2021年05月09日

いよいよ九寨溝に向かいます。 四川九寨黄龍空港

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年05月07日更新
タイトル:写真を拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大前記事の「かじかの滝 & 清流の滝」の中で右の上段の錦川の水の色が右の下段の中国・四川省にある九塞溝(きゅうさいこう/གཟི་རྩ་སྡེ་དགུ།;)のように美しいことを記載したことを機会に、クリックすると拡大2012年06月02日に掲載した九塞溝に行く旅行のために成都空港から九塞黄龍空港へのフライトの記事を更新して再掲載いたしました。オリジナルの記事は写真をクリックしても拡大しませんでしたが、写真は全て拡大できるようにいたしました。

飛行機に搭乗前の写真を2枚追加で紹介します。こちらが成都双流国際空港(中国語:成都双流国际机场)で、大変に混雑していました。
クリックすると拡大

こちらでチェックインいたしました。
クリックすると拡大


2012年06月02日掲載
タイトル:いよいよ九寨溝に向かいます。四川九寨黄龍空港
クリックすると拡大
成都空港で九寨溝行きの飛行機に乗るところです。

フライトはEU2707で私の席は1Aと一番前の席の窓側でした。フライトは30分程度遅れましたが無事に出発いたしました。クリックすると半券の部分も含めて拡大した搭乗券を表示します。
クリックすると拡大

九寨溝(きゅうさいこう)の場所をGoogleマップで紹介しておきます。下記の地図で緑色マーク( )のところが九塞溝です。中国の中心あたりでタイの北に位置します。中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州でチベット族地区の村が点在した場所でした。チベット族地区としては東の端に位置しています。次の写真に小さく写っている大雪山脈の最高峰のミニヤコンカ(貢嘎山/མི་ཉག་གངས་དཀར་རི་བོ་)の位置を追加しました。

より大きな地図で九寨溝を表示

窓側の席に座れたので窓の景色を時間を追って紹介いたします。離陸は丁度11時20分で着陸は、こちらも丁度12時00分でした。離陸して写真撮影の許可がおりた直後に撮った写真です。下は雲に覆われていますが、遠くに高い山を見ることが出来ます。離陸後9分後の景色です。
クリックすると拡大四川省成都市の西南交通大学で教鞭をとられているkm45さんがコメントで高い山の名前を教えていただきました。右のWikipediaの写真の四川省の最高峰のミニヤコンカ(貢嘎山・7556m)だそうです。なんと7500mを越える山でした。(2013年6月25日追伸)
 11時29分 離陸9分後 着陸31分前
クリックすると拡大

この辺りから雲が切れてきました。山の上には残雪が確認できます。
 11時34分
クリックすると拡大

短い時間の間に景色が変わっていきます。
 11時41分
クリックすると拡大

いきなり迫力のある山が目の前に現れました。
 11時43分
クリックすると拡大

山と山の間の谷が深いです。谷の部分に九寨溝が出来たのです。飛行機の後方向の写真です。
 11時44分
クリックすると拡大

高い山ですが頂上付近を除き森林に覆われていました。
 11時45分
クリックすると拡大

目の前に険しい山肌が迫ってきました。もっとも迫力のある景色です。
 11時46分
クリックすると拡大

雪が多くなってきたのがわかりました。
 11時48分
クリックすると拡大

空港に近づくとさらに山が横に迫ってくるので迫力がありました。ただし上の11時48分の写真を撮ったところで電子機器のスイチを切ってくださいとの機内放送が流れたために、そのきれいな迫力のある写真を残すことはできませんでした。40分間のフライトで写真が撮れるのは19分間でした。
以前に説明したグラフです。上の写真を撮った11時29分~11時48分の景色とグラフと照らし合わせてみてください。


こちらが空港の景色です。ここは3448mの高さですが、周りはさらに高い山々がありました。
クリックすると拡大

上の写真を拡大しました。遠い山々ですがきれいに見ることが出来ました。空気がきれいな証拠でした。
クリックすると拡大

ボーディングブリッジについている飛行機に乗ってきました。
クリックすると拡大

このとき、5月26日(土曜日) 12時11分でした。
クリックすると拡大

荷物のピックアップ風景です。
クリックすると拡大

空港から出たところです。省略文字ですが九寨溝黄龍が読み取れました。カラフルな色はチベット族の人たちが家の周りに立てる旗(のぼり)をイーメイジしたものだと思います。
クリックすると拡大

