ホテルで2つのチョコレート店をパソコンに表示してその画面を写真に撮って地図代わりに地下鉄に乗ってお店を探しに出かけました。幸いにも2店ともにホテルから近い場所にありました。 ジャック・ジュナン Jacques Genin パトリック・ロジェ Patrick Roger 泊まったホテル Opéra駅の近く
こちらが地図代わりにカメラで写真に撮ったパソコンの画面です。 Jacques Genin Patrick Roger
ホテルの近くの地下鉄のQuatre Septembre駅から乗り換えなしで1本で行けました。Quatre Septembre駅から6駅目のRépublique駅から420mの距離の静かな場所にお店がありました。泊まっていたホテルから車で行くとしたら2520mの距離です。 こちらの建物一番手前の部分に目的のチョコレート店Jacques Genin(ジャック・ジュナン)がありました。地下鉄の駅を降りて地図代わりのカメラの画面を見ながらなんとかたどり着きました。初めての場所は太陽が出ていないと南北方向が判らないので地図と道の形から方角を見定めて進んでなんとかたどり着きました。古い建物であることは雰囲気から分かりました。 店名 Jacques Genin fondeur en chocolat 住所 133, rue de Turenne 75003 Paris, フランス 電話 01-4577-2901 営業 平日:11:00~19:00 土・日:11:00~20:00 定休 月曜日 最寄 République駅 420m
チョコレート店の中にも318年前(1699年)の建物一部を表に出しているところがありました。Jacques Geninはオーナー・パティシエ(ショコラティエ)のJacques Genin氏の名前そのものです。 右の写真のJacques Genin氏は日本の丸の内、六本木、青山などに出店して有名なラ・メゾン・デュ・ショコラ(La Maison du Chocolat)の元シェフパティシエで、ホテルGeorge V, Meuriceなどにチョコレートやキャラメルを卸して評判が広がったことがきっかけで2008年12月1日に、このお店をオープンさせたそうです。彼はアルゼンチン出身のようです。
Jacques Genin(ジャック・ジュナン)の動画がネットに掲載されていたので紹介します。写真と動画の組み合わせで構成されています。
地下鉄のOpéra駅から1駅の場所に2軒目のチョコレート店Patrick Roger(パトリック・ロジェ)がありました。 距離はホテルから940mなので歩いて買いに行きました。Patrick Rogerカラー(青緑色)のお店でした。こちらのお店の名前もオーナー・ショコラティエであるPatrick Roger氏の名前です。 店名 Patrick Roger Madeleine店 住所 3 place de la Madeleine 75008 Paris 電話 01-4265-2447 営業 10:30~19:30 定休 無休 最寄 Madeleine-Tronchet駅 250m
こちらがPatrick Rogerカラーのチョコレートの箱です。 パリで選ばれたチョコレート人気ランキングBEST10はつぎの通りです。今回紹介の2店のチョコレートが1位と2位でした。6位のチョコの名前は「ボンボン・ショコラと板チョコ」です。 1位 Patrick Roger のクルール 2位 Jacques Genin のボンボン・ショコラ 3位 Jean Paul Hévin のショコラ・アペリティフ・ド・フロマージュ 4位 La Maison du Chocolat の ボンボン・ショコラ 5位 Jean Charles Rochoux のボンボン・ショコラ 6位 Le Chocolat Alain Ducasse Manufacture à Paris のチョコ 7位 Henri Le Roux のボンボン・ショコラ 8位 Les Marquis de Ladurée のローズフレーバーチョコ 9位 Hugo & Victor のスフェール 10位 Chapon のボンボン・ショコラ
世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。 コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。
且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。
王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。西側から見た景観です。上の3Dの画像と見比べてほしいです。この絵からサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。
パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。 我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。 À LA MÉMOIRE À LA MÉMOIRE DE LOUIS XVI DE MADAME ELISABETH ROI DE FRANCE SOEUR DU ROI.