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の場合はクリックすると拡大します。
7日間のフランス旅行で最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズとなりました。その7日目は最初にオルセー美術館に行き館内でランチを食べた後にサント・シャペルとコンシェルジュリーと見学いたしました。シテ島の中で乗船場を探しましたが結局見つからなくて、WiFiのつながるところに行き、娘がスマホでクルーズの乗場を検索してなんとかセーヌ川クルーズが実現いたしました。着色文字をクリックすると今までに掲載した記事を表示します。
1日目
JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
2日目
モンサンミッシェル オンフルール 3日目 モンサンミッシェル
4日目
ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
5日目
ヴェルサイユ宮殿 パリ チョコレート店2ケ所
6日目
ロワールの城めぐり 7日目
オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー下記の地図で茶色のマーク(

)のところがセーヌ川クルーズ乗降場で、エッフェル塔の近く近くでした。シテ島からは地下鉄で行きました。フランス旅行も7日目ともなると地下鉄の移動もスムーズに出来るようになったので無駄な時間は少なくて済みました。他のマークは7日目に行ったところです。セーヌ川クルーズのルートも書き込みました。
━━ セーヌ川クルーズ

セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)

オルセー美術館

サント・シャペル

コンシェルジュリー

パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊
クルーズ船の会社名はBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)で、パリの遊覧船としてはもっとも有名な会社だそうです。 Bateaux(バトー)はボートで、Mouche(ムーシュ)はハエ(昆虫)なので直訳するとハエ・ボートという意味になります。この名前は、当初ボートがリヨンのMouche地区で製造されていたことに由来するそうです。

こちらがチケット売り場です。表示から次の船は33分後の15時15分でした。その次は16時00分(16:00)で、その後は16:45,17:30,18:00,18:30,19:00,19:30,20:00,20:30,21:00,21:20,21:40,22:00,22:30,23:00でした。今は45分ごとの出航ですが、17時30分からは30分ごとの出航になり21時からは20分ごと出航になっていることから人気の時間帯がわかります。写真をクリックすると時刻表が分かると思います。

こちらがチケットです。時間は90分間と十分楽しめるクルーズでありながら、料金は13.5ユーロ(1790円)でした。今回の旅行で唯一安く感じた価格でした。

改札機を通ったところが船を待つ場所です。我々はいい席に座りたかったので最初に乗れる位置に陣取りました。

こちらが船の待合広場です。

乗船を待つ場所からはエッフェル塔がよく見えました。

我々が乗る船が付いて前のお客さんが降りているところです。目の前の階段を下りて船に乗りますが我々が先頭集団に陣取っていることが分かってもらえると思います。

進行方向の一番前の席に座りました。それも右端の2つです。右側にするか左側にするか迷いましたが右端にいたしました。

積に座って船が出発前に進行方向を撮った写真です。

動き始めて振り返ると周囲はほぼ満席でした。
セーヌ川クルーズでこれから掲載させていただく写真は約150枚になることから4つの記事で紹介したいと思います。
本記事では①の乗場から東方向の折り返し地点までを紹介します。途中にオルセー美術館やノートルダム寺院があります。
①
その1 乗場から東方向の折り返し点まで
②
その2 東折り返し点から乗場付近まで
③
その3 乗場付近から西方向
④
特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

こちらは出発して最初の橋であるアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。1855年のパリ万国博覧会のために1854年建設が始まり丹前に完成したのは1856年でした。
橋名 アンヴァリッド橋(Pont des Invalides)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 152m
幅 18m
建設 1854年~1956年

橋の右側にはガラス張りの建物であるグラン・パレ(Grand Palais)がありました。1900年のパリ万博万国博覧会のために建てらました。

もともとこの場所には1829年に完成した吊り橋がありましたが老朽化で架け替えられましたが、その時の中央の橋脚を新しく作ったそうです。両側の橋脚は吊り橋時代の橋脚を利用したそうです。クリックすると橋の両端も入れた全長を表示しのす。

3つの橋脚の中央の部分の飾りです。この飾りは「海の勝利」と名付けられていて反対側の上流側には「陸の勝利」と呼ばれる像が同じように飾られています。上流側が「陸」に対して下流側がだから「海」と名付けられたように思えました。

