2024年04月22日

山口県の墓参りの新幹線と車の旅 朝食「ひっぱりだこ飯」

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2024年の3月に関西から関東の自宅に帰る時に、お彼岸(3月17日~3月23日)には少し早かったけれども山口県の墓参りをしてから帰ることにいたしました。1人で墓参りをする場合は、徳山まで新幹線で行き、そこから周防久保駅の近くの墓参に行くにはバスかタクシーかJR岩徳線で行っていました。急ぐときはタクシーですが、通常は行くときがバスで帰りが岩徳線を使っていました。
ただし、今回は広島に住んでいる従妹が車で広島と周防久保を往復していただくことになったので新幹線は広島までになりました。クリックすると拡大
実は2021年12月に周防久保の墓参りの後に、下関にある叔父さん(従妹のお父さん)の墓参りをして、下関で一緒に食事(右の写真 左奥:従弟 左手前:私 右:従妹夫婦)をした時に、次回は広島で一泊して従妹夫婦と飲む約束をしていたので、それを実現するために広島で降りるとこになったのです。
上の写真は新神戸駅で、さくら543号を待っている時に上り(東京方面の)の列車(のぞみ72号/6時55分発)が入ってきた写真です。

これが墓参り当日と、翌日(帰り)の列車のスケジュールです。
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1号車への乗り口の前にスーツケースを置いてベンチで待ちました。停まっている新幹線は上りホームに停まっている列車(のぞみ72号/6時55分発)です。ちなみに私の乗る列車は7時02分発です。
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朝食用に新神戸駅で買ったのがこちらの壺飯です。今年の1月6日のヨッシーパパさんの記事「駅弁は明石のたこ(ひっぱりだこ飯 淡路屋、新神戸駅、兵庫)」で気になっていたので、その「ひっぱりだこ飯」を買ってみました。
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しばらくすると乗る列車(さくら543号)が入ってきました。
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乗って、さっそく壺飯を食べることにしました。
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これが「ひっぱりだこ飯」です。
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蓋の紙を外しました。
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中身がこちらです。
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さらに拡大いたしました。
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下のご飯を上に出してもう一枚撮りました。
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蓋の紙には説明が書かれていました。
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上の写真をクリックすると拡大するので説明は読めると思いますが、クリックが面倒な方のために説明文のところを拡大いたしました。
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福山駅にRail Starが停まっていたので写真を撮りました。Rail Star(レールスター)はJR西日本が山陽新幹線だけで運用している列車です。
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クリックすると拡大広島駅の新幹線の改札口に従妹の旦那が待っていてくれて車まで案内してもらい、その車に乗って山口県の周防久保駅の近くのお墓まで行き墓参りすることが出しました。この墓には私の父だけでなく、私と従妹の祖父と祖母も、この墓に眠っているのです。
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広島への帰りは高速で広島まで行くのではなくて、大野ICで下りて高速から下りて国道2号線を走りました。この写真の場所は 広島市西区井口ですが、昔は広島市井口町でした。広島市井口町の時代に写真の茶色のマンションの場所にクリックすると拡大立っていた木造の住宅に住んでいたのです。住んでいたのは3歳~10歳(小4年)でした。住んでいたところを見るために大野ICで下りてくれたのでした。実は約1年間だけですが、従妹も住んでいたことがありました。その時の写真が右の写真で、真中が従妹です。左が姉出右が私です。
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住んでいた場所のGoogleマップの航空写真です。住んでいた頃の3ケ所のマーク( )の写真を下で紹介します。海岸線(━━)までが家の敷地でした。右の写真は庭から見た海の景色(井口漁港と男明神)です。
クリックすると拡大 入学式の記念写真を撮った場所(門)
 住んでいた家があった場所
 庭の中の小山の場所
  井口小学校への通学路 183m
  踏切までの距離 39m
  当時の海岸線


