2018年07月14日

九十九里浜 本須賀ビーチ 早朝の散策

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で九十九里浜の本須賀ビーチの近くの宿に泊まって右の写真の海鮮バーベキューを食べたことを紹介いたしました。九十九里浜に泊まると日出の写真を撮りたくなるり実行いたしました。上の写真は早朝に九十九里浜の海岸に出て撮った写真です。残念ながら曇り空でしたが海岸の海面から上がった湯気が沖の方向に流れていく幻想的な景色に出会いました。本須賀は「もとすが」ではなく「もとすか」と読みます。上の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。

写真を紹介する前に東方向(正確には北東方向)の動画で迫力のある波を紹介します。動画の後半には上の写真と同じ景色を見ることが出来ます。そして最後の最後に薄雲の中に太陽を見ることが出来ると思います。


北東方向の動画を紹介したので、南西方向の動画を紹介します。両方のプレーボタンをクリックすると2つの動画を同時に見ることが出来るので時間の節約になると思います。波の音を楽しんでください。


九十九里浜の本須賀ビーチ(本須賀海岸)の散策ルートをGoogleの航空写真で紹介します。緑色ライン(━━) が今回歩いたルートです。
この本須賀ビーチでは前記事でも紹介したように本須賀八坂神社の例大祭の「神輿浜降り」が行われているそうです。最も波打ち際に近づいたポイントは経度140.47152度・緯度35.54975度でクリックすると拡大す。
  料理の宿 ニュー太洋
 ━━ ゴルフ場からニュ太洋へのルート
 ━━ 本須賀ビーチ散策ルート


海に最も近づいた場所( 経度140.47152度・緯度35.54975度)の2018年6月17日の日の出時刻は4時22分09秒でしたが、残念ながら前日の深酒のために起床できたのは5時を過ぎていました。そして宿を出たのは5時10分だったので晴れていたとしても日の出の瞬間を見ることは出来なかったのです。
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写真の正面にまっすぐ進むと本須賀ビーチに出ます。左の大きな看板が宿の看板で自動販売機方向に歩くと宿があります。
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歩いて1分もしないで駐車場エリアに着きます。
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さらに歩くと海が見えてきました。ここから先が砂浜です。
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波打ちぎわまでは意外と距離がありました。本須賀ビーチは九十九里浜の中でも砂浜が最も広い場所の1つだと思います。
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こちらは南西方向です。九十九里浜の長さは約60kmです。現在の1里=3.927273kmですが、計算では1里は60000m÷99里=606m/里となります。名前が付けられた中世の1里は545m~655mであったことから偶然かもしれませんが、実際の長さに近い九十九里浜の名前が付けられたことになります。2017年の記事で詳しく記載させていただきました。→ポチッ
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サーファーの方が沢山来られておられました。
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大きな波の向こうにサーファーの方が写っているのが分かってもらえると思います。
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こちらの写真にもサーファーの方が写っています。この時、5時19分でした。
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5時27分ごろになると日が差してきました。砂の丘の上に立って撮った写真です。すでに光が強くなっていたので太陽の方向の写真は撮りませんでした。
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砂の丘の上には可愛らしい花が咲いていました。九十九里浜で沢山見られるハマヒルガオと思われます。浜昼顔の分類を紹介します。
  界 植物界    Plantae
    被子植物   Angiosperms
    真正双子葉類 Eudicots
    キク上類   Superasterids
    キク類    Asterids
    シソ類    Lamiids
  目 ナス目    Solanale
  科 ヒルガオ科  Convolvulaceae
  属 ヒルガオ属  Calystegia
  種 ハマヒルガオ Calystegia soldanella
 英名 False bindweed
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丘から降りると大きな駐車場の最も東側に出てきました。日曜日の5時28分の駐車です。
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駐車場から住宅地の方向に細い道がありました。この道から宿に戻ることにいたしました。地元の人が散歩に使われているようでした。
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宿に戻ってきました。
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宿の入口には宿の利用者のためのシャワーがありました。
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朝風呂に入って温まるのもいいかもしれません。
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紫色のライン(━━)で示した、刑部岬(ぎょうぶみさき)から太東岬(たいとうみさき)までの約60㎞が九十九里浜です。車で東京駅から九十九里浜まで73km(約1時間)です。
posted by SORI at 10:14| Comment(34) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