セーヌ川クルーズの楽しみの一つが橋の下をくぐる(潜る)ことです。大きなクルーズ船が橋の下ギリギリをくぐるときは迫力があります。

それでは橋の下をくぐっている時の写真を紹介します。セーヌ川の上流に向かっています。

次の橋はアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)です。1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設された橋です。川に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしているのが特徴です。4本の柱の上に金色の像が飾られているのが印象的でした。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも大きな写真で橋の景観を楽しんでみてください。
橋名 アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 115m
幅 40m
建設 1896年~1900年

中央の「セーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)」と名付けられた装飾は見事でした。作者はGeorges Réciponだそうです。アールヌーヴォーの街灯も見事です。パリ万博のために作られた贅を尽くした橋でした

見事な作品なので拡大いたしました。

橋の4隅の高さ17mの上の金色の像には下記の名前が付けられています。後ろの名前は作者です。それぞれ別の芸術家がデザインしたものでした。
芸術 Emmanuel Frémiet
農業 Gustave Michel
闘争 Pierre Granet
戦争 Clément Steiner

大きな写真で金色の像を紹介します。

アレクサンドル3世橋の下をくぐる写真も掲載いたします。我々の前の手摺も一緒に写しました。橋に手が届きそうです。もちろん届きません。

次の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。ここまでの3つの橋の中では一番古い橋です。1791年は江戸時代の寛政3年です。明治が始まったのが1868年1月25日なので明治時代が始まる77年前に、この橋が作られたことになります。コンコルド橋の交通量は非常に多いので1930年~1932年にかけて橋の幅を2倍にする拡幅工事が行われたそうです。
橋名 コンコルド橋(Pont de la Concorde)
形式 アーチ橋
材料 石・コンクリート
全長 153m
幅 34m
建設 1787年~1791年

ここに来ると観覧車が大きく見えてきました。

コンコルド橋に近づいてきました。

コンコルド橋をくぐる写真も紹介します。

コンコルド橋をくぐってすぐに振り返って撮った写真です。

コンコルド橋の次は斬新なレオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)です。ソルフェリーノ橋(Pont de Solférino)とも言われています。右側の建物がこの日の午前中に行ったオルセー美術館で、記事でも紹介いたしました。このあたりから歴史的建造物が多く出てきます。

この橋は1999年に歩道橋として作られたものです。元々ここにはナポレオン3世が除幕(1861年)した大きなソルフェリーノ橋がありました。ソルフェリーノ橋の名前は1859年のソルフェリーノの戦いでの勝利を記念したものでした。その橋が川船の衝突などで脆くなってきたために1961年~1992年まで歩道橋に架け替て使われていましたが、さらに今の橋に替わったようです。この橋の設計者は、この斬新な橋により1999年の銀の定規賞(Équerre d'Argent)を受賞したそうです。
橋名 レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄・木材
全長 106m
幅 15m
建設 1997-1999年

この橋をくぐる雰囲気を味わってください。

橋をくぐるとオルセー美術館の全体が見えてきました。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。

オルセー美術館の外観で魅力的なのがこの大時計が2つあることです。こちらの大時計はセーヌ川で言えば下流側の大時計です。

上流側の大時計と駅舎の外観を残す景観です。

こちらが上流側の大時計です。駅舎自体はエッフェル塔の7500トンの鉄骨をしのぐ12000トンの鉄骨で出来ていますが、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。

こちらが次のロワイヤル橋(Pont Royal)です。クリックすると橋の全長の拡大写真を表示します。その全長の写真はレオポール・セダール・サンゴール橋をくくる前に橋の下から撮ったものです。是非ともクリックしてほしいです。こちらも日本の江戸時代の橋で明治時代に入る179年前の橋です。今から328年前の橋になります。
橋名 ロワイヤル橋(Pont Royal)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 110m
幅 16m
建設 1685年~1689年

左側の建物はルーブル美術館です。ルーヴル美術館はフランス王フィリップ2世が12世紀に建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)です。見えているのは巨大な建物の本の一部です。

