 CMT :24
クリックすると拡大実は昼食をした村の近くにトロイ遺跡がありました。と言うかトロイ遺跡の近くの小さな村でした。遺跡そのものは、建物などはないことから、さほど迫力があるものではないけれども紀元前3000年(5000年前)からの歴史を考えあわせるとその値打ちが伝わってきます。 まさに五千年の歴史!
5000年前というと日本では縄文時代! すごく昔に感じます。

ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘が行われるまでは、トロイ(イリアス)は神話上の架空都市にすぎないというのが一般的でした。シュリーマンの執念によって見つけられたのでした。
この場所が100%伝説のトロイの遺跡であるとまでは断定されていませが年代はそのころに間違いなくトロイの遺跡であることが定説になっています。歴史の深さから世界遺産になっています。
クリックすると拡大

クリックすると拡大有名な木馬はもちろんレプリカでさほど意味はないと思いますがこの木馬があると「あのトロイ」という気になってしまいす。クリックすると内部を大きく表示します。
クリックすると拡大

古い壷などが展示されていました。


遠くに海峡が見えます。昔の眺めはどうだったのかなとつい思ってしまいます。
クリックすると拡大

何千年前の生活が感じられる場所です。 写真をクリックすると転がった柱の写真が出ます。
クリックすると別画面

いろんな年代の遺跡が重なっているところです。
クリックすると拡大

調査の範囲において遺跡は9層からなっているそうです。1層すなわち最初の集落は紀元前3000年(5000年前)ごろに始まっているそうです。
クリックすると拡大します。

トロイ遺跡の場所はこの地図の左下のほうです。エーゲ海も近いです。
クリックすると拡大

これがトロイ遺跡の航空写真です。マイナス(-)のアイコンを何度もクリックするとトロイ遺跡の場所がわかってくると思います。トロイ遺跡はトルコにあったのです。

より大きな地図でトロイ遺跡を表示
posted by SORI at 08:13| Comment(28) | TrackBack(3) | トルコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月27日

毎日が師走のアメ横? イスタンブールの市場

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、15年前のトルコの記事を再掲載させていただきました。
 2009年12月07日 掲載
 2024年12月27日 再掲載 閲覧数:2,278 nice!:146 CMT :38
 2024年12月28日 再掲載    :2,447 nice!:173 CMT :48
いつの間にかトルコも3回目の訪問となりました。遠くに4本の塔が見えるのがイスタンブールで最も大きいモスクであるスレイマニエ・モスクです。このあたりは世界遺産にも登録されています。その近くにエジプシャンバザール(市場)があります。地元の人たちがよく利用する市場です。ここにお土産を買いに行きました。

市場の広場の前にも大きなモスク(ジャミィ)がありました。モスクの名前はイェニ・ジャミィです。場所はトルコのイスタンブールです。
クリックすると拡大

広場から見た市場の入口です。昔、記事を掲載したオリーブの専門店もこのあたりにありました。
クリックするとオリーブの記事を表示

お土産を買え終えたころには暗くなっていました。
こちらで買ったお土産の記事です。写真やタイトルをクリックすると記事を表示します。クリックするとオリーブの記事を表示
 クリックすると記事を表示 トルコ石
 クリックすると記事を表示 カラスミ
 クリックすると記事を表示 キャビア
 クリックすると記事を表示 トルコの陶器

クリックすると潮騒のメモリー・3バージョン
そしてモスクもライトアップ
クリックすると天野春子
「あまちゃん」で益々、有名になった右上の写真(ネット)のアメ横の大晦日みたいです。クリックすると天野春子いや、「あまちゃん」のおかげで、アメ横も、いつも大晦日のように賑わっているのかもしれません。右の写真は天野アキのお母さん天野春子の若い時です。
大阪だと大晦日の黒門市場かな。右上のアメ横の写真をクリックすると潮騒のメモリーを聞くことが出来ます。
それにしてもエジプシャンバザールは、すごい人です。 
クリックすると拡大

どこまで行ってもすごい人です。


市場は屋外だけではなくアーケードのある部分もあります。


魚屋さんです。小あじ(イスタヴリットİstavrit)が1kgあたり約300円です。鰹(パラムットPalamut)もあります。
クリックすると拡大

別の角度から見てみました。一番手前はたぶんカタクチイワシのハムシHamsiですね。
クリックすると拡大

近くに金角湾とガラタ橋があり、その前の広場で鯖サンドを売っている船が沢山停泊している場所です。丘の上には冒頭の写真に写っていたイスタンブール最大のスレイマニエ・モスクがありました。クリックすると拡大
緑色マーク( )が鯖サンドを作って売っている船が沢山停泊している場所で、その下の青色マーク( )が今回の紹介のエジプシャンバザールです。一番左側の青色マーク( )がスレイマニエ・モスクです。

より大きな地図で イスタンブール を表示
庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」の歌を追加させてもらいました。是非とも中央のプレーボタン( )をクリックしてみてください。
posted by SORI at 19:26| Comment(52) | TrackBack(4) | トルコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月26日

自分のホテルが火事

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もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、私の一生の中で最も身の危険を感じた経験の記事を再掲載させていただきました。夜中にパキスタンの首都イスラマバードで泊っているホテルで私の部屋と同じ階で火事が発生したのです。
 2009年10月09日 掲載
 2024年12月26日 再掲載 閲覧数:4,000 nice!:201 CMT :117
 2024年12月27日 再掲載    :4,145 nice!:234 CMT :124
パキスタンのイスラマバードに来て最大の事件がこれです。私にとって海外経験で最大の危機だったかも知れません。
ホテルの部屋で寝ている時に、煙たいのに気がつきました。目を開けると天井が霞んでいました。もしかしたら火事と直感! 時間は午後11時(日本時間 午前3時)ごろで、すぐに廊下を確認すると、ものすごい煙なので火事と判りました。有毒ガスのような煙がすごすぎる上に、熱すぎて廊下からは逃げられる状態ではありませんでした。いざとなったら窓から逃げる覚悟で部屋に戻りました。 しかし一番危険な煙が相当に部屋に入ってきたので、身の危険を感じて部屋にもいられないために、ついに窓の外の小さなスペース(人が行く場所ではないけれど以降はベランダと呼びます。)への窓をこじ開けて窓を乗り越えて避難しました。開けるときに煙で見えないので窓の取っ手を無理やり壊して開けました。火事がおさまってから冷静に見ると壊さなくても開けられる構造でした。
私は4階のRoom No.411 でベランダから見ると火事は同じ4階でした。上の写真はベランダから撮った写真です。良く見ると飛び降りなくてもコンクリートの格子をつたって降りれる構造でした。この状態になって、とりあえず火事が大きくなっても逃げられると感じて、初めて冷静になれました。それで息を止めて部屋に入ってカメラを取ってきてベランダに再度避難しました。

火もかなり出ていました。このときは消防自動車はまだ来ていませんでしたが15分位してから放水が開始されなんとか沈火することが出来ました。それから30分くらい経ってからすごい数の消防自動車が来ましたが、おそらく出火から一時間以上経っていました。火が消えてから初めて非難誘導で一階に降りたわけです。


避難した時に状況をお客さんの一人が以下のように話してくれました。
火事はRoom No. 404だったそうです。 隣の部屋Room No.402に日本人の新婚さんが泊まっており窓から飛び降り(つたって降りる時に落ちたのか動転して飛び降りてしまったのか)て女性が怪我をしたと話してくれました。
これが事実であれば日本人が怪我をしたことから日本でもニュースになるかもしれません。ネットで調べたけれどまったくありませんでした。 
2時間経ってから部屋に戻してもらいましたがススだらけでした。紙を置いていた部分は真っ白なのですごい煤だこと判ってもらえると思います。
とても寝れる状況でないので別の部屋へ変更してもらいました。


ホテル名はPearl Continental Hotel Rawalpindi Pakistanです。防火設備(スプリンクラーや火災報知機)を強化することを期待します。→ポチッ

火事のときの地上です。こちらを見ている人も沢山いました。


4階の人はやっと鎮火してから避難誘導されて1階に下りました。1階は避難した人たちや外から帰ってきた人たちでいっぱいでした。やっと別の部屋は入れたのは3時過ぎでした。一旦自分の部屋に戻って荷物をまとめて別の階の部屋に移動しました。


火事になる前に撮ってあった部屋の写真を紹介いたします。火事のあとは白い部分は全て真黒になったことを想像してください。
posted by SORI at 23:59| Comment(133) | TrackBack(1) | パキスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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