また九十九里浜の料理の宿に来てしまいました。 ニュー太洋

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2017年6月16日~17日は1泊で16年(26回)続いているプライベートのゴルフに行っきました。ただし私は21回から参加させていただいています。この会の特徴は平日の金曜日に休暇をとってゴルフして1泊して飲むことなのです。ただし、今回は休みが取れない人が多かったようで土曜日となりました。今回の参加人数は右下の写真の8名+1名(撮影者SORI)の9名=3名×3組でした。下記が私が参加してからのコンペで、着色文字をクリックすると、その時の記事を表示します。上の写真はこの日の夕食の海鮮バーベキューと新千葉カントリー倶楽部あさぎりコースNo.1ホールです。
 21回 2015年11月27日(金)~28日 奥房総
クリックすると拡大 22回 2016年06月03日(金)~04日 木更津
 23回 2016年11月18日(金)~19日 那須
 24回 2017年06月09日(金)~10日 九十九里
 25回 2017年11月17日(金)~18日 参加できず
 26回 2018年06月16日(土)~17日 九十九里

今回も24回の時と同じ宿(ニュー太洋)に泊まりました。ゴルフ場から13.2kmの距離にあるのが選定理由の一つですが、24回の時の夕食が参加者に好評だったことが最大の理由なのです。前回の料理の記事を見ていただくと理由が分かってもらえるかもしれません。→ポチッ
ただし前回は部屋の中で料理を頂きましたが今回は屋外での海鮮バーベキューでした。右の写真は翌朝の九十九里浜の写真です。
クリックすると拡大  26回 新千葉カントリー倶楽部
  24回 山田ゴルフ倶楽部
  料理の宿 ニュー太洋
  本須賀八坂神社
 ━━ ゴルフ場( A ) → ニュー太洋( B ) 13.2km


