2015年01月31日

名峰「黄山」の水墨画

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

この絵は名峰「黄山」の水墨画です。黄山には今までに6回来ていますが、お土産を買ったのは1回だけでした。それがこの水墨画です。
20年前の1995年9月8日に初めて黄山に行ったときに水墨画を2枚買いました。その中の一枚が上の水墨画です。こちらは黒の墨だけの水墨画でした。

絵だけを持ち帰って下のように2枚共に日本で額に入れました。
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もう一枚の水墨画がこちらです。こちらは、少しだけ青い色がつけられています。少し青みがかかった水墨画に目が行き最初に、こちらの青みがかかった水墨画を買いました。そして水墨画らしい水墨画と言うことで上の絵を買いました。


額に入れた状態も紹介します。写真は少し斜めからになってしまいました。正面だと表面にカメラが反射してうまく撮れなかったのです。


どちらの画にも名前のところに嘉福寫と書かれています。「嘉福寫」は「嘉福が書いた」という意味なので嘉福という名の人の作品です。2枚は同じ作者のようです。この水墨画は黄山の麓のホテルで購入しました。有名な人の画には偽物が多いので気になっていました。もちろん偽物がでるような有名な作者なのかどうかも、まったく判りませんでしたが、雰囲気が2枚とも気に入っていました。
クリックすると拡大最近、この作家の方を黄山でガイドしてもらったサイさん(右の写真の方)に調べてもらいました。 驚いたことに、この作家の方は元は男優で、今は画家だそうです。そのような経歴なので、画家としては有名ではなかったことから、偽物はほとんどないとのことなので安心しました。
名前:劉嘉福(刘嘉福) 北京の人 落款の字は「嘉 福」
ネットで調べてみると1988年の日本の映画「敦煌」に、この人の名前がありました。サイさんにも映画「敦煌」に出演している劉嘉福であることを確認いたしました。

敦煌では敵軍の将軍の役 範將軍
中国映画芸術家学会会員 1943年4月1日うまれ
北京電影制片廠の俳優。1943年4月1日うまれ、北京市の人、回族
1966年に北京電影學院を卒業し、北京映画撮影所俳優劇団に配属し以来20部以上の映画に出演
出演した主要な作品                            
《南征北戰》(團長)、《牛角石》(拖拉機手)、《年輕的朋友》(團長)、《紅雨》(玉柱)、《海上明珠》(大海)、《海囚》(唐金德)、《雙雄會》(劉學敏)、《蘇祿國王與中國皇帝》(紀剛)、《敦煌》(範將軍)、《蘭天劍》(工程師)、《山鄉驕子》(四旺)、《泉水默默地流》(方蘇)、《嶽臨城下》、《雷雨》など 現在、中國電影表演藝術家學會會員。
右の写真(劉嘉福さん)はネット から拝借しました。 

敦煌のキャスト
西田敏行、佐藤浩市、中川安奈、新藤栄作、原田大二郎、三田佳子、柄本明、綿引勝彦、蜷川幸雄、鈴木瑞穂、田村高廣、渡瀬恒彦、辻萬長、頭師孝雄、頭師佳孝、伊藤敏八、竹村晴彦、松村冬風、加藤和夫、洪学敏、劉嘉福、趙汝平、高?、李澤泉、旺堆、熱依木、鳥木絢人、天田益男 、重水直人、高橋成悟、池上尚吾、澤山雄次、矢山治、佐々木文夫、山田明郷、森岡隆見、木村栄、長沢遼、鞆森祥悟、宮坂ひろし 、夏坂祐輝、山田博行、竹之内啓嘉、大木戸真治、小林清志、峰恵研、勝生真沙子、阿南美佳 、木原清久、内田大貴、久世七曜会、丹波道場、

