2021年4月25日の早朝の新幹線の切符を事前にJR宝塚駅に買いに行きました。乗り換え時間に余裕があれば当日にキップを買っていましたが、早朝で電車の本数も少なく購入に手間取ると目的の新幹線に乗れなくなるので事前に買うことにしたわけです。少し遠いけれども宝塚駅まで実家から歩いて行くことにした時に、六甲全山縦走大会に参加したことを思い出しました。私が新入社員として神戸の事業所に配属になってすぐに会社の親しい人たちと参加したのです。早朝5時出発のため実家の宝塚からでは間に合わないので塩屋にあった会社の独身寮の同僚の部屋に泊めてもらいました。それもいい思い出です。上の地図のように神戸市須磨区の塩屋駅から阪急宝塚駅までの56kmのコースで少なくとも25(







宝塚駅から塩尾寺までの範囲を拡大したのがこちらの地図です。ネット内では塩尾寺は六甲全山縦走路の東の起点とも呼ばれています。

昔の歩道橋(人道橋)も現在のS字の橋も名前は宝来橋で、初代の宝来橋は1902年に完成したそうです。

阪急宝塚駅とJR宝塚駅をつなぐ連絡橋の上から見た景色です。左側のビルが阪急宝塚駅出右側のビルがJR宝塚駅です。道路は三田方面につながっている国道176号線です。

宝塚駅からは武庫川にかかる宝来橋を渡ります。下の写真は宝来橋から上流側を撮った写真です。


武庫川に架かっている宝来橋はS字に曲がっていて、その橋の上からこれから登っていく方向を撮った写真です。

最初は武庫川に流れ込む、この小川に沿って登っていきます。武庫川の支流になります。yokomiさんがこの写真の中から目と摩耶が描かれた建物を見つけていただきました。ありがとうございます。拡大したした写真を下に追加掲載させていただきました。

こちらがyokomiさんに目と眉が描かれた建物を見つけたいただいたので追加掲載させていただいた拡大写真です。この建物はナンとカリーのレストランです。クリックするとさらに大きく拡大するので建物の入口に「本格タンドールで焼き上げたナンとカリーのお店 PUJA」と書かれているのを読み取っていただけると思います。カトマンドゥ カリー PUJAと書かれた看板があったので、次の写真の登山道入口のインド料理店(Chalte)とは別のお店です。カトマンドゥ(काठमाडौं/kɑʈʰmɑɳɖu)はネパールの首都カトマンズのことです。


橋を渡りきったところにある交差点です。真ん中あたりの伝習の右側の細い道に入っていきます。インド料理店(Chalte/チャルテ)が目印になると思います。

その小道の入口です。

道に入ってすぐのところに石碑がありました。右の石碑には「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」と書かれていて左の石碑は下の方は隠れて判りませんが「六甲山 塩尾寺 十一面観世音」と書かれているのだと思われます。十一面観世音の石碑の側面には厄神明王と書かれていました。写真をクリックすると石碑の側面と正面を特別に大きく寛大して表示するように設定いたしました。

道は住宅地の中を進んで行きます。

すぐに小川に出ました。川の名前は塩谷川です。

さらに住宅地が続いていました。

川沿いに沢山の犬の置物が並べられていました。数えると8匹で首にはマフラーが巻かれ、


犬の置物が置かれていたあたりから下流側を撮った写真です。

川沿いの道が続きます。

山に近づいてきた雰囲気になりました。この場所の住所は電柱に書かれている通り兵庫県宝塚市紅葉ガ丘紅葉ガ丘3番です。

住宅地から離れて山道になってきました。塩尾寺までは車でも行けるので車の通れる広さはありました。

道路の両側に灯籠が起これた場所に到着しました。広場になっているので、ここが塩尾寺かなと思える雰囲気でしたが、すこし近すぎるとも感じました。

鳥居の扁額には白鳥大神と書かれていました。

いくつか祠もありましたが塩尾寺ではなさそうでした。

このように広い広場になっていました。

広場から見た景色です。

広場の周りにはツツジも咲いていました。六甲山に沢山咲いているコバノミツバツツジのようです。写真だけでコバノミツバツツジであると特定はできませんが、ミツバツツジ類には間違いなさそうです。

ツツジの花を拡大しました。

ツツジともう一つ沢山咲いていたのが、この白い花です。

白い花を拡大いたしました。

この広場は「えんぺい寺休憩所」でした。塩尾寺は思っていた「しおお寺」か「しおび寺」ではなく「えんぺい寺」と読むことを、この時に初めて知りました。ただし、「えんぺいでら」か「えんぺいじ」かはまだ判りませんでした。

この航空写真で休憩所と書かれているところが広場の場所です。右下の方に飲み゛ている青色ラインは実家のある逆瀬川駅までのルートです。宝塚駅からの距離は休憩所までが1.7kmで展望台までが2.1kmで塩尾寺までが2.8kmです。




こちらが広場から見た塩尾寺(えんぺい寺)の方向です。石碑には「此より七百米」と書かれていました。もう1kmはない距離です。

上の写真の右側の本来の道以外に、階段があったので登ってみることにしました。

階段を上ると細い道が続いていました。

細い道の先にあったのはコンクリート製の配水池(配水塔)でした。ここで行き止りのような雰囲気で階段を上ったのは、もしかしたら間違いであったのかもしれないと思いました。

