2015年03月13日

寒くてもキリンは元気でした。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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雪の旭川の動物園の屋外にいて驚いたのが、ライオンとキリンでした。特にキリンさんは雪の中でも元気にしていました。見学に来ている人も満足そうでした。

キリンさんの姿はきれいです。こちらのキリン館は舌がテーマのようです。食事をするとき長い舌がよく見えるような工夫をされているようですが、残念ながら食事時間ではありませんでした。
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雪を食べているのにも驚きました。是非クリックして拡大写真を見てください。
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突然に、ベニア板を食べ始めました。驚いて動画をとったのでYouTubeに登録いたしました。
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2015年03月12日

モスクワでは、郊外がバスで、街中が路面電車とトロリーバスでした。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事でサンクトペテルブルグからエトアニア国境近く小さな村に行く道には沢山のバス停があることを紹介しましたが、モスクワ近郊でもバスが活躍していました。この日はモスクワと地方の往復で500kmを車で走りましたが、バスの停留所を沢山見かけました。交通手段として、バスがよく使われているようでした。

もう1枚、バスの停留所の写真を紹介します。上の写真よりは少し町に近づきました。


モスクワの町に入るとバスよりも路面電車の方が目立っていました。
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路面電車を大きな写真で紹介します。
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街中では路面電車に加えてトロリーバスが多く走っていました。
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モスクワと、前記事で話題となったサンクトペテルブルグとエストニアとの国境近くの小さな村の位置関係を紹介します。地図をクリックすると走った道をGoogle地図で表示いたします。
  1 モスクワ
  2 サンクトペテルブルグ
  3 訪問したエストニアとの国境近くの小さな村
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追伸です。
ちゅんちゅんちゅんさんのコメントに応えて、1935年に開業して現在世界第二位の利用者数(下記)のモスクワの地下鉄の写真と路線図をネットから拝借して掲載いたしました。
  モスクワ地下鉄 12路線 293.1km 平日 800~900万人/一日
  東京地下鉄    13路線 304.1km 平均 1078万人/一日 (2011年)
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右は東京の地下鉄路線網の1927年から2008年までの変遷です。
東京の地下鉄は銀座線の浅草~上野間(2.2km)が1927年に開業しました。それより12年前の1915年に郵便貨物用の地下鉄が東京駅地下に開業していたのでモスクワよりもかなり早く地下鉄が存在していたことになります。Wikipediが提供している路線図の表示間隔を圧縮して掲載させてもらいました。
posted by SORI at 23:57| Comment(10) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

辺境の地での移動はバスが一般的

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

サンクトペテルブルグからエトアニア国境近く小さな村に行く道沿いには沢山のバス停がありました。ほとんど人が待っていませんでしたが、沢山の人が待っている停留所がありました。すると前からすぐにバスが来ました。
その雰囲気から運行間隔は長いためにバスが来る時間に合わせて人が集まってきていたのだと判りました。

我々は赤色ラインをチャーター車で往復いたしました。今回の写真はすべてその時に撮ったものです。
クリックすると拡大同じ車に通訳として乗っていただいた右の写真のサンクトペテルブルグ大学日本語学科出身の方の話によれば、サンクトペテルブルグあたりでは鉄道よりもバスが便利で安いため旅行にバスをよく使っているとのことでした。ヨーロッパも意外と近くてバスを利用してヨーロッパに行く人も多いそうです。各方面に長距離バスも沢山出ていると話してくれました。


これバスが冒頭で説明したバスです。サンクトペテルブルグ→エトアニア国境近く小さな村まで、190kmの一般道路を2時間40分走ったにも関わらず、すれ違ったバスは写真のバス1台だけでした。


バス停は沢山ありましたが、バスとは滅多にすれ違いませんでした。帰りのエトアニア国境近く小さな村→サンクトペテルブルグでも、サンクトペテルブルグ近くを除けば、すれ違ったバスは写真の2台でした。朝夕は判りませんが、見かける頻度から推測すると昼間は数時間に1本程度と思われました。長距離の特急列車は1日に1本だったので、バスの本数が少ないのには納得でした。


サンクトペテルブルグの町に近くなってからはバスを何台か見かけました。


こちらにもバスが写っています。サンクトペテルブルグに近づくと渋滞していました。


こちらが今回、走った道の景色です。
写真をクリックするとその時の車窓を紹介した記事を表示します。
ラベル:バス ロシア
posted by SORI at 23:42| Comment(14) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシアでも昼間に点灯して走っていました。



ヨーロッパでは昼間でも点灯して走る車が多いことは以前に紹介いたしましたが、ロシアでも点灯して走る車が多かったです。

ロシアの車やヨーロッパの車はエンジンをかけると点灯するようになっているそうです。一緒に来るのに乗っていたサンクトペテルブルグ生まれの人に事情を聞いて判りました。点灯して走る目的の大きなものが森林の動物との事故を防止すためだそうです。つまり動物への注意喚起が目的の一つであるということでした。なるほど道路の脇の森林を見ていて納得でした。


サンクトペテルブルグに近いところです。沢山の車が点灯して走っているのが判ってもらえると思います。


モスクワから南80kmの中央分離帯のある高速道路です。


こちらはモスクワから南南東に160kmの場所です。
posted by SORI at 11:31| Comment(10) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

この南京錠の意味は?

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

この時は成田ではなく羽田から関空経由で中国に入りました。
そして、すでに紹介している世界遺産黄山に来ました。断崖絶壁の部分には安全のために鎖が取り付けられていますが、その鎖に南京錠が沢山付いていました。
この願掛け南京錠の意味は? → なんとなく想像つきますが答えは最後に

さらに南京錠の付いた鎖の写真を紹介します。


ほんとうに沢山の南京錠が付けられていました。鎖に直接、南京錠を取り付けたいために最近は長いシャックル(Shackle)の南京錠が多くなっているようです。


こちらは20年前の1995年9月7日に同じ黄山に来た時の写真です。この頃からすでに沢山の南京錠が鎖に取り付けられていましたが、今に比べると少ないです。この時はデジカメはなかったのでアルバムの写真を掲載いたしました。


この場所が最も南京錠の数が多かった場所です。
下は100m以上の垂直壁で、鎖に囲まれている部分はオーバーハングしています。ここに立って記念撮影をいたしました。
髪の毛が寝癖でちょっとかっこ悪いけれども、いい記念になりました。カバンも落とさないようにタスキにかけて歩きました。


20年前の1995年9月8日に同じ場所で撮った写真がありました。今回は上の写真のように霧で景色が全く見えませんでしたが、晴れたらすばらしい景色であったことが判ってもらえると思います。


迎客松が一番有名ですが、この写真の松も有名な松の一つです。この写真を見れば、願掛け南京錠の意味が分ってもらえると思います。
願掛け南京錠の答えは次の通りです。
クリックするとかく拡大恋人同士(もちろん夫婦も)で南京錠を鎖に付けて鍵を谷底に投げるのです。決して離れることがないとのことです。確かに鍵を探し出すことは出来ません。
この松の名前は「連理松」で2つの松がくっついているのです。南京錠を付けるにふさわしい夫婦松だったのです。松の上の方を撮っていなかったので右の写真をネットから拝借させていただきました。連理松は黄山・十大松の一つです。十大松とは迎客松、望客松、陪客松、送客松、黒虎松、 連理松、探海松、臥龍松、竪琴松、団結松です。


有名な黄山の景色を紹介しておきます。是非とも写真をクリックしてみてください。
この景色に向かって二人の思いの鍵を投げるのです。
クリックすると拡大

こちらも黄山(ふぁん・しゃん)の景色です。
西洋の錠前がなぜ南京錠と言われたのか調べてみました。「暮らしのことば新語源辞典」の記載内容は下記の通りでした。
わが国では外国から渡来したものに古くは「から(唐・韓)」を冠することが一般的であったが、近世には「南京豆」「南京虫」「南京更紗」などのように「南京」を冠することが多く、「南京錠」も同様で、外国から渡来した錠前の意で命名された。
クリックすると拡大

どの景色をを見ても幻想的でした。ここまで来て南京錠を鎖につけてみる価値がありそうです。カップルで是非とも着てみてください。
左の断崖の天辺に乗った小さな岩は「猿石」と呼ばれています。黄山に住んでいた猿が人間の娘に恋をして、下界を眺めている内に石になったと言い伝えられています。数年前に、この猿石が倒れて、なおす工事が行われたと聞きました。
クリックすると拡大

このようなところも歩きます。両方ともに同じ場所です。左が下から撮った写真で右が上からの写真です。霧のために下が、まったく見えませんでしたが上も下も100m以上の垂直の壁だそうです。晴れていたら相当に怖かったと思います。以前に紹介した美人のガイドさん(赤い服の人)は慣れた感じで軽やかに歩かれていました。
クリックするとガイドさんを拡大します。

航空写真で黄山を紹介します。このあたり一体が黄山です。ほんの一部だけ人が近づけることが判ります。今までにロープウェイは3本とも乗りました。乗った回数は12回です。この時は太平ロープウェイで登って玉屏ロープウェイで下りました。
   北海賓館 宿泊したホテル
   訪れた絶景スポット 清凉台 白鵝峰 飛来石 光明頂 蓮花峰 迎客松
   太平ロープウェイ 1回 3704m長 1997年7月完 オーストリア製
   玉屏ロープウェイ 3回 2012m長 1996年9月完 オーストリア製
   雲谷ロープウェイ 8回 2804m長 1986年5月完 日本製
クリックするとオリジナル地図を表示
より大きな地図で 黄山 を表示
以前に「4分間だけの景色」というタイトル紹介した景色です。クリックすると記事を表示します。
クリックすると記事を表示

日の出の時間帯の景色です。こちらもクリックすると記事を表示します。
クリックすると拡大
ラベル:南京鍵 黄山
posted by SORI at 23:58| Comment(54) | TrackBack(1) | 黄山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

黄山の「岩」と「松」

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大クリックすると拡大黄山を一言で言えば「岩」と「松」と「雲」の芸術です。今までに紹介した景色は天気が「霧」であったことから右の写真のような「雲」を中心とした幻想的な景色を紹介しました。
黄山には20年前から6回ほど来ていることから、ここでは晴れた日の写真が含まれる昔の写真を中心に「岩」と「松」の魅力的な景色を紹介したいと思います。上の写真は見事に晴れた時の写真です。

こちらでは8枚の写真を2秒間隔で表示いたします。黄山の山々は古生代(5億4200万~約2億5100万年前)の間にできたそうです。その後、1億年以上の歳月の間に氷河や風雨による岩石の浸食が繰り返され、現在のような断崖絶壁の景観ができあがったそうです。代表的な景勝ポイントとしては蓮花峰、光明頂、天都峰、煉丹峰、獅子峰、始信峰、鼈魚峰、西海群峰、東海奇景、筆峰、筆架峰、芙蓉嶺、玉屏峰、鰲魚峰、清京台、白鵝峰、皮蓬、迎客松、黄山温泉、一線天、蓬莱三島、鯽魚背、天都峰、竜頭石、酔石、飛来石、九竜瀑、百丈瀑、人字瀑、鉄線潭、五竜潭、翡翠池、神仙洞、慈光閣、玉屏楼などがあります。黄山(ファンシャン/こうざん)は1990年に世界遺産に登録されました。


こちらの写真の黄枠の中を注目してください。この次の写真は黄枠の部分を拡大したものです。写真をクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

こちらが上の写真の黄枠部分を拡大したものです。人が立っているのが判ってもらえると思います。我々の仲間3名が、隣の岩場の上に登った写真です。ここに行くためには、かなり下りて登ることが上の写真から判ってもらえると思います。


こちらの写真が、向こう側(黄枠の部分)に渡った仲間が、我々を撮った写真です。一番右側の水色のズボンを履いているのが私です。いい記念になりました。この後、我々も上の写真の岩場に登りました。


解像度が悪くなりますが人のいるところを拡大いたしました。私も含めて仲間5名が写っています。一人が手を振っています。
クリックすると拡大

こちらも有名な観光スポットとです。岩場の上に大きな岩が乗っています。この大きな岩が飛来石です。飛来石が乗っている峰には飛来峰と名前がついているようですが、わざわざ飛来峰とは呼ばずに飛来石と呼んでいるようです。


上の写真から飛来石の部分を拡大いたしました。人が写っているので飛来石の大きさが判ってもらえると思います。完全に平らの岩場の上に不安定な形で乗っていることも判ってもらえると思います。


もちろん飛来石のところまで行き、記念写真も撮りました。右の写真で飛来石の大きさが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大クリックすると拡大飛来石には金色の文字が書かれていました。右の緑色の文字の写真はネットから探しました。金色の文字の方は右下の写真の文字の部分の縦横比を調整したものです。 文字の色が違うのは色を塗り替えたか変色したのだと思われます。文字は「畫境」あるいは「書境」あるいは「晝境」だと思われます。第一候補の「畫境(画境)」の意味は次の2つです。
 ①絵にかかれた境地・雰囲気
 ②絵をかくときの心境


きれいに晴れた写真は少ないので、こちらも掲載させていただきました。こちらの写真は、次の南京錠をテーマにした記事にもつかわさせていただきます。


縦長の写真で黄山の「岩」と「松」を紹介します。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大クリックすると拡大

黄山には3本のロープウェイがあり、いずれも乗りました。いずれも乗ったゴンドラからの景色です。
  名前           完成   全長  高低差 
 云谷索道(雲谷ロープウェイ) 1986年5月 2804m 773m 日本製
 玉屏索道(玉屏ロープウェイ) 1996年9月 2012m 750m オーストリア製
 太平索道(太平ロープウェイ) 1997年7月 3704m 1015m オーストリア製
雲谷ロープウェイ 1995年9月7日に初めて乗りました。
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玉屏ロープウェイ 完成した年、1996年10月17日に初めて乗りました。
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太平ロープウェイ 2006年3月20日に初めて乗りました。
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黄山の最高峰である莲花峰(蓮花峰 1864.8m)に登った時の写真です。右の写真は籠に乗っていますが、念のため2台の籠を雇っていて、試しに莲花峰からの下りの一部で少しだけ乗った時の写真です。登りはすべて歩きました。



こちらは1回目(1995年9月7日 左)と3回目(1996年9月27日 右)に来た時に皆で撮った記念写真です。右の写真は雲谷ロープウェイの乗り口で撮った写真です。こちらの写真もクリックすると拡大いたします。
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ラベル:黄山
posted by SORI at 21:09| Comment(34) | TrackBack(1) | 黄山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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