同じ場所から反対方向を撮りました。空気が薄いこと空気がきれいなことが実感されました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大下の写真は空港の航空写真です。この四川九寨黄龍空港(しせんきゅうさいこうりゅうくうこう)は四川省アバ・チベット族チャン族自治州松潘県川主寺鎮に位置する九寨溝と黄龍への玄関口の空港です。この空港の特徴は標高が高いことです。
ネットによると空港の海抜3447.65mだそうです。持って行った気圧式の高度計では3310mを指していました。
これは中国ではチャムド・バンダ空港(4334m、世界第1位)、ダルツェムド空港(4280m、世界第2位)、ガリ空港(4,274m)、ラサ・クンガ空港(3570m)に次いで5番目に高いそうです。このため空気が薄く、離陸に必要な揚力が得にくいため、下記の航空写真のように空港の規模に不釣合いな3,200mの長大な滑走路が設けられています。2002年6月7日に工事が開始されて、2003年9月28日に開港したそうです。開港以前の九寨溝は最寄の成都から長距離バスで10~12時間を要する秘境でしたが、空港の完成により中国各地からのアクセスが劇的な改善に貢献した空港でもあります。


空港を出発した後は岷江源国際大酒店で昼食を食べて黄龍に向かいました。地図内の黄色ラインの黄龍を散策した後は翌日の九塞溝ツアーにそなえて宿のインターコンチネンタル九寨パラダイス( )に向かいました。


九塞溝&黄龍の旅行では56の記事を書くことが出来ました。
それらを順番に紹介したいと思います。合計57の記事の内で九塞溝の有料エリアの記事は34になります。記事は概ね時系列的に並べています。
 写真    記事のタイトル
羽田→上海のフライト
飛行機の機内圧の変化
成都 錦里古街
成都の高級四川料理店
いよいよ九寨溝に向かいます。 今回の記事
いきなりヤクに出会えました。
九寨溝での初めての昼食
昼食を食べたら黄龍に出発、その前の準備は?
チベットのワンちゃんたち
黄龍までの車窓からの景色
雪山梁峠 4007m
黄龍 迎賓池
黄龍 飛瀑流輝
黄龍の純白の石楠花と草花たち
黄龍のチケットも絵葉書でした。
バスの窓から見えるチベット族の村々
トラクターが大活躍でした。
甘海子村
これが我々が泊まった九寨溝のホテル
これがインターコンチネンタル九寨溝の中華料理
朝の散歩

九塞溝の有料エリア
九寨溝へ
日則溝/樹正溝 諾日朗瀑布(だくにちろうばくふ)
日則溝/樹正溝 滝の近くの遊歩道
則査窪溝 一気に3100mの長海まで上りました。
則査窪溝 長海
則査窪溝 チベットの旗
則査窪溝 記念撮影のポーズ
則査窪溝 五彩池
則査窪溝 時期が来れば現れる上季節海と下季節海
則査窪溝 九寨溝(Jiuzhaigou Valley)での食事と喫煙事
則査窪溝 九寨溝のチベット族の村
則査窪溝 これぞニワトリの中のニワトリ
則査窪溝 九寨溝でのチベットの踊り
日則溝 日則溝群海 と 鏡海
日則溝 箭竹海(せんちくかい) 鴨のいる景色でした。
日則溝 熊猫海(パンダ湖) と 熊猫海瀑布(パンダ滝)
日則溝 五花海 第一弾
日則溝 五花海 第二弾「孔雀河道 編」
日則溝 珍珠灘(ちんじゅたん)
日則溝 珍珠灘瀑布(ちんじゅたんばくふ)
日則溝 金玲海
日則溝 九寨溝の魚は一種のみ 嘉陵裸裂尻魚
日則溝 九寨溝で結婚写真
樹正溝 犀牛海(さいぎゅうかい)
樹正溝 老虎海(ろうこかい)
樹正溝 樹正瀑布(じゅせいばくふ)
樹正溝 樹正群海(じゅせいぐんかい)
樹正溝 九寨溝の水車小屋 樹正磨房
樹正溝 臥龍海(がりゅうかい)
樹正溝 火花海と火花瀑布
樹正溝 双龍海(そうりゅうかい)
樹正溝 蘆葦海(ろいかい)
樹正溝 盆景灘(ぼんけいたん)
九寨溝のチケットは絵葉書でした。

九塞溝の有料エリアを出た後
初めてバター茶を飲みました。
成都→上海便は国際線なみでした。
上海で寿司会席
今日、帰国します。上海→羽田のフライトの写真を追加
posted by SORI at 19:55| Comment(34) | TrackBack(2) | 九寨溝 黄龍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月08日