映画「敦煌 」のあらすじ(ネットより)
北宋のころ主人公、趙行徳(佐藤浩市 )は科挙の最終試験を受けるため首都開封にやってきた。行徳に出された問題は「西夏対策を述べよ」であったが、西夏が単なる辺境だと思っていた行徳はまともに答えることが出来ず、受験に失敗する。 敦煌DVD
失望感のあまり自暴自棄になっていた行徳は、ひょんなことから西夏の傭兵、朱王礼(西田敏行 )に拾われて、漢人部隊の書記となった。辺境だとばかり思っていた西夏はシルクロードの拠点として仏教文化の華開く砂漠のオアシスだった。こうして月日は流れた。やがてその才能を認められた行徳は、恋人であるウイグルの王女・ツルピア(中川安奈 )の庇護を朱王礼に託し2年間留学することとなった。しかし留学期間が延び、ようやく西夏に戻ったときには、ツルピアは既に西夏の皇帝李元昊によって見出され、力ずくで取り決められた妻としての輿入れの日だった。婚礼の席上、ツルピアは隠し持っていた剣で謀反を企てようとするが李元昊に見破られ失敗、そのまま城壁から身投げしてしまう。失意の行徳をよそに、朱王礼は皇帝への反乱を決行し、戦死する。行徳は敦煌の文化遺産を戦乱から守ることを決意する。

                              
写真と比べてどうでしょうか。水墨画はタイトル世界遺産 4分間だけの景色で紹介した下の写真の表黄山を山の下から描いた感じです。
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こちらは裏黄山の早朝の景色です。記事世界遺産 幻想的な朝の景色に出会えました。でも黄山の景色を紹介いたしました。
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それ以外の黄山の景色です。写真をクリックすると拡大します。
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1990年には中国芸術学会から劉嘉福山水画集が出版されており画家としても有名になってきたと思われます。
日本のネットサイトで劉嘉福の水墨画の写真を見つけました。押されている印はそっくりです。この水墨画は(株)縁のホームページの商品紹介の中にありました。絵は掛軸で掛軸の寸法は縦155cm x 横53cmから山水画自体の寸法を類推すると65x43cmになります。我家の山水画の寸法は額に入っているので正確には判りませんが、こちらも類推ですが2枚共に64x42cmなので、ほぼ同じ寸法と言えます。我家の画の方が繊細で柔らかな感じがします。
クリックすると記事を表示クリックすると記事を表示

中国のネットサイトでも劉嘉福の水墨画も出ていました。一番左の水墨画は私の2枚目のように色が使われいる上に画風も似ています。黄山松云と名付けられた掛軸で2008年春の競売会に出品され2008年4月29日に競売が成立した作品です。作品は掛軸に貼られている画で、130×64.5cmと比較的大きいです。作品の種別は国画とのことです。
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ラベル:黄山 水墨画 映画
posted by SORI at 23:59| Comment(38) | TrackBack(0) | 黄山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界遺産 4分間だけの景色

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早朝の黄山を紹介させてもらったので、こちらも紹介させていただきます。
霧に覆われ始め次の瞬間には景色は霧で覆われ見えなくなってしまいました。ここは黄山の南側で南側一帯は表黄山と呼ばれています。北側の裏黄山も魅力的でしたが表黄山の、この景色も息を呑んでしました。今回まで黄山は桂林と同じ石灰岩と思っていましたが実は花崗岩なのです。花崗岩が風化してこんな景色が!!! 自然現象とは言え関心してしまいます。黄山は松と雲と山の世界でした。
写真の記録から見ると上の写真は9時6分30秒に撮影したものです。

この下の写真は9時7分29秒(59秒後)でした。上の写真に比べると雲が増えているのがわかると思います。ほんの1分間で景色が変わっていきました。
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この写真は9時9分16秒(2分46秒後)でした。これも冒頭の写真とは僅かな時間差です。この後すぐに山の景色が見えなくなりました。これらの景色を見ることが出来たのは4分間でした。まさに4分間だけの景色でした。
ここは白鵝峰(峰は正確には山へんに令)という場所です。
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私の写真が次のホームページに使っていただいたので紹介いたします。You Tubeのメール機能で写真利用希望の連絡はいただき承諾させていただいた結果ホームページ完成の連絡をいただいたわけです。そのホームページを紹介いたします。お父様のために息子さんが作られたそうです。
 名前 平岡整体院
 URL http://seitai-hiraoka.com/index.html

