2017年09月14日

北海道でもパスモが使えました。

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北海道旅行から家に帰る日は新千歳空港で長男家族と昼食を一緒にクリックすると拡大食べることにいたしました。お土産を買ったりアイスクリームも何種類か食べる予定でした。普通の日であれば車で空港に行くところですが、この日は毎年4万人以上が訪れる千歳基地航空祭が行われており、渋滞で到着時間が読めないので3駅手前の駅に車を駐車して電車で空港に向かうことにいたしまクリックすると拡大した。
驚いたことに新千歳空港駅の3つ手前の駅は無人駅でした。そして私が持っているICカード乗車券PASMO(パスモ)もちゃんと使えました。関東と関西以外で使ったのは初めてですがICカード乗車券の共通化が全国的に広まっていることを実感いたしました。
クリックすると拡大JR北海道のICカード乗車券はKitaca(キタカ)でした。調べてみると2013年3月23日からKitacaSuicaPASMOTOICAmanacaICOCAPiTaPaSUGOCAはやかけんnimocaの10種類の相互利用が出来るようになっていました。札幌市営地下鉄のSAPICAは使えないようでした。

私のエリアのICカード乗車券はSuica(スイカ)とPASMO(パスモ)です。
PASMOは鉄道26社とバス75社の計101社が加盟しているICカード乗車券です。ちなみにSuicaは鉄道7社とバス1社の計8社加盟です。


こちらがPASMOに残されていた記録です。JR北海道(北海道旅客鉄道株式会社)で使ったことが確認出来ました。残念ながら駅名までは表示されませんでした。2駅ですが距離があるようなので乗車券代は360円(=4769-4409)でした。


新千歳空港駅の3つ手前の駅は長都と書いて「ながと」ではなく「おさつ」でした。地図で駅名は長都と知っていましたが言われるまで「おさつ」とは読めませんでした。長都駅の駅名の由来はアイヌ語のオ・サッ・ナイで、その意味は「川尻の渇いている川」だそうです。長都駅が開業したのは1958年7月1日だそうです。空港方面の次の駅は千歳で、反対方向はサッポロビール庭園でした。ちなみにサッポロビール庭園駅が開業したのは1990年7月1日で、新しい駅でした。サッポロビール庭園駅も無人駅だそうです。
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こちらの電車に乗って空港に向かいました。この日行われる千歳基地航空祭のためか電車内はかなり混んでいました。さらに電車の窓からは望遠レンズ付けたカメラを持っている沢山の人が確認出来ました。考えてみたら北海道で、地下鉄以外の鉄道に乗ったのは初めてでした。新千歳空港までの距離は9.1kmで乗車時間は11分でした。Yahoo路線情報→ポチッ
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クリックすると拡大我々の乗る電車の前に通過電車がありました。
先頭の表示板を拡大したのが右の写真です。その表示板に北斗七星の星座とHOKUTOの文字が書かれていたので183系の特急北斗で、写真を撮った時間から札幌9時30発の函館行の北斗8号と思われました。
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長都駅(おさつ駅)のホームから新千歳空港方向を見た景色です。
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ルートは長都→千歳→南千歳→新千歳空港です。
posted by SORI at 16:25| Comment(28) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

日本ではちょっと手に入りにくいパリのチョコレート Jacques Genin と Patrick Roger

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娘とのフランス旅行の5日目にお土産のチョコレートを買うために2ケ所のチョコレート店に行ってみることにいたしました。
パリの沢山のスイーツ店は日本に出店していてパリの有名なチョコレートも日本で簡単に手に入るようになっていますが、今回紹介する2つのお店のチョコレートは手に入れにくいのです。
クリックすると拡大両方ともにパリで1・2を争う評価もあるほどの人気のチョコレート店でありながら日本では未出店の貴重なお店です。その中の1店は日本でもよく知られて話題性のあるチョコレート店です。そこでこの2店のチョコレートをフランス旅行のお土産に買うことにいたしました。
クリックすると拡大この日は朝からヴェルサイユ宮殿に行きパリに戻ってきましたが、シーフードレストランのディナーの予約時間19時まで十分に時間があったのでチョコレート店に行ってみることにいたしました。

ホテルで2つのチョコレート店をパソコンに表示してその画面を写真に撮って地図代わりに地下鉄に乗ってお店を探しに出かけました。幸いにも2店ともにホテルから近い場所にありました。
 ジャック・ジュナン Jacques Genin
 パトリック・ロジェ Patrick Roger
 泊まったホテル   Opéra駅の近く


