2017年09月28日

彼岸花の公園 村上緑地公園

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今年2017年の6月と7月の記事で近くの公園で沢山のユリが植えられていることを紹介しました。その記事を書くにあたり公園のことを調べてみると彼岸花も沢山植えられていることを知ったので2017年9月26日にクリックすると拡大行ってみましたところ、すでに花が枯れかかっているエリアが多かったのですが、幸いにも、上の写真のように満開のエリアも、かろうじて残っていました。
 ユリの記事 → ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3

沢山の彼岸花が植えられていたのは千葉県八千代市の村上緑地公園です。この公園は南北に長い公園ですが、最も北のエリアにユリが植えられていました。
村上緑地公園の全体の面積は11万㎡(11ha)で、周長は2.5kmです。彼岸花が植えられていたエリアの面積はGoogle地図で測ると約20000㎡でした。ネットで調べてみると生育面積は16000㎡だそうです。
 場所 村上緑地公園の中央部
 住所 千葉県八千代市村上1113
 電話 047-483-1151 八千代市役所 公園緑地課
 最寄 東洋バス 村上団地第一・バス停 勝田台駅から乗車
    東葉高速鉄道 村上駅から徒歩1480m
   彼岸花植栽エリア
   ゆり植栽エリア


公園に到着して彼岸花を探していて最初に目にしたのはこのような状態でした。正直、2週間は遅かったと感じました。
クリックすると拡大

こちらが平均的な花の状態でした。
クリックすると拡大

実が大きくなっているものもありました。
クリックすると拡大

先に進んでいくと咲いている花が増えてきました。でも、まだまだ咲いている花は多くはありませんでした。
クリックすると拡大

道の先に彼岸花の花が沢山見えてきました。道の両側に咲いていました。特に谷のように低くなっている右側に多く咲いていました。
クリックすると拡大

こちらは道の左側の高い部分です。
クリックすると拡大

遠くまで彼岸花の花が続いていました。
クリックすると拡大

こちらが道の右側の谷になっていた部分で、今回は最も沢山の花が咲いていたエリアです。こちらの写真を冒頭に掲載させていただきました。
クリックすると拡大

同じエリアをすくし別の角度から撮った写真です。ここには沢山の木が生えており、起伏も大きいことから、彼岸花もエリアごとに満開になる時期に差があるのではないかと感じました。ここのエリアは最も遅く万かいななるエリアだったようです。
クリックすると拡大

下草はドクダミでした。地面はドクダミで覆われており周辺よりも気温が低かったことも満開になる時期が遅くなている理由のようでした。
クリックすると拡大

少し離れて見た景観です。
クリックすると拡大

さらに離れた景色です。みちが2つに分かれている真ん中のエリアに彼岸花が植えられていました。
クリックすると拡大

どんな雰囲気のところに咲いているかわかってもらえると思います。公開されている八千代市の「事業報告及び決算書」から下記の通り、村上緑地公園には4年間で合計57800の球根が植えられていることが分かりました。植えられた数は6万球ですが、種子が出来たり球根が増えているとしたら、かなりの株数になっていると思われました。調べてみると10万株を超えているそうです。
 2013年(平成25年度 P13)  9000球
 2014年(平成26年度 P11) 17400球
 2015年(平成27年度 P14) 17000球
 2016年(平成28年度 P13) 14400球
クリックすると拡大

日が当たっている彼岸花を撮ってみました。彼岸花の分類を記載します。
  界 植物界     Plantae
  門 被子植物    Angiosperms
  綱 単子葉類    Monocots
  目 キジカクシ目  Asparagales
  科 ヒガンバナ科  Amaryllidaceae
 亜科 ヒガンバナ亜科 Amaryllidoideae
  連 ヒガンバナ連  Lycorideae
  属 ヒガンバナ属  Lycoris
  種 ヒガンバナ   Lycoris radiata
 英名         Red spider lily
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
彼岸花は有毒な多年生の球根性植物です。日本にはユーラシア大陸東部から帰化したものと考えられていて、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれています。ただし、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、畦や土手に植えたとも考えらているそうです。全体が有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含みます。経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあるそうなので食べることのないように注意が必要です。特に葉の姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもあるそうです。
クリックすると拡大

この公園では木が沢山植わっていてこのように日陰に咲く彼岸花も多く見かけました。
クリックすると拡大

僅かですが黄色の彼岸花も見かけました。
クリックすると拡大

黄色の彼岸花が植えられていたたところです。赤色の彼岸花の中に黄色の彼岸花が植えられていました。ただし、赤色の彼岸花の花のほとんどが終わっている場所でした。
クリックすると拡大