日本のTVでも頻繁に黄山が取り上げられるようになりました。
TBS THE世界遺産~黄山  「雲海わき立つ天下の名景」
安徽省南部の大小72の峰々からなる「黄山」。美しい景色の黄山は、中国随一の名山と称えられ、李白を初めとして、この地を訪れ魅了された詩人や画家は数知れず、多くの優れた詩や芸術作品が生み出された。1990年、自然と文化の複合遺産として世界遺産に登録された。現在、中国十大風景名勝の1つに数えられ、年間約200万人の観光客が内外から訪れる。雲海 「瀑布雲」と呼ばれ、巨大な雲の滝が山々の間を流れ落ちるように見える絶景は圧巻。
水墨画 地元で水墨画を描き続ける画家を取り上げ、いかにして雲海が描き出されるかをカメラが捉えた。
posted by SORI at 16:55| Comment(84) | TrackBack(6) | 黄山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

新天地 史跡編

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2015年1月22日に上海鍋を食べた新天地には史跡としての価値がある建物がありました。それが今回紹介する建物です。沢山の人が集まっているあたりの建物の中で1921年7月23日~7月31日に中国共産党を設立するための会議が行われました。つまり外国に支配されていたころ、今の共産党の前身の組織で秘密裏に共産党を作るための会合が行われていた建物です。修学旅行生と思われる人たちが沢山来ていました。

その会議のことを中国共産党第一次全国代表大会と呼ばれています。
中国語では「中国共产党第一次代表大会」となり、会議名は中共一全会議、一全大会、結党大会、第一回党大会などとも呼ばれています。現在、その建物は中国共産党第一次全国代表大会会址記念館になっており、館内には当時の様子を示す資料などが展示され、歴史や社会背景の解説もされているようでした。
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全国重点文物保存単位

中国共産党第一次

全国代表大会会址


中華人民共和国国務院

一九六一年三月四日公布


こちらが内部を見るための参観券(入場券)です。実は参観券は無料なのです。参観券には中共一大會址記念館と書かれていました。英語の表現はMemorial for the site of First National Congress of Communist Party of China でした。


一番右側の門のところで参観券を受け取るのですが、無料だとわかるまで手間取りました。参観券を受取って、一番左側から2番目の門から係員に参観券を見せてはいりました。無料なのに参観券が
必要なな理由は、訪問者数を数えているのか、記念に参観券を渡しているのかは判りませんでしたが、もらえて記念にはなりました。記念館内は写真に撮って紹介したいものが沢山にありましたが、残念ながら内部は撮影禁止でした。


クリックすると拡大この建物の一部分が上海の代表である右の写真の李漢俊(東京帝国大学出身)の私邸でした。出席者は各省代表13名と列席者六十余人でおこなわれました。代表の中に日本の大学出身者が4名いました。李漢俊の他の3名は李達(東京帝国大学出身)、董必武(日本大学出身)、周仏海(京都帝国大学出身)でした。13名のメンバーを見ていると列強からの抑圧された環境に耐えかねて、危険を承知で超エリートたちが立ち上がって共産党を作ったことが伝わってきました。
左側の壁面に4つ並んだ玄関の左から2つ目の玄関の部分が会議が行われた李漢俊の私邸でした。左から1つ目と2つ目の玄関の間に冒頭から2枚目の写真で紹介した「全国重点文物保存単位」の表示がありました。
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クリックすると拡大左から2つ目の玄関の部分が李漢俊(李汉俊)の家でした。家の前での記念撮影は絶えませんでした。クリックすると李漢俊の家の部分を拡大いたします。
会議の4日目となる7月30日に密偵に探知されたために討議を一時中断してメンバーはただちに裏口から逃走して、会議は浙江嘉興県に移され、再び討議が続けられたそうです。ここの建物ないには飲みかけの茶碗がそのままテーブルの上に置かれた当時の様子が生々しく再現されています。その室内の右の写真はネットから転用させていただきました。
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建物を別の角度から見ました。新天地の記事を書くのは今回が3つ目です。タイトルをクリックすると記事を表示します。
  新天地 レストラン編
  新天地 ディナー編
  新天地 史跡編