幸いにも配水池を回り込むように道が続いていました。

そして本来の道に出ました。休憩所から広い道を進むと、この道を登ってくることになったのです。距離的にはかなり短くなりましたが、道は急な階段が多かったです。

塩尾寺の方向の道です。

細い道と本来の道との合流地点は上で紹介した航空写真の展望台(


川の向こう側の3つの高いビルの少し手前の赤いビルの建物が宝塚歌劇です。

登っていく道沿いには石積みの上に小さな祠が乘った趣のあるものもありました。

このような道が続きました。



田池の文字の下には人の名前が縦に10人書かれていました。泥が付いていてこの写真では苗字の一部しか読めませんでした。この石は興味深いものでした。


不思議な石から少し進むと塩尾寺エリアに入ったことを示す塩尾寺境内地と書かれた石碑がありました。

白色の花のスミレが咲いていました。

珍しいので花を拡大いたしました。スミレの種類は判りませんが、葉や花の雰囲気はツボスミレ(坪菫)に似ているように感じます。ツボスミレはニョイスミレとも呼ばれています。ツボスミレの分類を紹介します。右の写真はWikipediaの写真なので比較してみてください。

界 植物界 Plantae
門 被子植物門 Magnoliophyta
綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 スミレ目 Violales
科 スミレ科 Violaceae
属 スミレ属 Viola
種 ツボスミレ Viola verecunda
別名 ニョイスミレ 如意菫

寺が建っていると思われるあたりの入口が見えてきました。

近づいてきました。

塩尾寺の入口に到着しました。

入口の石碑には「潮泉山 塩尾寺」と書かれていました。塩尾寺の文字の右側に「えんぺいじ」のふりがなが掘られていました。塩尾寺が「えんぺいじ」と読むことが初めてはっきりいたしました。おそらく正確に呼んでもらえることが少なかったので、「えんぺい寺」と書いたり「えんぺいじ」のふりがなが付けられたのだと思います。

上の写真の石碑の前から六甲最高峰に上る道がありました。ここから完全な登山道で、六甲山縦走路でもあります。昼食までに実家に戻りたかったので、今回はこちらには登りませんでした。

入口から撮った塩尾寺の境内の写真です。本堂の奥に住職のお住まいがあり車も置かれていました。伝承によれば、塩尾寺の建立は皇紀1264年(西暦586年)にさかのぼるそうです。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の中に塩尾寺が含まれていたそうです。その7寺の内で分かっている6寺は塩尾寺、中山寺、小林寺(廃寺)、平林寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。時代と共に人々は信仰心の変化により塩尾寺は廃れた寺院となりましたが、室町幕府第十二代の将軍・足利義晴の時代(1521年~1543年)に近くで湧き出た「塩からい水」が吹き出物を治す湯として広まり、潮泉山(ちょうせんざん)の山号をいただき、潮泉山・塩尾寺として再興されたそうです。「塩からい水」は宝塚温泉の元湯となったそうです。この時に伝承に残っていた十一面観音像も整えられたそうです。

塩尾寺と縁のある聖徳太子に纏わる石碑がありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたしました。若干ではありますが、伝承につながる文面も見受けられます。

立派な鐘楼がありました。もしかしたら実家から聞こえていた除夜の鐘の音の中に、この鐘の音も聞こえていたのかもしれません。

本堂以外に沢山の祠がありました。

本殿以外で一番大きな建物は清照大明神の社殿です。

ネットによれば、こちらの鐘には塩寺晨鐘が有名です。勤行(ごんぎょう)の開始を知らせる晨朝の鐘(じんじょうのかね)は塩寺晨鐘と呼ばれて、昭和の始め頃は観光名所としての記録もあるほどです。大晦日には除夜の鐘をつくために大勢の人も並んでいたそうです。

こちらも趣きのあるものでした。

こちらが塩尾寺本殿です。

奥側(住居側)から撮った本殿の写真です。

塩尾寺の昔の写真をネットから転用させていただきました。

そのことからも非常に宝塚温泉に縁のあるお寺のようです。
室町時代に貧しくひっそりと暮らす女性がいたそうです。年老いて体をわずらい身も心も苦しみながらも、毎月、中山寺への参拝を怠ることがありませんでした。そんなある夜、僧の姿をした人が夢枕に立ち、「武庫川の岸辺に噴出している冷泉に入浴すれば病気が治る」と告げたそうです。さっそくその教えどおりにからだを洗うと、病気が治ったと伝えられています。

午前中に実家に開りたかったので山を下り始めました。境内の入口から見た帰り道の写真です。

住宅地の辺りまでは基本的に同じ道を帰りました。

ただし、上がってくる時は階段のあった細い道を上がりましたがそこだけは、太い道を下りました。つまり展望台から休憩所までの太い道で撮った写真を下りていく順番に3枚紹介します。

こちらが2枚目です。この写真の真中あたりをよく見てから次の写真を見てください。青色の丸印が点滅しているところです。石垣が濡れているのが関係があります。

水が湧き出しているところが2ケ所あり、その水を貯めるためのバケツが置かれていました。上の写真の石垣のところにこのバケツが置かれていました。ストリートビュー(SV)でもこの場所が確認出来ました。

住宅地近くに戻ってきました。見えている大きな建物は甲子園大学です。1967年に設置されていたので、私が宝塚に住んでいたころには、すでにあったことになります。六甲全山縦走大会では、この道を歩いたはずですが、宝塚駅の近くに大学があるとは知りませんでした。

住宅地に入ってからはスマホで位置を確認し名が出来るだけ最短で実家のある逆瀬川方面に向かいました。最初の頃は住宅地の一番標高の高いところを歩くことになりました。

この辺りには


このような景色が続きました。

実家方面の往路のルートも入れた航空写真です。ただしルートの終点は逆瀬川駅にさせていただいています。
名前 潮泉山 塩尾寺(ちょうせんざん えんぺいじ)
標高 352m
住所 兵庫県宝塚市伊孑志字武庫山756
地図 yNEJaJh4wuP1qtfv7