こちらが地図代わりにカメラで写真に撮ったパソコンの画面です。
      Jacques Genin          Patrick Roger
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ホテルの近くの地下鉄のQuatre Septembre駅から乗り換えなしで1本で行けました。Quatre Septembre駅から6駅目のRépublique駅から420mの距離の静かな場所にお店がありました。泊まっていたホテルから車で行くとしたら2520mの距離です。
こちらの建物一番手前の部分に目的のチョコレート店Jacques Genin(ジャック・ジュナン)がありました。地下鉄の駅を降りて地図代わりのカメラの画面を見ながらなんとかたどり着きました。初めての場所は太陽が出ていないと南北方向が判らないので地図と道の形から方角を見定めて進んでなんとかたどり着きました。古い建物であることは雰囲気から分かりました。
 店名 Jacques Genin fondeur en chocolat
 住所 133, rue de Turenne 75003 Paris, フランス
 電話 01-4577-2901
 営業 平日:11:00~19:00 土・日:11:00~20:00
 定休 月曜日
 最寄 République駅 420m
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その古めかしい建物の正面を紹介します。その建物には文字が書かれていました。クリックすると特別に大きく拡大するので文字が読めると思います。
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文字が読める大きさに拡大いたしました。1699年に建てられたことや建築家の名前が書かれているようです。調べてみると実際に噴水が作られたのは1697年で、Bouchera首相がなくなったのが1699年でした。Fontaine Boucheratは1925年3月17日に歴史的建造物として登録されていました。
FONTAINE BOUCHERAT

ERIGEE PAR L ARCHITECTE

JEAN BEAUSIRE

EN 1699

ET AINSI DENOMMEE EN L HONNEUR DU

CHANCELIER BOUCHERAT
 噴水名  Fontaine Boucherat Bouchera噴水 
 名の由来 Louis Boucherat首相の名前を使用
 建築家  Jean Beausire  1651年2月26日~1743 年3月20日(92歳)
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きっと、こちらも気になると思い拡大いたしました。ライオンは本物の像ですが、男性は壁に書かれた落書きだと思います。なかなかの雰囲気なので、そのまま残されているのではないかと感じました。318年前の歴史的建造物に落書きとは、信じられませんが、これが芸術の都、パリなのかもしれません。
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落書きかどうかを確認するためにGoogleマップのストリートビューで確認いたしました。驚いたことにライオンの胴体も落書きでした。現在(2017年9月11日時点で)見れるストリートビューには Date de l'image : avr. 2016 と書かれていることから2016年4月(フランス語:avr. 2016)に撮影されたと思われます。つまりストリートビューが撮影された2016年4月以降に落書きされたことが分かりました。ここはライオンの口から水が流れ出る泉だったようです。
ストリートビューは、いつかは更新されることから、現状の画面のハードコピーを保管しました。→ポチッ  クリックすると拡大


上で紹介したような歴史的建造物の中にお店がありました。こちらがお店の中です。娘がチョコレートを選んでいるところです。
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チョコレート店の中にも318年前(1699年)の建物一部を表に出しているところがありました。Jacques Geninはオーナー・パティシエ(ショコラティエ)のJacques Genin氏の名前そのものです。
クリックすると拡大右の写真のJacques Genin氏は日本の丸の内、六本木、青山などに出店して有名なラ・メゾン・デュ・ショコラ(La Maison du Chocolat)の元シェフパティシエで、ホテルGeorge V, Meuriceなどにチョコレートやキャラメルを卸して評判が広がったことがきっかけで2008年12月1日に、このお店をオープンさせたそうです。彼はアルゼンチン出身のようです。
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こちらが買ったチョコレートです。
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金属製のケースに入っていました。
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これがJacques Genin(ジャック・ジュナン)のチョコレートです。このチョコレートがパリのチョコレートBEST10で2位のボンボン・ショコラです。
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Jacques Genin(ジャック・ジュナン)の動画がネットに掲載されていたので紹介します。写真と動画の組み合わせで構成されています。


