2016年07月25日

本鮪の骨付き中落ち

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
一か月半前に新しくオープンしたイオンタウンで初めて見るスタイルのマグロの中落ちが売られていました。それは骨付きの中落ちでした。中落ちはよく売られていましたが骨付きは珍しくてさっそく買いました。

養殖ものですが一応は本マグロです。張られていた説明によれば、中落ちとは、骨周りの肉のことで、撮れる量も少ない希少な部分のことのようです。


さっそく昨晩(2016年7月24日)の夕食の中の一品としていただきました。目の前で、自分でそいで食べてみたかったのです。骨付きであれば、混ぜ物なしの100%中落であることを実感いたしました。
クリックすると拡大

そっそく、スプーンでそぎ落としながらいただきました。
クリックすると拡大

もちろんワサビ醤油でいただきました。いつも食べる中落より数段美味しく感じました。
クリックすると拡大

もちろん中落ちにはビールは欠かせません。日本酒も美味しそうでしたが、この時に家にあったのはビールと赤ワインだったので、ビールにいたしました。


もちろんひっくり返して、頂きました。食べ終わった後に残った骨の重さを測ると104gでした。買った時の重さが163gなので正味の肉の量は163g-104g=59gでした。二人で食べたので一人当たり約30gでしたが、自分でそぎ落としながら食べたので結構食べた気になりました。値段は税込みで290円だったので、100gあたりの値段は491円となります。この味を味わえたので大満足でした。そしてマグロは骨の間に幕があることも知りました。
クリックすると拡大
ラベル: マグロ 刺身
posted by SORI at 15:21| Comment(20) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

お掃除ロボット

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ルーブル美術館の中庭であるナポレオン広場 (Cour Napoléon)の中央にガラスのピラミットがあることをご存知の方は多いと思います。上の写真はフランス旅行4日目の朝の開館時間9時の写真です。
このピラミッドが1989年に完成して以来、ルーブル美術館のメイン・エントランスとして使用されています。このピラミッドの名前はズバリ、Pyramide du Louvreです。直役だと「ルーブルのピラミッド」ですが略してルーヴル・ピラミッドと呼ばれています。歴史的な建造物に囲まれた場所に近代的な建造物に違和感を感じる方も多いと思います。実際にルーヴル・ピラミッドの建設は賛否両論で大きな波紋を呼んだそうです。古典的建築物に近未来的な大建造物は相応しくない意見と、中世と未来の建造物が融合されたと賞賛する意見です。新しいように見えますが、もう27年も経っています。賛否両論の結論が出るのは、さらに長い年月が必要な気がします。

下の写真は成田からパリに到着した夕刻にセーヌ川やルーブル美術館の周辺の散策に出た時に撮った写真です。きれいな景観を見ていると賛否両論のことは忘れてしまいます。こちらは1日目の21時42分の写真です。
ルーヴル・ピラミッドは、ガラスを主材料としており、高さは20.6mで底辺は35mで603枚の菱形のガラス板と70枚の三角形のガラス板で構築されています。いつもピカピカで、さぞかし掃除が大変だと思いました。
クリックすると拡大

ルーブル美術館に入るために並んでいるとピラミッドのガラスにクモのようなものが張り付いて動いているのに気が付きました
クリックすると拡大

どうやらピラミッドのガラスを自動で拭く「お掃除ロボット」のようです。ケーブルとホースがつながっています。
クリックすると拡大

実は「お掃除ロボット」を最初に見つけて写真を撮ったのがこちらです。つまりガラスのつなぎ目の線に平行に登って行くところだったのです。この写真の位置から2枚上の位置まで移動するのに42秒のスピードでした。
クリックすると拡大

次の写真がこちらです。上の写真ょリ少し高いところに行っています。
クリックすると拡大

お掃除ロボット(ガラス拭きロボット)を拡大いたしました。確かにこれならばいつもピカピカです。これを見ていると、最近は家庭用の「窓拭きロボット」を思い浮かべてしまいます。ただしルーブル・ピラミッドのガラス拭きロボットは驚くほどの価格でしょうね。クリックするとキャタピラ推進であることが判ります。
クリックすると拡大

ホースのつながっている先が気になったので撮った写真の中で探してみました。写真の右下にホースがつながった機械が写っていました。
クリックすると拡大

その機械の部分を上の写真から切り取りました。不鮮明ですが、なんとなく機械の雰囲気が判ると思います。
名前はRobosoftです。動画を見つけました。→ポチッ
クリックすると拡大