塩尾寺(えんぺいじ) 宝塚市

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年4月25日の早朝の新幹線の切符を事前にJR宝塚駅に買いに行きました。乗り換え時間に余裕があれば当日にキップを買っていましたが、早朝で電車の本数も少なく購入に手間取ると目的の新幹線に乗れなくなるので事前に買うことにしたわけです。少し遠いけれども宝塚駅まで実家から歩いて行くことにした時に、六甲全山縦走大会に参加したことを思い出しました。私が新入社員として神戸の事業所に配属になってすぐに会社の親しい人たちと参加したのです。早朝5時出発のため実家の宝塚からでは間に合わないので塩屋にあった会社の独身寮の同僚の部屋に泊めてもらいました。それもいい思い出です。上の地図のように神戸市須磨区の塩屋駅から阪急宝塚駅までの56kmのコースで少なくとも25( )の山があります。名の知られている山だけで16もありました。チェックポイントには入っていませんが、最後の通過点が塩尾寺で、上の地図の緑の卍マーク( )のところです。そこで懐かしくなり、運動不足解消にもなると思い右下の写真の塩尾寺まで登ってみることにいたしました。
クリックすると拡大宝塚に住んでいたにも関わらず塩尾寺を訪問するのは六甲山縦走と今回の2度だけです。塩尾寺を「えんぺいじ」と呼ぶことも知りませんでした。
  六甲山縦走路の山々
  私が通った学校(小・中・高)
  神戸市北区山田町の重要文化財
 塩尾寺

宝塚駅から塩尾寺までの範囲を拡大したのがこちらの地図です。ネット内では塩尾寺は六甲全山縦走路の東の起点とも呼ばれています。クリックすると拡大ここから下で宝塚駅から塩尾寺までを順番に紹介したいと思います。六甲山縦走の時とほぼ同じですが、武庫川を渡る大きな橋は当時はなく右のような人や自転車だけが渡れる歩道橋があるだけでした。地図の中の赤色ライン(━━)が昔の歩道橋の位置です。右の写真の後ろの列の一番左が私です。
昔の歩道橋(人道橋)も現在のS字の橋も名前は宝来橋で、初代の宝来橋は1902年に完成したそうです。クリックすると拡大宝来橋の歴史の記事を見ると、洪水で何度も流され最後の人道橋が完成したのは1955年で、今の頑丈な宝来橋に切り替わったのは1994年だそうです。右の白黒の写真は初代の宝来橋です。初代の宝来橋は写真のように1本の橋杭の構造だったそうです。


阪急宝塚駅とJR宝塚駅をつなぐ連絡橋の上から見た景色です。左側のビルが阪急宝塚駅出右側のビルがJR宝塚駅です。道路は三田方面につながっている国道176号線です。
クリックすると拡大

宝塚駅からは武庫川にかかる宝来橋を渡ります。下の写真は宝来橋から上流側を撮った写真です。クリックすると拡大下流側の歩道からは宝塚歌劇や新しくなった宝塚ホテルが見えます。いつも下流側の歩道を歩いているので上流側の景色を見るのは久しぶりでした。右の写真はネットから転用させていただいた川沿いの昔の建物の写真です。
クリックすると拡大

武庫川に架かっている宝来橋はS字に曲がっていて、その橋の上からこれから登っていく方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

最初は武庫川に流れ込む、この小川に沿って登っていきます。武庫川の支流になります。yokomiさんがこの写真の中から目と摩耶が描かれた建物を見つけていただきました。ありがとうございます。拡大したした写真を下に追加掲載させていただきました。
クリックすると拡大

こちらがyokomiさんに目と眉が描かれた建物を見つけたいただいたので追加掲載させていただいた拡大写真です。この建物はナンとカリーのレストランです。クリックするとさらに大きく拡大するので建物の入口に「本格タンドールで焼き上げたナンとカリーのお店 PUJA」と書かれているのを読み取っていただけると思います。カトマンドゥ カリー PUJAと書かれた看板があったので、次の写真の登山道入口のインド料理店(Chalte)とは別のお店です。カトマンドゥ(काठमाडौं/kɑʈʰmɑɳɖu)はネパールの首都カトマンズのことです。
クリックすると拡大ネパール旅行に行かれたテリーさんにコメント欄でネパールのStupa(仏塔)に描かれている「世界を見渡すブッダの智慧の目」であることを教えていただきました。右の写真はWikipediaから転用させていただいたネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートの仏塔のブッタの目(Buddha's eyes)です。
クリックすると拡大

