2021年05月30日

山口縣立岩國高等女學校・跡地 川西第一街区公園

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大上の路線ルート情報は2021年3月17日に周防久保に墓参りに行った時の清流新岩国から周防久保までのものです。この墓参りではすでにいくつかの記事で紹介しているように、墓参りの前に錦川清流線に乗ってみました。清流新岩国から錦川清流線に乗って根笠駅で折り返して川西駅に着いたのは10時49分でした。岩徳線の徳山行きの発車時刻11時31分まで42分あったことから、母が通っていた山口縣立岩國高等女學校(山口県立岩国高等女学校)の跡地に出来た川西第一街区公園(Kawanishi Daiichi Gaiku Park/かわにしだいいちがいくこうえん)に行ってみることにいたしました。公園の住所は山口県岩国市川西1丁目21です。
川西駅から川西第一街区公園までの距離は337mと歩いて4分で行ける距離なので、墓参りの往復のルートを決めた時から計画に入れていました。目的は写真や動画を撮って母に見せるためでした。母は岩国市街地にあった家から往復8kmの距離を歩いて通っていたそうです。山口縣立岩國高等女學校の校歌は2番まであって作曲は進藤ユキだそうです。
ネットから転用させていただいた約100年前に撮られた「山口縣立岩國高等女學校」と書かれた門の表札(看板)の写真(左側)と、今回撮った公園の門柱の写真(右側)を並べてみました。同じものかどうかは分かりませんが同じ形式の門柱のようです。公園の門柱のの下側の蝶番の位置を昔の門柱の蝶番の位置を合わせました。つまり公園の門柱は当時よりも深く埋められている可能性があります。

こちらが撮った写真と動画と昔の女学校の写真などで編集して作った動画です。バックで流れているBGMはIndian Walk(2分39秒)です。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。

クリックすると拡大

薄赤色に着色したところが川西第一街区公園です。母の記憶などから女学校の敷地は、今の川西第一街区公園よりは広かったようです。岩徳線は走っていましたが川西駅はなかったそうです。川西駅が出来たのは1960年4月16日なので岩日線(現在:錦川清流線)の開業(1960年11月1日)を見越して作られたものと思われます。クリックすると拡大今は建物があって岩徳線は見えませんが、当時は建物が無く校庭から岩徳線や錦川の土手が見えたと母が話してくれました。現在は住宅に囲まれていますが、当時は周辺の住宅はまばらだったようです。右の図は1965年時点の統合後の川西校舎です。この図から校舎と岩徳線の間の敷地は運動場であったことが判りました。航空写真内の想定される「想定される女学校の敷地」は山口県立岩国高等学校に統合後の川西校舎と同じとして薄紫色に着色いたしました。
 ━━ 川西駅→女学校跡地への徒歩ルート 337m
 ━━ 川西駅→錦帯橋への徒歩ルート   1326m


川西駅の最も岩国側のホームの端から女学校跡地方向を撮った写真です。矢印の位置が女学校跡地(川西第一街区公園)の中心位置です。写真をクリックすると矢印のない拡大写真を表示します。ただし、周囲の建物のために川西第一街区公園を確認することは出来ません。上の航空写真の黄色の直線が方向を示すライン(直線距離 248m)です。線路方向に見える山は岩国山(標高277.8m)です。
クリックすると拡大

ネットから1925年(大正14年)の山口縣立岩國高等女學校の写真を2枚転用させていただきました。クリックすると拡大母が入学する前の体育会の写真のようです。岩徳線が開業する前で、女学校が山口県玖珂郡立から山口県立に変わって2年後の写真です。
クリックすると拡大

山口県立岩国高等女学校と関連事項の.Wikipediaに書かれていた沿革を紹介します。学校の歴史は1902年から119年続いて、その間に女学校の呼名が使われていたのは1902年から1949年の47年間です。今回の場所が学校として使われたのは1915年から1968年の53年間で、その間に女学校の呼名が使われていたのは1915年から1949年の34年間です。写真は上の写真と同じ1925年(大正14年)に撮られたものです。動画の最初に出てくる山口懸立岩國高等女學校跡地と刻まれた石碑は川西第一街区公園が開設された翌年の2000年(平成12年)に建立されました。4年後の1929年に右半分の小高くなっている部分と住宅の間あたりに岩徳線が建設されました。右の遠くに霞んで見えている山は岩国山と思われます。
 1868年10月23日 明治元年
 1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
 1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
 1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
 1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
 1914年03月    宇野千代が岩国高等女学校を卒業
 1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
 1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
 1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
 1929年04月05日 岩徳線が開業
 1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
 1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
 1944年       光海軍工廠などへ学徒動員が開始
 1945年04月    学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
 1945年08月15日 太平洋戦争の終結
 1945年09月    学校での授業を開始
 1946年04月    修業年限が5年となる
 1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
 1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
 1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
 1960年04月16日 川西駅が開業
 1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
 1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
 1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設
クリックすると拡大

ネットから転用させていただいた1963年の航空写真を紹介します。
クリックすると拡大山口県立岩国高等女学校は上で紹介している沿革のように統合されて名前は山口県立岩国高等学校になっています。母が通っていた時の右の集合写真などから判断して運動場に沿った細長い校舎は母の時代にはなかったと思われます。2枚の集合写真が交互に表示されていますが、1枚は校舎を背景に運動場で撮られたもので、もう1枚はいくつかの校舎の間の庭で撮られたものと思われます。校舎が建てられた場所は運動場よりは高くなっていることが集合写真やネットの右下の写真で分りました。クリックすると拡大もしかしたら錦川の氾濫に備えた対策だったのかもしれません。運動場の手前には岩徳線も写っています。1963年なので川西駅はすでにできていますが、写真より左の方なので写っていません。左上に写っている道路は現在の山口県道112号藤生停車場錦帯橋線ですが、当時はまだ県道にはなっていませんでした。
クリックすると拡大

