2015年12月22日

蘇州の日本料理店

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今回の上海蟹ツアーで、木涜古鎮を観光したあとは蘇州市内に移動して宿泊ホテルに17時35分着きました。夕食はツアーに組み込まれている食べ放題・飲み放題の日本料理でした。こちらの表が、今回の2015年上海蟹ツアーを依頼した旅行会社が作った日程表です。

月日

都市

日程表

食事 宿泊

 

11/14

xxxx

 

陽澄湖

 

 

蘇州

朝食後、専用車にて、陽澄湖へ

無錫高速ICでガイドをビックアップして陽澄湖へ

着後、中国で最も名高い陽澄湖蟹全席料理の食事

昼食後、蘇州木

着後、木観光○厳家花園、○運河巡りなど

その後、ホテルへ

ホテル着

夕食は食べ放題・飲み放題の本格日本料理

 

 

昼:陽澄湖蟹

フルコース

 

夕:日本料理

泊:蘇州

 

11/15

 

蘇州



 xxxx
 

朝食後、蘇州市内観光

(09:00)世界遺産の○拙政園、

(10:15) 蘇州のシンボルになる○虎丘斜塔など

(11:30)昼食、(12:30)○日本料理食材店

(13:30)専用車にてxxxxへ戻る

朝:ホテル

 

 

昼:蘇州料理

 


ホテルで一休みした後、集合時間の18時30分にロビーに行くと日本料理店から案内の方が来られていました。ホテルから10分ほど歩くと日本料理店が沢山並んでいる通りに出ました。左側に目的の日本料理店 海の子 の看板が見えます。27名が余裕で入れる大きなお店でした。
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現在の2015年の時点の数値的な状況までは探しきれませんでしたが、蘇州地区の日系企業は2010年の時点で2000社を超えており、2013年10月時点で長期駐在日本人は10,734名で、香港をのぞく中国内では上海、北京に続く、3番目の在留邦人数となっています。
世界では16番目の日本人居住数だそうです。それだけに日本食店も沢山ありテーブルのセッティングも洗練されていました。


やはり最初は刺身ですね。食べ放題で好きなものを好きなだけ注文できるのですが人数が多いことから何品かは事前に注文されていました。この皿にはマグロ、シマアジ、タコ、サーモン、ホッキ貝が乗っていましたが、この後、別の刺身も追加いたしました。今回は話が盛り上がって写真は半分も撮れませんでした。撮れた写真の範囲で紹介したいと思います。
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これはキムチです。純日本食ではありませんが、日本の居酒屋にあるものは、ここでは食べれるのです。
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もちろんビールで乾杯です。飲み放題なので心置きなく飲むことが出来ました。


楽しい雰囲気を紹介したいので小さい写真で恐縮ですが皆さんに登場していただきました。我々は二階の個室席でした。左の写真は一階の写真です。


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サラダも頼みました。
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こちらは不思議な葉っぱのイタリア風のサラダでした。
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もやしニラ炒めも、日本で食べる味でした。
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これが一押しの牛肉のたたきです。4人だけで、さらに3皿を追加してしまうほど、中国では簡単には食べれない上物でした。
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牛のステーキもなかなかいい肉でした。最近、中国のステーキの肉のレベルが上がってきているのを実感させてもらいました。
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串焼きも頼みました。昨年の上海蟹ツアーでは無錫の日本食店に行きました。
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揚げ出し豆腐も本格的でした。これ以外に寿司を沢山頼みましたが後半だったので写真が撮れていませんでしたが、すし飯がなくなって寿司が出せなくなるほどでした。炊いてもよいと言われましたが、蕎麦などの麺類を締めに注文いたしました。
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翌朝の朝の散歩で撮ったお店の写真です。
料金はツアー料金に入っていますが、内訳をみると160元/人(約3030円)でした。食べ放題というのはメニューに書かれている高級な料理も含めて全て料理が追加なしで注文できるシステムです。だから高級な一皿160元の料理や鍋も頼めるのです。食べ放題・飲み放題は日本食店の競争が激しい上海で20~15年前には発案されたシステムで上海の経営者が地方に行ったときに全国に普及しました。ただし、競争の少ない地方ではすたれましたが、日本食店の多い上海、蘇州、無錫では今も健在で、うれしいシステムです。
  店名 海の子
  住所 江蘇省蘇州市高新区商業街11号102-5室
  電話 0512-6920-2020
  営業 11:00~14:00 17:00~23:30


クリックすると拡大上から2枚目の夜の写真(右の写真)と同じ構図の翌朝7時19分の写真も紹介します。道路の左側には、前日の夕食を食べた日本料理店 海の子 の看板が見えます。こちらの通りには日本料理店やカラオケ店がたくさんありました。
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ホテル・金龍大酒店から日本食店・海の子野でのルートです。距離は719mでした。水の都と呼ばれるだけあって沢山の水路がありました。
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posted by SORI at 06:21| Comment(12) | TrackBack(2) | 江蘇省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

ミラノから南西へ60km

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ミラノより南西の小さな町の景色です。ミラノでは雪はなかったのに、ミラノより南の町で雪景色に出会いました。確かにアルプスは遠くに見えますが??? 

典型的なイタリアの地方都市です。
町の名前はカザーレモンヘラート(Casale Monferrato)  
ここはミラノとトリノのちょうど中間地点で、以前にイタリアの水田を紹介したあたりなのです。→ポチッ
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でも食べ物は一流!!! ハムとチーズは美味しかったです。
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地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

ラベル:イタリア
posted by SORI at 22:58| Comment(6) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

センピオーネ公園

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クリックすると拡大.jpg
クリックすると拡大ミラノ市中心で一番大きな公園です。写真の遠くに見えるのは平和の門です。スフォルツェスコ城と隣接しており町の人たちの散歩のコースになっているようです。紫陽花も綺麗に咲いていました。この写真にも紫陽花が写っているの判りますか。
ここから平和の門まで散歩いたしました。
手前の方に写っている2人あまり気にしないでください。こちらでは、ごく普通の光景ですから!!
恋人たちの公園、ですね。

近くから見た平和の門です。
古代ローマ時代は、平和の門の場所は、ミラノの町を囲む古代ローマの城壁のセンピオーネ門で、町への入口でした。その遺跡の上に、19 世紀初期にナポレオン指揮により、現在の平和門が造られたそうです。
公園内では、セイヨウヒイラギ、キササゲ、アトラスシダー、 ヒマラヤスギ、カリフォルニアスギ、ブナ、マツ、イチョウ、マロニエ、ハシバミ、ポプラ、タイサンボク、紫陽花、椿、シャクナゲ、ツツジ、オールドローズ、カラタチ 、アカカシなどの多彩な植物を眺めることが出来るそうです。
 名前 センピオーネ公園
 住所 Parco Sempione,Milan,Italy
 開園 6:30~20:00 1~2月、5月、11~12月
    6:30~21:00 3~4月、10月
    6:30~23:30 6~9月
 面積 386,000㎡(38.6万㎡ / 38.6ha) 
 形式 ロマン主義のイギリス式庭園
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この日は天気がよかったので、スフォルツェスコ城も綺麗に撮れました。
観光客がまだ来ない早朝だったのが良かったのかもしれません。
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公園の池越しのスフォルツェスコ城も綺麗なので掲載します。
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センピオーネ公園の東隣のインドロ モンタネッリ 庭園に隣接して気になる建物がありました。調べてみるとレアーレ邸(Ville Reale)と呼ばれています。アルテ宮と書かれている本もありました。
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レアーレ邸(Ville Reale)のネットでの記載内容を紹介します。
19世紀のミラノに縁のある芸術家たちの作品を、素晴らしい邸宅と共に楽しめるミラノ近代美術館、ヴィラ・ベルジョイオーゾ。

ヴィラ・レアーレとも呼ばれるこのヴィラはミラノ中心に位置しながら、静かで優雅な空間が広がっています。

オーストリア人建築家レオポルド・ポラック(1751- 1806)が1790年に建設した美しいネオ・クラシック様式のヴィラで、外壁にはギリシャ神話のヴィーナスをモチーフとした「愛」がテーマの彫刻がずらりと並ぶ、なんともロマンティックな外観です。

舞踏会用のサロン。豪華です! 

当時のミラノで初めてと言われるイギリス式庭園をそぞろ歩きしながら、19世紀の貴族たちは何を語り合っていたのでしょう?

邸宅内も美しいネオ・クラシック様式でまとめられいます。
当時舞踏会に使われていたというサロンは色鮮やかな色彩で飾られ、床は木材のモザイク模様。
なんとも豪華な空間です。

この「il Parnaso」はアポロンを中心に音楽や芸術を司るミューズが描かれ、それまでの華麗になり過ぎた感のあるバロックやロココ様式への反動として新古典主義(ネオ・クラシック)が、ここミラノでも生まれた事を意味する重要な絵画の一つとされています。

海外の施設ではよくあることなのですが、センピオーネ公園の面積の記載もサイトによりばらつきがありました。k㎡を使う桁違いの記載も多数出てきました。記載数値の例は次の通りでした。
 信頼できる桁数
   386,000㎡(38.6万㎡)、47万㎡、50エーカ(20万㎡)、75.3㎡、
   47ha(47万㎡)、20万㎡以上
 桁間違いの数値
   40万k㎡、45万k㎡(45,000,000万㎡)、45k㎡(4,500万㎡)
そこでGoogle地図で計測してみました。スフォルツェスコ城や競技上も含めた白い線で囲た半透明の白色部分の面積は0.624k㎡(62.4万㎡)であることから、目測ではありますがセンピオーネ公園の面積は40~47万㎡と思われました。したがって控えめな数値である386,000㎡(38.6万㎡)を上に記載させていただいたわけです。ちなみにGoogle地図で計測したスフォルツェスコ城や競技上も含めた敷地の周長は3.54㎞でした。
参考ですが大阪の万博記念公園の場合は、広場やスポーツ施設や文化施設を含めた総敷地面積は264万㎡(264ha)でした。皇居は115万㎡です。
    平和の門
    スフォルツェスコ城
posted by SORI at 06:21| Comment(8) | TrackBack(2) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

台湾の朝食


この日はお粥にしてみました。
味噌汁用のねぎを拝借!
シンプルに塩味だけでいただきました。
おいしさは残念ながら写真に出なかったですね。フラッシュなしがよかったかな? 反省!

前日は食べ過ぎてしまったのでカロリーコントロール!?(笑)
台湾の台北のホテルの朝食でした。
ラベル:台湾 朝食 お粥
posted by SORI at 18:16| Comment(10) | TrackBack(1) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

蘇州 木涜古鎮の風景

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陽澄湖への上海蟹ツアーの一日目の午後は蘇州の木涜古鎮(木渎古镇 / Mudu Ancient Town)に来たことはすでに、前々回の記事から報告させていただいています。最初に豪邸の厳家花園を見て、香溪運河を手漕ぎ舟に乗って楽しんだ後は自由行動だったので 木涜古鎮を自分なりに散策いたしました。
その時に撮った写真を中心にして木涜古鎮の全体的な雰囲気を紹介したいと思います。上の写真のような広い駐車場がありました。ここに来たのは2015年11月14日でした。

こちらのバスで木涜古鎮の駐車場に、15時15分に着きました。木涜古鎮を見学した後、ここを離れたのは17時ごろで、蘇州のホテルに着いたのは17時35分でした。


駐車場から歩いて木涜古鎮に向かう途中にあった古鎮(古村)の入口の門のような鳥居のような牌坊です。牌坊は日本語読みではハイボウですが、中国語読みではパイファン / paifāng で、中国の伝統的建築様式の門の一つで、個人や村の入口などに建てられています。牌楼と呼ばれることもあります。世界各地の中華街には牌坊がしるべとして建てられています。屋根や斗拱があるものを牌楼と呼び、屋根や斗拱がないものを牌坊と呼ばれる習慣も一部にあります。木涜古鎮は清の乾隆帝が6度も訪れたと言われているほどの観光場所です。
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村の入口の牌坊に飾られている扁額を紹介します。上が表(外側)で、下が裏(村側)です。扁額は建物・門・鳥居・牌楼・牌坊などの高い位置に掲出される額や看板のことで、書かれている文字はその建物や寺社名や地域名などですが、創立者の思いなどを記すこともあるそうです。



下記の地図の「━━ 私が歩いたの散策ルート」で、今回紹介する写真を撮りました。左上の方向にバスが停まった駐車場があります。
  ━━ 私が歩いた散策ルート
  ━━ 香溪運河 手漕ぎ舟に乗ったルート
  厳家花園  虹欽山房  明月寺  王立鵬美術館
  沈寿故居  傍眼府第  古松園


最初の4枚が有名な観光スポットです。こちらはすでに紹介した厳家花園の入口の門です。
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今回は入りませんでしたが虹欽山房の入口の門です。こちらも厳家花園と同様に豪邸なのだと思います。
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明月寺も観光スポットのようです。今回は滞在時間が短かったので中には入れなかったのが残念でした。
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明月寺前の道の風景です。
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これは香溪運河にかかる屋根付の橋です。名前は西施橋です。水路にかかる橋のなかの最大の観光スポットです。
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ここからの5枚の写真も、木涜古鎮の雰囲気を伝えるために必要なものです。つまり木涜古鎮で目を引いたのが写真撮影の風景でした。写真撮影は2種類あります。一つはこの写真のような結婚記念アルバムを作成するための撮影です。もう一つは観光に来て記念のために衣装を着て撮る記念撮影です。


こちらは剣を持ってはいますが、雰囲気からして結婚記念アルバムを作成するための撮影だと思います。新郎が一緒にいる場合は間違いありません。


こちらは観光客の単なる記念撮影です。


こちらも単なる記念撮影です。ほんと沢山の人が写真を撮っていました。写真撮影で共通していることがありました。それはすべて女性だったことでした。


売店のある景色も魅力的な風景です。観光用のお店がおおくありますが、生活のためのお店や施設も見受けられました。一番手前のお店は写真撮影用の衣装を貸してくれるお店です。ここから5枚の写真は運河沿いの道なので周囲がひらけています。
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昔風の建物の売店の風景です。こちらも運河沿いです。
運河沿いの北側の道(山塘街)の住所は
 Shan Tang Jie, Mudu Guzhen, Wuzhong Qu, Suzhou Shi, Jiangsu Sheng
 江蘇省蘇州市呉中区木涜古鎮山塘街 です。
   江蘇省  Jiangsu Sheng
   蘇州市  Suzhou Shi
   呉中区  Wuzhong Qu
   木涜古鎮 Mudu Guzhen
   山塘街  Shan Tang Jie
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一番、食べ物屋さんが多かったです。
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こちらは牛皮糖というものを売っているお店です。
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運河沿いにはゆったりできるカフェもありました。欧米人に人気がありそうです。
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運河沿いから離れた太いメインストリートです。両側には沢山のお店が並んでいました。
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メインストリートを東にまっすぐ進んでいくと徐々に道が細くなってきます。
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路地のように細い道になりましたが、沢山の観光客が楽しんでいました。
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さらに細い道が続いていました。
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いろんなお店がありました。
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細い道の両側は昔の建物の一階部分を改造したのだと思います。実はこのようなところを見たかったのです。
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まだまだ細い道が続いていました。
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さらに進むと人通りがなくなりました。水路(運河)には新しい欄干が付けられるなどの改修が行われていますが、水路自体や建物は昔のままのようです。奥まで進んだおかげで、生活の場所を見ることが出来ました。観光化されていない木涜古鎮を見たかったのです。
そして木涜古鎮で電柱を始めてみました。珍しい電柱を見ることで、中国の観光地での電線類の地中化が進んでいることを実感いたしました。冒頭あたりの地図で下沙塘と書かれている場所だと思います。
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こちらが昔からの観光化されていない水路(運河)です。
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生活が感じられる水路(運河)を見たい念願がかないました。中国では観光客が多いあたりは復元されたり改造されてしまうことが多いので、昔のままの景観の写真を撮りたかったのです。
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posted by SORI at 21:14| Comment(8) | TrackBack(1) | 江蘇省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

蘇州 木涜古鎮の豪邸 厳家花園

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2015年11月14日は上海蟹ツアーとして、仕事仲間の日本人27名で上海蟹を食べた後に、チャーターバスで来たのが、蘇州の木涜古鎮(木渎古镇 / Mudu Ancient Town)でした。蘇州の木涜古鎮には運河の景観以外に、豪邸や寺などの観光スポットがいくつかあります。代表的な例として、厳家花園、明月寺、虹欽山房、古松園、王立鵬美術館、沈寿故居、傍眼府第、廊棚、西施橋などです。その中でも厳家花園が最も人気がある場所のようです。木涜古鎮に着いて最初に向かったのが今回紹介する厳家花園(げんかかえん)です。上の写真が厳家花園の入口です。
厳家花園は、清の乾隆帝時代の詩人である沈徳潜の別荘でした。その後、湾の厳家の住居であったことからこの名がついたようです。春夏秋冬の4つの風景の庭園で有名なようです。敷地面積は10656㎡(3223坪)だそうです。中国の単位では16畝だそうです。日本の畝の換算では1畝=99.173554m²(定義:30坪)ですが、中国の畝の換算では666.66667m²(定義:1/15ha)であることから計算すると10667㎡となり10656㎡に近い数値となりました。

木涜古鎮の中の厳家花園の位置をGoogle地図で紹介します。地図内で薄い赤色で囲った部分が厳家花園の敷地を表しています。その他の観光スポットもプロットいたしました。記念写真は虎丘斜塔を背景にして日本人27名全員で撮ったものです。私以外は中国に長期赴任されている方と、その家族の方です。左上の方向に我々のバスが停まった駐車場があります。
  厳家花園
  明月寺
  虹欽山房
  沈寿故居
  古松園
  王立鵬美術館
  傍眼府第
 ━━ 私が歩いた散策ルート
 ━━ 手漕ぎ舟に乗ったルート


案内板で厳家花園を紹介します。①~㉔で建物等を説明していますが、文字が分からないものはイメージ(太い文字の部分)にいたしました。クリックすると番号から場所が分かると思います。入口は左下の部分です。それぞれ区切られた庭は黄色の文字で書いているように春夏秋冬の4つの風景を表しています。
 ①怡宾厅 ②尚賢堂 ③明是楼 ④清荫居 ⑤ ⑥ 
 ⑦ ⑧ ⑨织翠轩 ⑩眺农楼 ⑪延青阁
 ⑫ ⑬ ⑭ ⑮见山楼 ⑯眺农楼 ⑰环山草庐
 ⑱听雨轩 ⑲ ⑳清荫轩 ㉑ ㉒ ㉓盎春
 ㉔采秀山房 ㉕宜两亭 ㉖琴室 ㉗ ㉘
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①怡宾厅 / 怡賓庁
入口の門を入った一番最初の建物です。
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その建物で気になったのが屋根の飾りでした。
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怡宾厅(①)の建物の中にはきれいな輿が置かれていました。奥方か娘さんが使われたのかもしけません。
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②尚賢堂
怡宾厅(①)の奥の建物が尚賢堂です。その建物の中です。
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厳家花園の庭は春夏秋冬の4つの風景を表しています。こちらは夏の季節を表した庭です。尚賢堂(②)の西側にあります。
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きれいに玉砂利が並べられた庭でした。
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玉砂利の部分を拡大いたしました。


こちらも玉砂利の庭でした。春を表した庭は玉砂利だけで、夏を表した庭と玉砂利と池で表現されていました。秋と冬を表現した庭は池が大きく配置されていました。池で作られた庭が5つに対して玉砂利の庭が3つでした。そのうち一つは利用法で表現されていました。
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尚賢堂(②)の前間庭と西側の庭の(⑥)との間の壁の飾り窓です。
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よく見ると瓦にも繊細な装飾が行われていました。
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(⑥)の壁に沿った通路です。
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厳家花園の中で最も北西にある庭です。
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それぞれの庭と庭との間は壁で仕切られていました。
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壁にあけられた通路も趣向が凝らしてありました。
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ここの通路は一番重々しい雰囲気でした。
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厳家花園の北側の中央の庭で、厳家花園の中で一番有名な庭のようです。
环山草庐(⑰)から見た景色です。庭園の特徴は太湖から運んだ太湖石の庭のようです。
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环山草庐(⑰)から、その一番の庭の写真を撮る人が沢山おられました。


厳家花園を囲む塀に沿った道も趣がありました。
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厳家花園の中で一番大きな庭で、庭の中に采秀山房(㉔)と宜两亭(㉕)と(㉗)と(㉘)がありました。
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posted by SORI at 11:56| Comment(12) | TrackBack(1) | 江蘇省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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