橋を渡りきったところにある交差点です。真ん中あたりの伝習の右側の細い道に入っていきます。インド料理店(Chalte/チャルテ)が目印になると思います。
クリックすると拡大

その小道の入口です。
クリックすると拡大

道に入ってすぐのところに石碑がありました。右の石碑には「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」と書かれていて左の石碑は下の方は隠れて判りませんが「六甲山 塩尾寺 十一面観世音」と書かれているのだと思われます。十一面観世音の石碑の側面には厄神明王と書かれていました。写真をクリックすると石碑の側面と正面を特別に大きく寛大して表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大

道は住宅地の中を進んで行きます。
クリックすると拡大

すぐに小川に出ました。川の名前は塩谷川です。
クリックすると拡大

さらに住宅地が続いていました。
クリックすると拡大

川沿いに沢山の犬の置物が並べられていました。数えると8匹で首にはマフラーが巻かれ、クリックすると記事を表示帽子をかぶったワンちゃんもいるので大切にされているようでした。ネット内で探すと5年前の2016年5月10日に掲載されたブログで右の写真を見つけました。並び方が違う上に7匹なので今回は下の写真の右から2場目の1匹が増えたことになります。
クリックすると拡大

犬の置物が置かれていたあたりから下流側を撮った写真です。
クリックすると拡大

川沿いの道が続きます。
クリックすると拡大

山に近づいてきた雰囲気になりました。この場所の住所は電柱に書かれている通り兵庫県宝塚市紅葉ガ丘紅葉ガ丘3番です。
クリックすると拡大

住宅地から離れて山道になってきました。塩尾寺までは車でも行けるので車の通れる広さはありました。
クリックすると拡大

道路の両側に灯籠が起これた場所に到着しました。広場になっているので、ここが塩尾寺かなと思える雰囲気でしたが、すこし近すぎるとも感じました。
クリックすると拡大

鳥居の扁額には白鳥大神と書かれていました。
クリックすると拡大

いくつか祠もありましたが塩尾寺ではなさそうでした。
クリックすると拡大

このように広い広場になっていました。
クリックすると拡大

広場から見た景色です。
クリックすると拡大

広場の周りにはツツジも咲いていました。六甲山に沢山咲いているコバノミツバツツジのようです。写真だけでコバノミツバツツジであると特定はできませんが、ミツバツツジ類には間違いなさそうです。
クリックすると拡大

ツツジの花を拡大しました。
クリックすると拡大

ツツジともう一つ沢山咲いていたのが、この白い花です。
クリックすると拡大

白い花を拡大いたしました。
クリックすると拡大

この広場は「えんぺい寺休憩所」でした。塩尾寺は思っていた「しおお寺」か「しおび寺」ではなく「えんぺい寺」と読むことを、この時に初めて知りました。ただし、「えんぺいでら」か「えんぺいじ」かはまだ判りませんでした。
クリックすると拡大

この航空写真で休憩所と書かれているところが広場の場所です。右下の方に飲み゛ている青色ラインは実家のある逆瀬川駅までのルートです。宝塚駅からの距離は休憩所までが1.7kmで展望台までが2.1kmで塩尾寺までが2.8kmです。
  宝塚駅        潮泉山 塩尾寺
  えんぺい寺休憩所   展望台


こちらが広場から見た塩尾寺(えんぺい寺)の方向です。石碑には「此より七百米」と書かれていました。もう1kmはない距離です。
クリックすると拡大

上の写真の右側の本来の道以外に、階段があったので登ってみることにしました。
クリックすると拡大

階段を上ると細い道が続いていました。
クリックすると拡大

細い道の先にあったのはコンクリート製の配水池(配水塔)でした。ここで行き止りのような雰囲気で階段を上ったのは、もしかしたら間違いであったのかもしれないと思いました。
クリックすると拡大

幸いにも配水池を回り込むように道が続いていました。
クリックすると拡大

そして本来の道に出ました。休憩所から広い道を進むと、この道を登ってくることになったのです。距離的にはかなり短くなりましたが、道は急な階段が多かったです。
クリックすると拡大

塩尾寺の方向の道です。
クリックすると拡大

細い道と本来の道との合流地点は上で紹介した航空写真の展望台( )と書かれている場所でした。コンクリート製の配水池(配水塔)の上部も良く見えました。見えている川は武庫川です。
クリックすると拡大