校舎内の写真もネットから転用させていただきました。ただしいずれの写真も母の時代より少し後に撮られた写真と思われます。左上から順番に職員室、階段教室、作法室、調理教室(1951年)、廊下です。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

門に「山口縣立岩國高等女學校」の表札がかかった写真もネットの約100年前の玖珂郡からクリックすると拡大転用させていただきました。右の写真は女学校の建物ではありませんが、女学校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校に建てられた御大典記念武道場で、今は岩国高校記念館として吉香公園に保存されています。白黒写真の女学校の建物の色を想像していただくために役立つと思います。
クリックすると拡大

川西第一街区公園の入口の写真です。門柱と門柱の間が広いし、女学校の門はもう少し山口県道112号線に近い方(背中方向に進んだ場所)にあったので当時の門柱を移設して建てたのかもしれません。いずれにしても門柱自体は当時の門柱だと思われます。記事の冒頭で紹介した公園の門柱の写真は本写真の右側の門柱です。門柱には扉を取りつける蝶番の金具がついています。下側の金具は地面に近いので門柱は当時よりも深く埋められているように感じます。当時の航空写真から判断すると、この広場は運動場ではなく校舎が建っていたエリアのようです。


以前の記事「岩徳線の川西駅から錦帯橋を経由して岩国城までの景色」の中の女学校に関しての記載内容を転記する形で掲載いたします。

写真の中の右上端にある川西駅から臥龍橋と錦帯橋を渡ってこの写真を撮った岩国城まで来たのです。錦帯橋が写ったこの写真の中に母が通っていた女学校(山口懸立岩國高等女學校)とクリックすると拡大叔父さん(母の弟)が通っていた高等学校(山口懸立岩國高等學校)がありました。それは女学校跡地と岩国高等学校跡地と書いている場所です。現在の女学校跡地は川西第一街公園となり、クリックすると拡大岩国高等学校跡地は吉香公園となっています。右の2枚の写真は現在の川西第一街公園です。母たちは、家のあった岩国の町から毎日片道4km(往復8km)を歩いて通っていました。118年と173年の長い歴史のある女学校と岩国高等学校の2つの学校は統合して、いろんな変遷を経て現在は川西駅のさらに向こう側に山口県立岩国高等学校として存在しています。
クリックすると拡大

母の女学校時代の錦帯橋をバックにした友達同士の記念写真です。右から2人目が女学校時代の母です。女学校には2年生の時に広島県三原から転入したそうです。父親が一時期三原に転勤していて2年生の時に岩国に戻ってきたとのことでした。3年生からは級長もしていたということなので、すぐに女学校になじんだのだと思います。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大母に関わる7枚の写真を切り替えて表示しています。その中の2枚の大人数の集合写真は女学校の構内での写真なので、今は無き女学校の建物が写った貴重な写真なのです。学校は木造瓦葺きの歴史がありそうな建物であったことが判ります。母が判るように黄色の矢印をつけています。4年生の時は梅組と桜組と楓組の3組あり、クリックすると拡大母は梅組だったそうです。右の「4年 梅組」の文字は集合写真の裏に書かれていました。
クリックすると拡大

かつて山口縣立岩國高等女學校があった川西第一街区公園のストリートビュー(SV)を紹介します。クリックすると拡大個人の井上一雄さんがGoogle地図に登録したSVです。公園の中心から撮った数枚の写真を組み合わせて360°の景色が見えるように作られています。初期画面は山口縣立岩國高等女學校と書かれた石碑がある南東方向です。水平に回転させて西方向にすると女學校の門と思われる2本の石柱が右下の写真のように確認できます。
クリックすると拡大母が写った右上の集合写真に写っている石柱と同じものかはわかりませんが似た石柱です。母の記憶によれば岩徳線に近い方(南東方向)にグランドがあり、遠い方向(北西方向)に校舎が沢山建っていたそうです。


クリックすると特別に大きく拡大出来るように写真を家に持ち帰ってスキャンいたしました。クリックすると4倍に拡大いたします。つまり面積では16倍に拡大いたします。拡大して見ると石柱の部分は石段になっていることが分かりました。金属製のフェンスも一段高いところに建てられていました。つまり現在の石柱と写真の石柱は違うことから現在の公園の入口とは違う入口の石柱のそばて写真が撮られたと思われます。写真の左上の白い部分は破れて無くなっているのです。
クリックすると拡大

4年の梅組の時の写真も家でスキャンして4倍に拡大(面積で16倍)するようにいたしました。拡大写真を見てもらうと当時の校舎がよく分かると思います。クリックすると拡大日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立した右の写真の曻地三郎(しょうち さぶろう)が岩国高等女学校の教員だったことがあり、その時に母は授業を受けたことがあるそうです。受けた科目は修身(1890年~1945年に存在)で今で言えば道徳のようなもののようです。 その後1948年に姓が山本から曻地に変わったので母は山本先生と呼んでいます。右の写真をクリックすると曻地三郎が105歳の時の動画を表示します。
クリックすると拡大
posted by SORI at 22:20| Comment(26) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月24日

