


冒頭の写真をクリックして表示される拡大写真は2021年6月24日にYahoo知恵袋のベストアンサーに引用されています。
宝塚聖天は、歩いて初詣に行ける最も近いところなので、長男家族が北海道に転勤になって車がつかえなくなってからの正月にみんなが宝塚に集まった時には初詣に行ってる場所です。その初詣の写真を掲載した記事は下記です。新型コロナのために2021年の正月は実家に集まることを中止したので2021年の初詣の写真はありません。3段目の幅広の写真は2012年元旦に初詣に行った時の写真です。この頃は行列は出来ていませんでしたが、その後行列が出来て年々人が増えたように感じます。下の写真のように初詣は沢山の人が来られていましたが、今回は私一人だけでした。
2018年 思い出深い初詣になりました。
2019年 2019年の御節(おせち)は三段重
2020年 2020年の御節(おせち)は四段重
2018年 2019年 2020年







それでは私一人だけの宝塚聖天さんを紹介したいと思います。こちらが入口の鳥居です。
通称「宝塚の聖天さん」と呼ばれている七宝山・了徳密院は大阪浦江福島聖天了徳院の別院として、大正8年(1919年)に日下義禅大和尚(元真言宗東寺派管長)によって建立されたそうです。寺院としては短い約100年ほどの歴史ではありますが、当時の附近一帯は小石の多い広々とした支多々川の河原だったそうです。現在は住宅地に囲まれ、地域の人に聖天さんと呼ばれる親しみのある寺院になったようです。

紫色ライン(━━)が宝塚聖天の境内の今回の散策ルートです。出発点の右下の青色ラインの端が上の写真の鳥居です。


最初の鳥居をくぐったところにある広場から本殿に向かう坂道です。上りきったところにも小さな鳥居があります。

こちらが、その鳥居です。

その鳥居の場所から本殿が見えます。阪急の逆瀬川駅からの距離は1.6kmで高低差は82mで、宝塚南口駅からの距離は1.7kmで高低差は89mです。

本殿の正面の道に出ました。正面に本殿があります。

こちらが本堂(聖天堂)です。Wikipediaによれば聖天は歓喜天(かんぎてん)のことで、仏教の守護神である天部の一つだそうです。


本殿(聖天堂)の左側です。
一般には夫婦和合や子授けの神としても信仰されているそうです。

こちらが本殿(聖天堂)の右側です。

聖天(歓喜天)の由来はヒンドゥー教のガネーシャに起源があるそうです。ガネーシャはヒンズー教最高神の一柱シヴァ神を父に、ヒンドゥー教の女神の一柱パールヴァティーを母に持ち、シヴァの軍勢の総帥を務め、右の写真のように象の頭を持つ神で、鼠に乗り富と繁栄、智恵と学問を司るそうです。北伝仏教では聖天(歓喜天)そのものだそうです。

本殿の前は緑豊かな庭と池があります。

こちらがその池です。

池を回り込んだ場所から撮った本堂(聖天堂)です。

池には睡蓮が植わっていました。正面の建物は開山堂です。

開山堂を拡大いたしました。

参道の横にあった遍照閣です。

遍照閣の前の参道からは本堂や開山堂が見えます。石碑も立てられていました。

その石碑は筆塚でした。

水子地蔵もありました。

水かけ地蔵もありました。

立派なお墓のような石塔が3つ並んだ右側に修行大師の銅像が建てられていました。

最後に本堂を正面に見て、山越えのルートに向かいました。

この道を進むと山越えのルートです。見えている建物は兵庫県住宅供給公社の宝梅園団地です。

宝塚聖天さんのホームページ(HP)に掲載されていた境内のMAPを紹介します。紫色ライン(━━)が宝塚聖天さんの境内の今回の散策ルートです。クリックするとHPのオリジナルを表示します。

冒頭の写真を撮影した場所からは宝塚聖天も塩尾寺も手前にある建物や山に隠れていて直接は確認できないため周辺の岩倉山反射板や鉄塔(A~D)の位置や鉄塔と鉄塔の角度の比率から計算で求めてプロットいたしました。
追伸
2021年6月20日の早朝から関西に行く予定です。帰りは7月14日です。