川の向こう側の3つの高いビルの少し手前の赤いビルの建物が宝塚歌劇です。
クリックすると拡大

登っていく道沿いには石積みの上に小さな祠が乘った趣のあるものもありました。
クリックすると拡大

このような道が続きました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大田池と書かれた不思議な石が2つ置かれていました。2つの石の上面には右の写真のように鉄クギのようなものが打ち込まれていました。後ろは険しい谷で、のぞき込んでも貯水池や田んぼが作れるような地形ではありませんでした。鉄クギの頭は六角形でした。
クリックすると拡大

田池の文字の下には人の名前が縦に10人書かれていました。泥が付いていてこの写真では苗字の一部しか読めませんでした。この石は興味深いものでした。
クリックすると拡大6月には関西に行く予定があるので時間があれば、もう一度行ってみたいと思っています。その時は、宝塚聖天から宝塚市立光ガ丘中学校を経由して塩尾寺へ登ってみたいと思っています。右の小さな写真は正月にみんなが実家に集まった時に初詣に行く宝塚聖天さんです。
クリックすると拡大

不思議な石から少し進むと塩尾寺エリアに入ったことを示す塩尾寺境内地と書かれた石碑がありました。
クリックすると拡大

白色の花のスミレが咲いていました。
クリックすると拡大

珍しいので花を拡大いたしました。スミレの種類は判りませんが、葉や花の雰囲気はツボスミレ(坪菫)に似ているように感じます。ツボスミレはニョイスミレとも呼ばれています。ツボスミレの分類を紹介します。右の写真はWikipediaの写真なので比較してみてください。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
  目 スミレ目   Violales
  科 スミレ科   Violaceae
  属 スミレ属   Viola
  種 ツボスミレ  Viola verecunda
 別名 ニョイスミレ 如意菫
クリックすると拡大

寺が建っていると思われるあたりの入口が見えてきました。
クリックすると拡大

近づいてきました。
クリックすると拡大

塩尾寺の入口に到着しました。
クリックすると拡大

入口の石碑には「潮泉山 塩尾寺」と書かれていました。塩尾寺の文字の右側に「えんぺいじ」のふりがなが掘られていました。塩尾寺が「えんぺいじ」と読むことが初めてはっきりいたしました。おそらく正確に呼んでもらえることが少なかったので、「えんぺい寺」と書いたり「えんぺいじ」のふりがなが付けられたのだと思います。
クリックすると拡大

上の写真の石碑の前から六甲最高峰に上る道がありました。ここから完全な登山道で、六甲山縦走路でもあります。昼食までに実家に戻りたかったので、今回はこちらには登りませんでした。
クリックすると拡大

入口から撮った塩尾寺の境内の写真です。本堂の奥に住職のお住まいがあり車も置かれていました。伝承によれば、塩尾寺の建立は皇紀1264年(西暦586年)にさかのぼるそうです。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の中に塩尾寺が含まれていたそうです。その7寺の内で分かっている6寺は塩尾寺、中山寺、小林寺(廃寺)、平林寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。時代と共に人々は信仰心の変化により塩尾寺は廃れた寺院となりましたが、室町幕府第十二代の将軍・足利義晴の時代(1521年~1543年)に近くで湧き出た「塩からい水」が吹き出物を治す湯として広まり、潮泉山(ちょうせんざん)の山号をいただき、潮泉山・塩尾寺として再興されたそうです。「塩からい水」は宝塚温泉の元湯となったそうです。この時に伝承に残っていた十一面観音像も整えられたそうです。
クリックすると拡大

塩尾寺と縁のある聖徳太子に纏わる石碑がありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたしました。若干ではありますが、伝承につながる文面も見受けられます。
クリックすると拡大

立派な鐘楼がありました。もしかしたら実家から聞こえていた除夜の鐘の音の中に、この鐘の音も聞こえていたのかもしれません。
クリックすると拡大

本堂以外に沢山の祠がありました。
クリックすると拡大

本殿以外で一番大きな建物は清照大明神の社殿です。
クリックすると拡大

ネットによれば、こちらの鐘には塩寺晨鐘が有名です。勤行(ごんぎょう)の開始を知らせる晨朝の鐘(じんじょうのかね)は塩寺晨鐘と呼ばれて、昭和の始め頃は観光名所としての記録もあるほどです。大晦日には除夜の鐘をつくために大勢の人も並んでいたそうです。
クリックすると拡大