彼岸花まつりも行われていました。鑑賞会は2017年9月16日(土)~9月24日(日)で、竹細工の実演などのイベントも土・日・祝日に行われていました。
クリックすると拡大
posted by SORI at 23:59| Comment(28) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

セーヌ川クルーズ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
セーヌ川クルーズのその1(乗場から東方向の折り返し点まで)の記事で紹介したようにセーヌ川クルーズの楽しみの一つが、橋の下をくぐることですが、もう一つの楽しみが、橋の上から我々のために手を振ってくれる姿に出会えることです。ここでは特別編として、その「うれしい笑顔」を紹介したいと思います。その2、その3は後日紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

こちらの地図の中央付近の茶色のマーク( )のバトー・ムーシュ乗降場でクルーズ船に乗って先ずは上流方向(右方向)に進み、Uターンして下流方向(左方向)に行き、元の場所に戻ってきます。笑顔で手を振ってくれた人たちに多く出会えたのは沢山の人が来ているシテ島周辺( )でした。シテ島はノートルダム寺院サント・シャペルコンシェルジュリーがあるパリの中心的存在の中州です。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊



最初に手を振る姿に気が付いたのはこちらのプティ・ポン(Petit-Pont)です。
クリックすると拡大

上の写真では手を振る姿は写っていませんが、クルーズ船が近づくと右端の男性のように手を振ってくれました。
クリックすると拡大

写真の左端に移っている男性のようにこたえて船上からも手を振る方がおられました。このあとさらに手を振る方が橋の上からも船上からも増えていきました。歓声も大きくなっていきました。橋からが先なのか船上からが先なのかは分かりませんでしたが、沢山の人たちが手を振ることで楽しんでいるようでした。
クリックすると拡大

次のドゥブル橋(Pont au Double)です。かなり遠くからズームで撮っているので、まだ手を振っている人は見かけませんでした。
クリックすると拡大

最初に気が付いて手を振ってくれたのがこちらの女性でした。拡大しているので大きく写っていますが、まだかなりの距離です。でも船が通り過ぎる最後まで手を振ってくれました。右の女性は我々の船の写真か動画を撮っているようです。上の写真では赤い服の女性と話をしていてまだこちらには気が付いていませんが、そのあとすぐに気が付いて手を振ってくれたのがこの写真です。
クリックすると拡大

船が近づくと手を振る人が増えてきます。こちらが冒頭の写真が、手を振っていない人もみんな笑顔でした。
クリックすると拡大

笑顔で手を振ってくれていますが、手を振っていな人も笑顔でこちらを見てくれています。
クリックすると拡大

上の写真では右端の2人の男性は手を振っていませんでしたが、船が近づいたこちらの写真では手を振ってくれました。
クリックすると拡大

橋に近づいてきました。ノートルダム寺院の尖塔がちょうど中央に写る角度です。やっぱり、手を振ってくれると嬉しいです。
クリックすると拡大

橋をくぐる寸前の写真です。赤いスカーフの女性のように最後まで手を振ってくれひとも多かったです。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院の川沿い人たちも笑顔で迎えてくれていました。右端の家族と思われる人たちは手を振ってくれています。
クリックすると拡大

船がUターン戻り始めて2つ目の橋のマリー橋( Pont Marie)です。シテ島の隣のサン=ルイ島と川の北側を結ぶ橋で観光客もさほど多くはありません。それでも20名くらいの人がこちらを見ていました。
クリックすると拡大

マリー橋でもクルーズ船が近づくと手を振ってくれました。
クリックすると拡大

近づくと手を振る人も増えてきます。
クリックすると拡大

さらに近づくと中央の男性も手を振ってくれました。
クリックすると拡大

真ん中の男性と左端の女性は船が橋をくぐるまで手を振ってくれました。
クリックすると拡大

マリー橋の次のアルコル橋(Pont d'Arcole)でも手を振る人たちに出会えました。ただしこの写真を撮った時は遠いのでこちらに気が付いておらず皆さん歩いておられました。
クリックすると拡大

