2016年08月09日

初めて作ったレモングラスの自家製ハーブティー

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レモングラスを1株ほどKazeさんから頂きました。レモングラスは南インド、スリランカ、東南アジアに多く生息する、笹のような細長い葉をつけて高さが1.5mにかる植物でハーブとして利用されている植物です。名前のようにレモンを強烈にしたような香りがあります。香りはレモンの香味成分であるシトラールを含有しているためだそうです。レモングラスはハーブ・ティーとして利用されています。

ハーブティーを作るためには先ずは乾燥させます。風で飛ばされてしまわないように写真の食品乾燥用の籠をジョイフル本田で買ってきました。間が悪いことに干している期間中は短時間ですが、毎日雷を伴う雷雨がありました。写真は2階のバルコニーで干している状態ですが、雨が降っている時は1階のバルコニーの下で干しました。天気が良ければ3日間で十分と聞いていましたが、結局は4日間干しました。
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これが4日間ほど干して乾燥させた状態です。ススキのように細い葉であることが判ってもらえると思います。
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乾燥させた葉を1cmの長さに料理用ハサミで切りました。乾燥させたハーブティーは初めて作りました。驚くほどの香りが漂っていました。
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保管用の瓶にいれた状態です。ティーの入れ方は、適量ポットに入れて、熱湯を注ぎ、香りを逃がさないように素早くふたをして3~5分おきます。
ネットに書かれていたレモングラス・ティーの効用は次の通りです。
 ・殺菌作用があり、発熱や頭痛などの、風邪の初期症状
 ・胃腸の調子を整える作用、食後におススメ
 ・食欲不振、食べ過ぎによる胃もたれ、お腹のガス抜きなど
 ・レモンに似たさわやかな香り成分によるリフレッシュ
 ・仕事や勉強など集中
 ・貧血に対しても有効
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さっそくレモングラス・ティーをいただいてみました。ハーブティー用のガラスのティーカップは無いので広めのガラスのコップでいただきました。右の菓子は7月31日に横浜で開かれた全日本きもの着付選手権全国大会に参加した家内が記念のお土産として買ってきた神戸名物の瓦煎餅です。残念ながら予選で敗退したそうです。ちなみに予選は9分、前々決勝は8分、準決勝は7分、決勝は6分で着付けを完成させなければならないそうです。
 レモングラスの主な芳香成分
  アルデヒド類       シトラール  (70~80%)
  モノテルペンアルコール類 シトロネロール(~10%)
               ゲラニオール (~5%)
  モノテルペン炭化水素類  リモネン   (~5%)
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昨日もレモングラスのハーブティーをいただきました。
クリックすると拡大レモングラス(Cymbopogon citratus)の分類を紹介します。右の写真はWikipediaから転用させていただきました。
 界 : 植物界    Plantae
 門 : 被子植物門  Magnoliophyta
 綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
 目 : イネ目    Poales
 科 : イネ科    Poaceae
 属 : オガルカヤ属 Cymbopogon
 種 : レモングラス Cymbopogon citratus
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レモングラスの株をいただいた時は切られていなかったので、上から3枚目の乾燥した写真を見ていただいたら判るように、ススキのような感じでした。
2016年8月1日に切って葉を干し始めて8月5日に籠から出してカットしてハーブ・ティーとしていただきました。写真は翌日の8月6日にレモングラスの株を撮ったものですが、驚いたことに5日間で半分以上の葉が180mmも延びていました。また、すぐに収穫できそうです。
多年草ですが、冬は葉が枯れるそうです。暖かいところの植物なので、寒さに弱いために、冬の間は株の部分を保温してやる必要があると聞いています。
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posted by SORI at 20:11| Comment(22) | TrackBack(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

久しぶりに家でヤモリに出会いました。

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夜に窓のシェードを上げると、なんとヤモリが窓ガラスの外側に張り付いていました。子供のころは、よく見かけましたが、今の家に引っ越してきて見た記憶はほとんどありませんでした。少なくとも10年は間違いなく家では見ていないのです。珍しく、すぐに外に出て写真を撮ろうと窓のところに行きましたが逃げた後でした。

ほんと珍しかったので拡大写真も掲載させてもらいました。ヤモリと言えば、北川景子さん主演で今人気のドラマ「家売るオンナ」の第2話でヤモリが登場していたことを思い出しました。その中で「ヤモリがでる→ヤモリは家守とも書くぐらい家を守る生き物。害虫駆除をしてくれる。」と説明していました。確かにネットでも、生息地では人間に身近な存在で、人家内外の害虫を捕食することから家を守るとされ、漢字では「家守」あるいは「守宮」と書かれて古くから親しまれていたと書かれていました。
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足の裏の縞々で垂直なガラスでもくっ付いて歩けるのですね。吸盤のような構造ではなく先端がナノサイズの毛のような構造で、分子間の引き合う力で体重をも支えて、くっ付いているようです。その毛で出来ている縞状の部分の正式名は趾下薄板(しかはくばん)と呼ばれる器官です。


ヤモリの足の裏がガラスにくっ付く毛の先端の電子顕微鏡写真をネットから転用させていただきました。ガラスに張り付くファンデルワールス力の説明はこちらです。→ポチッ


ヤモリの生息場所の特徴は、都市部では個体数が多く、郊外では少なくなり、日本では原生林には生息しないそうです。このことはヤモリが昔から人と深くつながりがあったことを示しています。
確かにヤモリを見なくなったのは23年前に新しく出来た町に引越してきてからです。そしてこの街もヤモリが住む街になってきたということのようです。
冒頭の説明でシェードと呼んだのは、下の写真のものです。一般的にはシェル・シェードあるいはハニカム・シェードと呼ばれています。
我が家で使っているHunter Douglas(ハンター ダグラス)社の製品名はデュエット・シェードです。
クリックすると記事を表示

ヤモリ(家守)は爬虫類で、イモリ(井守)は両生類です。ヤモリの正式分類を紹介します。右のヤモリの写真はWikimediaから転用させていただきました。
クリックすると拡大  門 : 脊索動物門  Chordata
 亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
  綱 : 爬虫綱    Reptilia
  目 : 有鱗目    Squamata
 亜目 : トカゲ亜目  Sauria
 下目 : ヤモリ下目  Gekkota
  科 : ヤモリ科   Gekkonidae
 亜科 : ヤモリ亜科  Gekkoninae
  属 : ヤモリ属   Gekko
  種 : ニホンヤモリ G. japonicus

クリックすると拡大参考 家売るオンナ 「私に売れない家はない」
 三軒家 万智(さんげんや まち)の言葉
   私に売れない家はありません。
   私の仕事は家を売ることです。
   私が家を売りました。
   GO!! ( ゴー! )
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家売るオンナの主題歌であるGReeeeNの「 beautiful days 」を紹介します。
ラベル:やもり
posted by SORI at 21:58| Comment(34) | TrackBack(0) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

伊能 忠敬(いのう ただたか)



行ってきた佐原と言えば全国を測量して日本地図を作った伊能忠敬も有名です。幼い時は伊能の姓ではなかったけれども1762年(宝暦12年)、18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動したそうです。伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた他、利根水運などにも関っていました。商人としてはかなりの才覚の持ち主であったようで、伊能家を再興したほか、佐原の役職をつとめたなどの記録が残されています。また、このときに、かなりの財産を築いたことから、この佐原に伊能忠敬の原点があるのです。その時代の伊能忠敬旧宅が残っています。平屋造の瓦葺で、母屋、店舗、土蔵などがあります。上の写真は忠敬が設計したと伝えられている書院か母屋だと思いますが、東日本大震災で被害を受けました。2回目に行ったときは修復中で見ることが出来なかったので、現在は修復が終わっていると思います。

こちらは店舖部分で小野川に面しています。こちらも地震で被害を受けてけて修理中でした。伊能忠敬は1795年(寛政7年)50歳で江戸に出るまでこの旧宅に住んでいたそうです。 1930年(昭和5年)4月25日、国の史跡に指定された。


以前は旧宅の敷地内に伊能忠敬記念館がありましたが、現在は旧宅前の小野川を挟んで向かいに建っている。また、旧宅の敷地内には旧宅前のジャージャー橋の愛称で呼ばれている樋橋により対岸に水を渡していた水路が残っています。この橋の道の奥に伊能忠敬記念館がありました。


こちらが伊能忠敬記念館の入口です。中に入りましたが写真撮影は出来ないので今回は紹介出来ませんでした。


昔の町並みのように見えますが、伊能忠敬記念館です。4つの民家のように見えますが一つの鉄筋コンクリートの建物なのです。入口と反対側から見た記念館の景観です。


伊能忠敬の年表を紹介します。これを見ると彼の偉業がわかります。
 西暦 年齢        内容
1745年  0 1月11日上総国山辺郡小関村の名主の家で生まれる。延享2年
1751年  6 母が亡くなり、武射郡小堤村の神保家に戻る。
1755年 10 実家の神保家に戻っていた父の元に引き取られる。
1762年 18 下総国香取郡佐原村の伊能家に婿養子に入る。
1781年 36 佐原村本宿組名主となる。
1794年 50 隠居し家督を長男景敬に譲る。
1795年 51 江戸に出て幕府天文方高橋至時に暦学・天文学を学ぶ
1800年 56 第1次測量 奥州街道~蝦夷地太平洋岸     180日間
1801年 57 第2次測量 三浦半島~津軽半島         230日間
1802年 58 第3次測量 奥州街道~津軽半島         132日間 
1803年 59 第4次測量 東海道~北陸沿岸 佐渡       219日間
1805年 61 第5次測量 幕府直轄事業となる。東海道~山陰 
1808年 64 第6次測量 東海道~四国
1809年 65 第7次測量 中山道~九州鹿児島
1811年 67 第8次測量 甲府~九州鹿児島 壱岐 対馬 五島 913日間
1815年 71 第9次測量 東海道 忠敬は参加せず。
1816年 72 第10次測量 江戸府内 
1818年 74 4月13日死去、喪を秘して地図製作を続行。
1821年 没後 大日本沿海輿地全図が完成 文政4年
1883年 没後 贈正四位 明治16年
以前に函館に行ったときに函館山で、このような石碑を見つけました。伊能忠敬が北海道の測量の基点にしたのが函館山だそうです。寛政12年(1800年)と書かれていることから第1次測量の時であることがわかりました。
ラベル:伊能忠敬 佐原
posted by SORI at 09:26| Comment(20) | TrackBack(0) | 佐原 潮来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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