こちらも趣きのあるものでした。
クリックすると拡大

こちらが塩尾寺本殿です。
クリックすると拡大

奥側(住居側)から撮った本殿の写真です。
クリックすると拡大

塩尾寺の昔の写真をネットから転用させていただきました。
クリックすると拡大塩尾寺縁起に書かれている室町時代の宝塚温泉に関わる由来を下の枠内に紹介します。明治時代になってからも、武庫川右岸の川下に酸っぱい水と辛い水が湧いていたことが、付近の人々に知られていて、明治17年に小佐治豊三郎(後の旅館分銅屋の創業者)が温泉水を医師に試飲してもらい飲料・浴用に適する最上の鉱泉であることが分かり明治20年5月5日に宝塚温泉を開湯したそうです。
そのことからも非常に宝塚温泉に縁のあるお寺のようです。
室町時代に貧しくひっそりと暮らす女性がいたそうです。年老いて体をわずらい身も心も苦しみながらも、毎月、中山寺への参拝を怠ることがありませんでした。そんなある夜、僧の姿をした人が夢枕に立ち、「武庫川の岸辺に噴出している冷泉に入浴すれば病気が治る」と告げたそうです。さっそくその教えどおりにからだを洗うと、病気が治ったと伝えられています。
クリックすると拡大

午前中に実家に開りたかったので山を下り始めました。境内の入口から見た帰り道の写真です。
クリックすると拡大

住宅地の辺りまでは基本的に同じ道を帰りました。
クリックすると拡大

ただし、上がってくる時は階段のあった細い道を上がりましたがそこだけは、太い道を下りました。つまり展望台から休憩所までの太い道で撮った写真を下りていく順番に3枚紹介します。
クリックすると拡大

こちらが2枚目です。この写真の真中あたりをよく見てから次の写真を見てください。青色の丸印が点滅しているところです。石垣が濡れているのが関係があります。
クリックすると拡大

水が湧き出しているところが2ケ所あり、その水を貯めるためのバケツが置かれていました。上の写真の石垣のところにこのバケツが置かれていました。ストリートビュー(SV)でもこの場所が確認出来ました。
クリックすると拡大

住宅地近くに戻ってきました。見えている大きな建物は甲子園大学です。1967年に設置されていたので、私が宝塚に住んでいたころには、すでにあったことになります。六甲全山縦走大会では、この道を歩いたはずですが、宝塚駅の近くに大学があるとは知りませんでした。
クリックすると拡大

住宅地に入ってからはスマホで位置を確認し名が出来るだけ最短で実家のある逆瀬川方面に向かいました。最初の頃は住宅地の一番標高の高いところを歩くことになりました。
クリックすると拡大

この辺りには父が勤めていた会社のクラブハウスがありました。下の写真は、そのクラブハウスで撮った家族の記念写真です。私は1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。背景の建物が有名な建築家の村野藤吾が設計の東京銀行宝塚クラブハウスだと思います。建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されているようなので、いつか確認したいと思っています。
IMG_2430-400.jpg

このような景色が続きました。
クリックすると拡大

実家方面の往路のルートも入れた航空写真です。ただしルートの終点は逆瀬川駅にさせていただいています。
 名前 潮泉山 塩尾寺(ちょうせんざん えんぺいじ)
 標高 352m
 住所 兵庫県宝塚市伊孑志字武庫山756
 地図 yNEJaJh4wuP1qtfv7
posted by SORI at 18:40| Comment(32) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月06日

かじかの滝 & 清流の滝 錦川清流線の上り(岩国行き)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事で紹介した南桑駅を出発すると下に書いている2つの滝を見ることが出来ることを往路(錦町行き)に乘った時に知ったので、復路(岩国行き)で動画を撮ることにいたしました。本記事
で次の3さの動画を掲載しています。
 ① かじかの滝 南桑(なぐわ)駅と椋野(むくの)駅の間
 ② 清流の滝  椋野(むくの)駅と北河内(きたごうち)駅の間
 ③ ━━━━  錦川の清流の撮影範囲

復路(岩国行き)では錦川は左側に見えて、すべての滝は右側に見えることから滝に近づいてきた車内放送があると右側の席に座りました。車内の右側の出っ張りの部分はトイレです。トイレの向こう側に先頭の展望エリアがあります。
クリックすると拡大

かじかの滝の動画
クリックすると拡大こちらが最初に撮った「かじかの滝」の動画です。滝が見えるのは一瞬なのでスローに編集した3つの動画を続けて見えるように編集いたしました。つまり1倍と0.5倍と0.25倍と0.125倍の4種類の動画を連続で見ることが出来ます。オリジナルの15(=1+2+4+8)倍の長さの動画になっています。右は往路(錦町行き)の時に撮った写真です。


