2016年09月30日

ムサシの朝の散歩の走る姿が撮れました。2016年9月30日

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

初めての「家もんじゃ」の記事で報告させていただいた通り、2016年9月3日に病院に連れていくほどの痙攣を起こして2週間近くゆっくりとしか歩けない状態が続きました。そしてやっと私の前で走ってくれたのが15日目の9月18日でしたがカメラを持っていなかったので紹介できませんでした。9月21日から9月27日まで関西に行っていて動画を撮ることが出来なかったのですが、やっと今日9月30日の朝の散歩で6時40分に動画を撮ることが出来たので掲載いたしました。帰宅した9月27日の夕方の散歩でも走ってくれたのですが不覚にもカメラを忘れたので報告が今日となりました。
元々、毎日走るわけではないので散歩に出発するときの雰囲気でカメラを持って行くかどうかを決めますが、9月27日は意表を突かれました。
ここ数ケ月での、平均的には走るのは週に2回程度ですが、0回/週の時もあれば、4~5回/週も走る時もあります。
ムサシが家を間違えそうになって一度走るのをやめますが、再度走り始めて家まで戻るので少しだけ動画が途切れます。

上は走っている姿ですが、比較のために歩いている時の動画も紹介します。これよりもゆっくり歩くときもあり、速く歩くときもあります。ゆっくり歩いていますが最後に走り出すので是非とも見ていてください。上の動画は、この動画の最後の部分と、家の前で撮ったものを合わせてものです。
あらためてムサシを紹介します。
 名前  むさし
 犬種  ビーグル 雄
 誕生日 2000年4月4日
 生まれ 神奈川県 日本大学 獣医学部
 年齢  16歳5ケ月26日(9月30日時点) 
 記念日 2000年5月28日(家族となった日)


下の写真は2016年9月14日の夕食で生まれて初めて、家でもんじゃ焼きを作りっている時に掲載したムサシがテーブルを覗き込んでいる写真です。
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ムサシは頸椎系が若い時から弱くて、時々ですが足が不自由になることがあったのです。9月3日は私はゴルフで、家内は弓道で家を長時間開けたのですが、その時に足が動かなくなったようです。我々がいないときに動けなくなったことで、精神的なショックでテンカン症状に発展したようでした。家内が家に戻った時は、玄関のたたきで、完全に動けず、横たわっている状態でした。テンカン症状は我々がいる時に一度経験しているので、精神を安定させる座薬を持っていたのですぐに処置したそうですが、もうだめだと思えるほどの症状だったそうです。私が家に戻って来て車で病院に連れていき、抱っこして病院に入るほどの状態でした。今まで抱っこして病院に入ったことは初めてでした。
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2016年10月2日の朝の散歩も走ってくれました。この日は、いつもより長いコースを歩いて、散歩中に3回も走ってくれたので3つ動画を1本に編集して掲載いたしました。


丁度16歳6ケ月(16歳半)となった2016年10月4日の朝の散歩でも走ってくれました。前日の10月3日も走ってくれたので10月2日から連続3日走ってくれたことになります。9月3日の痙攣の後遺症は無くなったようです。


2016年10月5日の朝の散歩でも走ってくれたので動画を追加します。これで4日連続で走ってくれたことになります。


2016年10月7日の朝の散歩でも走ってくれたので動画を追加します。
プレーボタン( )をクリックすると最初に食卓に前足を乗せておやつをねだる姿が出ます。


こちらは2016年10月12日の朝の散歩です。


2016年10月13日の朝の散歩でも走りました。途中で進む方向を一瞬迷ったところが動画に入っています。10月16日の夕方の散歩でも軽めですが駆け足で走りました。


こちらの動画は2016年10月18日の朝の散歩です。ほぼ同じ場所から走り始めますが途中で寄り道で止まって、また走り始めました。


2016年10月20日は勢い余って曲がり角で、こけてしまいました。ショックだった様子でしたが、気取り直して最後は走ってくれました。10月21日の朝の散歩でも走りましたが、前日の経験のためか、最初は慎重に駆け足程度でしたが、最後は全力で走っていました。さらに10月22日と23日も走りました。平均より多い回数です。
ラベル:むさし ムサシ
posted by SORI at 18:37| Comment(18) | TrackBack(1) | むさし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

ヴェルサイユ宮殿の大時計

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ヴェルサイユ宮殿の建物を外から見て一番気になるのが、建物の中央、王の寝室の真上にある大時計です。今回は、その大時計の写真を紹介したいと思います。2階の中央の3つ窓の部屋が王の寝室です。地面で少し高くなっている部分は「大理石の中庭」と呼ばれているところです。

王の寝室より上の部分を拡大いたしました。
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3階より上の部分を拡大いたしのした。
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大時計の周囲は石像で飾られていました。左右の像は神話に出てくる神なのでしょう。時間は丁度、11時でした。
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大時計を一番拡大した写真です。青空と黄金の太陽をモチーフとした時計です。フランスの王室によって時計が格段に進歩したそうです。確かに展示されていた懐中時計や置時計はすばらしかったです。この大時計も、その時代の最先端の技術が駆使されたのだと思います。
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王の寝室の前の欄干が見事なので拡大してみました。
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周囲の屋根の部分の金の装飾が見事なので2枚の写真で紹介します。こちらは「大理石の中庭」から見て左側コーナーの部分です。
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こちらは右側コーナーの部分です。
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posted by SORI at 08:58| Comment(14) | TrackBack(0) | ヴェルサイユ宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

九州で活きアジにフグ刺し

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九州に行った帰りのフライトは北九州空港を20時25分の遅いフライトにしました。目的は新鮮な地場の魚を食べてみたかったからです。空港に近い苅田の町で食べるつもりでしたが、福岡に長くいる人でも、あのあたりはお店はないと言われてしまいました。確かに駅前を探しましたが見当たりませんでした。地元の人に聞いた結果、一軒あることがわかったため、さっそく電話をいたしました。電話の目的は道を聞くことと、まだ16時だったのでお店に行ってもいいかどうか確認するためでした。電話して料理長に確認してもらった結果、快く受け入れてもらいました。
料理は寿司コースにしてお造りやテッサや穴子の白焼きの3品を追加する形式にさせてもらいました。お造りのネタは平目、鯛、カンパチ、アジ、マグロ、サザエで平凡に思えますが、鮮度のよさに驚かされてしまいます。特にここは佐賀関に近いので関サバや関アジが有名な場所のため、大きな活きアジは、ほんと美味しかったです。料理の写真に関してはクリックすると全て拡大したものを表示するので興味があるものは見てください。

電話してすぐにお店について店員の方がまだ来られていなかったので2階の座敷が準備が出来るまで1階のテーブル席でビールを飲ませてもらうことにしました。少しビールを飲んだ段階で2階に案内してもらえました。ビールのジョッキは入れた瞬間にビールが凍るほど冷えていました。すでに料理長はこられており注文する料理や飲み物に関してアドバイスをいただきました。


これは追加で頼んだフグ刺し「テッサ」です。九州に来たら是非とも食べたかったものです。
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これは薦められて頼んだ穴子の白焼きです。
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この焼酎を1本頼みました。この銘柄も料理長おすすめのものを頼みました。
純米の米・耶馬美人(こめ・やばびじん)です。第6回国税庁鑑評会に於いて「日本一」の栄誉に輝き、故・穂積忠彦氏(元大蔵技官・醸造試験場鑑定官室長)より「ライス・ブランデー」の称号を頂いた経歴を持つ逸品だそうです。麦・耶馬美人もありましたが米がお勧めなのでこちらにいたしました。ネットで調べると市販でも6510円でした。


これはコースの料理です。牛肉です。
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御寿司はお皿に2個づづ乗ってゆっくりと出してもらえます。
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この御寿司も美味しかったです。
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器も全て違うもので出されてきました。大変美味しかったのでお店を紹介させていただきます。
  店名 寿司割烹天龍
  住所 福岡県京都郡苅田町港町19-2
  電話 093-434-5757
  HP  http://www.geocities.jp/tenryu9/
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ラベル:九州 刺身
posted by SORI at 06:07| Comment(58) | TrackBack(0) | 九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

インドのお墓

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インドでは寺院のような建物が実はお墓なのですが、意外と知られていないかもしれないので、その例をいくつか紹介いたします。実は私も初めて見るまでは知りませんでした。
上の写真はサフダルジャンの墓、サフダルジャング廟(Safdarjang's Tomb)あるいはサフダルジャン廟
ムガル皇帝ムハンマド・シャーの宰相(大臣)だったサフダルジャングの墓廟で、1753年に彼の息子シアウッド・ダウラーが父の為に建てたそうです。広大な庭園の中に建っていました。無名ですが静かで雰囲気はあります。デリー

フマユーンの墓(Humayun's Tomb)
有名なタージ・マハールのモデルになったお墓です。見比べてください。4本の塔はありませんが似ています。大きいですよ!  デリー
実はフマユーン廟はリスと友達になれる場所でした。リス(栗鼠)に会いたい人に、お薦めの場所でした。
フマユーン廟は別途掲載させてもらいました。→ポチッ
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タージ・マハール
古い話で恐縮ですがこの写真だけ1993年7月31日の撮影です。デリーからバスでの日帰りツアーで行きました。朝5時に出発して23時に戻ってくるハードスケジュール。全員外人のツアーで、高級ツアーですがこの時代は3食付きで2000円。昼食は高級ホテルでした。日本人は一人だけ欧米人がほとんどで後は台湾の人が数名。
ちなみに泊まっていたホテルはタージ・マハールですが、あのころは安かったですよ。
フマユーンとタージ・マハールはすでに詳細の掲載をしています。→ポチッ
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タージ・マハール[インターネット引用]
正確無比なシンメトリーが美しいパレス風の建物。実は宮殿ではなく霊廟である。つまりおハカ。ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった王妃のために1632年から22年の歳月をかけて造営したものだ。腕利きの職人を集め、のべ2万人が携わったというから、当時としては大国家事業。これぞ夫から妻へ捧ぐ愛の記念碑なのだ。しかし、この美談には続きがある。皇帝は晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたが、その矢先に第3皇子によって近くのアグラ城の塔に幽閉されてしまうのである。理由はタージマハール建築での莫大な浪費。結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じた。運命とは実に皮肉で残酷である。
posted by SORI at 13:04| Comment(34) | TrackBack(0) | インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

アワビのしゃぶしゃぶ

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大きなアワビを薄くスライスしたものが出てきました。
これだけの大きなアワビはなかなかお目にかかれません。出てきてすぐに一番上の大きな刺身をそのままワサビ醤油につけて食べました。
身ががやわらかいので理由を聞くと「しゃぶしゃぶ」用の薄いスライスするために活きたアワビに軽く熱を加えて薄くスライスしたとのことでした。すぐにスープの入った鍋が出てきました。実はしゃぶしゃぶだったのです。それも中華料理のなかで出てきました。切り方が刺身らしくないと思っていましたが納得しました。

ほんとうは、このようにしゃぶしゃぶで食べるんです。タレは中華風のものもありましたがワサビ醤油でも食べました。お皿の上にワサビが乗っていましたが日本から持参したワサビを使いました。なかなかの一品でした。


この日は安徽料理でした。最近はいろんな料理を取り入れているみたいです。でもアワビのしゃぶしゃぶ以外は大体が安徽料理でした。安徽料理は名前の通り安徽省の料理ですが日本ではあまり知られていません。末席ですが中国八大料理の一つに数えられています。
          1 魯菜 (山東料理)
          2 川菜 (四川料理)
          3 粤菜 (広東料理)
          4 閩菜 (福建料理)
          5 蘇菜 (江蘇料理)
          6 浙菜 (浙江料理)
          7 湘菜 (湖南料理)
          8 徽菜 (安徽料理) 中国八大料理 ⇒ ポチッ

ネットで見るとこれ以外の組み合わせもあるようですが上の8っの料理の組み合わせが一番多いいようです。日本人に有名な北京料理や上海料理はこの後に続くのです。

しゃぶしゃぶ以外の料理を出てきた順番に紹介しておきます。書き忘れていましたが食べた場所は中国の安徽省でした。

最初はやはりスープが出てきました。


次は鳥料理です。


新鮮な活きた海老を茹でたものですが、これは色んな料理で出てきます。特に台湾は多いですね。


小さい烏賊の料理です。ホタルイカよりは少し大きいような感じです。


辛い料理を蒸しパンに挟んで食べます。


ホタテと苦瓜です。ホタテは高級食材です。烏賊も入っていました。


木耳の料理です。


シャキシャキしていました。


驚いたことに糸コンニャク(シラタキ)が食材に使われているんです。これも料理が徐々に変わって来ている証拠です。
日本向けの食材が徐々に中国に出回ているのだと思います。


キャベツの炒め物なんです。これは昼食の時は必ず注文するほどの日本人に人気の料理です。


魚のスープです。掲載していませんがこれ以外にもう一品スープがありました。


ここで冒頭の写真のアワビのしゃぶしゃぶが出てきました。スライスするために活きた鮑に軽く熱を加えて柔らかくして水平にスライスしているそうなので、広い身で食べ応えがありました。日本ではシヤブシャブと言えば生なのでここまで広いスライスの身には出来ないと思います。
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日本にはない野菜です。ウドとセロリを合わせたような食感の野菜です。


魚です。ホーボーのような見たことのない魚でした。


野菜です。


カボチャの団子です。甘みのある団子でした。


春巻きです。これは安徽料理ではないですね。


さらにスープです。これ以外にもう一品ですべてです。


中国での席の座り方を説明しておきます。この食事の招待者の主賓がこの背の高いナプキンの席に座ります。それ以外の人の席は最初から決めている場合は問題ないのです。決まっていない場合は招待者の主賓に残りの席を決めてもらえば良いのです。客人の中で一番目の人が主賓の右側に二番目の人が左側に座ることが多いみたいです。左と右が反対の地域もあった気がしますが主賓に決めてもらえば特に悩みませんね。
ラベル:中華料理
posted by SORI at 10:45| Comment(26) | TrackBack(0) | 安徽省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

湯布院は「離れ家」の宿に泊まりました。

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阿蘇に泊まった翌日は湯布院(由布院)に泊まりました。湯布院では「離れ家」の宿に泊まりました。上の写真が本館(母屋)の入口です。入口の近くの駐車場に車を停めると宿の方が出てこられて出迎えていただき荷物を運んでいただきました。心づかいが、最初から感じられるお宿でした。

ここが母屋(本館)のチェックインカウンターです。趣のある雰囲気が、くつろげるお泊まりを予感させてくれました。
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離れ家というのは広い敷地の中に個別に建物が建てられており、一軒ごとに個室になっている形式です。
その離れ家それぞれに内風呂と露天風呂がついた、ちょっと贅沢な、お宿でした。
こちらでは8軒の離れ家がありました。つまり一日に8組しか、お客をとらないのです。8軒の離れ家は、この道の両側にあり、我々は一番奥の建物でした。
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こちらが離れ家「すみれ」の入口です。このような離れ家に2~3名(2名の人がほとんど)で泊まるのです。


中に入って玄関の広さに驚きました。人数分の洒落た下駄が用意されていました。


こちらが居間です。8畳(たたみ)+板間の部屋でした。
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居間の天井は高く、梁にも太い木が使われて雰囲気もよかったです。


ステンドグラスの和風のスタンドにもこだわりを感じました。
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居間の奥が寝室で6畳(たたみ)+板間の広さがありました。この離れ家に台所を付ければ十分生活することが出来る広さでした。


離れ家にはプライベートの庭がついています。この奥に見えるのが、後で紹介する露天風呂です。
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庭の前のガラス戸には断熱および防音のための真空ガラスが使われていました。ここにも、こだわりを感じました。右の写真が離れ家の鍵です。


お茶うけも2種類が用意されていました。湯布院の銘菓「湯布院の詩」と「わらび餅」です。こちらの「わらび餅」はしっかりとした上等なワラビ餅で美味しかったです。両方ともクリックすると拡大いたします。
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前日には晴れていたので傘は母屋(本館)に置かれていましたが、離れ家には傘立てだけでしたが朝を起きると傘が置かれていました。夜に雨が少し降った時に宿の方が置きに来られていました。


庭の前は3畳程度の板の間になっていました。そこには椅子も置かれていました。右側の入口が脱衣場兼洗面所です。


脱衣場から内風呂を見たところです。檜(ひのき)がきれいです。内風呂の左側に露天風呂への引き戸があります。


こちらが内風呂です。たっぷりのお湯がうれしいです。湯船の右端から24時間お湯が流れ出ています。これが温泉である証(あかし)です。こちらのお宿の温泉は地下400mから54℃の弱ナトリウム質の湯(通称:美人の湯)が毎時8.4トン湧き出しており湯布院においても有数の泉質と自認されていました。さらに温度の違う自家源泉が2本あるので、加水加温なしで適温に保たれて温泉が源泉掛流しとなっているそうです。
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内風呂の天井も高く開放感がありました。ちなみに湯布院温泉の温泉湧出量は毎時2280トンで全国3位の量で、源泉の数は852本存在し、これは別府温泉に次いで全国第2位だそうです。


こちらが離れ家内の露天風呂です。こちらも源泉掛流しで広さも十分ありました。つい何度も入浴してしまいました。
そして母屋(本館)には貸切の広い露天風呂があります。そちらはまた後で料理も含めて紹介したいと思います。母屋のお風呂も離れ家のお風呂も、すべてプライベトのお風呂なのです。これだけの設備が整っているのには驚かされました。でも一番よかったのが、きめ細かい心温まるこ、心遣いでした。お宿を紹介いたします。
  お宿 おやど開花亭
  住所 大分県由布市湯布院町大字川上馬場2150
  電話 0977-28-8878
  HP  http://www.kaikatei.info/
  予約 3ケ月前より
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ネットで見ると評判すこぶる良いです。→ポチッ ポチッ
この温泉に対して湯布院温泉と由布院温泉が使われています。試しに"湯布院温泉"と"由布院温泉"で検索してみました。数的には由布院温泉が多かったです。
            Yahoo       Google
 "湯布院温泉" 約1,080,000件 約  81,100件
 "由布院温泉" 約2,120,000件 約 177,000件


追記 タイトル:貸切の露天風呂


湯布院で泊まった宿は離れ家形式で各離れ家には立派な露天風呂と内湯が用意されていました。そして本館(母屋)にも貸切の露天風呂と内湯が用意されているので夕食のあと、さっそく利用させていただきました。一組が40分以内ですが男女別々に利用することを申し出れば合計1時間ほど利用させてもらえます。夕食前は別の人が利用されていたので夕食の後になりました。夕食は18時半から食べ始めましたが時間をかけていただいたので、貸切の露天風呂の利用は21時ごろになりました。

離れ家のお風呂はゆったりしていましたが、母屋の貸切のお風呂はさらに大きくてゆったり出来ました。風が流れ込んでくるので湯気で、もやっていました。貸切の大きな露天風呂でゆったりするのは、ほんと贅沢でした。


脱衣場も檜造りできれいでした。


露天風呂に通じる通路です。露天風呂の名前は「福万の湯」です。


翌日の朝の散歩のあと6時半からも貸切の露天風呂を利用させていただきました。前日は外が暗かったので景色は見れませんでしたが、朝は目の前に景色が広がっていました。ここから下の写真はクリックすると拡大します。露天風呂の水面に、うつった空の色がきれいでした。
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露天風呂からの景色です。湯布院温泉(由布院温泉)の湯煙が印象的でした。右側の山は由布岳(ゆふだけ)です。
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露天風呂「福万の湯」から撮った由布岳です。由布岳は大分県由布市にある標高1,583mの活火山です。山頂付近は雲がかかって見えませんでした。


露天風呂からの由布岳は朝早かったのでもやがかかっていましたが、晴れると、このような由布岳を見ることが出来ます。この写真は宿を出発するとき(9時50分)に宿の前で撮ったものです。
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posted by SORI at 13:08| Comment(60) | TrackBack(8) | 九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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