地下鉄のOpéra駅から1駅の場所に2軒目のチョコレート店Patrick Roger(パトリック・ロジェ)がありました。
クリックすると拡大距離はホテルから940mなので歩いて買いに行きました。Patrick Rogerカラー(青緑色)のお店でした。こちらのお店の名前もオーナー・ショコラティエであるPatrick Roger氏の名前です。
 店名 Patrick Roger Madeleine店
 住所 3 place de la Madeleine 75008 Paris
 電話 01-4265-2447
 営業 10:30~19:30
 定休 無休
 最寄 Madeleine-Tronchet駅 250m 
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ショーウインドウにチョコレートのオランウータンがクリックすると拡大飾られていました。上の写真でも、このウランウータンのチョコレートを確認できると思います。Patrick Roger氏はチョコレートの彫刻家と呼ばれておりオランウータンを初めとして、チョコレートで、いろいろな彫像を作っているようです。右の写真では沢山のカバが群れているところが表現されています。
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こちらがPatrick Rogerカラーのチョコレートの箱です。
パリで選ばれたチョコレート人気ランキングBEST10はつぎの通りです。今回紹介の2店のチョコレートが1位と2位でした。6位のチョコの名前は「ボンボン・ショコラと板チョコ」です。
 1位 Patrick Roger のクルール
 2位 Jacques Genin のボンボン・ショコラ
 3位 Jean Paul Hévin のショコラ・アペリティフ・ド・フロマージュ
 4位 La Maison du Chocolat の ボンボン・ショコラ
 5位 Jean Charles Rochoux のボンボン・ショコラ
 6位 Le Chocolat Alain Ducasse Manufacture à Paris のチョコ
 7位 Henri Le Roux のボンボン・ショコラ
 8位 Les Marquis de Ladurée のローズフレーバーチョコ
 9位 Hugo & Victor のスフェール
 10位 Chapon のボンボン・ショコラ
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そして、こちらがPatrick Roger(パトリック・ロジェ)のチョコレートです。飛行機の中で一部のチョコレートが壊れてしまいましたが、味は美味しかったです。壊れた緑のチョコレートは甘酸っぱい味のお店を代表するチョコレートでした。真ん中の壊れた丸いチョコレートが上で紹介のパリBEST10で1位のクルールです。同じものをお土産として実家に持って行きました。
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チョコレートの下には紙が敷かれていると思ったら、それもチョコレートでした。この板チョコも抜群に美味しかったです。Patrick Rogerはフランスに7店舗(パリ6店舗 )とベルギーのブリュッセルに1店舗を展開しています。日本には未上陸です。
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チョコレート以外のお土産です。
パリではチョコレート以外ではシャンゼリゼ通りのLADUREEでマカロンを買いました。マカロン以外はモンサンミッシェルで買った塩とクッキーと飴です。
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参考にマカロンのお店を紹介します。
こちらは日本に進出している有名なお店です。
 店名 LADUREE ラデュレ
 住所 13 Rue Lincoln, 75008 Paris, フランス
 電話 01-4075-3825
 創業 1862年 パリ( Paris )
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お店の中は高級な雰囲気であふれていました。沢山の人が入っていました。
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こちらがマカロンが入った箱です。
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アルコール類は下記の3種類をお土産に買いました。ただしフランスで買ったのは左端の赤ワイン、2010年産のMargauxだけです。
2010年産のMargauxは長年パリに住んでいる知り合いの方にワインバーに連れて行ってもらって教えてもらいました。→ポチッ
 焼酎    機内販売 森伊蔵
 純米大吟醸 成田空港 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
 赤ワイン  CDG空港 Château Marsac Séguineau Margaux 2010
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posted by SORI at 23:59| Comment(28) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

本ししゃも と カラフトししゃも

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前記事の「手巻き寿司」と、父の日の「プレゼント」の記事で「本シシャモ」を紹介しましたので、比較のために家の近くのディスカウント・スーパーで通称「ししゃも」と呼ばれているカラフトししゃもを買ってみました。
左が本シシヤモで右がカラフトシシャモです。
北海道で安く売られていることで有名なお店でも、本ししゃもが1980円(10匹)だったのに対してカラフトししゃもは178円(10匹)でした。
シシャモである通称「本ししゃも」は世界中でも北海道の太平洋沿岸の一部でしか獲れない上に、漁獲高が減少したために、今回紹介するカラフトシシャモキュウリウオが、シシャモの代用品として1970年代から売られるようになりましたが、代用品の方が圧倒的に流通量が多いことから、今ではカラフトシシャモやキュウリウオがシシャモと呼ばれ、本来のシシャモは本シシャモと呼ばれるようになったそうです。

本シシャモと他の通称シシャモの分類上の違いを紹介します。
本シシャモは鮭のように、川に遡上して産卵しますが、カラフトシシャモは川には遡上せずに海の浅瀬で産卵するそうです。キュウリウオは川に遡上して産卵するそうです。
通称 本ししゃも ししゃも
動物界 Animalia 動物界 Animalia
脊索動物門 Chordata 脊索動物門 Chordata
亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata 脊椎動物亜門 Vertebrata
条鰭綱 Actinopterygii 条鰭綱 Actinopterygii
キュウリウオ目 Osmeriformes キュウリウオ目 Osmeriformes
キュウリウオ科 Osmeridae キュウリウオ科 Osmeridae
シシャモ属 Spirinchus カラフトシシャモ属 Mallotus
シシャモ S. lanceolatus カラフトシシャモ M. villosus
英名 シシャモ Shishamo カペリン Capelin
産卵 川に遡上 (10月~12月) 海の浅瀬 (春から初夏)
キュウリウオ属 Osmerus
O. mordax
亜種 キュウリウオ O. m. dentex
英名 Arctic rainbow smelt
産卵 川に遡上 (4月下旬~5月下旬)


こちらが178円(10匹)のカラフトシシャモです。この日は特売で特別に安く178円でしたが通常は200円~300円の間だったと思います。Wikipediaでのカラフトシシャモの記載内容の一部を枠内に転記いたします。今回は商品名で「カラフトししゃも」と書かれていることから良心的な商品と言えます。
食味は本ししゃもと大きく異なるが、姿は両者とも非常に似ており漁師以外は外見だけで見分けるのが困難なこと、本シシャモの味を知らない人が多いことを利用し食品偽装の引き金になることがある。2003年の農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律改訂にともなう販売表示の厳格化を受けた行政指導により、原材料名にはカラフトシシャモと表記される様になったが、商品名は対象外。
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本シシャモと比べる機会がなければ、確かにシシャモでした。
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卵も沢山入っていました。本シシャモでなくても子持ちシシャモは美味しかったです。
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子持ちシシャモ(カラフトししゃも)は純米大吟醸でいただきました。
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この日のメインデッシャはカレイの煮付けでした。
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オクラを混ぜるのは私の役目です。
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定番のサラダはアボガトサラダでした。
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味噌汁も用意してもらいました。
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FAOのデーターから1950年~2014年のカラフトシシャモ(カペリン)の世界の漁獲量のグラフを作ってみました。他の漁業資源同様にカラフトシシャモも、乱獲のために漁獲量は急速に減ったようです。クリックするとFAOのオリジナルデーターを表示します。最高漁獲量であった1977年は4,008,746トン/年でした。2014年は282,833トン/年で1977年の7.06%です。日本人がシシャモの代用品としてカラフトシシャモを食べ始めた1970年代に漁獲量が増えたのは偶然ではない気がします。
クリックするとオリジナルデーター表示

比較のために本シシャモの大きな写真も掲載いたします。こちらが北海道で買ったシシャモ(通称:本ししゃも)です。味や食感は別物ですが、値段差から特別の時にしか食べれないと感じました。
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こちらが焼きあがった本シシャモの写真です。父の日のプレゼントとして送ってもらった本シシャモをガスオーブンで焼きました。シシャモの名前はアイヌ語のsusam(スサム / 楊の葉)に由来するそうです。シシャモに関するアイヌ民族の伝説ではシシャモには複数の種類があったそうです。
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やはり本物のシシャモは、卵で膨らんだおなかの張りは最高でした。本シシャモは北海道勇払郡むかわ町の町魚だそうです。本シシャモが北海道の太平洋沖にしか回遊しない詳しい生態は未だ謎のままだそうです。
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全てのシシャモはぎっしりと卵が入っていました。このようなシシャモを食べたのは久しぶりでした。シシャモに近いのがワカサギです。ワカサキの分類は次の通りです。本シシャモやカラフトシシャモと同じキュウリウオ目キュウリウオ科の魚です。
クリックすると拡大  目:キュウリウオ目 Osmeriformes
  科:キュウリウオ科 Osmeridae
  属:ワカサギ属   Hypomesus
  種:ワカサギ    H. nipponensis
 英名:        Japanese smelt 又は Wakasagi smelt
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本シシャモのグラフも作りたかったけれどもデーターが見つからなかったので、釧路市漁業協同組合さんのホームページに掲載されていたグラフを転用させていただきました。クリックすると転用先の記事を表示します。カラフトシシャモの漁獲量に比べると少ない量ですが、本シシャモの漁獲量が安定しているのは、資源保護対策のふ化事業が長年行われてきたためだと思います。
1989年~2003年の本シシャモの平均漁獲量が約1,300トン/年なのに対してカラフトシシャモは1,330,279トン/年と約1000倍です。
クリックするとオリジナルデーター表示

本シシャモの漁場近くの漁港にマークを入れてみました。左方向から胆振~鵡川~日高~十勝~釧路です。マークの漁港が本シシャモを取り扱っているかどうかは未確認なのでエリアとお考え下さい。
ラベル: ししゃも
posted by SORI at 23:59| Comment(16) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

北海道の長男宅では、北海道限定サッポロクラシックで手巻き寿司

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北海道旅行2日目の夕食は長男家族の家で手巻き寿司をすることになりました。元々は3日目の夕食で手巻き寿司をすることを考えていたそうですが、私の方の都合で帰る日を1日早めて3日目に帰ることになったので、2日目の夕食に変更となりました。そこで食材を調達のために積丹から直接、こちらの「うおはん」に寄ってから長男宅に帰りました。

クリックすると拡大父の日などに北海道の食材を送ってくれていましたが、こちらのお店からよく送ったそうです。
お店の中央あたりに宅急便を申し込む大きなエリアが置かれていることから、沢山の人が北海道の食代を送っているのだとおもいます。正月用の蟹を送ってもらったのもこちらのお店でした。→2016年の蟹 2017年の蟹
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下記の地図の青色ライン(━━)が島武意海岸(丹出岬灯台)から長男家族の住む千歳までの車で走ったルートです。ルートの終着点(B)が、その晩の夕食の食材を買うために寄った「うおはん」です。みさき( )で赤ばふんうに丼を食べて、積丹出岬灯台( )から、うおはん( )までのマーク( )の場所に立ち寄りました。夕食の食材を調達したあと長男宅に直行いたしました。
 みさき       赤ばふん生うに丼
 積丹出岬灯台
 ホームメイドアイスクリーム店
 きのこ王国     きのこ汁
 いちむら      手打蕎麦
 ニセコ髙橋牧場   羊蹄山の景色
 うおはん      夕食用の食材の調達
             北海道恵庭市住吉町1丁目5-1 0123-33-7000


手巻き寿司の材料が並びました。北寄貝、赤貝、つぶ貝、ヒラメ、マグロ、玉子、キュウリ、山芋、貝割れ、シソ、いくら、キムチ、納豆、チリメンジャコ、梅肉など沢山の食材が並びました。
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3種類の殻付きの活きた貝は最高の贅沢でした。殻付きのまま家まで持って帰って開いて切ったのでした。上が赤貝で左が北寄貝で、右がツブ貝です。
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特に北海道ならではの大きな活きた北寄貝は値打ちがありました。
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クリックすると拡大そして、今回のもう一つの目玉が北海道限定のサッポルクラシックでした。私がビールが好きなので用意してくれていました。油断したら写真のピントは後ろの皿に合ってしまいました。食事が用意出来る前に飲んだのは右の写真のサッポロラガービールでした。
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さっそく北寄貝の手巻き寿司を作っていただきました。やっぱり格別の美味しさでした。酢飯はシソの葉の下にあります。
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今年の父の日に送ってもらった、幻の北海道産のシシャモが美味しかったので、お店で探して買いました。ホッケもマホッケやシマホッケなど、グレードもいろんな種類が売られていて、さすが北海道と感じました。
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やはり本物のシシャモの卵で膨らんだおなかの張りは最高でした。
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お味噌汁も用意してもらいました。手巻き寿司はワイワイ話しながら食べれるのでやっぱり楽しかったです。
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posted by SORI at 07:59| Comment(18) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

コンシェルジュリー(Conciergerie)

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世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。
コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。

且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。


王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。西側から見た景観です。上の3Dの画像と見比べてほしいです。この絵からサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。
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パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
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こちらがコンシェルジュリーへの入口です。
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非常に広い空間でした。その空間を利用した展示が行われていました。この広い部屋は「憲兵の間」と呼ばれています。床面積は1800㎡だそうで、兵士たちの食堂として使われていたそうです。
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展示物の少ない見通せる一からの写真です。
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中央の螺旋階段が印象的でした。
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かつては王宮だった建物ですが、飾はほとんどありませんでした。そんな中でメドゥーサ(Medousa)が彫られた石板は印象的でした。
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この建物が牢獄として使われたことが関係しているかどうかは分かりませんが、各所に鉄格子が使われていました。大広間を仕切るように設置された鉄格子も印象的でした。この鉄格子の奥に牢獄エリアがありました。
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鉄格子を拡大いたしました。巨大で見事な鉄格子でした。
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石の天井を支える柱の構造も印象的でした。
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さらに奥に進むと牢獄がありました。
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古い大きなテーブルが置かれた部屋がありました。
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こちらが牢獄です。ベッドはなく藁の上に寝ていたのだと思います。
調べてみると最も貧しい囚人パイユー(Pailleux)が多数で入った雑居房だそうです。藁が敷かれた床に直接寝るしかなかったので、この囚人のことを「わら族」と呼ばれたそうです。
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部屋は罪の重さではなく経済力で決まったそうです。
ベットがある牢獄もありました。このような牢獄は有料で経済力に応じてその待遇が異っていたそうです。支払った額で囚人は3つに分けられたそうです。こちらの部屋はピストリエ(la pistole 中流層の囚人)の部屋でした。
 パイユー         貧困層の囚人 雑居房 藁敷き 不衛生 
 ピストリエ        中流層の囚人 雑居房 ベッドあり 
 プリゾニエ・ドゥ・マーク 富裕層の囚人 独居房 ベッド・机あり
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上の写真は雑居房ですが、プリゾニエ・ドゥ・マーク(prisonnier de marque 富裕層の囚人)は、さらにお金を払うことで、独房(一人部屋)が与えられ、読書や書き物をすることも許されたそうです。
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沢山の牢獄の中で特別な部屋がありました。有名なマリーアントワネットが投獄された牢獄です。
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こちらがマリーアントワネットが投獄された部屋です。ここに2ケ月半投獄された後にコンコルド広場にて処刑されたそうです。ここに投獄される前はタンプル塔に投獄されていました。フランス革命の後の恐怖政治時代には隣接された革命裁判所で死刑判決を受けて処刑された人は2780名にもなったそうです。旧体制派の多も死刑となりました。マリーアントワネットも、恐怖政治の犠牲者の一人だったようです。
 1792年08月10日 タンプル塔に投獄(幽閉)
 1793年08月08日 コンシェルジュリー監獄に移送 
 1793年10月15日 死刑判決
 1793年10月16日 死刑   集団墓地に埋葬
 1815年01月21日 王政復古により歴代の王が眠る大聖堂に改葬
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頑丈で大きなカギが印象的でした。
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兵士の詰め所も横にありました。厳重な監視が行われていたようです。
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曰くありげな石も展示されていました。
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その曰くありげな石の横では、プロジェクターでコンシェルジュリーに関する説明が行われているようで、熱心に皆さん聞かれていました。フランス語が分かれば、この石がなんであるかが分かったのかもしれません。
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排水溝の出口と思われる部分にも鉄格子が取り付けられていました。
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階段で2階にも上がれました。


2階には、いろんな展示がありました。この部屋には処刑された人物の名前が書かれていました。ルイ16世やマリーアントワネットの名前もあるそうです。
そして2階にも牢獄がありました。実は上で紹介した3種類の牢獄は2階で撮ったものです。
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当時のことを説明した絵も展示されていました。
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貴重な資料が沢山展示されているようで沢山の見学の方がおられました。
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別の階段で1階に下りました。


神聖な雰囲気の場所ですが2階部分には鉄格子がはめられていました。
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鉄格子を拡大いたしました。
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ここは「贖罪のチャペル」と呼ばれている礼拝堂のようでした。
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ここは唯一鮮やかな色合いの場所であったことから、特別な場所のようにクリックすると拡大感じました。MとAを組み合わせた紋章であることからマリーアントワネットと関係しているように思われ、気になって調べた結果、マリーアントワネットの独房のあった場所で、王政復古の1年後である1815年に「贖罪のチャペル / マリーアントワネット記念礼拝堂」が作られたことが分かりました。すぐに作られたことからみんなが気にしていたのだと思います。また、上で紹介したマリーアントワネットの独房の写真はすぐそばの場所に復元されたもので、本来はこの礼拝堂の場所に同じものがあったわけです。
フランス革命によって犠牲となったマリーアントワネットのために王政復古後に礼拝堂が作られたと知って、少し報われた気がしました。
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マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。
我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。
          À LA MÉMOIRE                   À LA MÉMOIRE
          DE LOUIS XVI                 DE MADAME ELISABETH
          ROI DE FRANCE                  SOEUR DU ROI.
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この礼拝堂にはいろんな空間が作られていました。
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この空間には絵が飾られていました。調べた結果、マリーアントワネットの絵であることも判りました。
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中庭もありました。女性囚人の中庭と言われているようです。男性囚人の中庭もあるそうですが、女性用に比べると狭かったそうです。
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女性囚人の中庭には洗濯場もありました。ここで女性囚人達は話をしながら洗濯をしていたのかもしれません。
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こちらの中庭は断頭台(死刑台)への馬車が出発する場所だったそうです。コンシェルジュリーはサント・シャペルと2枚セットにすると安くなることも訪れた理由の一つでしたが、実際に見てみて有意義な場所であることを知りました。
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今回のフランス旅行でコンシェルジュリーの建物の外観を撮ったのはセーヌ川のクルーズ船の上からの冒頭の写真のみなので、2005年12月3日に撮ったノートルダム橋の上からのコンシェルジュリーの写真も紹介します。初めてフランスに来た時にセーヌ川を散策して撮った写真でが、今回が8回目のフランスとなりました。
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コンシェルジュリーと周辺の訪問場所を紹介します。
 コンシェルジュリー Conciergerie
 サント・シャペル  Sainte chapelle
 ノートルダム寺院  Cathédrale Notre-Dame
 ━━ セーヌ川クルーズ
ラベル:牢獄 宮殿 パリ
posted by SORI at 12:07| Comment(24) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

高橋牧場からの羊蹄山とニセコアンヌプリ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で車で走った車内から撮った羊蹄山(えぞ富士)の写真を紹介しましたが、その羊蹄山の姿がきれいに見れる場所に行った見ました。その場所はニセコ町にある高橋牧場の放牧場でした。この日の前後は雨模様でしたが、幸いにも上の写真のように見事に晴れました。
 名前 高橋牧場 放牧場
 住所 北海道虻田郡ニセコ町曽我888-1
 電話 0136-44-3734

羊蹄山の反対側にはスキー場で有名なニセコアンヌプリ(山)がそびえていました。この高橋牧場はニセコアンヌプリの麓にあるのです。写真の中央少し左の円錐形の形をした山がニセコアンヌプリです。ニセコアンヌプリはニセコ火山群に属しニセコ連峰の主峰で、周辺にはイワオヌプリ、ニトヌプリ、チセヌプリ、シャクナゲ岳、白樺山、モイワ山、ワイスホルンがあります。
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この写真のように沢山の施設がありました。中央の山がニセコアンヌプリです。上の写真よりも建物に近づいて撮った写真です。
前記事で羊蹄山を紹介したのでここではニセコアンヌプリを紹介します。ニセコアンヌプリはアイヌ人が付けた名前ではなく和人がアイヌ語で名付けたものだそうです。推測だそうですが「家の屋根の形をした山」の意味であるチセネシリが本来の名前だそうです。そして各地にチセネシリ山と名付けられた山が北海道にはあるそうです。約70万年前から約25万年前に活動した火山で、安山岩質の溶岩流を繰り返し噴出しましたが、25万年前以降は活動は見られないそうです。その後はチセヌプリやニトヌプリ、イワオヌプリなどに噴火活動は移動したそうです。似古安岳は「にせこあんだけ」と読むようです。
  名前 ニセコアンヌプリ
  標高 1308.2 m 一等三角点(点名:似古安岳 1307.97m)
  山系 ニセコ連峰
  種類 成層火山・活火山(警戒レベル対象外)   
  名山 日本三百名山
  元名 チセネシリ(アイヌ語:cise-ne-sir 意味:家 or 等脚台形)
  所属 ニセコ積丹小樽海岸国定公園
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ニセコアンヌプリが大きく写った写真を紹介します。山の上の方に写っている建物はコンドラ乗降場所です。ゴンドラで登った山の上からの羊蹄山もきれいだと思います。冬のスキーの季節に特に活躍するのだと思います。
ニセコアンヌプリや羊蹄山の山頂近くには一等三角点や三等三角点があります。その北海道の三角点の数を紹介します。北海道は一等三角点の割合が多いことが分かりました。
区分 一等 二等 三等 四等 合計 電子基準点
 全国合計 974 5,061 32,392 69,410 107,837 1,240
 北海道 224 932 3,808 9,098 14,062 167
23.0% 18.4% 11.8% 13.1% 13.0% 13.5%
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牧場がニセコアンヌプリの麓にあることが分かる地形図紹介します。の位置に、そば畑がありました。ゴンドラやリフトが沢山あるようにニセコアンヌプリには歴史のある4つのスキー場があります。オープンの年を頭に書いています。カッコ内( )の名前はオープン当初の名前です。
 1961年 グランヒラフ       (ニセコ高原比羅夫スキー場)
 1972年 ニセコアンヌプリ国際スキー場
 1982年 ニセコビレッジ      (ニセコ東山スキー場)
 1991年 ニセコHANAZONOリゾート (ニセコひらふスキー場花園コース)
  高橋牧場     255m
  ニセコアンヌプリ 1308.2m  
  スキー場のゴンドラおよびリフト  
 ━━ 車で走ったルート


高橋牧場には昼食の手打蕎麦「いちむら」を出て真直ぐに向かいました。その途中の道ですがニセコアンヌプリが写っていました。ただし、写真を写したときは、この山がニセコアンヌプリであることは知りませんでした。ニセコ連峰の火山の活動時期は次のとおりです。これらの火山は古期火山群(古)、中期火山群(中)、新期火山群 (新)に分けられています。
 区 火山       標高   火山活動時期
 古 雷電山      1211m 160万年~100万年前
 古 ワイスホルン   1045m 150万年~100万年前
 古 目国内岳     1220m 110万年~65万年前
 古 岩内岳      1085m 73万年~50万年前
 中 シャクナゲ岳   1074m 80万年~30万年前
 中 白樺山       959m 70万年~30万年前
 中 ニセコアンヌプリ 1308m 70万年~25万年前
 新 チセヌプリ    1134m 30万年~2万年前
 新 ニトヌプリ    1080m 2万5千年前
 新 イワオヌプリ   1116m 3万年~7千年前
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北海道の2017年9月時点の火山の警戒レベル等を紹介します。
ニセコ火山群および羊蹄山は噴火警戒レベル対象外の火山ではありますが活火山であることに留意する必要がある山です。下記の着色文字をクリックすると最新の各地方の警戒レベルを表示します。警戒レベル設定火山→ポチッ
 北海道 東北 関東・中部 伊豆・小笠原諸島 中国地方 九州 沖縄 
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放牧場について最初に見た景色でした。
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トラクターには沢山の人たちが集まることもありました。


近くには蕎麦打ちの体験場らしき建物もありました。
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羊蹄山を背景にした干し草ロールも写真撮影ポイントとなっていました。この干し草ロールを作る機械がロールベーラーです。
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冒頭の写真ですが広さが分かってもらえると思います。
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羊蹄山から右に目をやるとさらに広さが伝わってくると思います。
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羊蹄山を中央にした写真です。
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羊蹄山の部分を拡大いたしました。
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上の写真でも拡大すると分ると思いますが、ひまわり(向日葵)も植えられていました。ヒマワリと羊蹄山のコラボ写真です。この写真はヒマワリの方にピントを合わせています。
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ヒマワリは持ち帰っていいのです。ここでいただいたヒマワリの花で記念写真を撮りました。持ち帰り自由は珍しいのではないでしょうか。


ヒマワリと羊蹄山共にピントが合うように離れて撮った写真です。雲の形も刻々と変わっていきました。
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雲がすばらしい形を見せてくれていたので雲を中心に撮りました。
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別方向の雲です。こちらも見事な姿を見せてくれました。
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この場所の雰囲気を感じてもらいたいので、一緒に行った長男家族の写真を紹介します。2歳児はトラクターの運転席が気に入ってしまって、なかなか離れようとしませんでした。


posted by SORI at 21:47| Comment(18) | 積丹 余市 ニセコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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