対岸の国道187号線からの「かじかの滝」のストリートビュー(SV)の画像です。看板も写っています。画面内のGoogleマップで見る。をクリックして出てくる拡大画面で見るとわかりやすいと思います。滝は鉄橋の左端に見えます。鉄橋の真中あたりになる角度から見た場合は遠くなってしまい、丁度よいあたりからは偶然にもカーブミラーが邪魔して滝が見えませんでした。


清流の滝の動画
クリックすると拡大次の動画は椋野(むくの)駅と北河内(きたごうち)駅の間にある「清流の滝」です。こちらの動画も標準スピードと3種類(0.5倍と0.25倍と0.125倍)のスローの動画を紹介しています。右の写真はかじかの滝と同様に往路(錦町行き)の時に撮った清流の滝です。


「かじかの滝」と同じように対岸の国道187号線からSVで清流の滝を探してみました。ここは道路沿いの木が多くてかなり角度のある位置から見つけることが出来ました。角度的に滝自体は見えませんが、看板は写っています。滝の位置の少し右上の茶色い看板です。こちらも画面内のGoogleマップで見る。をクリックして出てくる拡大画面で見ると判ると思います。


錦川の清流の動画
左側の席に移動して錦川の動画も撮りました。この動画は清流の滝の動画を撮ってすぐに川のある左側の座席に移動して撮りました。つまり清流の滝のあるあたりの景色です。錦川清流線車内で撮った動画のほとんどは先頭の展望エリアから撮りましたが、本記事で紹介した滝の動画と本動画の3本の動画のみ車内の席に座って撮りました。3つの動画は終了すると、また先頭から流れて永遠に繰り返すように設定した居ます。パソコンなどのOSによっては1回のみで繰り返さない場合もあります。


クリックすると拡大ミケシマさんのコメントを見て、動画から静止画(写真)を切り取って掲載させていただくことにいたしました。左方向が上流で右方向が下流になります。この辺りは水深が少し深くなっているようです。錦川の水の色はこちらのように見事な色でした。水の色と川底の色と背景の水面での反射で実現しているのだと思います。この色を見ていると右上の写真の九塞溝の水の色をクリックすると拡大思い出します。下の写真をクリックすると右の小さな写真のように動画の全幅の写真を表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大

上の錦川の清流の動画を撮影した位置の航空写真です。画面内のマイナス()のアイコンをクリックすると前後の範囲が判ると思います。動画と同様に、こちらも左方向が上流で右方向が下流になります。
ラベル:鐡道 錦川
posted by SORI at 08:13| Comment(22) | 錦川清流線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月04日

南桑駅の動画 錦川清流線の上り(岩国行き)

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前々記事で錦川清流線の清流みはらし駅の動画を紹介したので、次の駅の南桑(なぐわ)駅の動画を紹介いたします。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。下り(錦町行き)の動画はすでに清流新岩国→根笠の記事で紹介したので、今回の動画で往復共に紹介したことになります。乗った列車は根笠駅10時09分発南桑駅10時13分着でした。

本記事でも動画から切り取った静止画(写真)を3枚紹介いたします。遠くに錦川と反対側(右側)に南桑駅のホームが見えます。国鉄岩日線の開業と同時に南桑駅も開業いたしました。
 開業 1960年11月01日 国鉄岩日線の開業と同じ
 住所 山口県岩国市美川町南桑字南桑 現在(2006年3月20日以降)
    山口県玖珂郡美川町大字南桑  開業時(1960年11月1日)
 路線 錦川清流線(錦川鉄道)     現在(1987年7月25日以降)
    岩日線(国鉄)         開業時(1960年11月1日)
    岩日線(JR西日本)      1987年4月1日~7月25日
クリックすると拡大

駅のホームに上がってくる階段が見えます。人家は対岸側にあるので斜張橋の歩道橋を渡って乗り降りします。カジカガエル生息地が国の天然記念物に指定されているのは2ケ所で、その中の一つが今回の南桑駅周辺でした。もう1ケ所は岡山県の湯原温泉です。湯原温泉は会社に入社当時に仲間と行って川原の露天風呂に入った思い出深い場所です。
クリックすると拡大