我々に気が付いて手を振ってくれる方もあらわれました。
クリックすると拡大

やっぱり笑顔で手を振ってくれると嬉しいです。橋の欄干の隙間か、らこちらを覗いている小さな子供の姿にも癒されます。
クリックすると拡大

橋の欄干の隙間の小さな女の子の顔がよく見える角度の写真も紹介します。小さな女の子も笑顔でした。
クリックすると拡大

今回、笑顔で手を振る人たちの写真を紹介した橋を拡大した地図で紹介します。書いている橋名の順番に紹介いたしました。
 プティ・ポン Petit-Pont
 ドゥブル橋  Pont au Double
 マリー橋   Pont Marie
 アルコル橋  Pont d'Arcole
posted by SORI at 23:59| Comment(28) | セーヌ川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

カシス・マロンとイチジクのタルト

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
久しぶりに貝殻亭(洋菓子店名はソレイユ)のケーキをいたただきました。
2017年9月19日に山口県の墓参りに行くときに叔父さんに渡すお土産のクッキーを買うついでに自分たちが食べるケーキを買いました。
カシス・マロンとイチジクのタルトです。

ケーキは紅茶でいただきました。
クリックすると拡大

カシス・マロンケーキの断面を紹介します。中心部が栗のクリームです。周囲がカシスクリームです。2つのクリームがタルトの上に乗っていました。マロングラッセが中や外側やタルトの中に入ったおいしいケーキでした。
クリックすると拡大

イチジクのタルトの断面も紹介します。イチジクのケーキはよく食べるのですが、今年始めた食べたイチジクのケーキでした。正式名はタルト・フィグフランポワーズです。
クリックすると拡大

断面を紹介するのも目的で半分に切りましたが、両方を食べるのも目的の一つです。
クリックすると拡大

ケーキ以外にこちらも買ってきました。一つ50円です。名前は「ミニカヌレ」です。
クリックすると拡大

こちらも紅茶でいただきました。
クリックすると拡大

叔父さんへのお土産です。左が私の家の近くの貝殻亭で買ってきたお土産のクッキーで、右がいつものお土産の宝塚の実家の近くの佃煮屋さんで買った昆布の佃煮です。
クリックすると拡大

実家用に買ってきた貝殻亭のクッキーです。下の写真は4種類ですが、上の叔父さんへのお土産用の箱には1個づつ10種類ほど入れてもらいました。
クリックすると拡大

2019年9月19日の日帰りで実家の母と行く墓参りも無事に終わり実家の宝塚に戻ってきました。
クリックすると拡大

前日の2017年9月18日は台風が通過した後なので空気が澄んでいて新幹線から見える富士山もきれいでした。
クリックすると拡大

今までに紹介したイチジクが使われたスイーツを紹介したいと思います。最初の2枚は同じ貝殻亭のイチジクのタルトです。左が2015年で右が2016年です。毎年進化してきているのかもしれません。お店の名前をクリックするとその時の記事を表示します。写真をクリックすると拡大いたしました。
  貝殻亭(2015年)           貝殻亭(2016年)
クリックすると拡大クリックすると拡大
  御影高杉              ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋
クリックすると拡大クリックすると拡大
posted by SORI at 23:59| Comment(20) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

セーヌ川クルーズ その1

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
7日間のフランス旅行で最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズとなりました。その7日目は最初にオルセー美術館に行き館内でランチを食べた後にサント・シャペルとコンシェルジュリーと見学いたしました。シテ島の中で乗船場を探しましたが結局見つからなくて、WiFiのつながるところに行き、娘がスマホでクルーズの乗場を検索してなんとかセーヌ川クルーズが実現いたしました。着色文字をクリックすると今までに掲載した記事を表示します。
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 パリ チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416・パリ→成田

下記の地図で茶色のマーク( )のところがセーヌ川クルーズ乗降場で、エッフェル塔の近く近くでした。シテ島からは地下鉄で行きました。フランス旅行も7日目ともなると地下鉄の移動もスムーズに出来るようになったので無駄な時間は少なくて済みました。他のマークは7日目に行ったところです。セーヌ川クルーズのルートも書き込みました。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 オルセー美術館
 サント・シャペル
 コンシェルジュリー
 パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊


クルーズ船の会社名はBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)で、パリの遊覧船としてはもっとも有名な会社だそうです。 Bateaux(バトー)はボートで、Mouche(ムーシュ)はハエ(昆虫)なので直訳するとハエ・ボートという意味になります。この名前は、当初ボートがリヨンのMouche地区で製造されていたことに由来するそうです。
クリックすると拡大