こちらが海鮮バーベキューを食べた屋外席です。ゴルフは9名でしたが用事がある人が2名いたので宿泊は7名でした。手前に4名座り奥に3名座りました。
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席からの景色です。松明(たいまつ)に火がつけられているので、暗くなってくると雰囲気が出てきます。
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海鮮バーベキューがメインですが、それ以外に料理が3品と締めの炊き込みご飯とデザートが付いていました。先ずは3品を紹介します。
1品は豪華な伊勢海老料理でした。
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こちらはタマネギ料理です。千葉県産の新タマネギを柔らかく煮た料理でホワイトソースでいただきました。
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3品目は刺身の盛り合わせです。地元の郷土料理である'イワシのくされ寿司'や'アジのナメロウ'も入っていました。
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こちらがアジのナメロウです。
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これが九十九里浜の郷土料理(漁師料理)の'イワシのくされ寿司'です。大ぶりのいわしを酢で締めて腹の部分に酢飯を入れたものだそうです。'イワシのなれずし'や'くさりずし'とも言うそうです。九十九里浜に伝わる伝統的な保存食で、秋から冬にかけてイワシ漁の最盛期に、苦労して得た海の幸を保存する方法として生まれたそうです。昔は塩漬けした魚と飯を合わせて重石(おもし)をして 発酵させて作ったようです。現在でも、昔の作り方が行われているかどうかまでは調べ切れていませんが、今回の'くされずし'は醗酵したような感じでもあったので、もしかしたら昔の作り方なのかもしれません。
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いわしのくされ寿司の断面を拡大いたしました。
この料理に関しては好みが分かれると思うので、伝統の郷土料理であることをアピールした方が良いと感じました。
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これが海鮮バーベキューです。
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大きなホタテでした。
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サザエもありました。
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九十九里浜産のもハマグリもありました。
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アワビも1人に1つありました。貝類を柔らかく美味しく焼く秘訣は日本酒を沢山かけてしっかり焼くことだと教えてもらいました。本当は焼きあがったところの写真を掲載したいところですが、話が盛り上がってしまい写真を撮るのを忘れてしまいました。3つの四角のはバターです。
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バーベキューには肉もありました。
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焼いているところの写真は何枚か撮っていたので掲載いたします。トウモロコシも美味しかったです。
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こちらは肉を焼いているところです。
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〆は土鍋で炊いた炊き込みご飯が出てきました。前回の経験からアサリ飯だと思います。
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伊勢海老(又は蟹)の入ったお吸い物も出てきました。これは絶品でした。
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お茶碗によそったアサリご飯です。
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漬物も美味しかったです。
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デザートはパイナップルとタピオカのココナッツミルクでした。
今回も前回も、宿泊と宴会は幹事さんにお任せしているので詳細は分かりませんが、次の食事付宿泊コースだと想像しています。
 前回 2017年6月09日 海鮮グルメプラン
 今回 2018年6月16日 BBQ海鮮グルメコース 
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前回も紹介しましたがあらためて料理を食べた宿を紹介します。
住所の中の山武は「さんむ」と読みます。山武市は2006年3月27日に山武郡成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併して出来きた面積146.77k㎡の市です。人口は2018年4月1日時点で50,345人だそうです。実は、合併以前(1975年ごろ~2006年3月)は山武を「さんぶ」と呼んでいましたが、合併を機会に歴史的な読み方の「さんむ」に戻したそうです。
ニュー太洋から歩いて数分の本須賀海岸では毎年7月の最終土曜日(2018年は7月28日)にクリックすると拡大本須賀八坂神社の例大祭の「神輿浜降り」が行われているそうです。この祭礼は鎌倉時代からの歴史あるものだそうです。右の「神輿浜降り」の写真は日本観光振興会のホームページから転用させていただきました。
クリックすると拡大 名前 料理の宿 ニュー太洋
 住所 千葉県山武市本須賀3841-72  山武市の市章
 電話 0475-84-1129
 定休 なし
 最寄 フラワーバス 成東海岸バス停 JR成東駅から乗車
 予約 食事だけの場合も完全予約制 昼食(11:30~15:00) 夕食
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posted by SORI at 10:31| Comment(30) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月07日

メロのカマ(銀ムツのカマ) 父の日のプレゼント

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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父の日に北海道の長男家族から右の写真の4種類の食材が届いて、サクラマスに関してはすでに紹介しました。本記事では聞きなれない名前の「メロのカマ」に関して紹介したいと思いまクリックすると拡大す。
 桜マス   6切れ
 ホッケ   1匹
 ほたて   450g
 メロのカマ 1切れ  ← 今回の記事
メロのカマはメロという名の魚のカマの部分なのですが、実はメロは北海道の食材ではないのです。ところがメロのカマは北海道以外では簡単には手に入らない食材のようです。もちろん私の家の近くでは手に入りません。メロは南極周辺の水深50m~3850mの深海に生息する深海魚で正式和名はマジェランアイナメなのですが、1980年代からギンダラ(銀ダラ)の代用食材として入ってきた魚なのです。代用魚なのに銀ダラより美味しい魚だと思います。北海道は魚介の食材が多い場所だからこそ珍しい食材も売られていて、このメロのカマは美味しいので4種類の食材の中に入れてくれたとのことでした。

これがメロのカマです。 メロカマとも呼ばれています。
冷凍の食材は解凍の仕方が命です。冷蔵室で解凍するのですが、解凍が完了してから時間が経つと味が落ちてしまうので料理を始める寸前に解凍が完了するタイミングが重要になってきます。解凍されていないのも問題のため少し余裕を見て料理の17時間前に冷凍室から冷蔵室に移しました。時間は夜の1時でした。これが朝だと夕刻には解凍は終わっていなかったと思います。
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こちらが17時間後の解凍が完了した状態です。中央の細くなっている部分が腹側で左右がカマの部分です。重さを計ってみると540gもありました。
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メロの皮側も紹介します。メロは日本での流通名ですが、スペイン語が使われていたチリでの呼び名であったMeroに由来しています。実はMeroはスペイン語のハタ類の総称です。当該種はハタ類ではありませんが、チリではハタ類の一種としてみなしてMero(メロ)と呼んでいたことから日本でも呼称をメロとしたそうです。ちなみにアルゼンチンではMerluza negraと呼ばれています。
メロは1mを越える大型魚で、最大の記録は238cm(長さ)×130kg(重さ)だそうです。日本とアメリカで漁獲高の約90%消費されているそうです。アメリカではChilean Sea Bassと呼ばれています。クリックすると拡大
 界 動物界       Animalia
 門 脊索動物門     Chordata
亜門 脊椎動物亜門    Vertebrata
クリックすると拡大 綱 条鰭綱       Actinopterygii
 目 スズキ目      Perciformes
亜目 ノトテニア亜目   Notothenioidei
 科 ノトテニア科    Nototheniidae
 属           Dissostichus
 種 マジェランアイナメ D. eleginoides
英名 Patagonian Toothfish 又は Chilean Sea Bass
学名 Dissostichus eleginoides
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ガスコンロのグリル部分で焼くことにいたしました。昨年ガスコンロを新しいものに取り換えたので、結構分厚くても焼けるようになったのです。前のガスコンロだととても焼くことが出来ないので、その時はガスオーブンで焼いていたと思います。
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これが焼きあがりです。分厚いので途中で火を小さくして時間をかけて焼き上げました。
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並べると他の料理が小さく見えます。大きめのランチョンマットでしたが並び切れなくて、はみ出してしまいました。
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これがメロのカマです。シンプルナ味を楽しみたかったので味付はしないでそのまま焼きました。レモン汁でいただきました。プリプリでほのかな塩味があり美味しかったです。
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こちらが小さい方のメロです。大と小のそれぞれの重さは計っていませんが見た目では1対2なので、こちらは180gで大きい上の写真のメロは360gだと思います。数値は焼く前の重さです。
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こちらは胡麻豆腐です。メロカマが540g/2人もあったので他の料理は軽いものにしてもらいました。
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クリックすると拡大キュウリとセロリの即席の漬物です。赤しそふりかけ「ゆかり」を混ぜ込んで作ったそうです。さっぱりとして美味しかったです。同じように作る漬物に使うものとしては昆布茶があります。昆布茶はよく使いますが、ゆかりは初めてでした。
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味噌汁も用意してもらえました。
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ビールもいただきました。私はスッキリより苦みがある方が好きなのでキリンのラガービールにいたしました。もちろん製造年月日の新しい方を優先して買うのですが、製造年月日の新しいラガービールが売られていたのですぐに買いました。
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プリプリした食感を紹介したくて断面の写真を掲載いたしました。2003年以前には「銀ムツ」という名前で流通していたそうですが、ムツやアカムツなどとは分類が異なる魚であることから2003年にJAS法が改訂されて「銀ムツ」自体がつかえなくにり、現在では「メロ」あるいは「銀ムツ(メロ)」で流通しているそうです。流通名としては銀ムツは使えませんが、あくまでも銀ムツ=メロであることには違いは無いのです。流通名に銀ムツが使えないだけなのです。つまりタイトルのように「メロのカマ」=「銀ムツのカマ」なのです。
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ラベル: 父の日
posted by SORI at 03:54| Comment(26) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

ホノルル美術館 モダンアート編

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ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館の作品は今までに下記の3つの記事で紹介しました。上の作品は西洋美術エリアのTemporary exhlbitionsと書かれていた部屋に展示されていた作品です。本作品が常設展示なのか特別展示なのかは分かりませんが、クリックすると拡大作品と部屋の雰囲気を紹介したいと思います。
 絵画編 西洋美術
 Art of Hawaiʻi エリア編
 特別展編 Erick Swenson
 
今回の展示室の場所は赤枠部分です。
今回紹介するエリアの作品は現代美術(Modernism)に含まれると思います。緑枠エリアの作品に関してはすでに絵画編で紹介しています。
 青枠 西洋美術エリア
 緑枠 Modernismエリア
 赤枠 Temporary exhlbitions
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こちらがすでに紹介した緑枠エリアのModernismの部屋です。ここでは絵画が主体でした。右の作品はキリコのThe Greal Machineです。
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こちらが作品が展示されていたTemporary exhlbitionsです。右の作品が冒頭の作品です。
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そのカラフルな作品を紹介します。壁にかかっていますが絵画ではなく立体的な作品でした。作家であるリキテンスタインは1923年にニューヨークに生まれて、1940年オハイオ州立大学美術学部に入学し、第二次世界大戦後の兵役を含んで1949年に修士号を取得しています。卒業後も大学にとどまり1949年から1951年までは講師で生計を立てながら、当時としては最新の抽象表現主義風の作品を制作していたそうです。
クリックすると拡大本作品は、73歳で亡くなった1997年の2年前(1995年)の作品です。つまり71歳か72歳の時の作品です。
 作家 ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)
 作品 Woman Contemplating a Yellow Cup 
 制作 1995年 (71歳 or 72歳)
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より雰囲気を感じていただきたくて拡大写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大鮮やかでクリアー造形物でした。日本にもロイ・リキテンスタインの作品があります。美の巨人たちで取り上げられた東京都現代美術館が所蔵している右の写真のヘアリボンの少女(121.9×121.9cm 1965年作)です。当初1995年には都の予算で618万ドル(約6億8千万円)で購入することを皮肉るような批判もありましたが、現在の市場価格は数十億~百億円だそうです。彼の作品で最も高い値段が付いたのは2017年1月売買の1億6,500万ドル(約182億円)のMasterpiece(137×137cm 1962年作)で、2番目は2015年売買の9,540万ドル(105億円)のNurse(121.9×121.9cm 1964年作)です。
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作家のルイーズ・ネヴェルソンはウクライナのキエフの材木を扱うユダヤ人商家に1900年に生まれ、5年後にアメリカ・メイン州に移住したそうです。木材に親しんだいたことから10歳から木を彫り始めたというアメリカ人女性彫刻家で、本名はレア・ベルリャフスキー(Leah Berliawsky)だそうです。家具のような日用品の廃物などを集め、それらを切り刻んで黒く塗り、黒い箱の中に入れて寄せ集めたアサンブラージュの作品が中心だそうでクリックすると拡大す。
 作家 ルイーズネベルソン(Louise Neveison)
          1900年~1988年(88歳没)
 作品 Biack Zag X
 制作 1969年 (68歳 or 69歳)
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こちらも拡大いたしました。子供の頃の遊び心を忘れないで作ったような作品のように感じました。
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別の角度からの部屋の景色を紹介します。壁に掛ける作品だけでなく床に置く作品も展示されていました。
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posted by SORI at 08:37| Comment(34) | ハワイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月03日

人類誕生

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事「ホノルル美術館 特別展編」で右のエリック・スウェンソンの作品「Ebie」を紹介した時に人類の進化に関して記載いたしました。その内容を切り出して一つの記事として掲載することにいたしました。
現代の人類(ホモ・サピエンス)につながる進化は最新の研究において、概ね上の人類進化系統図の①→⑨に進化してきたと言われています。Ⓐ~Ⓙは同時期に存在し絶滅した人類です。多くの人類が出現して絶滅していきましたが化石の痕跡から言えることは人類同士の戦争が始まったのは⑨のホモ・サピエンス同士だった考えられているそうです。確かにそれまでの人類の数は少なく遭遇することも稀で生き方も違うと考えられるので、異種人類同士の戦争は無かったことはありえることだと思いまクリックすると拡大す。
人類の進化に関する学説は今後も進化し変化していくものと考えるのが自然であることから、上の人類進化系統図は現時点における一つの学説です。最近脚光を浴びたルーシーと名付けられた猿人は⑤で、ジャワ原人は⑦になります。北京原人は⑦の亜種とされています。約4~1万年前にいたクロマニョン人は⑨に含まれています。上の人類進化系統図の中に出てくる以外の名前としては、オローリン・トゥゲネンシスアウストラロピテクス・バーレルガザーリケニアントロプス・プラティオプスホモ・ルドルフェンシスホモ・エルガステルがあります。着色した名前をクリックすると説明を表示します。
 ① サヘラントロブス・チャデンシス(類人猿→人 700~600万年前)
 ② アルディピテクス・カダバ(猿人 577~554万年前)
 ③ アルディピテクス・ラミダス(猿人 450~430万年前 アルディ)
 ④ アウストラロピテクス・アナメンシス(猿人 420~390万年前)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(猿人 390~290万年前)
 ⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
 ⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
 ⑧ ホモ・ハイデルベルゲンシス(60~40万年前)
 ⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)
  ブルテレの足(340万年前)
  パラントロプス・エチオピクス(270~230万年前)
  パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前)
  パラントロプス・ロブストス(250~200万年前)
  アウストラロピテクス・アフリカヌス(300~200万年前)
  アウストラロピテクス・セディバ(180万年前)
  アウストラロピテクス・ガルヒ(200~300万年前)
  ホモ・ナレディ(不明)
  ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス 40~2.8万年前)
  ホモ・フロレシエンシス(? ~5万年前)

本内容はNHK総合で放送された人類誕生の第1集(2018年4月8日放送)と第2集(2018年5月13日放送)を参考にしてネットで調べた内容を加えて記載しています。NHKでは次の7種類の人類にスポットを当てて放送されていました。昔に教えられた人類誕生進化の常識がガラッと変わってきていることを知りました。各人類と日本人の体形を比較したい方は写真をクリックしてみてください。次の第3集は2018年7月8日21時から放送予定でしたが、オーム真理教関連の番組のために2018年7月15日21時からに変更(延期)になりました。後半の3枚の地図以外はNHKの人類誕生から転用させていただきました。身長は代表例です。
 ③ アルディピテクス・ラミダス580~440万年前)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(390~290万年前)
 ⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
  パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前) ホモ・ハビリスとの比較
 ⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
  ネアンデルタール人(40~2.8万年前)    ホモ・サピエンスとの比較
 ⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)



人類に関する300万年前より古い化石は断片的なものが多いことから直立二足歩行の可能性の指摘に留まっている中で下記の全身骨格により、直立二足歩行が証明されるとともに生活様式の推測も行われたようです。左の画像が③で右の画像が⑤です。③から⑤の変化は家族から集団と推測されています。貴重な全身骨格であることから先頭の愛称が名付けられました。全身骨格とは、重要な部分の多くが含まれた骨格のことを意味しています。
 全身骨格化石(300万年前以前)
  アルディー 約440万年前 ③ラミダス    1994年発見 女性
  セラム   約332万年前 ⑤アファレンシス 2000年発見 幼女
  ルーシー  約318万年前 ⑤アファレンシス 1974年発見 女性
クリックすると拡大クリックすると拡大
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ネアンデルタール人は約40万年前に出現し2万数千年前(4万年前と2万8千年前説があります。)に絶滅しましたが、現代人であるホモ・サピエンスのゲノム(DNA)の中にネアンデルタール人の遺伝子が約2%混入している説が2010年5月7日のサイエンスに発表されたそうです。その内容はNHKの人類誕生第2集でも紹介されました。下の地図は世界各地の現代人の遺伝子の中のネアンデルタール人DNAの割合を示した地図です。
クリックすると拡大本内容はマックス・プランク進化人類学研究所(Max-Planck-Institut für evolutionäre Anthropologie)のスヴァンテ・ペーボ博士(Svante Pääbo博士)をリーダーとする長年の研究の成果です。5万年前のネアンデルタール人の骨からDNAを復元するだけでも14年がかかったそうです。この成果により現代人のDNAと比較することが出来たのです。ちなみにNHKで放送された人類誕生のナビゲーター役の高橋一生さんのネアンデルタール人由来のDNA含有率は推定約2.3~2.4%でした。日本人のほとんどが約2%を持っそうです。
クリックすると拡大地域によって割合の特色が出ていることがホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血があったことを示唆しているようです。中東地域で混血があり世界に広がったと考えられていまクリックすると拡大す。
 ヨーロッパ 1.8~2.4%
 アジア   2.3~2.6%
 アフリカ  0.0%
クリックすると拡大

NHKスペシャル・人類誕生(3回シリーズ) NHK総合 日曜日21時~21時49分
 2018年4月08日 人類誕生 第1集「こうしてヒトが生まれた
 2018年5月13日 人類誕生 第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ
 2018年7月15日 人類誕生 第3集「ホモ・サピエンス ついに日本へ!
第3集の「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」では、その後の人類の世界拡散につながる約3万年前の広い海を渡る技術の習得の成果となった台湾・沖縄ルート(当時の人類の最も難しい航海)に焦点をあてて説明が行われていました。
 NHKホームページに登録されている超微細CG動画 クリックすると表示
 ③ アルディピテクス・ラミダス      生活(家族)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス 生活(集団)
 ⑥ ホモ・ハビリス            生活(石器)
 ⑦ ホモ・エレクトス           狩り(持久力)
  ネアンデルタール人          狩り(小人数)
 ⑨ ホモ・サピエンス           生活 宗教 狩り 出会 旅出

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   ネアンデルタール人 デニソワ人 と交わった可能性のある場所

琉球諸島の旧石器時代の遺跡です。当時の台湾は更新世氷河期時代(300万年~1万年前)で大陸と陸続きでした。遺跡の年代から3万年前には海を渡る航海能力が旧石器時代の人類にあった証拠となっています。



2019年10月29日追記 タイトル:現生人類の正確な誕生場所が発表
現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス(Homo sapiens sapiens)はアフリカで誕生したと言われていましたが、今までは正確な場所は特定されていませんでした。2019年10月29日に正確な場所が特定できたとの論文発表がされたので枠内に、その記事を転記する形で紹介いたします。
現生人類、ボツワナで20万年前に誕生 DNA分析で特定
10/29(火) 6:25配信
現生人類は20万年前、ボツワナ北部で誕生したとする論文が28日、国際研究チームにより科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。人類誕生の地を特定した研究結果としては、これまでで最も詳細な位置を示したものとみられる。
解剖学的現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスがアフリカで誕生したことは以前から知られていたが、その正確な場所は特定されていなかった。
研究チームは、「L0」系統のDNAを高い割合で保持することが知られている民族グループ「コイサン」に属する200人からDNAサンプルを採取した。コイサンは現在、南アフリカとナミビアに暮らしている。
研究チームはサンプルを地理的分布や考古学、気候変動のデータと合わせ、ゲノム年表を作製。年表から、L0系統の起源が20万年前のザンベジ川(Zambezi River)南方のボツワナ北部にさかのぼることが示唆された。
同地域はマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi-Okavango)と呼ばれ、現在は主に荒原が広がっているが、当時はビクトリア湖(Lake Victoria)の約2倍の大きさの巨大湖があったという。人類は同地域に約7万年の間住んでいたが、約13万年前に起きた気候変動により世界各地に広がっていったとみられている。
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ラベル:人類
posted by SORI at 23:59| Comment(38) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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