小学校の入学式の日に家の門の前( )で撮った記念写真です。門の前は国道2号線だったので上の写真のに写った場所なのです。詳しくはクリックすると拡大記事「男明神と女明神」を見てもらうと分かると思います。
写真に写っている板塀で囲まれた家+庭の敷地は今の茶色のマンションの敷地より広かったです。右の写真が小学校の入学式の記念写真です。黄色い丸の部分が私です。この写真に写っている大人(9人)が、小学校の先生全員です。一学年一クラスだったのです。入学式の記念写真から数えると1年生は合計33人(=女子14人+男子19人)だったことになります。
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こちらが住んでいた( )です。幼稚園から小学校4年までの短い7.2年間でしたが海の近くの生活を体験できました。クリックすると拡大この後、神戸市東灘区の岡本に引越しました。小学校は神戸市立本山第一小学校です。突然に生徒数が6倍の学校に変わるなど田舎から突然に都会に出てきて戸惑うことが多かったです。電車が空中を走る(高架)は絵本の中の世界だけのだったが現実になったのが印象的でした。現在は、この場所にマンション「ヴェルディ井口明神公園」が建っています。現在の住所は広島市西区井口明神2丁目です。


左が男明神で右が庭の中にあった小山( )の写真です。庭の中の小山と言って左の写真の男明神と同程度の大きさがありました。左側のこの小山の上に登ったり、くりぬいて作られた防空壕に入ったりして遊んだ記憶があります。右の写真の小山は無くなって今は手打うどん店の敷地になっています。お店の名前は純手打うどん香房・広島本店です。


これは我々が住むよりはるか昔に撮られた写真てす。黄色の〇で囲った左端の小山が、形と大きさから庭の中にあった小山と思われます。右端の小山が今でも公園の中に池(昔は海)と一緒に残されている男明神です。クリックすると拡大この辺り一帯は我々が神戸に引っ越した後に埋め立てられて今の海岸線ははるか海のかなたです。真中の小山が女明神ですが、我々が住み始めた時にはすでにありませんでした。左端の単線の線路は山陽本線です。
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広島に着きました。広島のシンボル的存在の原爆ドームと市電が写っています。
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posted by SORI at 05:49| Comment(32) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月15日

山陰本線(某駅→福知山駅→京都)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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長男家族が2022年3月末に北海道から兵庫県の某町に引っ越してから初めて訪問した時の記事の続きで最後の記事です。関西から千葉県の自宅に帰る時に寄り道する形で長男宅に行きました。長男宅の最寄り駅(某駅)から京都までの山陰本線の特急「きのさき8号」からの車窓の景色を紹介したいと思います。上の写真は車窓から見えた福知山城です。
 1日目 実家→宝塚駅→福知山駅→某駅出石城(出石蕎麦など)→長男の家
 2日目 長男の家→某駅→福知山駅→京都駅→品川駅→自宅の最寄駅→自宅

こちらのGoogleマップの赤色ライン()が本記事で紹介の山陰本線です。臙脂色ライン()が1日目に乗った福知山線です。最近、注目されるようになった竹田城( 標高353.7m)も長男の家の近くにありました。
  山陰本線(山口県下関市・幡生~某駅~福知山~京都) 
  福知山線(大阪~宝塚~福知山)
  播但線(和田山~姫路)と加古川線(谷川~加古川)と舞鶴線(綾部~東舞鶴)
    と京都丹後鉄道宮福線(福知山~宮津) 
  大阪駅   宝塚駅  福知山駅 下山駅  京都駅  
  出石城   福知山城  竹田城   篠山城   明石城  


自宅に帰る2日目は月曜日だったので、長男は仕事があるので出勤前の早朝に、次女を幼稚園に送る車に乗せてもらって最寄り駅(某駅)まで送ってもらいました。特急券を買ってから、しばらく待っていると287系の特急「きのさき8号」が来ました。この特急は10時06分に京都に着きました。JR在来線の有料特急に乗ったのは思い出せないくらいに昔のことなので、なんとなくワクワクしました。
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平日の早朝のためか車内は余裕がありました。私の席は3号車の8番Dでした。私は左側の席だったのでこれから紹介する景色は概ね北から東方向になります。ただし線路は曲がりくねっているので北西方向の景色になることもありました。特急券を買う時に左側の窓側を推薦してくれたのは後でわかると思います。
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発車してすぐの景色です。長閑(のどか)な景色でした。ここでは線路に並行して磯部川が流れていました。今回の旅で掲載した記事は下記の通りです。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 ① 福知山線(宝塚駅→福知山駅) 山陰本線(福知山駅→某駅)
 ② 江戸時代の「出石城」 と 安土桃山時代の「有子山城」
 ③ 出石酒造 楽々鶴(ささづる)
 ④ 本場の出石で「出石皿そば」を食べました。正覚田中屋
 ⑤ 辰鼓楼(しんころう)
 ⑥ 北近畿で一番人気のケーキ店 カタシマ(KATASHIMA)
 ⑦ 香住ガニ(ベニズワイガニ/紅がに)の香住漁港直売 宿院商店
 ⑧ 山陰本線(某駅→福知山駅→京都) 本記事
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川を渡るところの景色です。
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国道9号線と並行して走っている景色です。
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福知山駅に着きました。向かいのホームに見慣れない列車が停まっていました。調べてみるとWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)の特急列車の「たんごリレー」でした。前身の特急「タンゴエクスプローラー」、「タンゴディスカバリー」、「文殊」を統合してKTR線(北近畿タンゴ鉄道)内の完結列車として2011年3月12日から運行されているそうです。
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福知山駅を出発するとすぐに左手にお城が見えてきました。これが丹波国を平定した明智光秀が築城した福知山城です。前日に宝塚から来た福知山線は城から少し離れていたので気が付きませんでした。
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上の写真を拡大して見ました。
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列車が進むと城の角度が変わります。
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さらに少し角度が変わりました。
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違う形に見えます。
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このが最後の写真ですが、最も立派に見えます。特急券を買う時に左側の窓側を推薦してくれた理由の一つは福知山城がよく見えることだったのだと思いした。
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天守閣の部分をトリミングして拡大いたしました。ただし、解像度はかなり劣ります。前記事「明石城の花見 第88回ハイク参加」で記載の明石城の紹介順で福知山城を紹介します。右の写真はWikipediaから転用させていただきました。クリックすると拡大
 名前   福知山城
 城郭構造 連郭式平山城
 天守   複合・連結式望楼型(1699年築)
      現在:外観復元(1985年)
 築城主  明智光秀
 築城年  1579年(天正7年)
 廃城年  1873年(明治6年) 294年間
 主な城主 明智氏、朽木氏
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 遺構   曲輪、石垣、井戸、移築番所・門
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 文化財  福知山市史跡(石垣部分)
 別名   横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城
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実は上の2枚の写真はこの写真から切り取ったものなのです。列車はかなり通り過ぎていて後方にぎりぎり見える状態でした。左の黒い部分は列車の後方側の窓枠なのです。列車のスピードも上がってきたようで、手前の方の景色はかなり流れています。
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福知山を過ぎると、出発した時と同じように、のどかな風景になってきました。こちらは進行方向前方を撮りました。
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川を渡る時は写真を撮りたくなります。
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下山駅は福知山と京都の間で4割程度進んだ場所になります。SV1
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まだまだ、のどかな風景が続きました。
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突然に高い建物がある風景になりました。建物は京都府南丹市・市営の向河原団地です。住所は京都府南丹市園部町小山東町向河原13です。写真の左端に少しだけ写っているビルは京都府・府営の向河原団地です。この列車がこの場所から600m進むと園部駅でした。園部駅からマンション(向河原団地)まで徒歩600m(9分)の距離だそうです。
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上の写真の場所の道路からのストリートビュー(SV)を紹介します。山陰本線も写っています。マイナス(-)のアイコンをクリックすると府営の向河原団地の建物が判ると思います。


京都に近くなってきてもそんなに乗客は増えませんでした。
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まだまだ、田んぼが広がる風景が続きました。
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突然、都会の風景になりました。
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と思ったら、まだ自然豊かな場所は続きました。前の写真は京都の手前の大きな町なので亀岡だったのだと思います。調べてみると上の写真の近代的な建物は2020年1月11日に開場したサンガスタジアムでした。SV2 3D
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京都エリアに入ってきました。ここは二条駅だと思われます。SV3
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列車の進行方向が南から東に向くあたりに京都市電2001号車が展示されていました。その前に幼稚園児か小学校低学年生徒たちが並んでいました。ビルはTHE ROYAL PARK HOTELです。SV4
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完全に東向きになり、JR京都線や新幹線と並行して走る状態になりました。クリックすると拡大緑豊かなエリアは梅小路公園です。写真の中の右下の辺りに「山陰線エリアA」と書かれた表示があります。Wikipediaから転用させていただいた有名な右の写真の梅小路蒸気機関車館は線路を挟んで反対側にあります。右側の席だと見ることが出来たかもしれません。ここから京都駅の停車位置まで1000mです。SV5
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新幹線の京都駅のホームに着きました。
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新幹線の中も空いていました。2号車(自由席)です。品川駅では2号車の3号車側のドアのところにエレベーターがあるので、混むとき以外は自由席の2号車にしています。
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JR在来線の千葉方面のホームです。ここまで来ると帰ったことが実感されます。
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posted by SORI at 08:30| Comment(26) | 出石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月09日

明石城の花見 第88回ハイク参加

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今までに何度か紹介したように新入社員で配属になったのがクリックすると拡大神戸事業所でそこの仕事仲間の人達の多くとは組織ごと東京に転勤になりました。その後、転勤や退職で神戸に帰った人たちが定期的に行っておられました。そのことを偶然知ったのが2018年12月26日でした。私は千葉県に住んでいますが、2018年の年末に関西に行ったときに、その人たちの神戸駅前で行われた忘年会に初めて参加させていただき、その時に年に数回ほどハイキングを行うことを聞いて、私が関西に行ったときにタイミングが合えば参加させていただくことになりました。今までに参加させていただいたのは第72回から7回で、今回が8回目参加の第88回ハイク(2024年3月29日)で、明石公園(明石城)での花見でした。明石は隣接はしていますが神戸ではありませんが、神戸の仲間の集まりで隣の市なので、カテゴリーは神戸にしました。

今までに参加したハイキングの場所の地図も掲載しておきます。紫色マーク( )が今までに参加したハイキングです。
    2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 冬の忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
 第86回 2023年11月14日(火) 有馬温泉(瑞宝寺公園 路地裏散策 金の湯)散策
     2023年12月22日(金) 冬の忘年会 燦(SUN)
 第87回 2024年02月20日(火) 須磨離宮公園での観梅
第88回 2024年03月29日(金) 明石公園での花見
第89回 2024年05月10日(金) 五月山公園の新緑散策&ラーメンミュージアム
:参加  :予定  :新型コロナを配慮して場所を選択


今までは関西に来ている時に参加したため、泊まっている実家の最寄の逆瀬川駅が出発地でしたが、今回は千葉県の自宅からクリックすると拡大直接集合場所の明石駅に行きました。自宅を5時35分に出発し、品川から新幹線に乘り新大阪で新快速に乗り換えて明石駅に向かいました。時間帯によっては'こだま'に乗り換えて西明石経由の方が早い着く場合があります。写真は新大阪駅の神戸方面に行くホームです。
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花見の差し入れに新大阪駅で赤福を買いました。関西に実家があり神戸にも行く機会が多いのに、不思議と新大阪から神戸や明石まで快速や新快速に乗ったは数十年ぶりなので窓からの景色を沢山撮りました。会社の神戸事業所に行く場合は新幹線で新神戸まで行くのが便利だし、会社の明石事業所(西明石)に行く場合は新幹線で西明石まで行くのが便利だからです。
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こちらは、私が中学生時代に通っていた神戸市立本山中学校です。この地区に小学校4年から高校2年まで住んでいて小学校は神戸市立本山第一小学校に通っていました。思い出すと懐かしいです。
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明石駅に着きました。明石駅のホームから明石城よく見えるので明石城のクリックすると拡大写真を何枚か撮りました。城のような建物が2つ見えていますが左(南西)が坤櫓(ひつじさるやぐら)で右(南東)が巽櫓(たつみやぐら)です。2つの櫓が本丸の左右の櫓になります。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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クリックすると拡大本丸部分を拡大いたしました。
明石公園の右のシンボルマークのような構図です。
坤櫓と巽櫓は復元されたものではなく江戸時代の本物で国の重要文化財です。本丸には天守台は残っていますが、天守閣は建設されなかったそうです。明石城は第2代将軍の徳川秀忠の築城命令(1617年)により建設が始まり、江戸時代(1603年~1868年)の15年目の1618年(元和4年)に完成したそうです。一国一城令で廃城になった三木城、高砂城、枝吉城、船上城、伏見城などの材料が利用されたようで、坤櫓は伏見城から、巽櫓は船上城から移築されたとされています。
本丸の北東隅には艮櫓(うしとらやぐら)が、北西隅には乾櫓(いぬいやぐら)があり、本丸は四隅に櫓がある姿でしたが、残念ながら艮櫓は1881年(明治14年)に、乾櫓は1901年(明治34年)に解体されてしまったそうです。
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こちらが伏見城からの移築されたとされている坤櫓(ひつじさるやぐら)です。
クリックすると拡大天守閣が作られなかったことから、この坤櫓が天守の役割をしていたようです。位置的にも坤櫓のすこし奥に天守台があります。坤櫓は1631年(寛永8年)の寛永の大火の際に焼け落ち、現存櫓は再建したものと考えられているそうです。右の櫓内部の写真は明石公園のHPから転用させていただきました。
寛永の大火とは、築城12年後の寛永8年(1631年)の正月、本丸の高い崖下にある三の丸の台所からの出火により本丸が全焼した火災のことです。もし天守台の上に天守閣を築いていたら天守閣も全焼していた可能性が高い気がします。本丸の御殿が全焼したことで城崖の南側全体にあたる三ノ丸西部の内堀で囲まれた一郭の居屋敷曲輪が藩主の居館となったそうです。
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こちらが船上城からの移築とされたとされている巽櫓(たつみやぐら)です。
クリックすると拡大船上城は一国一城令により取り壊さることとなったことから利用されたようです。巽櫓も寛永の大火(1631年)により焼失して再建されたようです。柱や垂木(たるき)や梁(はり)の木材は規格品により統一されていたことから、寛永時代の最新技術で築かれ、廃材は一切使われていないことも分かっているそうです。
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こちらが明石駅のホームです。明石城の写真を撮っていたので人がいなくなりました。
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本来の集合時間は10時45分ですが、遠方の2人(鳥取と千葉)は11時30分に設定されていました。10時45分に集合した人は明石の魚棚に花見用の食料と飲物を買いに行っていただいていました。私と鳥取からの人が集まったところで明石城に向かって歩き始めました。
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明石駅から明石城の堀までの写真です。駅出口から堀まで40mの距離なのです。


これが駅前の中堀です。
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堀沿いに入口まで歩きます。


掘り沿いに歩くと入口に近づいてきました。
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さらに近づきました。明石城は姫路城(1346年築)を意識して造られたためか、敷地的には姫路城より広い城でした。
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明石城(明石公園)への入口です。石垣が見えているところが太鼓門の跡です。
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広い広場に出ました。明石城は本丸を中心に東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭が設けられたことから、この広場は三の丸になるのだと思います。櫓は合計20基で門は合計27棟だったそうです。
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花見の宴会場所を探しているところです。ちなみに桜の花は全く咲いていませんでした。花が咲いていないことを気にする人はいませんでした。


宴会場所に目星をつけて進んでいるところです。駅前あたりに建っている高層ビルは高層マンションのプラウドタワー明石です。
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花見宴会の準備をしているところです。



明石の魚棚で買ってきた食べ物や飲み物が並びました。
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大きな焼き鯖寿司が印象的でした。
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宴会の雰囲気をお伝えします。
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鳥取から参加された方(真ん中の写真の右端の人)とは、入社3年目に低発熱量の多量の排ガスをプラチナの触媒で酸化処理して熱をエネルギーとして回収する方式のプラントを指導されながら設計して納入させていただきました。入社1~2年目に横浜の化学会社にプラントを設計して納入した案件で指導いただいた方(右の写真の右端の人)は、ハイキングを企画してしている方です。また入社した岡山県水島に納めたプラントのお手伝いをさせて抱きましたが、そのプラントの設計納入責任者/プロマネ (真ん中の写真の左端の人)の方も参加されていました。そのほかの方も私が入社してから一緒に仕事をさせていただいた方ばかりなので話が弾みました。


記事を書いていて懐かしくなったので神戸時代に私が設計を担当したプラントの写真を4枚掲載いたしました。
こちらが入社3年目に設計担当したプラントの写真です。左側は製作した神戸事業所から出荷するときの主反応器で、この中にハニカムタイプのプラチナの触媒が2段と熱交換器が納まっています。右の写真はプラント全体の写真で鉄骨の中に左の主反応器が設置されています。こちらは世界初のシステムでした。このプラントは関西に納められました。このプラントの設計を指導してくださったのが鳥取から参加してくださった方です。
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こちらが入社1~2年目で初めて全体を設計担当して、横浜に納めたプラントの写真です。クリックすると拡大このプラントを設計した時に指導してくださった先輩が上で紹介したハイキングを企画されている方です。右の写真は、そのプラントで使われるバーナー(燃焼器)の前で撮った記念写真です。このプラントを担当するまでは、製品開発のための実験をしたり、プラントの一部を設計していました。こんな話をしながら盛り上がったのです。
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別の角度からの写真です。他にも沢山のグループが来られていました。
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片付けの写真も紹介します。



坤櫓(ひつじさるやぐら)を背景に記念写真を撮りました。
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クリックすると拡大右の写真(Wikipediaから転用)の天守台まで築かれながら天守閣が建てられなかった明石城にとっては、本丸未申の角(南西端)に築かれた坤櫓(ひつじさるやぐら)は天守の役割を持っていたようです。太平洋戦争で7つの城(水戸城 大垣城 名古屋城 和歌山城 岡山城 福山城 広島城)の天守を失いましたが、明石城の坤櫓は焼けなかったのは良かったです。
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 城郭構造 連郭梯郭混合式平山城
 天守   建築されず(天守台はあり)
 築城主  小笠原忠真
 築城年  1618年(元和4年)
 廃城年  1874年(明治7年) 256年間
 主な城主 松平氏(越前系)
 主改修者 松平直常
 遺構   櫓、石垣、堀、移築門
 再建造物 巽櫓と坤櫓を繋ぐ塀(1999年)
 名城度  日本100名城
 文化財  国の重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国の史跡
 別名   喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう)、錦江城(きんこうじょう)
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帰りながら二次会の場所を相談しました。明石での二次会はやっぱり明石焼(玉子焼)という結論になりました。


明石焼が美味しいお店で、お酒が飲めて長居が出来る条件のお店は難しいと思っていましたが、やっぱり地元の人がいると迷わず のお店に行きました。超人気の"たこ磯"の前を通ると大行列でした。"たこ磯"は神戸市須磨区に住んでいる頃に1度行ったことがあったので懐かしく魚棚を歩かせていただきました。
 明石焼 いづも  明石焼 他店  ━━ 明石魚棚商店街


こちらが明石焼いづもです。この写真はGoogle地図に登録されていた写真を転用させていただきました。お店の外の写真を撮り忘れてしまったのです。
 名前 いづも
 住所 兵庫県明石市本町1-2-19
 電話 078-912-8120 予約不可
 営業 平日 11:00~17:30  土日祝 10:00~17:30 
 定休 水曜日
 席数 44席
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これが明石焼(玉子焼)です。
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別の角度の写真です。もちろんビールもいただきました。
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ふわふわの明石焼をつゆで食べるのが、明石焼の特徴です。
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やっぱり本場の明石焼と一緒に飲むビールは最高でした。
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沢山並んだ写真も紹介します。
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こちらは女性陣の方のテーブルです。
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ラベル:花見 明石
posted by SORI at 20:08| Comment(40) | 神戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月05日

香住ガニ(ベニズワイガニ/紅がに)の香住漁港直売 宿院商店

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長男が北海道から兵庫県の北部に転勤になってから、正月用に送ってもらう香住ガニ(ベニズワイガニ)の購入店が、クリックすると拡大前記事で紹介した右の写真のケーキ店(カタシマ)から1.6kmの場所にありました。おかげで正月用に買ってもらっているお店を直接見ることができたので紹介したいと思います。この日は宝塚の実家から関東の自宅に帰る時に、少し寄り道で足を延ばして長男家族の家に行った日でした。一緒に出石城を見たり出石皿そばを食べました。
このお店(宿院商店)で、長男家族の家で食べる、この日の夕食用の香住ガニと魚を買ったので、その夕食も紹介したいと思います。上の写真は2024年の正月用に実家に送ってくれた香住がに(ベニズワイガニ/紅がに)の写真です。
今まで長男家族が送ってくれた蟹の種類と送り先(実家か自宅)と集まった人数です。着色文字をクリックすると記事を表示します。
★2014年3月末  転勤で、関西→北海道に長男夫婦が引越
 2016年 自宅 元旦 6人 タラバ蟹 2肩 + 大型毛蟹 1匹
 2017年 自宅 元旦 6人 タラバ蟹 3肩
 2018年 自宅 5日 7人 タラバ蟹 3肩  実家 元旦 5人 ひれステーキ
 2019年 実家 元旦 9人 12月31日に配達が間合わないことが判明して断念
 2020年 実家 元旦 9人 タラバ蟹 4肩
 2021年 実家 元旦 2人 新型コロナで中止
 2022年 実家 元旦 8人 タラバ蟹 2肩 +ズワイ蟹3杯分(3匹分)の爪と脚
★2022年3月末  転勤で、北海道→兵庫県北部に長男家族(4人)が引越
 2023年 実家 元旦 10人 ベニズワイ蟹 4杯(4匹) +セコガニ2杯(2匹)
 2024年 実家 元旦 7人 ベニズワイ蟹 4杯(4匹)
      自宅:千葉県佐倉  実家:兵庫県宝塚

Googleマップのハードコピーです。カタシマからクリックすると拡大宿院商店までの距離が1.6kmであることが分かっていただけると思います。
ただし標高差は47mもあります。峠の頂上辺りガソリンスタンドも含めて沢山のお店がある場所です。画面をクリックするとGoogleマップのオリジナルを表示します。
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車の中から見た宿院商店です。
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下の写真は車から降りて買い物に向かっているところです。右のマップは香住水産加工業協同組に所属してる香住漁港の近くの加工場場所です。最も左に宿院商店があります。水揚げしてすぐに茹でるなどして54km離れた下の写真のお店に運んでいるのだと思います。クリックすると拡大
 店名 宿院商店 本店 SV
 住所 兵庫県養父市上野168番地57
 電話 079-664-1484
 創業 1967年
 設立 1991年(株式会社設立)
 所属 香住水産加工業協同組合 
 HP http://www.syukuin.co.jp/
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上の写真の右側を拡大しました。紅がにや香住がにの文字が判っていただけると思います。宿院商店は香住にもお店があることから香住港直売なのです。ここで香住がに(ベニズワイガニ)を買って左側に移動して魚も買いました。
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こちらで魚を買いました。この魚売り場で本マグロの幼魚(ヨコワ)とカワハギを1匹づつ買ってさばいてもらいました。ここでは許可をもらって店内を撮らせていただきました。香住ガニを買ったのは魚売り場の右方向のカニ売場でした。
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これが買った香住がに(ベニズワイガニ)です。正月用は甲羅つきですが、この時は安いので足だけにしました。資源保護のため香住がにの漁は9月1日~5月末です。ベニズワイガニは1906年採取され26年後の1932年に新種として発表された蟹です。右の写真は新種として確定して発表したMary Jane Rathbun博士と生きたベニズワイガニです。クリックすると拡大
  界 動物界        Animalia
  門 節足動物門      Arthropoda
 亜門 甲殻亜門       Crustacea
  綱 軟甲綱        Malacostraca
 亜綱 真軟甲亜綱      Eumalacostraca
  目 十脚目(エビ目)   Decapoda
クリックすると拡大 亜目 抱卵亜目(エビ亜目) Pleocyemata
 下目 短尾下目(カニ下目) Brachyura
  科 ケセンガニ科     Oregoniidae
  属 ズワイガニ属     Chionoecetes
  種 ベニズワイガニ    Chionoecetes japonicus Rathbun
 漢字 紅頭矮蟹
 英名 Red snow crab Red tanner crab
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丹波の黒豆の枝豆も用意してもらいました。
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長男が作ってくれたヨコワ(本マグロの幼魚)の握り寿司と鯛の握り寿司です。
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こちらの右側はハワハギの刺身です。宿院商店で買ったハワハギです。
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こちらはヤリイカの刺身です。こちには再実が少なそうなので、途中のスーパーで買いました。最近、ヤリイカや剣先イカやスルメイカは我々の家の近くのスーパーでは漁獲量が減ったためか見かけなくなりましたが、さすが日本海に近いスーパーだけあって売られていました。
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こちらは知り合いのヨーロッパ旅行のお土産としてもらったドイツの白ワインです。ラベルにはBECKSTEINER WEINHAUS MÜLLER-THURGAU TROCKEN 2022と書かれていました。
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そして、出石酒造(楽々鶴)で買った日本酒も飲みました。夕食の前にみんなで「よふど温泉」に行き戻ってから、夕食の準備をしたのでお酒はよく冷えていました。やっぱり美味しかったです。紅ズワイガニも堪能できました。
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2024年元旦の夕食用に長男家族に送ってもらったベニズワイガニも紹介します。
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クリックすると拡大今年の正月は蟹を送ってくれた長男家族も入れて実家に7人が集まりました。末の娘夫婦は娘が妊娠していることもあり参加できませんでした。そして2024年3月26日17時39分に娘は無事に女の子(右の写真)を出産しました。私の母にとっては6人目のひ孫です。
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こちらは爪の部分です。
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やっぱり香住港直販だけあって美味しかったです。ベニズワイガニは身が柔らかいので、生を鍋にするのではなく、専門家に茹でてもらったものを買ってきて、そのまま食べるのが最高なのだと思います。
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実家の最寄駅の阪急今頭線の逆瀬川駅から宿院商店までのルート図(Ⓐ→Ⓑ)を紹介します。Ⓐ→Ⓑの距離は106km(1時間36分)です。この縮尺だと1.6km離れたケーキ店のカタシマと同じ場所だと言えます。宿院商店香住店は、かにバスの集合場所にもなっている下浜区公会堂(兵庫県美方郡香美町香住区下浜286-1)の傍にあります。
 宿院商店 養父店(本店)   宿院商店 香住店(加工場)  逆瀬川駅


ケーキ店のカタシマの位置を入れたGoogleマップと比較してみてください。
 カタシマ(KATASHIMA)本店 1970年創業
 支店(豊岡店 1995年 福知山店 2009年 丹波店 2012年)
 片島成好堂(グルテンフリーショップ 城崎温泉) 2022年開店


枠内2024年4月3日追記(娘の出産に関する件)
クリックすると拡大2023年9月25日に娘夫婦が家内の誕生日会を東京の丸の内のYAUMAY(丘如春/ヤウメイ)でしてくれました。その時に花束と下の写真の素敵なバースデーカードを渡されました。→ポチッ

クリックすると拡大バースデーカードを広げると箱が飛び出してきて、箱の中に素敵な最高のプレゼントが入っていたのです。それは妊娠を示す超音波画像の写真でした。

そして2024年3月26日17時39分に娘の家の近くの病院(神奈川県)で、娘は無事に右の写真の女の子を出産しました。
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ラベル:かに 新年
posted by SORI at 04:33| Comment(34) | 出石 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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