これが南桑駅のホームです。趣のある駅のため、降りてみたくなりますが、列車から降りてしまうと次の列車は2時間40分後の12時53分発になってしまうので周防久保での墓参りが厳しくなってしまうことから下りることはできませんでした。右下の写真はwikipediaから転用させていただいたカジカガエルで、体長はオス3.5~4.4cmでメス4.9~8.5cmです。錦川の本流や支流には、日本固有種で美声で鳴くカジカガエル(河鹿蛙)が生息しています。特に、南桑付近に多く生息しており、南桑駅の上流約1.9kmから下流約9.4kmの範囲は国指定の天然記念物南桑カジカガエル生息地となっています。→ 鳴き声
クリックすると拡大  界 動物界     Animalia
  門 脊索動物門   Chordata
 亜門 脊椎動物亜門  Vertebrata
  綱 両生綱     Amphibia
  目 無尾目     Anura
 亜目 ナミガエル亜目 Neobatrachia
  科 アオガエル科  Rhacophoridae
  属 カジカガエル属 Buergeria
  種 カジカガエル  Buergeria buergeri
 英名 Kajika frog
クリックすると拡大

既に紹介した下り(錦町行き)の動画ですが、まだ見ておられない方のために掲載させていただきました。初期画面で見えている橋が南桑駅と対岸を結んでいる斜張橋の南桑橋です。


錦川清流線の前身の国鉄岩日線が開業した1960年には今のような新しいタイプの斜張橋ではなかったと思われることから、昔はどのような橋が架かっていたのか気になって調べてみると左側の写真の吊り橋でした。ちなみに昔の南桑橋が完成したのは1960年で、現在の南桑橋が完成したのは1996年です。今は右側の写真のように吊り橋の橋脚(主塔)だけが残されているようです。左側はレイルラボ(RailLab)にナカジマさんが錦川・キハ45系 - 鉄道フォトのタイトルで掲載した1987年5月2日に撮影された写真です。右側はホームページ「鉄路の響きを追って」の錦川清流線ふたたび II ~南桑駅~に掲載されていた写真です。大きな写真を見たい方は写真をクリックすると各サイトが表示されるのでオリジナルの写真を見ることが出来ます。昔の吊り橋の橋脚(主塔)をストリートビューでも探してみました。→SV1 SV2
  昔の南桑橋(1960年~1996年)      残されている橋脚(主塔)
クリックすると拡大 クリックすると拡大

南桑駅周辺の航空写真を紹介します。この航空写真からも駅側に人家がないことが判っていただけると思います。ただし、国鉄岩日線が開業する以前には25分ほど山に入ったところに高左手集落があったそうですが、南桑駅と南桑橋が出来た1960年より前に人が住まなくなったそうです。高左手集落に人が住んでいたころには川を船で渡り南桑小学校(現在:美川小学校)に通っていたそうです。緑色ライン(━━ 2.844km)の部分(南桑駅の上流約1.9kmから下流約9.4kmの範囲)が天然記念物指定域なので南桑駅を中心とした地域だと判っていただけると思います。下流(右下方向)の薄緑色マーク( )のところに「かじかの滝」があります。
 青色ライン(━━) 23.5km 錦川清流線(川西駅~根笠駅) 乗車区間
 紫色ライン(━━) 9.2km 錦川清流線(根笠駅~錦町駅) 未乗車区間
 緑色ライン(━━) 2.84km カジカガエル天然記念物指定域 
 橙色ライン(━━) 1.63km 根笠駅周辺散策ルート

クリックすると拡大

クリックすると拡大カジカガエル生息地が国の天然記念物に指定されているのは2ケ所で、その中の1つが今回の南桑駅周辺(1936年指定)でした。もう1ケ所は岡山県の湯原温泉(1944年指定)です。湯原温泉は会社に入社当時に右の写真の3人で泊まって夜に川原に下りて露天風呂に入った思い出深い場所です。下の写真が泊まった時に撮った湯原温泉の写真です。右は大山の鬼女台で撮った写真で私は一番右です。
クリックすると拡大

日本固有種のカジカガエルは全国に生息していると思いますが、国が生息地を天然記念物にしているのは2ケ所だけです。その2ケ所の位置を広い範囲の地図で紹介します。
 南桑カジカガエル生息地 南桑駅周辺 1936年09月03日指定
 湯原カジカガエル生息地 湯原温泉  1944年06月26日指定
南桑の詳細解説
かじかがへるノ棲息地トシテ有數ノモノナリ かじかがへるハ本邦固有ニシテ主トシテ溪流ニ棲ミ七、八月頃玲瓏タル聲音ヲ發ス
湯原の詳細解説
カジカガエルの棲息地として有数のものなり。カジカガエルは本邦固有にして溪流に棲み5月より7月に亙り玲瓏たる声音を発す
posted by SORI at 23:59| Comment(30) | 錦川清流線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング
      先月の記事ランキング