ここが出口になっていました。当時としては、こちらが正面玄関なのかもしれません。


玄関の右側の縦表札には「中国共産党第一次全国代表大会會址記念館」と書かれており左には「上海革命歴史博物館籌備処」と書かれていました。こちらはクリックすると拡大いたします。
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出口部分の通路です。この通路の両側にある部屋にもいろんな展示物が置かれていました。


出口部分の上には「樹徳里」と書かれていました。樹徳里は当時の時代の地名です。上海市のフランス租界内の貝勒路 樹徳里3号(現在の興業路76号)です。


左側の建物が今回紹介の中国共産党第一次全国代表大会會址記念館です。右側の建物も古い感じがしますが似たデザインです。このことから記念館は外壁をリニューアルしたと推測され、きれいにする前は左側の状態に近かったのではないかと思われました。クリックするとさらに顕著に判ると思います。100年の歴史を考えると右側の建物の状態でも見事に保存されていると言えます。この写真はコメントを5つ頂いた段階で追加させていただきました。
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観光バスも頻繁に訪れていました。最近、上海では二階建ての循環観光バスが増えてきた気がします。2階がオープのバスも多く見かけます。


7月30日の夜に租界の巡査( or 密偵)に気づかれ、会議が一時中断されましたが、代表はそれぞれ浙江省嘉興の南湖に移動し、下の写真の一隻の船の中で最後の会議を行ったそうです。


13名の代表は下記の写真の毛沢東、董必武、何叔衡、陳潭秋、鄧恩銘、王尽美、李達、李漢俊、包惠僧、劉仁靜、張国燾、陳公博、周仏海です。
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ラベル:新天地 上海 史跡
posted by SORI at 18:35| Comment(14) | TrackBack(1) | 上海 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

世界遺産 幻想的な朝の景色に出会えました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前日の夕方にロープーウェーで世界遺産の黄山の山頂へ! それも特別に営業時間外の運行をしてもらって山頂のホテル北海賓館で一泊しました。
上の写真は、その前日の状態です。
山頂は霧! 嫌な予感! ほとんど何も見えなかった前年の再現!か?

でも前年と違うのは時間帯! 去年は50km離れた市内のホテルから朝出発したこと! 時間的な違いに僅かな期待!
だけど次の日の朝も霧 う~~ 残!!!!!!!!!
その日の日出の予定時間は6時10分
霧で景色は見えそうもなかったけれど、とりあえず御来光スポットの清凉台に行くためホテルを5時30分に出発し、 懐中電灯を頼りに! ではなくて携帯電話の液晶画面の光を頼りに清凉台まで!(懐中電灯を忘れただけのこと。) 5時40分の時点では暗闇と霧で全く見えない状態でした。
ところが5時51分に突然、霧が晴れ始め幻想的な景色が現れ始めました。暗いけれど遠くの山の形がわかります。写真をクリックするとより判りやすいと思います。
クリックすると拡大

6時02分に撮ったものです。本当にラッキーでした。ガイドのサイさんもホテルを出発する時から、今日は景色が見えないと思います。と何度も言われました。日の出少し前です。 こちらで、最も気に入っている写真です。是非ともクリックして拡大写真を見てください。
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6時10分です。丁度 日の出予定時刻です。もちろん雲と霧で太陽は見えませんが幻想的な景色が明るくなってきました。 こちらもクリックすると拡大します。
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6時22分です。日の出から12分経つと随分と明るくなりました。こちらもクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

ちなみに写真の女性は今回の我々のガイドのサイさん。日本語が上手の上、美人!ブログに載せることの了解をもらいモデルになってもらいました。もちろんサイさんもこのブログは見れます。


5時34分にフラッシュを使って写真を撮りました。霧の深さがわかって貰えると思います。確かに、この霧であれば、サイさんの言われる通り、遠くの景色はまったく見ることが出来ないはずでした。


5時51分にサイさんと記念写真を撮ると、こんな感じでした。 暗いけれど霧が晴れて遠くに山が影が見えるのが判って貰えると思います。ここは中国の世界遺産 黄山です。


黄山は日本語では"こうざん"と読みますが、最近では日本人同士でも、中国語読みの"ファンシャン"と呼ばれることが多くなった気がします。黄山は広大な154km²の範囲に標高1864mの蓮花峰をはじめとした千数百mを超える沢山の山で構成されています。
明るくなって扇子松(Fan Pine tree)の前で記念撮影をしました。
この後は北海賓館に戻って朝食にしました。
皆で朝食を食べた後に、この場所でみんなで記念撮影をいたしました。早朝の話をすると皆さん残念がられていました。
サイさんにお子様が生まれたと、人伝に聞きました。サイさんおめでとうございます。

赤い防寒着は北海賓館が貸してくれたものです。


さらに、この時の仲間の一人で、中国をはじめとして多くの国に何度も一緒に出張した人(XXさん)が、2015年1月17日に結婚いたしました。
XXさんおめでとうございます。右の上側の写真が黄山でのXXさんとサイさんで、下側がXXさんの結婚式の写真です。顔が判らないように小さな写真にさせていただいたおります。偶然ですが、私は同じ日である2015年1月17日に中国の安徽省で別の人(YYさん)の結婚式に参加させてもらい、二次会ではXXさんとYYさんの二次会をインターネット回線を使ってつなぎ、両方の二次会に参加できる予定でしたが、残念ながら日本側のネット回線の不具合のためにXXさんのソーシャルネット二次会には参加できませんでした。
右および下が中国での二次会の会場の写真です。新郎(YYさん)と新婦席の後ろの大きなスクリーンにXXさんの二次会会場の様子が写り出されるはずでした。ちなみにXXさんもYYさんも日本人です。縁があることに結婚式に参加した安徽省は本記事の主題である黄山があるところです。
posted by SORI at 18:47| Comment(75) | TrackBack(12) | 黄山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月28日

1月22日は新天地で上海鍋 壱火鍋会所 ディナー編

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2015年1月15日から中国に行っていて、帰国前日である1月22日に上海に出てきました。その日はすでに前記事で紹介させていただいたように私の誕生日であったことから、上海で話題の場所の一つである新天地にあるレストランで火鍋を上海に住んでいる3名のから、ご馳走になりました。上海の3名の中の1人は1996年以来の親しい友人で、生まれも育ちも上海の、生粋の上海っ子です。
新天地はフランス租界時代(1849年4月6日~1943年2月23日)の洋風の高級住宅地の建物をレストランなどにリニューアルした場所で、洒落たレストランが沢山ある場所でした。ここは2年前の2013年1月25日に来たことがあり、昼間の景観を紹介したことがありました。その時、この場所でディナーを食べてみたいとおもいましたが、今回、その思いが実現いたしました。
煉瓦と御影石で出来た上の写真の建物で食事をいたしました。

御影石が、ふんだんに使われた高級レストランでした。私のために、すばらしいレストランを予約していただきました。お店は壱火鍋会所といいます。
 店名 壱火鍋会所 (壹火锅会所)
 住所 上海市盧湾区復興中路535号思南公館30号
 電話 021-54218322
 定休 年中無休
 営業 11:00~02:00
 URL http://r.gnavi.co.jp/shanghai/jp/cs10224/


食事は6人テーブルの個室で食事をさせていただきました。すでに4人分の席がセットされていました。


箸は、長い箸と普通の箸の2種類が置かれていました。長い箸は鍋からの取り箸です。また食材が取りやすいように穴の開いたお玉も各自の席に用意されていました。


日本のポン酢に近いオリジナルのタレに4種類の薬味が用意されていました。薬味は店員の方に言ってしれてもらいます。4種類の薬味はネギとパクチとニンニクと唐辛子で細かく刻んでありました。私はネギとパクチを入れてもらい、少しだけ唐辛子も入れました。
ポン酢系のタレなので日本式の鍋ですかと聞くと、上海から昔からある鍋だそうです。名前をつけるとすれば上海鍋で、中国流に言えば上海火鍋になります。


こちらが鍋です。素材は銅製のようでした。加熱は電磁式でした。
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前菜は果物でした。最近は前菜に果物が出されることが多くなったような気がします。2つの果物はドラゴンフルーツとパパイヤです。