こちらがチケット売り場です。表示から次の船は33分後の15時15分でした。その次は16時00分(16:00)で、その後は16:45,17:30,18:00,18:30,19:00,19:30,20:00,20:30,21:00,21:20,21:40,22:00,22:30,23:00でした。今は45分ごとの出航ですが、17時30分からは30分ごとの出航になり21時からは20分ごと出航になっていることから人気の時間帯がわかります。写真をクリックすると時刻表が分かると思います。
クリックすると拡大

こちらがチケットです。時間は90分間と十分楽しめるクルーズでありながら、料金は13.5ユーロ(1790円)でした。今回の旅行で唯一安く感じた価格でした。
クリックすると拡大

改札機を通ったところが船を待つ場所です。我々はいい席に座りたかったので最初に乗れる位置に陣取りました。
クリックすると拡大

こちらが船の待合広場です。
クリックすると拡大

乗船を待つ場所からはエッフェル塔がよく見えました。
クリックすると拡大

我々が乗る船が付いて前のお客さんが降りているところです。目の前の階段を下りて船に乗りますが我々が先頭集団に陣取っていることが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

進行方向の一番前の席に座りました。それも右端の2つです。右側にするか左側にするか迷いましたが右端にいたしました。
クリックすると拡大

積に座って船が出発前に進行方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

動き始めて振り返ると周囲はほぼ満席でした。
セーヌ川クルーズでこれから掲載させていただく写真は約150枚になることから4つの記事で紹介したいと思います。
本記事では①の乗場から東方向の折り返し地点までを紹介します。途中にオルセー美術館やノートルダム寺院があります。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。
クリックすると拡大

こちらは出発して最初の橋であるアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。1855年のパリ万国博覧会のために1854年建設が始まり丹前に完成したのは1856年でした。
 橋名 アンヴァリッド橋(Pont des Invalides)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 152m
 幅  18m
 建設 1854年~1956年
クリックすると拡大

橋の右側にはガラス張りの建物であるグラン・パレ(Grand Palais)がありました。1900年のパリ万博万国博覧会のために建てらました。
クリックすると拡大

もともとこの場所には1829年に完成した吊り橋がありましたが老朽化で架け替えられましたが、その時の中央の橋脚を新しく作ったそうです。両側の橋脚は吊り橋時代の橋脚を利用したそうです。クリックすると橋の両端も入れた全長を表示しのす。
クリックすると拡大

3つの橋脚の中央の部分の飾りです。この飾りは「海の勝利」と名付けられていて反対側の上流側には「陸の勝利」と呼ばれる像が同じように飾られています。上流側が「陸」に対して下流側がだから「海」と名付けられたように思えました。
クリックすると拡大

セーヌ川クルーズの楽しみの一つが橋の下をくぐる(潜る)ことです。大きなクルーズ船が橋の下ギリギリをくぐるときは迫力があります。
クリックすると拡大

それでは橋の下をくぐっている時の写真を紹介します。セーヌ川の上流に向かっています。
クリックすると拡大

次の橋はアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)です。1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設された橋です。川に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしているのが特徴です。4本の柱の上に金色の像が飾られているのが印象的でした。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも大きな写真で橋の景観を楽しんでみてください。
 橋名 アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 115m
 幅  40m
 建設 1896年~1900年
クリックすると拡大

中央の「セーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)」と名付けられた装飾は見事でした。作者はGeorges Réciponだそうです。アールヌーヴォーの街灯も見事です。パリ万博のために作られた贅を尽くした橋でした
クリックすると拡大

見事な作品なので拡大いたしました。
クリックすると拡大

橋の4隅の高さ17mの上の金色の像には下記の名前が付けられています。後ろの名前は作者です。それぞれ別の芸術家がデザインしたものでした。
 芸術 Emmanuel Frémiet
 農業 Gustave Michel
 闘争 Pierre Granet
 戦争 Clément Steiner
クリックすると拡大

大きな写真で金色の像を紹介します。
クリックすると拡大

アレクサンドル3世橋の下をくぐる写真も掲載いたします。我々の前の手摺も一緒に写しました。橋に手が届きそうです。もちろん届きません。
クリックすると拡大

次の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。ここまでの3つの橋の中では一番古い橋です。1791年は江戸時代の寛政3年です。明治が始まったのが1868年1月25日なので明治時代が始まる77年前に、この橋が作られたことになります。コンコルド橋の交通量は非常に多いので1930年~1932年にかけて橋の幅を2倍にする拡幅工事が行われたそうです。
 橋名 コンコルド橋(Pont de la Concorde)
 形式 アーチ橋
 材料 石・コンクリート
 全長 153m
 幅  34m
 建設 1787年~1791年
クリックすると拡大

ここに来ると観覧車が大きく見えてきました。
クリックすると拡大

コンコルド橋に近づいてきました。
クリックすると拡大

コンコルド橋をくぐる写真も紹介します。
クリックすると拡大

コンコルド橋をくぐってすぐに振り返って撮った写真です。
クリックすると拡大

コンコルド橋の次は斬新なレオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)です。ソルフェリーノ橋(Pont de Solférino)とも言われています。右側の建物がこの日の午前中に行ったオルセー美術館で、記事でも紹介いたしました。このあたりから歴史的建造物が多く出てきます。
クリックすると拡大

この橋は1999年に歩道橋として作られたものです。元々ここにはナポレオン3世が除幕(1861年)した大きなソルフェリーノ橋がありました。ソルフェリーノ橋の名前は1859年のソルフェリーノの戦いでの勝利を記念したものでした。その橋が川船の衝突などで脆くなってきたために1961年~1992年まで歩道橋に架け替て使われていましたが、さらに今の橋に替わったようです。この橋の設計者は、この斬新な橋により1999年の銀の定規賞(Équerre d'Argent)を受賞したそうです。
 橋名 レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄・木材
 全長 106m
 幅  15m
 建設 1997-1999年
クリックすると拡大

この橋をくぐる雰囲気を味わってください。
クリックすると拡大

橋をくぐるとオルセー美術館の全体が見えてきました。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。
クリックすると拡大

オルセー美術館の外観で魅力的なのがこの大時計が2つあることです。こちらの大時計はセーヌ川で言えば下流側の大時計です。
クリックすると拡大

上流側の大時計と駅舎の外観を残す景観です。
クリックすると拡大

こちらが上流側の大時計です。駅舎自体はエッフェル塔の7500トンの鉄骨をしのぐ12000トンの鉄骨で出来ていますが、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。
クリックすると拡大

こちらが次のロワイヤル橋(Pont Royal)です。クリックすると橋の全長の拡大写真を表示します。その全長の写真はレオポール・セダール・サンゴール橋をくくる前に橋の下から撮ったものです。是非ともクリックしてほしいです。こちらも日本の江戸時代の橋で明治時代に入る179年前の橋です。今から328年前の橋になります。
 橋名 ロワイヤル橋(Pont Royal)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 110m
 幅  16m
 建設 1685年~1689年
クリックすると拡大

左側の建物はルーブル美術館です。ルーヴル美術館はフランス王フィリップ2世が12世紀に建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)です。見えているのは巨大な建物の本の一部です。
クリックすると拡大

橋脚は4つの橋です。その橋脚部分です。こちらは下流側ですが上流側も同じ形なので橋脚の保護だけでなく川の水をスムーズに流すための三角形の構造物だと思われます。
クリックすると拡大

ロワイヤル橋をくぐる雰囲気をお伝えします。
クリックすると拡大

橋の下をくぐっているところです。次のカルーゼル橋(Pont du Carrousel)も橋の下からだと全長が撮れます。カルーゼル橋は次の通りです。新しい橋ですが元の橋は1831年に作られましたが幅が狭く、危険なほどぐらぐらしていたために今の橋が作られました。橋脚は2つです。
 橋名 カルーゼル橋(Pont du Carrousel)
 形式 アーチ橋
 材料 コンクリート
 全長 168m
 幅  33m
 建設 1935年~1939年
クリックすると拡大

我々が1日目の夕刻にカルーゼル橋から撮ったクルーズ船です。別のタイプですが、似たクルーズ船で椅子の色もオレンジ色なので我々が乗ったバトー・ムーシュ社のクルーズ船だと思われました。我々が乗った船は、この船より2階席が長くて前に下りる階段が無いタイプでした。このクルーズ船の船名を調べてみるとLe Mulet Coureauで、我々が乗ったクルーズ船の船名はL'espoir(La Galére)でした。見えている橋はロワイヤル橋(Pont Royal)で、左に見えている建物はオルセー美術館です。
クリックすると拡大

橋の左側はルーブル美術館です。
クリックすると拡大

ルーブル美術館の建物を拡大いたしました。
クリックすると拡大

カルーゼル橋をくぐっている写真です。潜っているカルーゼル橋を含めて5つの橋が写っています。4つの橋は手前からポンデザール、ポンヌフ、シャンジュ橋、ノートルダム橋です。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