橋脚は4つの橋です。その橋脚部分です。こちらは下流側ですが上流側も同じ形なので橋脚の保護だけでなく川の水をスムーズに流すための三角形の構造物だと思われます。

ロワイヤル橋をくぐる雰囲気をお伝えします。

橋の下をくぐっているところです。次のカルーゼル橋(Pont du Carrousel)も橋の下からだと全長が撮れます。カルーゼル橋は次の通りです。新しい橋ですが元の橋は1831年に作られましたが幅が狭く、危険なほどぐらぐらしていたために今の橋が作られました。橋脚は2つです。
橋名 カルーゼル橋(Pont du Carrousel)
形式 アーチ橋
材料 コンクリート
全長 168m
幅 33m
建設 1935年~1939年

我々が1日目の夕刻にカルーゼル橋から撮ったクルーズ船です。別のタイプですが、似たクルーズ船で椅子の色もオレンジ色なので我々が乗ったバトー・ムーシュ社のクルーズ船だと思われました。我々が乗った船は、この船より2階席が長くて前に下りる階段が無いタイプでした。このクルーズ船の船名を調べてみるとLe Mulet Coureauで、我々が乗ったクルーズ船の船名はL'espoir(La Galére)でした。見えている橋はロワイヤル橋(Pont Royal)で、左に見えている建物はオルセー美術館です。

橋の左側はルーブル美術館です。

ルーブル美術館の建物を拡大いたしました。

カルーゼル橋をくぐっている写真です。潜っているカルーゼル橋を含めて5つの橋が写っています。4つの橋は手前からポンデザール、ポンヌフ、シャンジュ橋、ノートルダム橋です。


こちらが1984年に作られたポンデザール(Pont des Arts)です。最初の橋も歩道橋として1804年に9連のアーチ橋として作られましたが、1918年と1944年の2回の爆撃と、1961年と1970年の2回の船の衝突で1977年に橋は閉鎖されていましたが、1979年のさらなる船が衝突で60mにわたって崩壊したために新しい橋が作られたそうです。輸送船の往来が多いところは頑丈な橋にすることが重要なことだと認識した事象でした。
橋名 ポンデザール(Pont des Arts)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 155m
幅 11m
建設 1982年~1984年

この建物はフランス学士院(Institut de France)で、フランスの国立アカデミーです。学士院の前身はフランス王立アカデミーで、17世紀に絶対王政のもとでそれぞれ個別に設立された組織だそうです。

ポンデザールをくぐる寸前の写真です。

ここでセーヌ川は2つに分かれます。川の中州であるシテ島によって川が分かれるのです。我々のクルーズ船は右側の川を進みます。島を貫いている橋はポンヌフ(Pont Neuf)です。ポンヌフは410歳とパリに現存する最古の橋です。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
橋名 ポンヌフ(Pont Neuf)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 238m
幅 22m
建設 1578年~1607年

右側の幅の狭い方のセーヌ川に入っていきます。帰りは左側の川を通って戻ってきます。

小さい方の橋でも4つの橋脚があります。この頑丈さによった410年間も耐え抜いてきたのではないかと感じました。

ポンヌフに近づきました。これより先がパリの中心になっていきます。

沢山の顔の彫刻がありました。全て違う顔のようです。写真には4つの顔が写っていますが、クリックすると6つの顔の彫刻が写った写真が表示されます。

橋の下をくぐる写真です。

さすがパリの中心です。古い建物が並んでいます。川は左に曲がります。

川の右側の景色です。

こちらは左側の景色です。

次の橋が大きくなってきました。

この橋はサン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)です。1378年に初めて橋がかけられて以来、数回架け替えが行われて現在架かっている橋は1857年に作られました。
橋名 サン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)
形式 アーチ橋
全長 62m
幅 30m
建設 1857年

見事な建物が続きました。内装は新しくしても、建物の外観は昔のままに使い続けられているそうです。マンションとして使われることが多く古いほど高額だそうです。

サン=ミッシェルに近づいてきました。

ここでも橋をくぐる雰囲気を味わってください。

橋をくぐると次の橋とノートルダム寺院が見えてきます。

橋の名前はプティ・ポン(Petit-Pont)です。
橋名 プティ・ポン(Petit-Pont)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 32m
幅 20m
建設 1853年

セーヌ川の右横の道路の下には不思議な空間がありました。

ノートルダム寺院も大きく見えてきました。

橋の上とバスの上から我々のクルーズ船を見ています。橋をくぐる寸前です。

橋をくぐるとノートルダム寺院が目の前に現れました。

立ち上がって写真を撮ったりする人も急に増えました。

次の橋はドゥブル橋(Pont au Double)です。
橋名 ドゥブル橋(Pont au Double)
形式 アーチ橋
材料 鋳鉄
全長 45m
幅 20m
建設 1881年~1883年

沢山の人がこちらを見てくれていました。

ドゥブル橋をくぐるとノートルダム寺院が真横から大きく見えてきました。

皆さん立ち上がって写真を撮っていました。

一番歓声が上がっていたと思います。

ほぼ真横です。

川岸の人もにこやかにこちらを見ていました。スマホで写真を撮っている人もおられました。

尖塔の高さ96 mです。尖塔の先端を撮りました。

私はこの角度が好きです。地上からは何度も撮りましたが、クルーズ船に乗って川の中から撮ったのは初めてでした。

船は離れていきます。

名残惜しい瞬間です。

次のアルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)は補修工事中でした。
橋名 アルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 68m
幅 17m
建設 1828年

アルシュヴェシェ橋をくぐっている写真です。

橋をくぐると次の橋であるトゥルネル橋(Pont de la Tournelle)が見えてきます。上の写真に比べて橋が小さく写っているのは広角で撮っているからです。座っている席から広角で撮ると手摺が写ってしまいます。
シテ島の最後部分が写っています。シテ島の先にサン=ルイ島(île Saint-Louis)が写っています。トゥルネル橋の左の陸地がサン=ルイ島です。

船の後ろ方向を見るとノートルダム寺院がまだ見えました。

ノートルダム寺院を拡大いたしました。

トゥルネル橋です。
橋名 トゥルネル橋(Pont de la Tournelle)
形式 アーチ橋
材料 鉄筋コンクリート
全長 122m
幅 23m
建設 1928年~1930年

橋をくぐってきた輸送船は左に曲がっています。我々が通ってきた水路は幅が狭いので広い方に移っているのだと思います。

サン=ルイ島(île Saint-Louis)にも沢山の古い建物が建っていました。見えている橋はトゥルネル橋です。

トゥルネル橋をくぐっている写真です。見えている橋はシュリー橋(Pont de Sully)です。

シュリー橋は川を45度で斜めに横断しています。左側はかなり遠くになります。シュリー橋はサン=ルイ島を貫く形で2つの橋で構成されています。この橋が出来る前も歩行者用の吊り橋がありましたが、1つは1848年革命のときに破壊され、もう1つは1872年にケーブルの腐食で崩壊したそうです。今は車が通れる大きな橋です。鋼鉄製の橋はよくありますが、鋳鉄製の橋は珍しいです。
橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
形式 アーチ橋
材料 鋳鉄
全長 256m
幅 20m
建設 1874年~1876年

アルシュヴェシェ橋、トゥルネル橋、シュリー橋あたりの地図です。シュリー橋が斜めに横断していることやシテ島とサン=ルイ島の関係も判りやすいと思います。
橋が川を斜めに横断しているのが分かってもらえるでしょうか。

シュリー橋をくぐる写真も掲載いたします。

シュリー橋の次はオステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)でした。このあたりになると建物も新しいものになってきました。
オステルリッツ橋は新しく見えましたが建設は1800年代と、意外と古かったです。鉄骨に見えたのはもう一つ奥にあるシャルル・ド・ゴール橋(Pont Charles-de-Gaulle)でそちらは1996年に完成いたしました。驚いたことにオステルリッツ橋は煉瓦(レンガ)で出来た橋でした。
橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
形式 アーチ橋
材料 煉瓦
全長 173.8m
幅 30m
建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年

煉瓦造りのオステルリッツ橋の一部を拡大いたしました。クリックすると全長を表示します。

古い建物群でなくなってきたので、皆さんも座って落ち着いてゆったりとされていました。遠くに、くぐってきたシュリー橋が見えます。

記念写真もゆっくりと撮れる雰囲気でした。もう少し進んだ川幅が広い場所でクルーズ船がUターンいたしました。

Google地図でセーヌ川の源流から河口までを紹介します。左下の

のアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。

右の写真はセーヌ川の源(
Sources de la seine)に設置された石像です。
━━ セーヌ川本流(源流~河口)
セーヌ川の源(
Sources de la seine/
翻訳)
パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
セーヌ川河口 
バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所
追伸
2017年9月18日早朝から9月23日まで関西に行っています。その間は皆さんのところに訪問できないことお許しください。