お掃除ロボツトのおかげでピラミッドの地下のエントランスは明るかったです。後日、ルーブル美術館の中を順番に紹介したいと思います。
クリックすると拡大

ルーブル美術館の中からもお掃除ロボットをみることが出来ました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大動画を見つけました。下の動画のものは12年前の開発当初(2004年)のRobuglassと呼ばれているお掃除ロボットのようです。現在のものはもう少しコンパクトです。
こちらのRobosoftは現在のものに近いです。 ポチッ
昔は人間が登ってガラス拭きをしていました。→ポチッ
posted by SORI at 18:11| Comment(12) | TrackBack(0) | ルーブル美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

ホテルからのルーブル美術館までの景色 オペラ通り

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
フランス旅行4日目の最初の訪問場所はルーブル美術館です。ホテルからルーブル美術館までは歩いて15分の距離で開館は9時からなのでホテルを8時45分に出発いたしました。

ホテルからはオペラ通りを真っすぐに向かいます。
  ホテル
  ルーブル美術館(ガラスのピラミッド)
 ━━ ホテル→ルーブル美術館 


9時少し前と言うことで車が沢山通っていましたがワンちゃんを散歩させている人もおられました。
クリックすると拡大

ワンちゃんを拡大いたしました。
クリックすると拡大

オペラ通りに出ました。平日(水曜日)のため朝のオペラ通りの通勤風景です。斜めに右奥に行っている道はサンロック通り(Rue Saint-Roch)です。
クリックすると拡大

上の写真と似た構図ですが、ビルの形が違うので別の場所だと判ると思います。こちらの斜めに右奥に行っている道はピラミッド通り(Rue des Pyramides)です。
クリックすると拡大

さらに進むと、また似た構図の場所がありました。こちらの斜めに右奥に行っている道はエシェル通り(Rue de l'Echelle)です。
クリックすると拡大

道の奥がルーブル美術館です。ルーブル美術館に向かう道はローアン通りです。
クリックすると拡大

トンネルのある建物がルーブル美術館です。
クリックすると拡大

トンネルの前まで来ました。このトンネルの向こう側がルーブル美術館の中央の広場です。
クリックすると拡大

トンネルの秘儀側の景観です。
クリックすると拡大

こちらは左側の景観です。
クリックすると拡大

トンネルを通って中央の広場であるカルーゼル広場(Place du Carrousel)に入ると、ルーヴル美術館の中庭であるナポレオン広場 (Cour Napoléon)の中央にルーブル美術館への入口のガラスのピラミッドが見えてきました。沢山の人が並んでいます。左の方の列は、すでにチケットを持っている人たちです。右側の列が中でチケットを買う人たちの列です。我々は事前にチケットを買っていないので右側の列に並びました。
 開館 09:00
 閉館 18:00(月・木・土・日) 21:45(水・金) 
 休館 火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
 料金 15ユーロ
 無料 ①10月~3月の第1日曜日 ②7月14日(フランス革命記念日)
    ③18歳未満       ④26歳未満金曜日18時以降
クリックすると拡大
posted by SORI at 20:45| Comment(16) | TrackBack(0) | ルーブル美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

パリで味噌ラーメン どさん子

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
1泊2日のモンサンミッシェルツアーのパリへの帰りは上の車でした。泊まったホテルで日帰りツアーの人3名(2名+1名)と合流して5名で乗りました。5名だとゆったりと乗れる大きさでした。本来のバスであればパリ到着は21時の予定でしたが、幸いにも人数が少ないことから、速く走れる車であったことから予定よりも1時間近く早く着きました。来るときは古い港町のオンフルール経由であったことから4時間15分でしたが、帰りは直行なのでSAの休憩も含めて3時間50分でした。
 16時20分 モンサンミッシェル出発
 20時10分 パリ到着 (本来の到着予定21:00)

先ずはパリに着くまでの景色を紹介します。モンサンミッシェル近くの住宅地で、モンサンミッシェルで働いている人も住んでいるとのことでした。


住宅地から幹線道路に入るところです。
クリックすると拡大

北フランスは牧草地帯が多かったです。上の写真の幹線道路に入る場所にも羊が沢山いました。
クリックすると拡大

羊だけでなく牛もよく見かけました。
クリックすると拡大

こちらは高速道路の料金所です。ドイツでは高速道路は無料なので見かけない風景ですが、フランスの高速道路は有料のようでした。ただし350km走って料金所は1ケ所だけだったので日本とはチガウシステムかもしれません。ただしETCはありました。30km/h制限になっているゲートがETCです。
クリックすると拡大

高速道路からの景色で一番多かったのが農村地帯地帯でした。このように家が見える景色の方が少なかったです。この時は菜の花の景色でした。
クリックすると拡大

帰りの時間帯のパリの郊外は渋滞するので住宅地を通る抜け道を通りました。
クリックすると拡大

T字路で軽い接触事故も見かけました。お巡りさんが来ていて、日本でも時々見かける光景でしたが、車が少なく見晴らしのよいT字路で、どうして事故を起こすのか不思議なほど静かな場所でした。
クリックすると拡大


こちらがモンサンミッシェルツアーのコースです。行きはオンフルールに寄るので396kmで、帰りは直行のため355kmとなりました。往復で751㎞のツアーでした。
  モンサンミッシェル
  マイバス事務所
  サービスエリア
  料金所   オンフルール


パリのマイバス事務所に到着してホテルに再チェックインして夕食に出かけました。着く時間は確定していなかったことからレストランの予約もしていなかったので気楽に入れる日本食店で夕食を食べることにいたしました。泊まっているホテルがあるオペラの地区には特に沢山の日本料理店があるのです。パリの日本料理店で最も多いのがラーメン店です。いくつか見た後に下の写真のお店に入りました。時間は21時25分でした。
昔にパリのラーメン店に入った記事はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大

ラーメンと餃子を頼みました。
クリックすると拡大

もちろんビールもいただきました。
クリックすると拡大

ラーメンは2人ともに味噌ラーメンにいたしました。メニューの味噌ラーメンの部分です。娘が上の段のAKANERI(赤ねり)を頼み私は下の段のSHIRONERI(白ねり)を頼みました。両方ともに標準の10€を頼みました。日本のラーメン店よりかなり高めですが、パリのラーメン店の標準的な値段です。
クリックすると拡大

こちらが私が食べたSHIRONERI(白練)ラーメンです。白味噌が主体のスープでした。ラーメン店ではありますが、丼物やいろんな料理があり夜は居酒屋のような雰囲気になります。
クリックすると拡大

そして、こちらがAKANERI(赤練)ラーメンです。こちらは赤味噌が主体のスープでした。こちらも少し味見をさせてもらいましたが、両方ともに結構おいしかったです。パリのラーメンのレベルの高さを実感いたしました。日本食店がヨーロッパに普及していなかった頃にもパリには沢山のラーメン店がありました。ヨーロッパに住んでいる日本人はパリのラーメンを食べるのが楽しみだったと聞きました。
クリックすると拡大

こちらのお店は55年前の1961年に創業した日本のラーメン店が2014年10月13日に海外一号店としてオープンしたお店でした。日本店も味噌ラーメン(金練、赤練、白練)を売りにしたお店でした。
 名前 どさん子
 住所 40 Rue Sainte-Anne, 75002 Paris, France
 電話 01-4246-1159
 営業 11:30~14:30 18:30~10:30(平日・日曜)
    12:00~15:30 18:30~11:00(土曜)
 記事 https://www.atpress.ne.jp/news/52255
 日本 http://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13126000/
クリックすると拡大

どれほど沢山の日本料理店が集中しているのか知ってもらいたかったので日本料理店をプロットいたしました。私が今までに入ったことがあるラーメン店は「サッポロ」と「ひぐま」と「かどや」なので4店目となります。
日本食店が沢山並んでいるのがサンタンヌ通り(Rue Sainte-Anne)です。
  泊まったホテル
  どさん子
  日本料理店 30店プロット
 ━━ ホテル→日本料理店街
posted by SORI at 23:59| Comment(20) | TrackBack(0) | パリのレストラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

香取神宮



初めて来た香取市の佐原(さわら)では佐原水郷植物園加藤洲十二橋舟めぐり佐原の町並みを見てカフェで一休みした後、最後に香取神宮に行ってみました。今まで香取神宮のことは名前程度しか知りませんでしたが、実際に見て、思っていた以上に立派で、歴史があったので紹介いたします。上の写真が参道入り口です。遠くに見える赤い鳥居までの参道の両側には沢山のお土産屋さんと食事処がありました。 

鳥居までの道の中間で撮った写真です。参道正面にある第二の鳥居で、鳥居の朱色と周囲の老杉の緑とが良く調和して、神域の入口にふさわしい美観を呈しており、桜の時期は見事です。


鳥居をくぐると、このような緑が豊かで道の両脇に石灯籠がある参道が続きました。木々鬱蒼とした玉砂利の参道の両側には、桜や楓が植えられており、春の桜花・秋の紅葉は見事で、多くの参拝者が訪れ目を和ませています。


緑の長い参道を歩くと総門が現れます。


総門の次に現れるのは桜門です。

正面から見た桜門です。


桜門をくぐると拝殿が見えるはずでしたが、工事用の足場にに覆われていました。拝殿の前にはワラで出来た輪が置かれていました。これは大祓と呼ばれる行事のための輪でした。


大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)というそうです。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼ばれています。なお、今回の「夏越」は「名越」とも標記する。輪くぐり祭とも呼ばれています。


境内側からみた桜門です。大祓のための藁の輪の位置がよくわかると思います。


こちらが拝殿の中です。真中に鏡が配置されていました。


拝殿の後ろの御本殿です。


こちらは祈祷殿です。


こちらは校倉造(あぜくらづくり)の宝庫です。正倉院と同じような作りの建物でした。


境内には小さな神社だいくつかありました。その中のいくつかを紹介いたします。こちらは摂社匝瑳神社です。


こちらは末社櫻大刀自神社です。


工事用の仮の建物に覆われていた拝殿を見ると屋根の葺き替えを行っているところでした。香取市の香取神宮(高橋昭二宮司)は2014年4月17日から行われる、12年に1度の「式年神幸祭」に向けて、傷んだ拝殿や本殿の屋根で檜皮葺(ひわだぶき)と呼ばれるふき替え工事を行っていました。秋ごろ終える拝殿の工事終了後、本殿などの工事に入る予定で、工期は約1年間だそうです。
檜皮葺とは、ひのきの樹皮を用いる施工法で、日本古来から伝わる手法です。紀元前643年創建とされる香取神宮は、約12万2100平方メートルの敷地内に本殿や拝殿などを構えています。1700(元禄13)年に5代将軍徳川綱吉により造営された本殿は、国の重要文化財にも指定されています。


香取神宮を空の上から見た写真を紹介いたします。拝殿が工事中であることから新しい写真であることがわかります。地図上のアイコンマイナスを数回クリックすると周辺の雰囲気がわかってくると思います。利根川も近いです。利根川の向こう側には鹿島神宮があります。
神社の中で特別の由緒を持つものに限り神宮が使われています。日本の神宮は下記のとおりです。青色は皇室祖先神で、緑色は各時代の天皇を祀った神社で、橙色はその他です。
伊勢神宮、伊弉諾神宮、霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮、英彦山神宮、
橿原神宮、宮崎神宮、気比神宮、宇佐神宮、近江神宮、白峯神宮、平安神宮、赤間神宮、水無瀬神宮、新日吉神宮、吉野神宮、北海道神宮、明治神宮、
熱田神宮、石上神宮、國懸神宮、日前神宮、鹿島神宮、香取神宮
以上の25のみが神宮です。ただし伊勢神宮の祭神天照大神を分霊し「大神宮」「皇大神宮」の名がつけられた神社は全国に沢山あります。したがって本来の神宮とは違うものとされているのが一般的だそうです。海外にも3つ(台湾1901年、朝鮮1925年、満州1944年)の神宮がありましたが、敗戦の1945年にすべて廃社となっています。

posted by SORI at 17:05| Comment(20) | TrackBack(0) | 佐原 潮来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

佐原の町並み 香取街道沿い



佐原の道には江戸時代から大正にかけての古い建物の街並みがあるとのことなので水郷佐原水生植物園加藤洲十二橋に行った後に小江戸と言われている佐原(さわら)の街並みを見に行きました。
こちらの建物は安政2年(1855年)に建てられた中村屋商店で千葉県有形文化財にも指定されています。明治7年頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきたお店で、和物の土産なども扱っている有名な建物です。

佐原の古い建物の街並みは南北に走る小野川沿いと東西に走る香取街道沿いに集中してあります。佐原には重要伝統的建造物群保存地区になっており沢山の古い建物が軒をつられております。その中には伊能忠敬旧宅(寛政5年(1793)建築・国指定史跡)のほか県指定文化財も8件(13棟)があります。今回は香取街道沿いの街並みを紹介いたします。クリックすると大きな地図を表示します。
クリックすると大きな地図を表示

油茂製油店で、こちらも歴史があります創業は江戸初期で建物は明治25年(1892年)築です。こちらの胡麻油は有名です。


こちらは植田屋荒物店創業宝暦九年(1760年)竹細工他、手作り用品を販売しているお店です。


クリックすると拡大こちらは蕎麦屋をやっている小堀屋本店の隣の福新呉服店です。見ての通り震災の被害を修理中でした。店舗は明治28年(1895年)地区で土蔵は明治初年築だそうです。お店の創業は209年前の文化元年(1804年)だそうです。今は修理が終わって右の写真のように見事な姿を見せてくれました。


こちらが小堀屋本店の別館です。元は千葉銀行の建物ですが昭和4年(1929年)築の趣のある建物です。偶然に本館の先隣にあったので利用できたのでしょうね。小堀屋本店は地震の影響か修理中で左先隣の別館で営業をしていました。こちらの名物は江戸時代より伝わる日高昆布を使った「黒切りそば」ですが、残念ながら我々が初めて佐原に来た水曜日(2012年6月27日)は定休日で食べることが出来ませんでした。本館の木造の建物は明治25年(1892年)に建てられました。創業は天明2年(1782年)だそうです。でも今年(2013年6月21日)には本館で食べることが出来ました。


こちらも有名な建物です。大正3年(1914年)建築の三菱館(旧三菱銀行佐原支店)です。イギリスより輸入したレンガを使った2階建ての洋館で、内部は吹き抜けになっており、現在は市に寄贈されて観光案内を行っているそうです。こちらも千葉県指定文化財です。


遠くに見えるのが上で紹介の三菱館です。一番手前の建物もよくネットで掲載されている中村屋乾物店です。中村屋乾物店は、明治25年(1892年)に佐原を襲った大火直後の明治26年に建築されたものです。当時最高の防火構造で、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)にもなる建物です。1階と2階は明治18年(1885年)の建「築で3階は店舗とともに明治26年(1893年)に再建されたそうです。
震災被害の修復中の建物も見受けられます。2012年5月25日の読売新聞(ネット)には佐原の町並み修復に、米財団World Monuments Fundが助成するとの記事も出ていました。一年以上たっていますが忘れられていないのがうれしいです。今は完全に修理が終わった街並みを見せてくれます。


左のお店は向後酒店です。どちらも古い建物でした。


右は中寅商店です。左も名のあるお店と感じさせてくれます。中村屋乾物店と同様に耐火構造の建物です。調べてみると「ふじ蔵」という鳥料理のお店のようで、昔は澤田商店という薬屋だったそうです。
他にもこのような耐火構造の建物を沢山見ることができました。佐原は北総の小江戸と呼ばれていますが、同じように小江戸と呼ばれているのが川越です。こちらも耐火構造の建物が多く、それは明治26年の大火がきっかけだとのことですが、佐原でも明治25年の大火がきっかけになったそうで、一年違いの偶然に驚きました。


蜷川家具店と書かれています。こちらも歴史がありそうな建物でした。大正時代か昭和の初期に道路に面した部分を改築した感じでした。ネットで調べて昭和8年(1933年)築との記載を見つけました。


雑貨を売っている素顔屋さんの建物も古いです。


路地も古さを感じました。


うれしいことに無料の駐車場がいろんな場所にありました。ここは私が車をとめた駐車場です。きれいなトイレも完備されていました。ただし16時半になると扉が閉められてしまうので注意が必要です。写真をクリックすると駐車場を表示します。町の中の駐車場が満車の場合は利根川の河川敷の駐車場が使えるかもしれません。(河川敷の駐車場は見ていないので想像です。)
我々が来たのは平日だったので佐原の町並みの中心にある忠敬橋に近い無料駐車場に、とめることが出来ました。
クリックすると駐車場の地図を表示
ラベル:佐原
posted by SORI at 05:49| Comment(28) | TrackBack(3) | 佐原 潮来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Seesaaブログのコメント設定について・・・
1 コメント入力に関する設定 →ポチッ
2 コメントリスト         ポチッ
3
昨日の記事ランキング
    先週(月~日)の記事ランキング
      先月の記事ランキング