こちらが1984年に作られたポンデザール(Pont des Arts)です。最初の橋も歩道橋として1804年に9連のアーチ橋として作られましたが、1918年と1944年の2回の爆撃と、1961年と1970年の2回の船の衝突で1977年に橋は閉鎖されていましたが、1979年のさらなる船が衝突で60mにわたって崩壊したために新しい橋が作られたそうです。輸送船の往来が多いところは頑丈な橋にすることが重要なことだと認識した事象でした。
 橋名 ポンデザール(Pont des Arts)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 155m
 幅  11m
 建設 1982年~1984年
クリックすると拡大

この建物はフランス学士院(Institut de France)で、フランスの国立アカデミーです。学士院の前身はフランス王立アカデミーで、17世紀に絶対王政のもとでそれぞれ個別に設立された組織だそうです。
クリックすると拡大

ポンデザールをくぐる寸前の写真です。
クリックすると拡大

ここでセーヌ川は2つに分かれます。川の中州であるシテ島によって川が分かれるのです。我々のクルーズ船は右側の川を進みます。島を貫いている橋はポンヌフ(Pont Neuf)です。ポンヌフは410歳とパリに現存する最古の橋です。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
 橋名 ポンヌフ(Pont Neuf)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 238m
 幅  22m
 建設 1578年~1607年
クリックすると拡大

右側の幅の狭い方のセーヌ川に入っていきます。帰りは左側の川を通って戻ってきます。
クリックすると拡大

小さい方の橋でも4つの橋脚があります。この頑丈さによった410年間も耐え抜いてきたのではないかと感じました。
クリックすると拡大

ポンヌフに近づきました。これより先がパリの中心になっていきます。
クリックすると拡大

沢山の顔の彫刻がありました。全て違う顔のようです。写真には4つの顔が写っていますが、クリックすると6つの顔の彫刻が写った写真が表示されます。
クリックすると拡大

橋の下をくぐる写真です。
クリックすると拡大

さすがパリの中心です。古い建物が並んでいます。川は左に曲がります。
クリックすると拡大

川の右側の景色です。
クリックすると拡大

こちらは左側の景色です。
クリックすると拡大

次の橋が大きくなってきました。
クリックすると拡大

この橋はサン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)です。1378年に初めて橋がかけられて以来、数回架け替えが行われて現在架かっている橋は1857年に作られました。
 橋名 サン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)
 形式 アーチ橋
 全長 62m
 幅  30m
 建設 1857年
クリックすると拡大

見事な建物が続きました。内装は新しくしても、建物の外観は昔のままに使い続けられているそうです。マンションとして使われることが多く古いほど高額だそうです。
クリックすると拡大

サン=ミッシェルに近づいてきました。
クリックすると拡大

ここでも橋をくぐる雰囲気を味わってください。
クリックすると拡大

橋をくぐると次の橋とノートルダム寺院が見えてきます。
クリックすると拡大

橋の名前はプティ・ポン(Petit-Pont)です。
 橋名 プティ・ポン(Petit-Pont)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 32m
 幅  20m
 建設 1853年
クリックすると拡大

セーヌ川の右横の道路の下には不思議な空間がありました。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院も大きく見えてきました。
クリックすると拡大

橋の上とバスの上から我々のクルーズ船を見ています。橋をくぐる寸前です。
クリックすると拡大

橋をくぐるとノートルダム寺院が目の前に現れました。
クリックすると拡大

立ち上がって写真を撮ったりする人も急に増えました。
クリックすると拡大

次の橋はドゥブル橋(Pont au Double)です。
 橋名 ドゥブル橋(Pont au Double)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 45m
 幅  20m
 建設 1881年~1883年
クリックすると拡大

沢山の人がこちらを見てくれていました。
クリックすると拡大

ドゥブル橋をくぐるとノートルダム寺院が真横から大きく見えてきました。
クリックすると拡大

皆さん立ち上がって写真を撮っていました。
クリックすると拡大

一番歓声が上がっていたと思います。
クリックすると拡大

ほぼ真横です。
クリックすると拡大

川岸の人もにこやかにこちらを見ていました。スマホで写真を撮っている人もおられました。
クリックすると拡大

尖塔の高さ96 mです。尖塔の先端を撮りました。
クリックすると拡大

私はこの角度が好きです。地上からは何度も撮りましたが、クルーズ船に乗って川の中から撮ったのは初めてでした。
クリックすると拡大

船は離れていきます。
クリックすると拡大

名残惜しい瞬間です。
クリックすると拡大

次のアルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)は補修工事中でした。
 橋名 アルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 68m
 幅  17m
 建設 1828年
クリックすると拡大