久しぶりに我家でトンカツを揚げました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
昔はトンカツはよく作りましたが、最近は揚げ物料理が少なくなっています。揚げ物料理の中でも特にトンカツは減った感じがします。そんな中で久々にヒレ肉のトンカツを作ってもらいました。我家では脂を少なめにしたいことから昔からトンカツと言えばヒレカツでした。上の写真が作ってもらったヒレのトンカツです。ゴルフ場での昼食では、比較的多くトンカツを食べていますが、用意されているトンカツはロースカツなので、外食を含めてもヒレカツを食べるのも久しぶりでした。上の写真が我家のヒレカツです。

普段の揚げ物は小型の鋳物製の揚げ物用の鍋を使いますが、トンカツを揚げる時は我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を出します。その大きな鍋でもヒレ肉が沢山あったので、ヒレカツは2度に分けて揚げます。こちらの写真が1回目に揚げたヒレカツです。上の写真は2度目を揚げている間に少し食べて、2度目を揚げた中の一部を盛り付けたものです。この時の段階でキッチンには揚げ終わったヒレカツが6個ほど残っていました。
クリックすると拡大

この日はソラマメも用意してもらいました。
クリックすると拡大

ソラマメは近くの親しい方からいただいた新鮮なものでした。ソラマメの分類を紹介します。ソラマメの原産地は地中海や西南アジアが原産地と推測されていますが、大粒種はアルジェリア周辺で、小粒種はカスピ海南岸とする2源説もあるそうです。イスラエルの新石器時代の遺跡からも出土するほど古くからあり、古代エジプトやギリシア、ローマにおいて食べられていました。紀元前3000年以降に中国に伝播し、日本へは8世紀ごろ渡来したと言われているそうです。右の写真はWikipediaから転用させていただいた花が咲いたソラマメの写真です。
クリックすると拡大  界 植物界    Plantae
    被子植物   angiosperms
    真正双子葉類 eudicots
  目 マメ目    Fabales
  科 マメ科    Fabaceae
  属 ソラマメ属  Vicia
  種 ソラマメ   Vicia faba
 漢字 蚕豆 / 空豆
 英名 Broad bean / Fava bean
クリックすると拡大

たくさんの量があったので2回に分けていただきました。右側の向いた方が前日に食べたソラマメで、左側がトンカツと一緒に食べたソラマメです。下に引いている新聞の活字の大きさと比べていただくとわかるかもしれませんが、非常に大粒のソラマメでした。
クリックすると拡大

もちろんビールです。サラダはキュウリと水菜です。偶々、鍋用に買った水菜が残っていたのです。3束が税抜きで99円だったので2度ほど鍋をやってもまだ残っていたのです。サラダはケンコーマヨネーズ製のシーザーソラダドレッシングでいただきました。ソラマメはもちろん塩茹でしてそのままでも美味しいけれど、好みで塩を付けたりつけなかったりでいただきました。
クリックすると拡大

揚げ具合を紹介したくて拡大写真を掲載いたしました。Wikipediaによるとトンカツの表記は、とんかつ・とんカツ・トンカツ・豚カツなど様々です。単にカツと呼ばれることもあります。カツはカツレツの略ですが、トンカツレツと呼ばれることは、ほとんどないと思います。
クリックすると拡大

ヒレカツはもちろん、とんかつソースでいただきました。カラシは好みでいただきました。
クリックすると拡大

食べた雰囲気を感じてもらいたくて少し拡大した写真も掲載いたしました。沢山のトンカツを揚げたので9個も残りました。残ったトンカツは翌日の昼食と夕食でいただきました。それは揚げる前から決めていて買って来たヒレ肉は全てトンカツにいたしました。
クリックすると拡大

冒頭で紹介した普段用の小型の鋳物製の揚げ物用の鍋と、我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を紹介します。クリックすると拡大下に敷いている新聞で大きさが判っていただけると思います。以前の記事「ガスコンロを買い替えました。」で紹介させていただいたようにガスコンロを交換して温度調節機能が付いたおかげで、揚げ物が楽になりました。安全装置もしっかりしているので安心感もあります。
クリックすると拡大


翌日の昼食はカツサンドにいたしました。オーブントースターで温めたヒレカツにソースを付けて野菜に挟みました。サンドイッチ用のパンは買っていなかったので、食パンを縦に切って使いました。食パンは厚いのが好きなので縦に切ってもサンドイッチ用よりは厚い感じでした。その厚みが良かったです。
クリックすると拡大

飲み物として用意したのは定番のコーンスープです。コーンスープの素をお湯で溶いただけですが、美味しかったです。
クリックすると拡大

1つを断面が見えるように置きなおして写真を撮りました。パンの厚みも分かっていただけると思います。野菜は家にあったキュウリにいたしました。味付けはケチャップとトンカツソースとタルタルソースを使いました。タルタルソースはキュウリの部分に使っています。
クリックすると拡大

横から撮った写真です。9個のヒレカツの内、4個をサンドイッチに使いました。残りの5個は、この日の夕食用です。
クリックすると拡大


夕食はカツカレーにしました。前に紹介した3種相掛けカレー方式です。
名前を付けるとしたら3種相掛けカツカレーとなります。使ったレトルトカレーは下段の写真で、左から「宮崎/黒毛和牛ビーフカレー」「沖縄/しっとり煮込んだ・石垣島ビーフカレー」「熊本/あか牛ビーフカレー」です。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

こちらが3種相掛けカツカレーです。
クリックすると拡大1つだけラッキョを乗せているのは目印です。今回のカレーは色合いが非常に近いので、運ぶときに少し角度が変わると分からなくなってしまうとしまうと思ったから目印にラッキョを乗せました。掛け終わったレトルトカレーの袋をカレーの位置と同じように並べた写真も紹介します。目印のラッキョを置いた左下が熊本のカレーで時計回りに沖縄のカレー→宮崎のカレーです。
クリックすると拡大

オーブントースターで温めたトンカツはカラッと仕上がったので拡大写真を掲載させていただきました。この写真をクリックすると特別に大きな写真を表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大

前日も食べた水菜のサラダです。やっぱり99円で3束はかなりの量で4回の夕食で活躍いたしました。
クリックすると拡大
posted by SORI at 07:43| Comment(32) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月22日

森ヶ原信号場 岩徳線と錦川清流線の合流部分

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の航空写真は岩徳線と錦川清流線の合流地点(分岐点)である森ヶ原信号場の周辺ですが、空色の文字で書いている動画①~③を紹介いたします。いずれも岩徳線の周防久保駅の近くに墓参りに行った時に撮りました。

クリックすると拡大下の写真の左側の岩徳線の車両の運転席の中央の窓の部分には右のような大きなバックミラが設置されていて前方方向の撮影が難しいのですが幸いにも右側の写真の錦川清流線の車両には展望エリアがあることから合流や分離を先頭から撮ることが出来るのです。
 動画 錦川清流線→岩徳線   岩国行き 合流 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→錦川清流線   錦町行き 分離 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→合流点→岩徳線 岩国行き 合流 ボックス座席
       JR岩徳線            錦川清流線
クリックすると拡大クリックすると拡大

動画 錦川清流線→岩徳線 2021年3月17日撮影
右側の真直ぐな線路が岩徳線で、錦川清流線から岩徳線に乗り入れる場面の動画です。こちらの動画は記事「錦川清流線 清流新岩国駅 → 川西駅」に掲載した1分48秒の動画から38秒間を切り取った動画のです。


動画 岩徳線→錦川清流線 2021年3月17日撮影クリックすると拡大
左側の線路が岩徳線で、右側が錦川清流線です。岩徳線から錦川清流線に入っていく動画です。右の白黒の鉄道標識は速度制限解除標識です。右の速度制限解除の標識をクリックすると直前にあった速度制限45km/hの標識を表示します。クリックすると拡大線路を分岐させるポイント(分岐器)は動画から切り取った右の写真のように錦川清流線側(右側)になっていることが判っていただけると思います。
元々考えていたスケジュールでは撮ることが出来ない動画ですが、墓参りのために11時31分発の列車を待っていると、11時20分発の錦川清流線が来たので、急遽予定を変更して錦川清流線に乘り本動画を撮って清流新岩国まで行き、新岩国駅からタクシーに乗って柱野駅まで行き柱野駅11時37分発の列車に乗る綱渡りのようなことをして撮った動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてほしいです。柱野駅の発車時刻に間合わなければ次の欽明路駅(11時49分発)までタクシーで行くつもりでした。したがって私がホームにあがって列車が来るのを確認して手で〇のサインを出すまではタクシーに持っていてもらいました。でもすぐに列車が来るのを確認出来たので〇のサインを出しました。


動画 岩徳線→合流点→岩徳線 2020年12月23日撮影
こちらは墓参りの後に錦帯橋や岩国城を見るために周防久保から岩徳線で川西駅まで行く時に、錦川清流線が岩徳線と合流するところを撮った動画です。こちらは記事「岩徳線の動画 その2 錦川清流線との合流」で紹介した動画です。


位置関係をGoogleマップで紹介します。新幹線の新岩国駅から柱野駅まではタクシーで2.33kmの距離です。マップ内のマイナスのアイコン(-)を1回クリックすると新岩国駅(新幹線)と清流新岩国駅(錦川清流線)と西岩国駅(岩徳線)が表示され、2回目をクリックすると岩国駅や岩国空港が入る範囲まで表示されます。4回目で周防久保駅( )まで表示され、5回目で私が3歳から10歳まで住んでいた場所( )を表示します。
  SVで撮影された車両
  岩徳線と錦川清流線の合流地点(森ヶ原信号場)
 ━━ 錦川清流線
 ━━ 岩徳線
 ━━ 山口県道1号 岩国大竹線 旧道


合流直前の岩徳線(奥側)と錦川清流線(手前)のストリートビュー(SV)です。それぞれの線路の左方向に森ヶ原信号場(分岐点/合流点)があります。
クリックすると拡大下のSVの中の手前の青色のガード(鉄道橋)は岩徳線から撮った右の写真のガードで、動画③にも写っています。線路をくぐる道路は細い道ではありますが広島県道1号岩国大竹線とつながる山口県道1号岩国大竹線の旧道です。今は別の場所に新道が通るトンネルが出来ています。背中側方面に進むと前記事のSVで列車が写っていて思案橋に行けます。後ろ方向の矢印を約40回クリックすると撮影場所に到達します。


クリックすると拡大奥側の岩徳線のガードをくぐったところのに設置されたカーブミラーに、錦川清流線の列車をSVに撮った撮影車が写っていることを発見しました。撮影の日付も同じ2018年4月(avr.2018)なのでカーブミラーに写った車がSVの列車を撮影した撮影車でした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大右の小さな写真の川西駅(岩徳線/錦川清流線)には錦川清流線の起点を示す表示がありました。
これで今回の錦川清流線に関わる記事は終了いたします。次に乗る機会か、乗らなくても錦川清流線の列車を撮る機会があった時に掲載したいと思います。
クリックすると拡大
posted by SORI at 23:30| Comment(20) | 錦川清流線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月19日

ストリートビューで車両を見つけた場所を同じ列車で通りました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年9月の墓参りの記事で錦川清流線を紹介した時に上のGoogle地図のストリートビュー(SV)に線路上を走る錦川清流線の車両(きらめき号)が撮影されていたことを紹介しました。錦川清流線沿線のSVの画像を調べた範囲ではありますが、クリックすると拡大走っている錦川清流線の車両が撮影されていたのはこの場所だけでした。そんなことから是非ともこの場所を列車に乗って走って見たいと思っていましたが、2021年3月の墓参りで実現させ動画を撮ったのでので紹介したいと思います。SVが更新されると列車は消えてしまうので画面のハードコピーを右に掲載しました。クリックすると大きな画像を表示します。

その動画がこちらです。場所は清流新岩国駅と川西駅の間で、錦川の支流の御庄川(みしょうがわ)に架かる鉄橋のところです。鉄橋の名前は御庄川鉄橋でGoogle地図で計測した範囲において約143mと錦川清流線(川西~錦町)で最も長い鉄橋です。2番目は錦町の手前にある錦川を渡る鉄橋(約110m)です。この動画は前記事(清流新岩国駅 → 川西駅)に掲載した1分48秒の動画から鉄橋を渡るところの20秒を切り取った動画です。トンネルをドル瞬間から始まります。鉄橋の下の道路の橋の名前は思案橋です。この動画で7秒から16秒の間の位置でSV撮影車で撮られた映像の中に写り込んだことが判りました。ただし列車は反対方向に走っていたので16秒→7秒に移動している間に撮影されたと想像してみてください。
短い動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


冒頭のSVで車両が走っていた場所を動画から切り取りました。数枚のSV画像を解析した結果、この静止画(写真)の左下に写っている道路を手前から奥側に走るGoogleマップ撮影車から撮影されました。錦川清流線の車両は奥側から手前に走っている時にSVに写り込んだものでした。撮影車が手前から奥側に進みながら撮られたと判断したのはSVの撮影位置が左下の道路の左側の車線だからです。つまり冒頭のSVは走りながら後方を撮ったものでした。撮影車が走った道路は山口県道1号岩国大竹線の旧道です。
クリックすると拡大

こちらが撮影車が走っている車線が判るSVのハードコピーです。クリックすると撮影車の一部が写った写真を表示するので分かりやすいと思います。撮影車が進んでいく順番のSVです。→SV0 SVa SVb SV1 SV2 SV3 SV4 SV5 SV6 SV7 SV8
クリックすると拡大

撮影車の移動順にSVを並べました。SV0とSV1の間に撮影車が線路の下を潜ったことになります。冒頭のストリートビュー(SV)はSV4です。着色文字をクリックするとオリジナルのSVを表示します。
     SV0          SV1          SV2
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
     SV4          SV5          SV6
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

SVで撮影された車両の位置を航空写真に橙色マーク( )を付けました。柱野駅は川西駅の一つ徳山方向の岩徳線の駅です。航空写真内の舞内のアイコン()を2度クリックすると清流新岩国駅と川西駅と柱野駅と西岩国駅が表示されます。新幹線の新岩国駅から柱野駅まではタクシーで2.33kmの距離です。
  SVで撮影された車両
  岩徳線との合流地点(森ヶ原信号場)
 ━━ 錦川清流線
 ━━ 岩徳線
 ━━ 山口県道1号 岩国大竹線 旧道


岩徳線から撮った写真に、上の方から順に高架道路と古びた鉄橋と思惑橋(西氏橋)が写っていたので、写真を掲載いたしました。古びた鉄橋は御庄川鉄橋で、右端あたりがSVで車両が写っていたところです。奥の白い高架道路は建設中の山口県道1号岩国大竹線の新道です。思惑橋の昔の呼名は西氏橋でした。この橋を渡って錦帯橋を見学して行くかどうか思案したことから別名として思惑橋が使われるようになりましたが、いつしか思惑橋が正式に使われるようになったそうです。この写真は2020年9月25日の墓参りの時に柱野駅を発車直後に目いっぱいのズームで撮りました。
クリックすると拡大

Googleの撮影車を紹介します。こちらは2013年5月(mai.2013)のSVに錦町でガラス戸に写ったGoogle撮影車です。一方で錦川清流線で車両が撮影されたのは2018年4月(avr.2018)で5年の差があるため、同じ撮影車かどうかは分かりませんが、クリックすると拡大同じタイプだと想像されます。右の小さな写真はSVのハードコピーです。ガラス戸の中に「もみ山 亥の子 資料館」と書かれた木の看板が置かれています。錦町広瀬商店街の「町ぐるみ博物館」の一つとして写真やパネルを展示している場所だそうです。ネット内に映写機が展示されている記事がありました。


クリックすると拡大上の画像は不鮮明なので、同じと思われる撮影車の写真をネットから転用させていただきました。錦川清流線の列車が撮られた道の先のカーブミラーに撮影車が写っていることを発見しました。撮影の日付も2018年4月(avr.2018)なまでカーブミラーに写った車がSVの列車を撮影した撮影車でした。カーブミラーの場所は錦川清流線のガード(鉄道橋)と岩徳線のガードをくぐってすぐのところで、次の記事の森ヶ原信号場の近くでした。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

以前の記事で掲載したことがありますが、参考にGoogleストリートビューの撮影機材を紹介いたします。機材として撮影車(自動車)、トライク(自転車)、トロリー(押し車)、トレッカー(徒歩など)などがあります。
クリックすると拡大

錦川清流線で線路を走っている車両のSVは1ケ所だけと書かせていただきましたが、止まっている車両は錦町の車庫で撮られていたので紹介します。こちらのSVにもガラスに映った撮影車が撮られていました。
       3両SV(錦町)           Google撮影車
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

左側が清流員岩国駅の時刻表です。1日に錦町方面(下り)は10本で川西方面(上り)は10本であることからSVに列車が写り込むことは一瞬のことなので非常に珍しいことだと思います。すでに上で記載しているように、今回SVに写り込んでいたのは錦町方面(下り)の列車です。右側の写真のSV1の影の位置からみると午後の明るい時間帯なので清流新岩国駅の発車時刻が14時36分か16時19分の列車と思われますが、太陽は西南西で低い位置なので16時19分の方が可能性が高いように感じます。4月の晴れた日に、この時間帯に来れば確定できると思います。
クリックすると拡大クリックすると拡大

SVに写っていた黄色の車両は車両番号3004の1両しかないので、今回(2021年3月)の墓参りで乘った黄色の車両と同じ車両だったのです。写真は根笠駅から川西駅まで乗った「きらめき号」です。Wikipediaに掲載されていた4両を紹介します。3段目の数値は車両番号です。上のSVの車両は「きらめき号」であることがわかりました。写真をクリックすると拡大いたします。
  ブルー      ピンク      グリーン     イエロー
  せせらぎ号    ひだまり号    こもれび号    きらめき号
  3001     3002     3003     3004
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

とことこトレイン(━━)と錦川鉄道錦川清流線(━━)とJR岩徳線(━━)の全駅をプロットいたしました。赤色ライン(━━)は山陽本線(岩国~徳山)です。山陽本線に関しては岩国~徳山の間の駅をプロットいたしました。岩徳線の中の緑色ライン(━━)は欽明路トンネル(3.149km)です。駅のアイコンが密集しているために路線が見えませんが、地図内のプラスのアイコン(+)をクリックしていただくと路線のラインが判ると思います。
  周防久保駅(墓参り最寄駅)
  車両がSVで撮影された場所(御庄川鉄橋)  今回の記事の場所
  車両がSVで撮影された場所(錦町駅の車庫) 
  岩徳線との合流地点(森ヶ原信号場)
山口県道1号・広島県道1号 岩国大竹線


SVが撮影された場所の3D航空写真をを紹介します。SVのようにこの場所に行って写真や動画を撮りたくなります。レンタカーを使わないことを前提にすると、兵庫県の宝塚から日帰りで周防久保の墓参り行く時に、この場所で動画や写真を撮るとすれば墓参りの後と前の2つのルートが考えられます。墓参り後に行く方法が新幹線で徳山まで行き墓参りの帰りに岩徳線で柱野駅まで行き徒歩で思案橋まで行き、写真や動画を撮った後に歩いて新岩国に行って帰ります。墓参りの前の場足は新岩国駅から歩いて(又はタクシーで)思案橋まで行き、写真や動画を撮った後に歩いて柱野駅に行き岩徳線で周防久保まで行き墓参りが終わった後、岩徳線で徳山まで行き帰る方法です。岩徳線の列車本数が少ないのでどちらも待ち時間が多くなりますが、墓参りの前の方が下記のようにロスが少なくなります。クリックすると拡大御荘川沿いや思案橋から撮る列車は右のようないい構図になりそうなので、SVの構図と思惑橋からの構図を写真と動画で獲るとすれば沢山の回数が撮れる墓参りの前の方がよさそうです。
 墓参りで撮影できる列車の通過時刻
  墓参り前 新岩国 8時12分着ひかり 徳山 14時59分発のぞみ
     8:43下り  9:22上り 10:07下り 10:45上り
  墓参り後 徳山 8時25分到着ひかり 新岩国14時39分発こだま
   13:27上り
  墓参り後 徳山 8時25分到着ひかり 新岩国15時39分発こだま
   13:27上り 14:34下り (15:14上り)
クリックすると拡大
posted by SORI at 14:51| Comment(28) | 錦川清流線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月15日

錦川清流線 清流新岩国駅 → 川西駅

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

本記事では錦川清流線の清涼新岩国駅から川西駅までの動画と写真を紹介いたします。各駅からの川西駅までの距離は下記のリストの通りです。森ヶ原信号場以外は駅名です。清涼新岩国駅は新幹線の新岩国駅との乗換駅で、川西駅はJR岩徳線の駅です。錦川清流線は森ヶ原信号場で岩徳線に乗り入れて岩国駅まで行きます。私は墓参りのために川西駅でJR岩徳線の徳山方面に乗り換えで周防久保駅まで行きました。右下の写真は乗った列車から撮った錦川です。
着色文字をクリックすると掲載した記事を表示します。
クリックすると拡大 錦町     → 川西 32.7km 始発駅
 根笠     → 川西 23.5km 乗車駅
 清流みはらし → 川西 22.5km 臨時駅
 南桑駅    → 川西 20.8km かじか蛙
 北河内駅   → 川西 13.9km すれ違い駅
 清流新岩国  → 川西   3.9km 新幹線乗換駅 今回紹介区間
 森ヶ原信号場 → 川西   1.9km 岩徳線との合流地点

清流新岩国の記事で紹介した通り新幹線の新岩国駅で錦川清流線に乗り換えて根笠駅まで行き、そこで降りて根笠駅周辺を散策した後に終点の錦町で折り返した列車に乗って川西駅まで行き岩徳線に乗り換えて墓のある周防久保まで行きました。写真は列車の中から撮った清流新岩国駅の写真で駅名標の背景ににあるのは新幹線の新岩国駅です。右側の細長い画像は根笠駅から乘った列車の停車駅一覧で、左側は清流新岩国駅から周防久保までのルートです。
オリジナル表示クリックすると拡大
クリックすると拡大

クリックすると拡大錦川清流線は錦町駅以外は全て無人駅で、列車はワンマンで運用されています。写真は列車に乗った時に右の整理券の発券機から受け取った整理券です。川西駅を降りる時に整理券と料金の710円を料金箱に入れました。


清流新岩国を出発してすぐの先頭の展望エリアから進行方向を撮った写真です。見えている高架は山陽自動車道(高速道路)です。岩国ICと玖珂PAの間で岩国ICから2.7kmの位置です。
クリックすると拡大

上の写真に写っている山陽自動車道の高架を過ぎたあたりから岩徳線に合流して最初のトンネル(道祖峠トンネル)に入る寸前までの1分48秒の動画を紹介します。初期画面の鉄橋の下を流れる川は御庄川(みしょうがわ)です。御庄川は錦川の支流になります。動画の最後の画面が道祖峠トンネルの入口です。ただし動画が終わると最初に戻るように設定しているので動画はストップボタンをクリックしない限り永久に繰り返すように設定しています。


岩徳線の道祖峠トンネル(685m)を出たところの景色の写真です。
クリックすると拡大

川西駅到着寸前の写真です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大川西駅で撮った、根岸駅から川西駅まで乗った車両の写真です。川西駅の近くには山口県立岩国高校があることから沢山の高校生が乘ってきました。そのために川西駅に降りてから先頭側に移動して写真を撮る余裕がありました。ホームには右のように川西駅には錦川清流線の起点を示す表示がありました。
クリックすると拡大

錦川鉄道錦川清流線の全線で唯一の単線すれ違い駅である北河内(きたごうち)駅の写真を紹介します。クリックすると拡大根笠駅から乘った上り列車(岩国行き列車)の中から撮った写真です。往路の下り列車(錦町行き列車)に乘った時にすれ違った列車と同じブルーの色の「せせらぎ号」だったので、この日の昼間は「せせらぎ号」とイエローの「きらめき号」で運用されていて、朝の通勤時間帯は「きらめき号」とクリックすると拡大ピンクの「ひだまり号」を連結した列車(往路で乘った列車)が使われていたのだと感じました。右の上段は往路の時に撮った写真で、下段が復路で撮った10秒間隔表示の写真です。4両の残りのグリーンの「こもれび号」は見ることが出来ませんでした。写真を撮られている男性は錦町行きの下り列車にも乘られていました。クリックすると拡大右の中段の小さな写真がその時の先頭の展望エリアの写真です。同じ人が写っているのが判っていただけると思います。錦町での滞在時間は短いので列車に乗ることだけを目的とした乗り鉄の方だと思います。他にも乗り鉄と思われる方が何人かおられました。川西と錦町の往復の乗車料金は980円×2=1960円です。
クリックすると拡大
posted by SORI at 12:02| Comment(20) | 錦川清流線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月10日

我家のアマガエルは無事に冬を越しました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年5月8日追記 
タイトル:我家のアマガエルは無事に冬を越しました。

昨年(2020年)は下で紹介の通り、家の庭と2階のバルコニーにアマガエルが出没していました。そのアマガエルたちが冬を越すことが出来るか心配していましたが、上の動画のように無事に冬を越したことを確認することが出来ました。ピエール・ドゥ・ロンサール(Pierre de Ronsard)の一番バラが2021年5月5日に咲きましたが、その2日後の5月7日にアマガエルが花に潜っているのを確認して動画を撮りました。周辺でアマガエルの鳴き声が聞こえているので、他のアマガエルたちも無事なのだと思います。ただし我家の庭やバルコニーに来てくれるかどうかはまだ判りません。

写真でもアマガエルとバラを紹介します。上の動画は13時47分に撮影したもので、こちらの写真は同じ日の朝の7時41分に撮りました。2021年5月7日以前は周辺から鳴き声は聞こえてきてはいましたが、姿を見たのは5月7日が初めてでした。昨年(2020年)も最初に我家でアマガエルの姿を見たのは5月でした。
クリックすると拡大

こちらが2021年5月5日に咲いたピエール・ドゥ・ロンサールの一番バラ(最初に咲いたバラ)です。今回掲載した2枚のピエール・ドゥ・ロンサールの写真はクリックすると特別に大きく拡大(面積で16倍に拡大)するように設定いたしました。
我家ではこれまでに3種類のバラが咲いていたので4種類目のバラとなります。これから4種類のばらが順番に咲いてきます。つまり我家では下記の8種類のバラが咲きます。咲き始める順番に記載しています。花の写真を確認したい方はこちらをクリックしてください。→ポチッ
 ヘンリーフォンダ         Henry Fonda
 エドガー・ドガ          Edgar Degas
 キャサリン・モーリー       Kathryn Morley
 ピエール・ドゥ・ロンサール    Pierre de Ronsard
 ホワイトメイディランド      White Meidiland
 キングローズ           King Rose
 キューピッド・イン・ザ・ガーデン Cupid in the Garden
 クニルプス            Knirps
クリックすると拡大

2021年の2匹目のカエルは5月14日に見つけました。体か小さいので昨年も含めて初めて訪れたアマガエルです。見つけたのはキングローズのところでした。
クリックすると拡大


2020年10月26日追記
タイトル:バルコニーの3匹のアマガエルを1階の庭に移動させました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大2020年10月26日の早朝には外気温時計の表示は9.8℃と10℃を切っていました。低温に弱い2階のバルコニーの鉢植えを夜だけ室内に入れる準備で、右の写真のように床に置いていた植木鉢を、テラステーブルの上に移動させていると、植木鉢の間から10月17日に紹介した2階のバルコニーで暮らしていた3匹のアマガエルが出てきました。3匹共に元気でよかったです。しかし植木鉢を室内に入れた夜間には2階のバルコニーでは冬眠は出来ないと思い、正しい方法かどうかは分かりませんが、3匹共にそっと捕まえて1階の庭に放しました。クリックすると拡大1階の庭に放したのは2020年10月26日16時頃です。その時に撮ったのが上の写真で、バルコニーに居た時の体色から色が変わりつつある状態です。冬眠して無事に冬を越してくれることを願っています。土に潜ることは以前に右の写真で確認していたので、柔らかな土のところに放しました。10月29の朝は12.6℃でした。11月3日12時55分頃に1階の庭で鳴いているのを確認しました。


2020年10月17日掲載 タイトル:その後のバルコニーのアマガエル

8月に我家のアマガエルの記事を掲載させていただきました。その時はアマガエルは庭に3匹と2階のバルコニーに3匹ほど見かけました。庭のアマガエルは鉢植えのヒマワリを中心に生活している様子でした。ヒマワリが刈れてしまうと周辺に家の庭に移動してしまったようで、いつの間にか見かけなくなりました。一度1匹庭で見かけましたが隣りの家の庭の方に逃げていたので周辺の家の庭に移動したと感じたのです。その頃から周辺で鳴き声が聞こえ始めたので、おそらく我家の庭にいたアマガエルなのだと思っていました。一方、2階のバルコニーのカエルは今でも3匹いて、近くでアマガエルが鳴くとこたえるように鳴くことがありました。その鳴く姿を動画にとらえようと古いビデオカメラを出してきて撮ったのが上の動画です。残念ながら鳴いているところはとれませんでしたが、喉を膨らませているところはとれました。周辺で鳴くアマガエルの声も入りました。鳴く時は動画のようにバルコニーの板の隙間から顔を出して鳴きます。鳴きはじめる前はバルコニーの板の隙間から覗くことはありませんでした。鳴き声が聞こえない時も庭をじっと見ていることもありました。

喉を膨らませてバルコニーの板の隙間から覗いているアマガエルです。離れた場所からのビデオカメラの静止画なので画像は良くありませんが、貴重な瞬間です。判りにくいけれでも上の動画で頭から5秒~8秒の部分で遠くで鳴くアマガエルの鳴き声が入っています。30秒~33秒のところは大きな鳴き声が聞こえます。本写真をクリックすると別画面で29秒から動画を表示するので聞き分けられるかもしれません。ただし、カエルは後ろ向きです。
クリックすると拡大

この時はバルコニーの板の隙間に2匹がいました。上の動画は右下の方のアマガエルです。左上のアマガエルは緑色でした。クリックして拡大すると左上のアマガエルが緑色であることが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

バルコニーの内側から緑色の方のアマガエルの写真を撮りました。体に土がついています。土は植木鉢に使っている少し荒いくて軽い土のようなので植木鉢の土の中に潜っていたのだと思います。
クリックすると拡大

灰褐色の方のアマガエルです。アマガエルの色はいろんな色に変わりますが、バルコニーの隙間に出てくる前の居場所で変わります。喉を膨らませて今にも鳴きそうですが、見ている間は残念ながら鳴いてくれませんでした。
クリックすると拡大

ガーデンパラソルを差し込む黒い台座の近くに隠れていると灰褐色になります。最初見た時は上に乗っていましたが写真を撮ろうとカメラを持ってきた時には穴の中に入っていました。皮膚の色の変化は、周りの環境、温度、湿度、明るさなどに応じてホルモンを分泌し、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによって出来るそうです。
クリックすると拡大

穴に隠れてすぐと思われる緑色のアマガエルです。この中であれば鳥などの天敵から身を隠すことが出来ると思いますが、冬の寒さは防げないので冬眠は別の場所にする必要がありそうです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ガーデンパラソルとバルコニーの写真です。ここのうえに3匹のアマガエルが暮らしいてますが、冬には冬眠が必要です。植木鉢程度では寒さはしのげないと思うので心配です。でも我々が思っているよりもたくましいので、何とか乗り切ってくれると思います。


クリックすると拡大バルコニーに居る3匹目のカエルはこちらです。上で紹介の2匹のカエルより体が小さいのですぐに区別がつきます。こちらのカエルはいつも右の写真の植木鉢群の中にいます。
上の2匹の大きさは同じくらいなのでどちらのカエルなのかまでは分かりません。
クリックすると拡大

灰褐色の時の上の写真と同じカエルです。体の大きさから分かります。
クリックすると拡大

追伸
2020年10月18日から関西に行きます。帰宅は10月25日になる予定です。その間はネット環境のために皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。続きを読む
posted by SORI at 02:52| Comment(73) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング