2019年05月08日

キュウリのワッフルスライス

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2019年4月18日掲載 タイトル:キュウリのワッフルスライス
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キュウリの新しい切り方を覚えました。その切り方が上の写真です。
この切り方をワッフルスライスと言います。

ワッフルスライスを拡大いたしました。クリックすると、さらに拡大いたします。ある道具を使うと、これが簡単に出来てしまうのです。
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この波形の刃が付いた道具を使うのです。キュウリを垂直に立ててスライスすることに90度回転させることで上の写真のワッフルスライスが出来るのです。道具の名前はずばり「きゅうりワッフルスライサー」でした。料理に関係する便利グッズですが、似たものとしては白髪ネギ用のカッターを紹介したことがあります。
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きゅうり1本で、これだけの量のワッフルスライスが出来るのも特筆すべきことでした。
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さっそくサラダにワッフルスライスしたキュウリ(胡瓜)を入れました。
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この日のメインは、とん汁でした。
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大吟醸もいただきました。
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別の日のサラダはワッフルスライスしたキユウリとトマトとレタスとセロリでした。
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この日のメインはニラ玉でした。
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この切り方にするとサラダの胡瓜が食べやすくなったように思えました。
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別の親子丼の日にもワッフルスライスのキュウリを使ったサラダにいたしました。
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ワッフルスライスのキュウリはドレッシングが良く絡みます。
2017年の農林水産省の作物統計によると日本のキュウリの総生産量は55.95万トンです。1位は宮崎県(6.72万トン)で、2位は群馬県(5.54万トン)で、3位は埼玉県(4.66万トン)です。1億2,622万人の一人あたり平均に換算すると4.43kg/年(85g/週)になります。
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左のように波形のホテトチップスのような切り方も出来ます。名前はウエーブスライスです。キュウリは水分が約95%であることから、日本では加熱せずに生、酢の物、和え物、塩揉み、漬物などで、食感などを楽しむ食材と言えます。低カロリーな割には食べ応えがあることからダイエット向きな食材とする人もあるそうです。参考に主成分割合をゴーヤと比較して紹介します。
         キュウリ           ゴーヤ
 水分      95.4 %            94.4 %
 デンプン    2.0 %            1.3 %
 水溶性食物繊維 0.2 %            0.5 %
 不溶性食物繊維 0.9 %            2.1 %
 タンパク質   1.0 %            1.0 %
 有機酸     0.3 %
 脂肪      0.1 %            0.1 %
 ミネラル    0.2 %(主にカリウム)      0.3 %
 ビタミン類合計 15.4mg/100g(0.0154%)   77.9mg/100g
 エネルギー   59 kJ/100g (14 kcal/100g)  71 kJ/100g
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家内が便利な道具を見つけてくれました。キュウリはインド北部、ヒマラヤ山麓原産で、日本では平安時代から栽培されているそうです。
クリックすると拡大キュウリの植物分類を記載します。
  界 植物界      Plantae
    被子植物     angiosperms
    真正双子葉類   eudicots
  類 バラ類/マメ類  rosids/fabids
  目 ウリ目      Cucurbitales
  科 ウリ科      Cucurbitaceae
  属 キュウリ属    Cucumis
  種 キュウリ(胡瓜) Cucumis sativus L.
 英名          Cucumber
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スライスの仕方の説明部分です。左側がウエーブスライスとワッフルスライスの説明です。もう一つ細切りも出来ます。まだ試してはいないので素麺の季節に試してみたいと思っています。


クリックすると拡大きゅうりワッフルスライサーの説明書です。クリックすると読める大きさに拡大いたします。自社工場一貫生産だそうです。
 製造 曙産業
 住所 新潟県燕市南1-2-1
 電話 0256-63-5071
 HP http://www.akebono-sa.co.jp 製品一覧 
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キュウリの細切りも試しに作ってみました。本来はキュウリの左右に傾けて先端を削ぎ落すようにスライスしますが、回転しながらスライスしたので先端が鉛筆のように円錐状になりました。最後は少し残るので、そのまま口に入れました。
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これがワッフルカッターを使って作ったキュウリの細切りです。思っていた以上に簡単で、見た目もそこそこに出来ました。
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我家でキュウリの細切りを使うとしたら、先ずは思いつくのは素麺です。
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具として細切りのキュウリ以外に錦糸卵とハムを用意いたしました。
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いつもであれば市販のソウメンつゆにつけて食べるのですが、この日は前日に干しシイタケを使った料理をしたことから干しシイタケの煮汁が沢山あったので、だしをとって自家製の薄めの汁を用意いたしました。
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薬味はおろし生姜と刻み茗荷でした。
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冷したす薄めの知ると一緒に食べる素麺をいただきました。
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追伸
2019年4月18日から関西に行きます。帰ってくるのは4月24日です。それまでは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。


2019年5月5日追記 タイトル:人参のワッフルスライスもやってみました。
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胡瓜のワッフルスライスが好評なので、人参のワッフルスライスもやってみました。上の写真がニンジンのワッフルスライスです。キュウリのワッフルスライスの記事に追記する形で紹介します。

ワッフルスライスの形が分かるように拡大いたしました。
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すでに紹介したキュウリ専用のワッフルカッターを使いました。ただし、カッターの幅より太いものは出来ないので、写真の位置までしかできませんでした。太い部分は縦に4本に切ってワッフルスライスを作りました。
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左下がニンジンのワッフルスライスで、中央上が胡瓜のワッフルスライスで、右下が胡瓜のウエーブスライスです。
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人参のワツフルスライスを入れたサラダです。人参の鮮やかな色が映えていました。味としては生の人参の存在感が判らなくなるほど、食べやすくなるように感じました。ニンジンはアフガニスタン原産のセリ科ニンジン属の2年草です。分類をしょうかいしまか。
  目 セリ目         Apiales
  科 セリ科         Apiaceae
  属 ニンジン属       Daucus
  種 ニンジン(ノラニンジン)Daucus carota
 亜種 ニンジン 人参     Daucus carota subspecies sativus
 英名             Carrot
 仏語             Ginseng 又は Carotte
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ドレッシング類が良く絡むので、さらっとした、ぼん酢しょうゆをドレッシング替わりによく使っています。ドレッシングに使うポン酢は香りが高い方が美味しく感じられるので馬路村のポン酢を使っています。
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縦に4本に切ったニンジンで作ったワッフルスライスを入れたサラダです。
このサラダの写真は令和元年の初日である令和元年5月1日に撮りました。
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和食にもニンジンたっぷりのサラダです。
こちらのサラダの写真は令和元年の子供の日令和元年5月5日に撮りました。
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2種類のいなり寿司を用意していただきました。タケノコを主体としたいなり寿司(奥側)と、ゴマとチリメンのいなり寿司(手前側)です。
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この日のサラダはレタスなどの葉物は入れないで、キュウリとニンジンとトマトだけのサラダにいたしました。ドレッシングは上で紹介のポン酢でした。
今回のスライサーのおかげで、和洋関係なくサラダを食べる回数が増えたような気がします。キュウリとニンジンの栄養成分を比較しました。人参のビタミン総量は少ないと思われますが、ニンジンのビタミンの特徴はビタミンA(主にβカロチン)で116g食べると1日の必要摂取量を取ったことになります。カロチンの名は人参の英名のCarrotに由来しているそうです。
クリックすると拡大         ニンジン       キュウリ
 水分      89.7%        95.4%
 デンプン    6.3 %        2.0 %
 水溶性食物繊維 0.6 %        0.2 %
 不溶性食物繊維 1.8 %        0.9 %
 タンパク質   0.8 %        1.0 %
 有機酸                0.3 %
 脂肪      0.1 %        0.1 %
 ミネラル    0.36%(主にカリウム) 0.2 %
 ビタミン類合計 8.49mg/100g     15.4mg/100g
 エネルギー   36 kcal/100g     14 kcal/100g
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2019年5月8日追記 タイトル:大根のワッフルスライスもやってみました。
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胡瓜と人参のワッフルスライスと紹介すると、大根を試してみたくなります。幸いにも細い大根の先の部分が残っていたので、試しに作ってみました。

大根の先端部分なのでかなり辛い筈です。さらに水分が94.6%と多いのでサラダに向いているかどうか心配になりましたが、ぽん酢と、すりおろしオニオンドレッシングで食べてみることにいたしました。大根を生で食べるような感じと想像していましたが、驚いたことにさほど辛みも感じなく、サラダに向いた食感の生野菜という感じになって美味しかったのです。ほん酢でもドレッシングでも十分においしかったのです。これならばサラダの中の一つの食材として使えそうでした。大根の辛みも利用できそうでした。もし、ワッフルサライサーを買われた方がおられたら試してもらいたいと感じました。
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大根のワッフルスライスを昼に試した結果、サラダの食材に使えることが分かったので、その日の夕食に大根のワッフルスライスを入れたサラダを作ることにいたしました。もちろん胡瓜と人参のワッフルスライスも用意いたしました。このために新しい大根を買ってきて先端部分を使いました。
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これが出来上がったサラダです。これで一人前です。胡瓜と人参と大根のワッフルスライスとサニーレタスとトマトにトンブリ(畑のキャビア)と半熟玉子を乗せたサラダです。
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この日のメインはドライトマトを使ったスパゲッティーでした。
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写真が柔らかに戻したドライトマトです。ドライトマトは写真のようにたっぷりと使い、タマネギとニンニクとハムを具に加えて炒めて作りました。
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これがドライトマトを使ったスパゲッティーです。その場で挽いた黒コショウをたっぷりと入れています。
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チーズもその場でおろしました。
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サラダにもおろしたチーズをかけました。ドレッシングは深煎りごまドレッシングにいたしました。
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スパゲッティーにたっぷりとチーズをかけた写真です。
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黒コショウの味も楽しみました。
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posted by SORI at 19:32| Comment(38) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

現存する日本最古の民家が神戸にありました。 箱木千年家

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神戸電鉄の箕谷駅に9時30分に待ち合せて初めて参加させていただいたクリックすると拡大ハイキング「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」で最初に向かったのが兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4にある箱木千年家です。実家がある逆瀬川からは阪急電車で新開地まで来て、そこからは前記事で紹介した通り神戸電鉄に乗って箕谷駅まで来ました。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク

箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六条八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅

クリックすると拡大箕谷駅から少し下ったところにある下の写真のバスターミナル(箕谷駅前)からバスに乗りました。右の写真のように土曜日の9時台から18時台は1時間に1本なので、神鉄の箕谷駅から急いで坂道を下りてきました。右の写真はこのままでは数値が読めないと思いますがクリックすると拡大いたします。
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箕谷駅前バス停からは111系統の9時41分発のバスに乗り終点の衝原バス停まで行きました。
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終点なので一番後ろに乗りました。我々以外にもハイキングに行くと思われる人が沢山乗られていました。


こちらが衝原バス停です。料金350円は関東のICカードのパスモで払うことが出来ました。
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衝原(つくはら)のバス停留所から箱木千年家までのルートをを紹介します。つくはら湖周辺の散策で最初に訪れたたのが箱木千年家(箱木家住宅)でした。資料によれば北西方向の約70mの湖底が移築前に建っていた場所だそうです。とりあえずその位置に家のマークを付けました。
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  箱木千年家(箱木家住宅)
 ━━ 散策ルート(衝原バス停→箱木千年家→つくはら湖散策→衝原バス停)


バスを降りると千年家と書かれた看板がありました。


畑の向こうに茅葺屋根の家が見えました。おそらく、そこだろうと進んでいきました。
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箱木千年家は左の奥にあります。箱木千年家は個人の所有で、その所有者の方が住んでいるのが左側の家です。
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箱木千年家の前には説明がありました。説明板の内容を枠内に転記いたしました。ダム建設のために日本最古の住宅が移築になったのは残念なことですが、移築のための調査によって、初めて日本最古であることが分かると共に、江戸時代の改築の詳細も判明したのも事実であります。移築前の1977年(昭和52年)までは実際に住居として使用されていたそうです。さらに移築の調査結果出る12年前の1967年(昭和42年)には国の重要文化財に指定されていたことから、建設された年代が特定できなくても重要な建物であることは認識されていたことになります。
            箱木家住宅 (国指定重要文化財)

指定年月日 昭和四十二年六月十五日

一般には「箱木千年家」の名で知られています。

箱木家は古くからこの地方の土豪であったと伝えられ、代々庄屋を勤めた家柄です。

現代の建物は、呑吐(どんど)ダムの建設に伴い、昭和五十二年七月から五十四年三月にかけて移築工事が行われ、従来のところから数十メートル離れた高台に建っています。

移築の際に行われた解体調査及び敷地発掘調査により、現存する日本最古の民家であることが確認され、加えて十四世紀頃に建てられた「母屋(おもや)」と、後に建てられた「離れ」とを江戸時代末期に一つの屋根の下に納めた合成建物であったことも明らかになりました。

現在は「母屋」と「離れ」を建築当初の形に分離して再建し、築山、中庭、納屋、土蔵等を移築前とと同じように配置しています。

平成四年三月 神戸市教育委員会
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入口から見た箱木家住宅の敷地です。現在、一般の民家(住宅)において日本最古レベル(室町時代以前)と考えられているのは次の3つです。それ以外に千年家と伝承されている三大千年家も紹介します。記載している時代は、伝承を含まない学術的および科学的な検証の年代です。ちなみに室町時代は1336~1573年で、鎌倉時代は1185~1333年で、箱木家住宅に使われている木材の伐採時期は1283~1307年(放射性炭素年代測定法)です。
 日本最古レベル
  箱木家住宅(兵庫県神戸市北区山田町)  室町時代 or  鎌倉時代後期
  古井家住宅(兵庫県姫路市安富町)    室町時代後期
  堀家住宅(奈良県西吉野村)       室町時代後期
 三大千年家(通称 伝承)
  箱木家住宅(兵庫県神戸市北区山田町)  室町時代 or  鎌倉時代後期
  古井家住宅(兵庫県姫路市安富町)    室町時代後期
  横大路家住宅(福岡県糟屋郡新宮町上府) 江戸時代前期
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石碑があり「史跡 千年家」と書かれていました。今は「箱木家住宅」あるいは「箱木千年家」と呼ばれているので、少し前に作られたものと推測されます。この石碑が移築されたものかどうかが気になるところです。学術的には約720年前~約620年前の建物と考えられていますが、千年家と呼ばれるようになったのは少なくとも約220年前からのようです。箱木家には大同年間(806~810)に建築と伝承されていて、1796年(寛政8年)~1798年(寛政10年)に刊行された摂津名所図会に806年(大同元年)に建てられたと記されていたからだそうです。その時点で約1000年で今であれば1200年になります。
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さっそく中を見学させていただくことにいたしました。右の写真の案内所の中で料金を支払って中の扉から入りました。
 料金 大人        300円
    小・中学生     150円
    団体(30人以上)   3割引
 休館 12月26日~01月10日
 時間 9:00~17:00 (04月01日~10月31日)
    9:00~16:00 (11月01日~03月31日)
     臨時休館があるようなので平日などは電話確認をお薦めします。


右の大きい方の建物が「母屋」で左の建物が「離れ」です。移築前はこの二つが一体となった一つの建物になっていたそうです。移築を機会に建設当初に戻した結果だそうです。
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Google Mapの航空写真で箱木家住宅を紹介します。萱葺建物の2棟が箱木家住宅です。建物の左側の深緑色の部分が、つくはら湖です。現在の建物がある地域がダムが出来て水没する地域の人達が移転するために作られた造成地と思われます。現在の箱木家住宅の北西方向70mあたりの湖底に移設前の箱木家住宅がありました。
写真をクリックするとオリジナルのGoogle Mapの航空写真を表示します。
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案内所で頂いた説明書に載っていた母屋と離れの正面図です。
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今回のメンバーでの記念写真です。紹介の記念写真は、顔が判らないように人が小さく写った写真にさせていただきました。一番右側が私です。
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移設前の模型も置かれていました。
上の写真の建物の状態が確認出来ました。建物の右奥側に土蔵と納屋があり、左手前に塀で囲われた築山や中庭があります。
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広い範囲を表示させると左端に湖が出来る前の志染川があります。この場所が、つくはら湖の湖底に沈んだことが実感させられました。
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受付場所に「母屋」と「離れ」が一体の移築前の写真が展示されていました。この状態で江戸期から移築が決まった1977年まで住居として使われたそうです。写真からも生活が行われていたことが伝わってきます。
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母屋の右側に土蔵と納屋がありました。納屋の中にはいろんな展示物が置かれていました。上の写真の模型も納屋に展示されていました。
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発掘で出てきた昔の基礎図も展示されていました。
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発掘時の写真です。
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いろんな農機具も置かれていました。
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見事な土塀と茅葺でした。
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茅葺の見事さを実感してもらうためにアップしました。かなりの厚みでした。軒下が低いのにも驚かされました。私の身長よりも低いのでかがむ必要がありました。今ほど室町時代だからこその高さなのかもしれません。
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軒裏の構造も見事です。
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ここから建物の内部を紹介いたします。そこで受付で頂いた説明書に載っていた14世紀建設当初および移設後の配置図を紹介します。
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こちらが母屋の内部です。土間に竈があります。料理などをした台所だったのだと思います。配置図では「にわ」と書かれている部分です。
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その土間「にわ」から見た板間の方向です。
移築時の解体調査により、母屋の建設時期の公式見解は室町時代の14世紀ごろとなっていますが、2005年に建築当初の部材について放射性炭素年代測定法による調査が行われた結果、使用されている部材が1283~1307年に伐採されたものであることが判明したそうです。発掘調査で出土した土器の年代も13世紀後半であることも考え合わせると、母屋(主屋)の建築が鎌倉時代にさかのぼる可能性も考えられています。そうすると約720年前と言うことになります。ただし室町時代の14世紀ごろでも、他の日本最古クラスの2軒が室町時代後期であることから、箱木家住宅が日本最古と推定されています。
上でも書かせていただきましたが、少なくとも元禄期には「千年家」と呼ばれるようになっていたそうです。箱木家には大同年間(806~810)に建築と伝承されていたと共に、近世の摂津名所図会などには806年(大同元年)に建てられたと記録されているそうです。確認されている範囲ではありますが、日本で室町時代にさかのぼるとされる民家は、箱木家の他では古井家住宅(姫路市安富町)と堀家住宅(奈良県西吉野村)の2つしかないそうです。
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上の写真で右側の板間です。配置図では「だいどこ」と書かれています。奥にも部屋があります。配置図では「なんど」と書かれています。
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南側の部屋には囲炉裏(いろり)があることから、今で言えば居間の存在だと思います。配置図では「おもて」と書かれていました。長い年月の間に多くの修理が行われことが見受けられるそうですが、この おもて の間には建設当初の柱が6本残されていて、桁梁の類には8本が残されているそうです。
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別の方向から見た土間「にわ」です。囲われている部分は馬屋です。配置図では「うまや」と書かれていました。昔は同じ屋根の下に人と馬が住んでいたことが分かりました。
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現在の馬屋の中には沢山の農機具が保管されていました。
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真上を撮った写真です。天井板はなく屋根裏がむき出しの構造の建物でした。
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よく見ると屋根裏に「おたふく(おかめ)」の面が飾られていました。
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その「おたふくの面」を拡大いたしました。上棟式で取り付けられたものと思われます。
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母屋の梁行断面図も紹介します。
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こちらが「離れ」です。
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手前が8畳で、奥が6畳の畳部屋です。
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茅葺の裏側の写真です。
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上で建設当初の配置図を紹介しましたが、ここでは江戸期(少なくとも1792年)から1977年までの配置図を紹介します。室町時代か鎌倉時代に母屋が建てられて、その後に離れが建てられたそうです。さらに江戸時代ですが2棟をつなぐ2部屋が作られて一つの建物にしたことが移転時の調査で判ったそうです。1796年(寛政8年)に刊行された摂津名所図会には一棟として描かれていたので、1796年までには一体に改造されていることがわかっているそうです。
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入母屋造りの茅葺屋根の一番上の飾りも独特でした。茅を束ねて丸太状に9本の上に竹を置いている構造です。2本の竹をそれぞれ根元側を外にして真中をつないで1本に見せています。母屋と離れが一体の移設前(江戸期改築)は丸太状の茅の束は17本でした。移設するときは建設当初(室町期か鎌倉期)の姿に戻すが、そのままの江戸期の姿で移設するか議論になったことでしょう。
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構造が分かるように端の部分を掲載しました。
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離れの屋根の飾りも同じだったと想像されます。ただし竹は頂部から外れてしまったようです。
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同じタイプの屋根の飾りを別の場所で見つけたので紹介します。
この屋根があったのは、この日の午後に行った無動寺でした。お寺の屋根ではなく住職のお住まいの建物の屋根でした。住所は兵庫県神戸市北区山田町福地100で箱木家住宅から直線距離で3.1kmの距離です。
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竹の根元を使った部分を拡大いたしました。この地域の特徴の飾りなのかもしれません。
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そういえば前々記事で紹介した下谷上農村歌舞伎舞台の屋根の飾りも似ていました。こちらも神戸市北区山田町です。根っこの部分は折れて取れてしまったように見えます。
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案内所で頂いた説明書を紹介します。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
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呑吐ダムが出来る前の1970年に国土地理院が発行した50,000分の1の地形図が我家にあったので、箱木家住宅あたりを紹介いたします。当時の道路は現在は湖底になっているので、当時と現在と比較するのは等高線になります。つくはら湖の湖面の標高は139mであることから標高140mの等高線が分かるように「標高140m(湖面)」を追記しました。この標高あたりに現在の湖の湖岸があります。参考に標高200mの等高線の位置が分かるようにも注記いたしました。盛り土をして造成地にしたと思われる部分を赤い線(━━)で囲みました。
クリックすると拡大クリックすると現在の「つくはら湖」全体が入る地形図を表示します。
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上で紹介した地形図と同じ範囲の現在の航空写真を紹介します。
両者を比較して結果、移設前の箱木家住宅は地形図の中央のと想像されます。移設後の箱木家住宅の位置は地形図では標高140mより低いことから、移設後の箱木家住宅が建てられは造成地は盛り土をして作られたことも判りました。クリックすると拡大するので、より分かりやすくなると思います。オリジナルのGoogle地図→ポチッ
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箱木千年家の場所を紹介します。神戸と言っても港に近い中心部から離れています。阪急の三宮駅から歩くルートで紹介します。正しいかどうかは判りませんがGoogle地図のシステム計算によれば上りの累計は421mで、下りの累計は286mで、最も高いところが小部峠(371m or 369m Google:359m )になります。紹介の画面では表示されていませんが、別の画面では箱木家住宅の場所の標高は145mと表示されました。
 名前 箱木家住宅 国指定重要文化財 
 通称 箱木千年家
 住所 兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4 → ポチッ
 電話 078-581-1740
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posted by SORI at 17:33| Comment(22) | 神戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月02日

久しぶりに神戸電鉄に乗りました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で2019年4月20日に新入社員として配属になった神戸事業所の仲間と神戸市北区山田町の国指定の重要文化財巡りのハイキングにクリックすると拡大右の写真の神戸時代の仲間と行ったことを紹介させていただきましたが、待ち合わせ場所の箕谷(みのたに)駅までは神戸電鉄(神鉄)を利用しました。神戸電鉄は会社の事業所の近くでしたが意外と乗る機会がありませんでしたが、年に1~2度程度ですが忘年会などの宴会を1泊で有馬温泉にある会社の保養所で行った時に神戸電鉄を利用しました。宴会の翌日は保養所から神戸電鉄に乗って会社に通勤していたのが思い出されます。転勤したことから27歳が神戸電鉄に乗ったのが最後だったと思います。今回の神戸電鉄の利用はそれ以来のことなので楽しみにしていたわけです。
上の写真は出発駅の新開地駅に停まっている8時10分発の準急三田行です。先頭に5011と書かれているので5000系電車です。この電車に乗って乗り換えなしで箕谷駅まで行きました。それでは箕谷駅までの神鉄の旅を紹介したいと思います。

実家のある逆瀬川駅からは阪急電車で来ました。乗換には改札機がないのでIC乗車券で逆瀬川駅を入って箕谷駅を、そのIC乗車券で出たわけです。ちなみにIC乗車券は関東のパスモです。逆瀬川から箕谷まで840円でした。帰りは箕谷からバスを利用すると720円で行けることを帰りに知りました。箕谷→三宮のバスの料金が440円で、三宮から逆瀬川の阪急の料金が280円だったからです。逆瀬川から箕谷までの間にあった神戸高速鉄道は車両を持たない鉄道会社です。阪急電鉄・神戸電鉄・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道の4社が神戸高速鉄道から施設(線路、設備)を借りて自社路線として営業する方式です。本方式の会社などの第三種鉄道事業者は少なくとも全国に19社/者(自治体を含む)ありますが、4社の鉄道会社が利用している第三種鉄道事業者は神戸高速鉄道だけです。
  4社利用:1社 3社利用:なし 2社利用:7社/者 1社利用:16社/者
 車両   路線        区間
 阪急電鉄 阪急電鉄      逆瀬川~神戸三宮
 阪急電鉄 神戸高速鉄道東西線 神戸三宮~新開地
 神戸電鉄 神戸高速鉄道南北線 新開地~湊川
 神戸電鉄 神戸電鉄      湊川~箕谷
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下の写真が神戸電鉄の車内です。車両は川崎重工製でした。1948年以降は全て地元の川崎重工製だそうです。それ以前は日本車輌でした。
神戸電鉄の沿革を簡単に紹介します。駅名の後ろの括弧内はクリックすると拡大現在の駅名です。会社設立(1926年)から93年になるわけです。右の写真が1928年に製造され、開業時点に使用されたデ1形車両で、このタイプの車両は新しい型に置き換わっていきながらも1967年まで使用されたそうです。
 1921年11月   神有電気鉄道の趣意書が発表
 1926年03月27日 神戸有馬電気鉄道として会社設立
 1928年07月30日 バス営業開始
 1928年11月28日 有馬線が開業 湊川~電鉄有馬(有馬温泉)
 1928年12月18日 三田線が開業 唐櫃(有馬口)~三田
 1936年12月28日 三木電気鉄道(三木鉄)が開業 鈴蘭台~広野ゴルフ場前
 1937年12月28日 広野ゴルフ場前~三木東口(三木上の丸)が開業  三木鉄
 1938年01月28日 三木東口(三木上の丸)~三木福有橋(三木)が開業 三木鉄
 1945年11月08日 鷹取道(丸山)~長田で脱線事故 48名死亡180名負傷
 1947年01月09日 三木電気鉄道を合併 神有三木電気鉄道に社名変更
 1949年04月30日 神戸電気鉄道に社名変更
 1951年12月28日 三木福有橋~電鉄小野(小野)が開業
 1952年04月10日 電鉄小野(小野)~粟生が開業 粟生線全通
 1961年05月25日 京阪神急行電鉄(阪急阪神ホールディングス)と事業提携
 1968年04月07日 神戸高速鉄道に乗り入れ開始
 1988年04月01日 神戸電鉄に社名変更
 1991年10月28日 公園都市線(横山~フラワータウン)が開業
 1995年01月17日 阪神・淡路大震災で被害
 1996年03月28日 公園都市線全通により現在の路線が完成
 2007年04月01日 IC乗車カード(PiTaPa)導入
 2015年03月03日 IC乗車カード全国相互利用が可能となる
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社内の路線図です。概ね三田方面と三木方面の路線になっています。三田方面は有馬口から有馬温泉・行きに別れていて、横山からウッディタウン中央・行きに分かれています。
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今回乗った範囲(新開地駅~箕谷駅)の神戸電鉄の駅をGoogle地図にプロットしました。カメラマークは駅以外の車窓の写真を撮った位置を表しています。丸山駅()から鈴蘭台駅()までは動画を撮っていたので写真ありません。上で紹介の動画の中に、4つのトンネルと廃駅の菊水山駅跡が写っています。
駅の到着時間も紹介します。ただし菊水山駅は2005年3月26日休止となり、2018年3月23日廃駅となったために通過時刻です。準急のため停車しない丸山駅と鵯越駅も通過時刻です。トンネル(━━)は4ケ所あります。ただし2ケ所はの下に隠れているのでプラスのアイコンを2回クリックして拡大したあとスクロールして画面を移動すると判ると思います。→ポチッ
  8時10分 新開地駅
  8時11分 湊川駅
  8時14分 長田駅
  8時15分 丸山駅(通過)
  8時16分 鵯越駅(通過)
  8時18分 菊水山(廃駅)
  8時22分 鈴蘭台駅
  8時27分 北鈴蘭台駅
  8時29分 山の街駅
  8時32分 箕谷駅
 ━━ トンネル 丸山駅~鈴蘭台駅 4ケ所
 ━━ 地下部分 新開地駅から長田駅の手前
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長田駅です。この辺りから急こう配になっていきます。
神戸電鉄と言えば忘れてはならないのが、終戦の年の1945年11月18日に死者48名を出した事故です。神戸電鉄は山越えの路線であることから急こう配の線路が長く続きます。鵯越~丸山間で抑速ブレーキが利かなくなり33‰の連続下り勾配区間で加速し丸山~長田間の曲線部で制限を遙かに超えた高速で脱線転覆し死者48名負傷者180名の犠牲を出す大事故でした。クリックすると拡大私が生まれる前のことではありますが神戸に勤務していたこともあり電車事故があるごとに、事故のことを聞かされました。
右の写真は運転席に置かれているマスコット「しんちゃん」人形です。冒頭の写真から切り取りました。
今は「しんちゃん」が見守ってくれているのだと思います。
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長田駅を過ぎると急こう配になってきます。カーブでは車輪の擦る音が聞こえます。カメラマーク1番目の位置です。神戸電鉄の最大勾配は50‰(50/1000)です。ちなみにラック(歯車)などを使わず車輪とレールの摩擦だけで登る普通鉄道では日本一の急勾配の箱根登山鉄道は80‰(80/1000)です。箱根登山鉄道の車両も川崎重工製が多かったです。
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急こう配なのが分かってもらえるでしょうか。こちらがカメラマーク2番目の位置です。
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丸山駅の少し手前から鈴蘭台駅までは動画を撮ったので紹介します。途中で3回ほど電車とすれ違いました。ただしトンネルの中の1回はカットしているので本動画には入っていません。もう一回はカーブのために電車の影だけです。本来は6分19秒の動画ですが、カットすることで5分3秒の動画になっています。
トンネルの長さはGoogleの航空写真で測った長さです。鵯越(ひよどりごえ)は平安時代末期の一ノ谷の戦いにおける奇襲「鵯越の逆落とし」で知られる鵯越です。場所に関しては諸説あるようですが、少なくとも名前が使われるほど険しいところなのです。
トンネルの名前は動画から読み取ってネットで検索して確定しました。菊水山隧道は菊水山を刳り貫く形で通っています。動画の初期画面に表示されているトンネルは3番目の烏原隧道(長さ57m)です。同じ初期画面の右下端に写っているのが廃駅となった菊水山駅ホーム入口の手摺でクリックすると拡大す。
 0:07 丸山駅
クリックすると拡大 1:17 鵯越駅(ひよどりごえ駅)
   1:46 中山トンネル 240m
   2:18 角山トンネル  49m
 2:25 菊水山駅(廃駅) 2005年3月26日休止 2018年3月23日廃止
クリックすると拡大   2:37 烏原隧道    57m
   2:52 菊水山隧道 1180m
 4:44 鈴蘭台駅


廃駅となった菊水山駅が気になっている方がおられると思います。残念ながら動画を撮っている間は写真が撮れなかったので、動画から静止画像を切り取って連続写真を作りました。角山トンネルの出口から連続写真が始まります。クリックすると代表的な1画面を拡大いたします。後半の画面で正面に見えているトンネルが烏原隧道です。
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4つのトンネルも動画の静止画像から切り取りました。菊水山隧道の入口はカーブの途中にあるので正面からは撮れませんでした。角山トンネルの出口側に廃駅となった菊水山駅跡が見えます。菊水山隧道は3枚組にしています。
     中山トンネル 240m         角山トンネル 49m
クリックすると拡大クリックすると拡大
     烏原隧道 57m           菊水山隧道 1180m
クリックすると拡大クリックすると拡大

3回の電車のすれ違い時の写真を紹介します。最初の写真は急カーブのため電車の影だけです。影の中で車両と車両の隙間が2ヶ所明るく写っています。2枚目のトンネル(菊水山隧道)の中では暗いためピントは運転席のガラスに合っているために電車自体はピンボケになっています。まともに撮れているのは3枚目の鈴蘭台に着く寸前です。遠くに鈴蘭台駅が写っています。私が関東に引越したころは3枚目の写真の3000系の時代でした。3000系は神戸電鉄で初のアルミ合金製車体でした。
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写真で撮っていない丸山駅と鵯越駅と鈴蘭台駅も動画から切り取った静止画で紹介します。上段の左が丸山駅で右側が鵯越駅(ひよどりごえ駅)です。
下段の2枚が鈴蘭台駅です。
      丸山駅               鵯越駅
クリックすると拡大クリックすると拡大
      鈴蘭台駅              鈴蘭台駅
クリックすると拡大クリックすると拡大

ここから先はカメラで撮った写真です。
こちらの写真は鈴蘭台駅に停まっている時に撮りました。ここから路線分かれます。右側が三田および有馬温泉方面です。左側が三木および粟生方面です。
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三田方面に出発してすぐに電車とすれ違いました。上の地図のカメラマーク3番目の位置です。5014と書かれているので5000系電車です。
神戸電鉄では、6500系(3両)、6000系(8両)、5000系(40両)、2000系(17両)、3000系(36両)、1500系(6両)、デ1300形(10両)、デ1350形(12両)、1370形(4両)、1100系(26両)、1150系(5両)、クリックすると拡大デ1070形(6両)が保有されています。括弧内は製造数で現在の保有数ではありませんが新しい車両は保有数と考えて良いと思います。新開地駅で我々より前に出発した右の写真の鈴蘭台行き普通電車が1100系でした。1100系は約50年前の1969年~1972年に川崎重工業の兵庫工場で製造された車両です。
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新開地駅で我々より前に出発した鈴蘭台行き普通電車が1100系を拡大いたしました。神戸電鉄の旅客用の車両に関して詳しくまとめてみました。製造者は現在の会社名で正式には日本車輌製造(株)と川崎重工業(株)です。
本車両リストは、Wikipediaに形式別に記載されている内容をまとめたものです。現有数は製造数から廃車数を単純に引き算したものなので、Wikipediaに廃車数の全てが書かれていない場合は現有数が変わるので参考程度としてください。太平洋戦争の1941年12月8日~1945年8月15日は車両の製造は行われていません。車両の譲渡神中鉄道からおこなわれました。神中鉄道は1917年から1943年(相模鉄道に吸収合併)まで存在した会社です。相模鉄道の西横浜~厚木が旧神中鉄道です。神鉄の旧車両の写真→ポチッ
形式 製造者 製造期間
(年)
改造
譲渡
完全
廃車
一部
廃車
製造
(両)
廃車
(両)
現有
(両)
デ1形 日本車輌 1928 1929   1967   10 10 0
デニ11形 日本車輌 1928 1928   1967   4 4 0
デ101形 日本車輌 1929 1929   1971   10 10 0
クハ141形 日本車輌 1929 1929 1944 1974   1 1 0
クハ131形  日本車輌 1935 1936 1942 1971   2 2 0
クハ151形 日本車輌 1937 1940 1942 1971   1 1 0
デ201形 川崎重工 1948 1948   1974   8 8 0
デ211形 川崎重工 1951 1951   1974   4 4 0
300系 川崎重工 1960 1964   1994   10 10 0
800系 川崎重工 1962 1968   1993   17 17 0
デ1000形 川崎重工 1965 1968   1995   10 10 0
デ1050形 川崎重工 1968 1968   2010   11 11 0
デ1070形 川崎重工 1974 1976     2010 6 4 2
1100系 川崎重工 1969 1972       39   39
1150系 川崎重工 1977 1987       6   6
デ1300形 川崎重工 1971 1973       10   10
1370形 川崎重工 1975 1979 1997     6   6
デ1350形 川崎重工 1979 1987       12   12
3000系 川崎重工 1973 1991       36   36
2000系 川崎重工 1991 1993       17   17
1500系 川崎重工 1991 1991       6   6
5000系 川崎重工 1994 1998       40   40
6000系 川崎重工 2008 2010       8   8
6500系 川崎重工 2016         3   3
            合計 277 92 185
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こちらが北鈴蘭第駅です。
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カーブが多いです。カメラマーク4番目の位置です。
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箕谷駅の一つ手前の山の街駅です。
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ここでも電車にすれ違いました。山の街駅から箕谷駅までは特にカーブが多かったです。カメラマーク5番目の位置です。5010と書かれているので、こちらも5000系電車です。5000系の主要諸元を紹介します。一番新しい新型は2016年製造からの6500系です。6000系は2008年~2010年製造です。
クリックすると拡大 製造所    川崎重工業
 製造年    1994年~1998年
 製造数    40両
 編成     4両編成
 軌間     1,067 mm
 電気方式   直流1500V
 最高運転速度 80 km/h
 設計最高速度 100 km/h
 起動加速度  3.0 km/h/s
 編成定員   122名(先頭車)133名 (中間車)
 全長     18,290 mm(先頭車)18,140 mm(中間車)
 全幅     2,700 mm
 全高     4,120 mm(パンタ付車)4,030 mm(パンタ無し車)
 車体     アルミニウム合金
 台車     軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車 KW-68
クリックすると拡大 主電動機   MB-5057A 三相かご形誘導電動機
 主電動機出力 120 kW
 駆動方式   平行カルダン駆動方式
 歯車比    7.07
 編成出力   1,920 kW
 制御方式   GTO素子VVVFインバータ制御
 制御装置   三菱電機製MAP-128-15V43 電力回生・発電ブレーキ付
 制動装置   MBSA形電気指令式電磁直通ブレーキ・保安ブレーキ
 保安装置   神鉄形ATS 防護無線
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この先を左に曲がったら箕谷駅です。カメラマーク6番目の位置です。
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箕谷駅です。これで地下にある湊川駅以外は、写真か動画で紹介したことになります。
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ホームに下りたところです。出口は最後尾で、私は電車の先頭に乗っていたのでホームの端から端まで歩きました。
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箕谷(みのたに)駅は無人駅でした。
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箕谷駅からの料金表を紹介します。神戸電鉄以外にも乗り継ぎ先までの料金がが書かれています。書かれている鉄道会社は山陽電車、地下鉄・西神・山手線、北神急行電鉄、神戸高速線、地下鉄・海岸線、阪急電鉄、阪神電鉄です。西方向で最も高いのは山陽の姫路の1370円で、東方向で一番高いのが阪急の河原町(京都)の1180円です。逆瀬川まで840円のわりに京都まで1180円で行けてしまうのにも驚きました。
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こちらが待合場所です。9時30分の待ち合わせに対して8時32分着の電車で着いたので誰も着ていませんでした。1時間前に来たのは前記事でも書いた通りクリックすると拡大皆とハイキングに行く前に、箕谷駅の近くにある国指定重要有形民俗文化財の下谷上農村歌舞伎舞台(しもたにがみ のうそん かぶきぶたい)を見に行くためでした。ハイキングの名前は「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」でした。
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posted by SORI at 05:44| Comment(22) | 神戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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