鍋に入れる具はメニューから選びます。この薄切りの牛肉を2皿ほど頼んでいただきました。まさにシャブシャブです。
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アワビも一人に一個頼んでいただきました。
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団子は4種類ほど頼みました。肉系と海鮮系の肉団子でした。
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オクラも頼みました。すでに湯通しされていました。
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春菊も頼んでもらいました。背の高い器に縦に入れられて出てきました。
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立派な椎茸です。


凍らした豆腐も頼みました。椎茸と長ネギも入っています。椎茸は日本風の切込みが入れられていました。
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霜降りの豚肉も頼みました。ダシの元になるので後で食べてほしいと説明されました。
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さっそく薄切りの牛肉をいただきました。まさにシャブシャブです。
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肉団子も美味しかったです。
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オクラと霜降り豚肉もいただきました。
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凍らした豆腐は味がしみて意外と美味しかったです。豆腐を凍らせる理由が判りました。
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ビールも美味しくいただきました。こちらのお店はアジア最大の10mワインクーラがあることでも有名なのでワイン通の人にもお薦めかもしれません。


アワビは厚肉でした。
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内モンゴルで一緒に羊のシャブシャブを食べた話題がでたので、さっそく追加で羊のシャブシャブ用の肉も頼みました。
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イカも追加いたしました。
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野菜も追加しました。追加の野菜は春菊とホウレンソとトウモロコシです。鍋にホウレンソウを入れるのは初めてでしたが、美味しかったです。
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すり身も追加しました。
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肉とイカです。
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やっぱり鍋はいいですね。湯気を見るだけで温まります。
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締めは、うどんにいたしました。
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この状態の鍋にうどんを入れました。うどんは見えませんが、底にうどんが入っています。味を想像してみてください。美味しいダシになっていました。
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昼間に新天地を訪れた時の写真です。クリックするとその時の記事を表示します。
クリックすると記事を表示

上海租界時代の写真をWikimediaから転用させていただきました。
1920年の上海・九江路の写真のようです。
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ラベル:火鍋 上海 新天地
posted by SORI at 21:42| Comment(22) | TrackBack(1) | 上海 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

ホテルからの誕生日プレゼント

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2015年1月15日から23日まで中国に行っていました。帰国前日の1月22日に地方都市から上海に移動してきて、以前にも紹介したこともある上海のホテルに泊まりました。驚いたことにホテルをチェックアウトする時に写真の誕生日プレゼントを頂きました。実は1月22日は私の誕生日だったのです。ホテルは箱の表に書かれているようにHotel Okuraが指導管理しているOkura Garden Hotel Shanghai(花園飯店 上海)です。この日は安徽省の蕪湖を7時15分に車で出発して、花園飯店に11時20分に到着いたしました。本来のチェックイン時間より早かったので心配していましたが、すぐにチェックインしていただき、急いで部屋の準備をしてもらい11時40分には部屋に入れていただきました。この辺りの対応も気が利いていました。
 今までの花園飯店の記事 → 客室 歴史 夕食 朝食 朝食 朝食

封筒の中には生日快乐(生日快楽) Happy Birthdayと書かれていました。おめでとうの直訳である祝福の文字はありませんが、一番よく使われるという意味では「誕生日おめでとうございます。」となるのでしよう。うれしいですね。
チェックアウト時に誕生日祝いが渡されたのは、チェックインして部屋に11時40分に入ってすぐにドアのノブにDon't Disturbのカード引っかけて出かけて、戻ってきたのが22時20分ごろになったために、部屋に置けなかったのだと思います。誕生日おめでとうの直訳の「祝福生日」は一般的ではないのかもしれません。なお花園飯店の総経理(General Manager 社長)はTakata Hiroshiさんという日本人のようです。


箱の中身はチョコレートでした。生日快乐と書かれた板チョコと6粒のチョコレートが入っていました。
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6粒のチョコレートは中に柔らかな生チョコが入った高級なチョコレートでした。さすがHotel Okuraが選んだオリジナルのチョコレートでした。
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こちらが私が今回、泊まった30階のスタンダードの部屋です。
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posted by SORI at 11:57| Comment(48) | TrackBack(1) | 上海 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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