アルシュヴェシェ橋をくぐっている写真です。
クリックすると拡大

橋をくぐると次の橋であるトゥルネル橋(Pont de la Tournelle)が見えてきます。上の写真に比べて橋が小さく写っているのは広角で撮っているからです。座っている席から広角で撮ると手摺が写ってしまいます。
シテ島の最後部分が写っています。シテ島の先にサン=ルイ島(île Saint-Louis)が写っています。トゥルネル橋の左の陸地がサン=ルイ島です。
クリックすると拡大

船の後ろ方向を見るとノートルダム寺院がまだ見えました。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院を拡大いたしました。
クリックすると拡大

トゥルネル橋です。
 橋名 トゥルネル橋(Pont de la Tournelle)
 形式 アーチ橋
 材料 鉄筋コンクリート
 全長 122m
 幅  23m
 建設 1928年~1930年
クリックすると拡大

橋をくぐってきた輸送船は左に曲がっています。我々が通ってきた水路は幅が狭いので広い方に移っているのだと思います。
クリックすると拡大

サン=ルイ島(île Saint-Louis)にも沢山の古い建物が建っていました。見えている橋はトゥルネル橋です。
クリックすると拡大

トゥルネル橋をくぐっている写真です。見えている橋はシュリー橋(Pont de Sully)です。
クリックすると拡大

シュリー橋は川を45度で斜めに横断しています。左側はかなり遠くになります。シュリー橋はサン=ルイ島を貫く形で2つの橋で構成されています。この橋が出来る前も歩行者用の吊り橋がありましたが、1つは1848年革命のときに破壊され、もう1つは1872年にケーブルの腐食で崩壊したそうです。今は車が通れる大きな橋です。鋼鉄製の橋はよくありますが、鋳鉄製の橋は珍しいです。
 橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 256m
 幅  20m
 建設 1874年~1876年
クリックすると拡大

アルシュヴェシェ橋、トゥルネル橋、シュリー橋あたりの地図です。シュリー橋が斜めに横断していることやシテ島とサン=ルイ島の関係も判りやすいと思います。


橋が川を斜めに横断しているのが分かってもらえるでしょうか。
クリックすると拡大

シュリー橋をくぐる写真も掲載いたします。
クリックすると拡大

シュリー橋の次はオステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)でした。このあたりになると建物も新しいものになってきました。
オステルリッツ橋は新しく見えましたが建設は1800年代と、意外と古かったです。鉄骨に見えたのはもう一つ奥にあるシャルル・ド・ゴール橋(Pont Charles-de-Gaulle)でそちらは1996年に完成いたしました。驚いたことにオステルリッツ橋は煉瓦(レンガ)で出来た橋でした。
 橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
 形式 アーチ橋
 材料 煉瓦
 全長 173.8m
 幅  30m
 建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
クリックすると拡大

煉瓦造りのオステルリッツ橋の一部を拡大いたしました。クリックすると全長を表示します。
クリックすると拡大

古い建物群でなくなってきたので、皆さんも座って落ち着いてゆったりとされていました。遠くに、くぐってきたシュリー橋が見えます。
クリックすると拡大

記念写真もゆっくりと撮れる雰囲気でした。もう少し進んだ川幅が広い場所でクルーズ船がUターンいたしました。
クリックすると拡大

Google地図でセーヌ川の源流から河口までを紹介します。左下のマイナスのアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。
クリックすると拡大右の写真はセーヌ川の源(Sources de la seine)に設置された石像です。
 ━━ セーヌ川本流(源流~河口)
  セーヌ川の源(Sources de la seine/翻訳)
  パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
  セーヌ川河口
  バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所

追伸
2017年9月18日早朝から9月23日まで関西に行っています。その間は皆さんのところに訪問できないことお許しください。
posted by SORI at 09:50| Comment(20) | TrackBack(0) | セーヌ川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

新千歳空港でお土産を買いながらランチとソフトクリーム

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
先日の記事で紹介したように初めてJR北海道に乗って新千歳空港に行きました。フライトは13時35分発だったので長男家族が私を送ってくれることを兼ねて空港でランチとアイスクリームを食べるのも目的でした。車で出発しましたが空港まで行かなかったのは、この日が千歳基地航空祭で道が渋滞していたために3駅手前の長都駅(おさつ駅)に車を駐車して、確実に行くためでした。

空港に着いて、先ずはチェックインカウンターに行きましたが、今回のLCCの場合はチェックイン開始は2時間前だったことからアイスクリームを食べるためにアイスクリーム店に向かいました。こちらが最初に食べたアイスクリームでした。「最初に」と書いたのは、いくつもアイスクリーム店を回るつもりだったからです。
こちらのソフトクリームは空港で唯一買ったお土産である「焼きたてチーズタルト」を買ったKINOTOYA(きのとや)の「極上牛乳ソフト」です。
クリックすると拡大

せっかく北海道に来たのでランチはジンギスカンにいたしました。入ったお店は松尾ジンギスカン新千歳空港店でした。メニューの中から2種類3人前を頼みました。注文したのはラムリブロースジンギスカンと特上ラムジンギスカンでした。
クリックすると拡大

さっそくいただきました。
クリックすると拡大

食べている間に、私だけ抜け出してチェックインを済ませてきました。
クリックすると荷物タグ表示

息子は車の運転があるので私だけビールをいただきました。
クリックすると拡大

沢山のお土産店を見て回って今人気の焼きたてチーズタルトを買いました。早朝にmorimptoでお土産を買ってあったので、空港での土産はチーズタルト(洋菓子きのとや)だけになりました。まだ時間があったのでStarbucksでコヒーを飲みながら第2弾のアイスクリームを買ってきてもらいました。
クリックすると拡大

こちらが2個目のアイスクリームです。いくつも食べるつもりでしたが、ランチも食べてしまったこともあり、食べれたのは2種類だけになってしまいました。
クリックすると拡大
posted by SORI at 19:42| Comment(12) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

朝食はmorimotoのパン

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
北海道ツアーから帰る日の朝食は千歳で評判のお店で焼きたてパンを買ってきて長男宅で食べることになりました。朝8時に開店なので丁度8時に着くように出発いたしました。上の写真が焼きたてパンを調達したお店morimotoです。こちらで、それぞれが好きなパンを買いました。
このmorimoto(もりもと)は戦後の食糧難だった時代に配給された材料でパンやお菓子を作ったことから始めたそうです。

クリックすると拡大家に帰ってきて朝食は8時30分からとなりました。小さな子がいると家で食べると落ち着きます。買ってきたパンがこちらです。2歳児もいるのでサンドイッチも買ってきました。余談ですがこちらのお店は焼きたてパンを打っているお店では珍しくカードが使えるので便利でした。
クリックすると拡大

いろんな種類のパンを食べたかったので包丁で切って4人(大人3人 2歳児1人)で食べました。
クリックすると拡大

カレーパンだけは切るわけにいかないので私がいただきました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大2歳児用のパンも買いました。小さい子でも両手で持てる器に牛乳が入れられていました。最近は幼児用の便利なグッツが沢山あります。我々の時代にはなかったです。パンが乗っているトレーはアヒルの子供の形のようです。
クリックすると拡大

我々はコーヒーでパンをいただきました。朝食をとった後に空港に向かいました。そして珍しい駅名の長都(おさつ)駅から電車に乗る機会がありました。
我家でも正月など、みんなが集まった時にはパンを買ってきて食べたり、みんなでお店に行って食べました。
クリックすると拡大

広い店内には焼きたてパンだけでなくスイーツも沢山売られていました。お土産も買うことにいたしまクリックすると拡大した。
買ったお土産を紹介します。こちらはトマトのゼリーとメロンのゼリーとジャガイモのスイーツです。
右の店内の写真は酪農学園大学のホームページの写真を転用させていただきました。
クリックすると拡大

どら焼きも充実したのでいろんな種類を1つづつ買いました。スイート類も全てmorimotoのブランドでした。スイーツのお土産に関してはあらためて紹介したいと思います。クレジットカードが使えたのはこのようなお土産も買えるお店だったからかもしれません。空港にもお店(新千歳空港店)を出していました。ただし、そちらはパンはなくてスイーツだけでした。
クリックすると拡大

お店と、お店の場所を紹介します。
 もりもと本店 焼きたてパンと土産
          住所 北海道千歳市千代田町4-12-1
          電話 0123-23-4181
          営業 8:00~19:30
          定休 無休
          創業 1949年10月
 味の一平   味噌ラーメン
 うおはん   夕食用の食材の調達
 新千歳空港  ランチとアイスクリーム
 ━━ JR北海道  長都駅→新千歳空港駅
ラベル:バン 北海道
posted by SORI at 21:04| Comment(20) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング