2014年03月31日

500万アクセスに到達いたしました。



2014年3月30日18時15分に累計アクセス数(総閲覧数)が500万に達しました。So-netブログを2009年5月5日14時59分に始めたので4年10ケ月25日(1790日)と2時間26分目に達成したことになります。niceの数も188,700をいただきました。これはすべて訪問していただいた皆様のおかげです。ありがとうございました。
クリックすると記事を表示偶然ですが、関西に住んでいる息子が北海道に転勤になり3月30日0時5分にフェリーで舞鶴発を出発しました。小樽に着くのは20時45分なので、500万アクセス到達時は海の上でした。

18時13分に総閲覧数の累計が4,999,734と表示されていたものが、18時15分に5,000,280になりました。2分間で546の閲覧があったわけではなく、下のグラフのように総閲覧数の表示が3時間ごとしか更新されなかったためです。したがって実際に閲覧数が5,000,000に到達したのは15時16分から18時15分の間で、もう少し絞り込むと、印の16時45分ごろだと思われます。
確認出来ている累計アクセス数の表示は次の通りです。
  3月30日06:14~09:11 4,998,189
  3月30日09:12~12:10 4,998,682
  3月30日12:14~15:15 4,999,221
  3月30日15:16~18:13 4,999,734
  3月30日18:15~21:15 5,000,280
  3月30日21:16~00:15 5,000,835
  3月31日00:16~03:16 5,001,373
  3月31日03:17~06:15 5,001,870
  3月31日06:16~09:16 5,002,198
このグラフを作るにはデーター収集のためには、パソコンに24時間張り付いて冒頭の画面を確認してメモし続ける必要があるので、結構大変でした。普通では簡単ではありませんが、500万アクセスは滅多にないことなので出来たのだと思います。


こちらは時間ごとのアクセス数です。こちらのグラフはSo-netさんのアクセス解析からデーターを取り込むのでグラフ作成は事後に出来るので簡単です。


クリックすると全体表示下のグラフは累計アクセス数と累計nice数の推移です。2014年3月30日18時15分時点のアクセスとniceなどの数値は以下の通りです。
     累計アクセス数 5,000,280件
     累計nice数   188,720件
     niceと思った人 7,574人
     読者数     315人


一日当たりアクセス数と訪問者数をグラフにしたのがこちらです。日によって、ばらつきます。2009年5月5日からの全データーをプロットしています。従って2014年3月29日の時点で、それぞれ1790点がプロットされています。


一日当たりアクセス数とnice数をグラフにしたのがこちらです。最初の数ケ月はniceがいただけませんでした。一日のnice数は直接に集計できないので累積niceの数日分の増加から一日のnice数を算出してプロットしています。従って移動平均化されています。


100万アクセスに到達するまでのグラフが下記です。So-netブログを初めて2ケ月間はniceが、ほとんどありませんでした。100万アクセスに到達したのは2010年11月17日12時(560日21時間)でした。
今までに到達アクセス数を報告したのは次の3回でした。
    1,000,000アクセス 2010年11月17日12時ごろ
    2,000,000アクセス 2011年10月09日22時ごろ
    2,277,777アクセス 2012年01月31日07時34分
    5,000,000アクセス 2014年03月30日17時ごろ
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2014年03月30日

産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年3月29日追伸 サブタイトル:もうすぐ開店一年目
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昨日(2014年3月28日)、久しぶりに産み立て卵の洋菓子店に行ってきました。
自分の記事を読み返してみると、洋菓子HASEGAWAさんがオープンしたのは、2013年4月18日(木)10時でした。つまり、もうすぐ一年になります。家内は友達と一緒に何度か来ていますが、私がこちらに食べに来たのは、今回で3回目となります。そこで3回目(2014年3月28日)と2回目(2013年9月23日)に食べたスイーツを紹介したいと思います。

先ずは今回のスイーツですが、頼んだのは1回目と同じく、シフォンケーキでした。ただし、前回がオレンジ味に対して今回はコーヒー味のシフォンケーキをたのみました。今回は生クリームとイチゴが添えられていました。自然な味わいなのがHASEGAWAさんを気に入っているところです。
シフォンケーキは下の写真のように、ストレート紅茶と一緒にいただきました。お店のお外ではコロちゃん(17歳の雄犬)が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていました。
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家内が頼んだのは、ブルーベリーチーズケーキでした。イチゴとラズベリーがトッピングされていました。そして一緒に頼んだ飲み物はホット・メープルミルクティーでした。偶然ですが私が初めて来たときに家内が頼んだのもニューヨークチーズケーキでした。その時はニューヨークチーズケーキの名前の由来が判りませんでしたが、Sweet of Oregonのチーズケーキを食べる機会があって、焼いたベイクド・チーズケーキであることを初めて知りました。
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お土産は、こちらの2種類のマフィンです。若い店長さんからは「今日からヨーグルト」入りにしたと言われていました。それまでは豆乳入りだったそうです。バナナマフィンとベリーマフィンです。べりーマフィンにはブルーベリーとラズベリーが入れられているようでした。
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こちらのメニューにあるように、産み立て卵の、ごはん物も充実してきていることを知って、近いうちにランチを食べに来ることにいたしました。使われている天日干しのお米は「下高野の辻切り」で紹介した地元の方が作られたものでした。実はお米を作られた方は2012年に藁の大蛇(辻切り)を作る行事に参加させていただいた時に知り合いになった方なのです。さらに今週に庚申塔を探しに下高野を散策しているときに、偶然にも畑作業をされているところでお会いして長谷川養鶏園さんと洋菓子店さんの話題が出たばかりだったのです。



2回目(2013年9月23日)にいただいたスイーツを紹介いたします。実は初めて来たときも評判の卵が使われたプリンを食べたかったのですが、その時は売り切れで食べられなかったのでした。これが2回目で食べることが出来たプリンです。クリーミーなタイプのプリンでした。名前は「はせたまプリン」です。水だしアイスコーヒーと一緒にいただきました。
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家内が注文したのはキェラメルパウンドケーキでした。注文した飲み物はカフェラテでした。
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2013年9月23日のメニューです。


もちろんお土産も買って帰りました。3種類のマフィンを1個づつ買いました。これらは豆乳入りだそうです。
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こちらはお土産用のクッキーです。左がスノーボールクッキーで、右が、うずまきクッキーです。うずまきクッキーをお土産にいたしました。
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こちらもお土産用ケーキです。右が店内で食べたキャラメルシナモンパウンドで、左がクルミとチョコが入ったブラウニーです。このブラウニーをお土産に買いました。
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家に帰って食後のデザートでいただきました。順番に紹介すると、
  左上 青森県産フレッシュプラム・バニラシュガーのマフィン
  右上 レモンとホワイトチョコのマフィン
  左下 バナナとM&M'sチョコのマフィン
  右下 クルミとチョコが入ったブラウニー             です。
写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大


2013年5月4日掲載 タイトル:産み立て卵の洋菓子店
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家内の知り合いの人が務めていた学校の生徒さんが実家で、小さな洋菓子店を始められたということで、その知り合いの方と家内が先週の土曜日(2013年4月27日)に行ってきました。その実家は養鶏場だとのとこで、もしかしたらと思い、今年の2月の記事「地たまごプリンとチェア 佐倉市立美術館」の中で紹介した長谷川養鶏園さんではないかと聞くと、予想が的中で小さな洋菓子店をやっている若い店長さんの実家は長谷川養鶏園さんでした。
クリックするとオリジナルの写真その時はカフェラテを飲んで卵とお土産のケーキーを買って帰ったそうです。私も養鶏園の洋菓子店を見てみたくなって2013年5月4日に私と家内の二人で、お店にお邪魔しました。残念ながら養鶏園の産み立て卵の黄身を使った右の写真のプリンは売れきれでした。そこで私が頼んだのが上の写真のオレンジのシフォンケーキでした。
右のプリンの写真をクリックすると、お店のFacebookのオリジナルの写真を表示します。

スポンジを見てもらいたくてシフォンケーキを拡大いたしました。シフォンケーキの種類が充実していました。写真をクリックするとさらに拡大します。
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アールグレイティーと一緒にいただきました。養鶏園でスイーツが食べれたり買えたりするのはいいですね。


こちらが家内が頼んでN.Yチーズケーキです。イチゴとブルーベリーとラズベリーがトッピングされていました。
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こちらが店内のテラスです。壁が黒板になっていて、そこにメニューが書かれていました。写真をクリックすると読めると思いますが、5月4日のメニューを紹介いたします。
 シフォンケーキ5種(バニラ、メープル、オレンジ、甘納豆入り抹茶、完熟バナナ)
 オレンジとバナナのショートケーキ、、N.Yチーズケーキ、はせたまプリン
 フレンチトースト2種、たまごかけご飯、パンケーキ、たまごだけサンド
 ドリンク16種
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手元のメニューに「たまごかけご飯のお米は立石さんち」と書かれていました。「下高野の立石さんですか?」と聞くと「そうです。」との答えでした。実は以前に辻切りの風習を紹介させていただいた千葉県八千代市下高野の方だったのです。私の家から歩いて10分くらいところの田んぼのお米でした。ちょっと感激でした。


お店は実家の敷地の建物を改装し2013年4月18日(木)10:00にOPENしたそうです。OPENして17日目でした。
 店名 洋菓子 HASEGAWA
 住所 千葉県佐倉市上志津原173 長谷川養鶏園内
 営業 基本的に金曜、土曜、日曜、(祝日)の9:00~17:00
     正確な営業日は、お店のFacebookで確認願います。
     ちなみに2013年7月の営業日は     
5 6 7 12 13 14 15 19 20 21  26 27 28日 だそうです。
 備考 毎週月曜はOnce Upon A Timeに卵販売に行かれているそうです。


こちらが販売ケースです。5種類のシフォンケーキが並んでいました。シフォンケーキがお得意のようです。お店の説明でも「産みたてたまごで作るシフォンケーキ。 そのときの美味しいものをお菓子にします。。」とネットで書かれていました。


地元の佐倉産の小麦粉を使ったクッキーがあったので買ってきました。
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先週、家内が買ってきたお土産のオレンジとバニラのシフォンケーキ2種です。こちらは紅茶でいただきました。
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クリックするとオリジナルの写真こちらも先週、長谷川養鶏園さんで買ってきた卵です。
この卵は佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンに使われています。鶏はボリスブラウン種で、長谷川養鶏園さんの卵は千葉県・県知事賞を受賞したことがあるそうです。右の写真が洋菓子HASEGAWAさんのFacebookに掲載されていたニワトリさんです。写真をクリックするとFacebookのオリジナルの写真を表示します。
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クリックすると拡大意外と、たまごの表面をじっくりと見たことはないと思うので卵を拡大いたしました。
たまごは10個で300円でした。
写真をクリックするとさらに拡大します。
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黄身の張りが特徴なので殻を割った生を紹介いたします。黄身が盛り上がって美味しそうです。
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上の写真はクリックすると拡大するのですが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。上の写真よりも、低い角度から撮りましたさらに黄身の盛り上がりがわかってもらえると思います。
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やっぱり新鮮な卵は、たまごかけご飯で食べるのが一番ですね。
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かきまぜました。海苔やネギを乗せる前の卵かけご飯を紹介いたします。
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目玉焼きでもいただきました。つい卵の話になってしまいましたが、洋菓子HASEGAWAは産み立て卵の洋菓子店だったのです。長谷川養鶏園の敷地内で産み立て卵も買うことが出来のです。
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前回の記事でも紹介した「ぶらり途中下車の旅」の動画です。娘さん(店長)のお母さんが登場いたします。


動画ではブリンの画像がきれいでないので写真を掲載します。これが長谷川養鶏園さんの卵を使った佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンです。
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航空写真にユーカリが丘駅からと志津駅からと勝田台駅からのルートを記載いたしました。ユーカリが丘駅からと志津駅からのルートで最後に右折する入口に「たまご売ります。」の幟(のぼり)が立てられています。

より大きな地図で 洋菓子HASEGAWA を表示
参考にキーワードをYahooおよびGoogleに入力して検索した場合の本記事の順位を紹介します。順位が空欄の部分は100位以内に入っていないケースです。なお本結果は掲載して6日目の2013年5月10日時点です。興味のる方は検索を試してみてください。ちなみに着色された数値をクリックすると検索画面を表示します。
*マークは2013年5月11日の時点では100以内に入っているキーワードです。
キーワードYahooGoogle
12順位総数順位総数
生みたて卵  10,700,000 9,080,000
産みたて卵 411,900,00031,840,000
うみたて卵 1,480,000 1,180,000
生み立て卵 18864,0002854,000
産み立て卵 16864,0001854,000
産み立て卵ケーキ2201,0001200,000
産み立て卵プリン2102,0001102,000
産み立て卵洋菓子134,900134,900
産み立て卵洋菓子店115,700115,700
産み立て卵佐倉123,100123,100
産み立て卵千葉3191,0003191,000
産み立て卵シフォンケーキ120,800120,800
洋菓子店7764,0001855,000
佐倉 1,040,000*1,040,000
洋菓子165,100,00025,100,000
シフォンケーキ 1,700,000 1,700,000
洋菓子店佐倉*96,600296,600
洋菓子店9863,0001863,000
洋菓子店千葉 1,010,000 1,230,000
洋菓子店プリン 950,000 949,000
洋菓子佐倉 404,000 310,000
洋菓子224,960,00025,070,000
産みたて卵ケーキ3286,0001286,000
産みたて卵プリン2134,0002134,000
産みたて卵洋菓子145,100145,100
産みたて卵洋菓子店116,800116,800
産みたて卵佐倉128,700128,700
産みたて卵千葉3269,0002269,000
産みたて卵シフォンケーキ119,100119,100
うみたて卵ケーキ*384,000*315,000
うみたて卵プリン*230,000*191,000
うみたて卵洋菓子*83,900*78,200
うみたて卵洋菓子店*25,100*25,100
うみたて卵佐倉*64,500*64,500
うみたて卵千葉*213,000*213,000
うみたて卵シフォンケーキ1454,200254,200
生みたて卵ケーキ*2,900,000*2,910,000
生みたて卵プリン*1,370,000*1,370,000
生みたて卵洋菓子24395,0003395,000
生みたて卵洋菓子店10127,0003127,000
生みたて卵佐倉8321,0002321,000
生みたて卵千葉*2,160,000*2,110,000
生みたて卵シフォンケーキ29228,0002204,000
posted by SORI at 18:06| Comment(66) | TrackBack(5) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

観光名所 ストローマーケット

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バハマのナッソーに来て見逃せないのがストローマーケット(Straw Market)です。ナッソーの民芸品と言えばストロー(麦わら)を編んだものだそうで、そこから名前が付いたようです。仮設の建物のような市場ですが、すごいにぎわいでした。おまわりさんも沢山いました。
不思議なことにバハマに到着した日曜日の夕刻にこのあたりを散歩しましたが観光客の人はまばらでした。どうやら日曜日は休みのようです。写真を撮ったのはバハマを離れる日の午後です。少し時間があったので、よってみて賑わいに驚きました。火曜日でした。

マーケットの中もすごい人です。バハマの住人のほとんどが黒人です。だからお店の人は黒人なのです。


マーケットの中は活気にあふれていました。
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木彫りのお土産も沢山売っていました。


マーケットの近くではコンク貝を小船で売りに来ている人もいました。大きなヒトデも迫力がありました。コンク貝は法螺貝(ホラガイ)の種類です。
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バハマはアメリカンでした。
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マーケットはクルージング船が入る港のそばにありました。この日は大型クルージング船が5隻入港していました。この日のマーケットはすごい人だったのはうなづけます。
ここは船での入出国の場所です。このレジャーヨットの停泊していた目の前がストローマーケット(Straw Market)でした。
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赤色マークがストローマーケット(Straw Market)の場所です。地図上のプラスを何度かクリックするとマーケットの周辺が判ってくると思います。青色マークがコンク貝レストランの場所です。

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ラベル:ナッソー バハマ
posted by SORI at 07:16| Comment(18) | TrackBack(1) | バハマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月28日

バハマでも交通事故

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クリックすると拡大総人口30万人のバハマで15万人が住むニュープロビデンス島での出来事です。朝の散歩で歩いている時に交通事故に出会いました。幸いにも人身事故にはなっていないようで救急車は来ていませんでした。

拡大写真を掲載します。
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別の角度からの写真です。ニュープロビデンス島は小さな島で車はゆっくりと走っています。どうしてこんなところでと思うような交通事故でした。
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車は非常に多いのですが、実はこの島では信号が非常に少ないのです。メイン道路を走っていると脇道から車が来ると皆さん止まって入れてあげていました。ところがアメリカ人が運転するレンタカーに乗せてもらう機会がありましたが、そのアメリカの人は、譲って入れてあげる習慣がまったくありませんでした。この島では道を譲る人と譲らない人が混在しているのです。この事故もそんなことで発生したのかもしれません。
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アメリカ人が運転するレンタカーに乗せてもらっているときでも脇道から入ってきそうに感じることが何度もありました。それ以前にアメリカ人はバハマの左側通行に戸惑っている様子で、そちらの方が怖かったです。ぐるっと廻った後に完全に右側の車線を走っていたのでフロントガラスに張ってあるレンタカー屋(AVIS-RENT-A-CAR)さんのシールの「YOU MUST KEEP LEFT」の文字を指差すと苦笑してすぐに左車線に戻りました。左走行なのに左ハンドルが多いと紹介したように、このレンタカーも左ハンドルでした。


交通事故の場所を緑色マークで紹介します。この島はバハマの首都ナッソーのあるニュープロビデンス島です。

より大きな地図で バハマ を表示
posted by SORI at 05:49| Comment(44) | TrackBack(1) | バハマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

この写真、違和感がありませんか ?

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この写真はホテルから空港に向かうタクシーの後部座席から撮ったものです。何か違和感がありませんか。



車が左側通行なのに、運転席も左側(左ハンドル)なのです。

他の車を見ても、ほとんどが中央車線側には運転手が見当たりません。旧イギリス領であることから、日本と同様、車は左側通行です。しかしながら地理的にアメリカ合衆国からの輸入車が多く、日本車であってもアメリカ合衆国からの車なので左ハンドル車が多いのです。日本から持ってくるのにはあまりにも遠いようです。


書き忘れていました。ここはフロリダの東に広がるバハマ諸島(独立国)の首都ナッソーでした。 あの胴長リムジンも左ハンドルです。つまりバハマは日本と同じ左側走行にも関わらず全ての車は左ハンドルの珍しい国だったのです。写真をクリックすると拡大するのでじっくり見てみてください。
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こちらのバスだって左ハンドルでした。前を走っているトヨタ製の乗用車も左ハンドルです。おそらくアメリカ仕様のアメリカで作られた車なのでしょうね。
ここから下の4枚の写真は2度目にバハマに行ったときのもので、今回、追加させていただきました。
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このレンタカーも左ハンドルでした。レンタカーのフロントガラスの運転席前には、このようなシール「YOU MUST KEEP LEFT」が貼られていました。まさにマスト(mast)のことですね。
バハマでレンタカーを借りて運転するのは、ほとんどがアメリカ人なので、常に左走行の注意喚起が必要なのでしょうね。アメリカは右側走行に対して、バハマは左側走行なのです。最大の危機は交差点を曲がった時の瞬間です。その時のことを別の記事で紹介いたします。


この写真はバハマで待ち合わせていたアメリカ人の人がエイビス・レンタカー(AVIS-RENT-A-CAR)から借りた車に乗せてもらった時に撮りました。ちなみにAVIS-RENT-A-CARはアメリカ・ニュージャージー州パーサイパニー(トロイ・ヒルズ)に本社を持つ会社で、バハマだけでなく北米・中米ラテン・インド・オーストラリア・ニュージーランド・ヨーロッパなど世界的にレンタカービジネスを展開している会社です。
沢山の撮った写真の中を探した結果、右ハンドルを見つけたのがトヨタ製のマイクロバスと、この写真のトヨタ製のバスだけでした。
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もちろん、この写真の前から来る車も、すべて左ハンドルです。クリックすると拡大するのでわかってもらえると思います。
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下記の地図で青色部分が、「車両が左側通行の国」です。面積にして20%程度ですが、小さな国が多いので国の数は意外と多いです。地図はWikimediaから転用させていただきました。
アイルランド アングリア アンティグア・バーブーダ イギリス インド インドネシア ウガンダ 英国領バージン諸島 オーストラリア オーデニー ガーンジー島 キプロス共和国 ギヤナ キリバス クック島 クリスマス島 グレナダ ケイマン諸島 ケニヤ ココス島 ザンビア ジャージー島 ジャマイカ共和国 シンガポール ジンバブエ スワジランド王国 スリナム共和国 スリランカ セイシェル セントクリストファーネイビス セントビンセント及びグレナディーン諸島 セントヘレナ セントルシア ソロモン諸島 タイ王国 タンザニア ツバル トケラウ諸島 ドミニカ共和国 トラック・カイコス島 トリニダ・トバコ トンガ ナウル ナミビア共和国 ニウエ 日本 ニュージーランド ネパール ノーフォーク島 バーミューダ パキスタン バハマ パプアニューギニア バルバドス バングラディッシュ 東チモール ピトケアン諸島 フィジー ブータン フォークランド諸島 ブルネイ 米国領バージン諸島 ボツワナ 香港 澳門 マラウイ共和国 マルタ共和国 マレーシア マン島 南アフリカ モーリシャス モザンビーチ モルディブ モントセラト レソト王国
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世界には左側通行から右側通行に変更した国が沢山あります。それを示した地図があったので紹介します。
posted by SORI at 17:42| Comment(24) | TrackBack(2) | バハマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

下高野の庚申塔

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2011年10月9日掲載 タイトル:下高野の庚申塔
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小学校の校庭の庚申塔を以前紹介いたしました。江戸時代のものが中心で、クリックすると拡大手入れもあまり行われていない雰囲気でした。そこから2km足らずの場所で庚申塔を見つけました。全部で13体でした。一番古いものは1727年と小学校の校庭の庚申塔と同じように江戸時代が中心ですが、ここでは新しい庚申塔がありました。

右の写真の卒塔婆(そとば)と呼ばれる木の板もお供えされていました。まだまだ風習がつづいていることを実感させられました。
ラッキーなことに、すべて庚申塔の年代を読み取ることが出来ました。
先ず後列の右から
 1889年 明治二十二年 四月
 1822年 文政五年  十一月
 1758年 宝暦八年   十月
 1895年 明治二十八年 三月
 2000年 平成十二年  三月
そして前列の右から
 2007年 平成十九年  三月
 1861年 文久元年   三月
 1858年 安政五年  十一月
 1809年 文化六年  十一月
 1790年 寛政二年  十一月
 1727年 享保十二年  十月
 1974年 昭和四十七年 三月
 1993年 平成五年   三月
なんと平成の庚申塔が三体も入っていました。昭和の庚申塔も入れると4体が新しいものでした。
3月と11月が多いことも判ります。
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前列の左端の庚申塔だけ正面を向かずに左を向いていました。大きな道路は左にあるためかもしれません。この横向きの庚申塔は珍しく(?)白い文字で書かれていました。


一番の驚きは2007年(平成19年)にも庚申塔が建てられていることです。今も庚申信仰が続いていることを示しているのだと思います。これが平成19年の庚申塔です。
以前に掲載した「下高野の辻切り」にコメントいただいたkazuさんから説明をいただきました。それによると
今は年の始めの最初の申の日に庚申講として行われているそうです。青面金剛の掛け軸を掛け、世間話をして宴を開くそうです。

昔は庚申(かのえさる)の日に庚申講または庚申待ちとして行われていたとされているそうです。神仏を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしたらしいです。神の信仰は猿田彦神、仏は青面金剛(しょうめんこんごう)だそうで、猿田彦神は天孫降臨の時、邇邇芸尊(ににぎのみこと)の道案内をしたとされ、庚申塔にも、三方向にその方向の地名を彫ってあるのもあるそうです。kazuさんの地区でもいろいろなところに庚申塔があり、三猿や道案内の地名を彫ってある石碑もあるそうです。

最古の庚申塔は享保12年だそうで、基本的には7年に一回庚申塔を建て、今も継続している。
そうです。


下の大きな写真の庚申塔が、13体の中で最も古いものです。 享保十二年(1727年)に建てられました。小さい方の写真が2番目に古い宝暦の庚申塔です。なかなか立派なので、これからこれらを「下高野の庚申塔」と呼びます。青面金剛の特徴を持っているものです。下高野には不思議な風習辻ぎりが残っています。
この庚申塔以降は下のように数十年に一回の割りに建てられていますが平成になってからは7年ごとです。
          奉造間隔
  享保  1727年  ↓
  宝暦  1758年 31年 31年
  寛政  1790年 32年 63年
  文化  1809年 19年 82年
  文政  1822年 13年 95年
  安政  1858年 36年 131年
  文久  1861年  3年 134年
  明治  1889年 28年 162年
  明治  1895年  6年 168年
  昭和  1974年 79年 247年
  平成  1993年 19年 266年
  平成  2000年  7年 273年
  平成  2007年  7年 280年
  平成  2014年  7年 287年


同じエリア(10m程度はなれた位置)に二十六夜塔かありました。これは月待信仰と呼ばれるものだそうです。


さらに、そのそばに小さなほこらがありました。中に石板があり薄っすらと赤い字で道祖神と書かれているのが判りました。
道祖神(どうそしん)は、路傍の神だそうです。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、 芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場しました。 村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されているそうです。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっていて餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残ているそうです。


田んぼの横にも同じようなほこらがありました。豊作を願うのでしょうか。



クリックすると拡大2012年1月12日追伸 タイトル:今日は庚申講です。
今日(2012年1月12日)は千葉県八千代市下高野地区の年に一度の「庚申講」の日だそうです。kazuさんからコメントをいただいたので紹介のために本文に記載して再投稿いたします。下記にkazuさんのコメントを紹介いたします。
以前は「庚申(かのえさる)の日」(60日に一回)に行っていましたが、数十年前から年一回になりました。

年の初めの1~3日を除いた最初の申の日に行われています。

庚申(かのえさる)ですから申の日なんです。

当番は年一回になってから4軒になり、家順になっています。

再来年(2014年)は前回の石建てから7年目になります。

十九夜講の石建てと一緒に行われます。

当日は宴会と「餅投げ」が行われ、前回もみなさん一生懸命お餅を拾っていました。

(注)十二支と十干の組み合わせの「最小公倍数」は60ですから60日毎に行われていました。

ちなみに還暦はこれと同様に60歳ですよね。



庚申講は男性のための講ですので、女性は出席されません。

女性は十九夜講の方です。

前にお話ししましたように7年に一度両方の石建てを行いますので分かれているんですね。

この日はあの庚申塔の一番古い「享保十二年十月吉日」にも刻まれている「青面金剛」の掛け軸を掲げ、ロウソクとお線香に火をともして講が始まります。

昔は「フナの叩き汁」と言うような特殊の汁物も作りましたよ。

フナを一匹っまま、なた包丁で骨まで叩いて細かくし、味噌を混ぜてツミレ状にして、野菜をたくさん入れて醤油味にしたものです。

私が30歳くらいまでは行われていました。



それでは、下高野の年間行事を一覧表にしてみます。

ご興味がございましたら是非ご参加ください。

正月三が日:天満宮の合格祈願の絵馬に、願い事を書いて頂き奉納して頂きます。三が日を過ぎてもご依頼がございましたら、いつでも奉納して頂けます。



1月: 三が日を除いた最初の申の日。   「庚申講」

   25日 天満宮のおびしゃ(初天神) 「天神備社」(天神びしゃ)

   27日 毎月27日はお不動様    「念仏を唱える」

   28日 お不動様のおびしゃ     「不動備社」

   最終日曜日または土曜日       「辻切り」

2月: 最初の午の日(伏見稲荷の縁日)  「初午備社」

   14日 出羽三山に由来する     「梵天ハギ」(ぼんでん)*1

4月: 中旬 弘法大師の寺参り      「千葉寺大師参り」

7月: 最初の未の日           「未祭り」

   15日天満宮などお宮の掃除     「宮なぎ」

   20日前後の日曜日、出羽三山参り経験者 「奥州講」*2

9月25日 弁天様のお備社        「弁天備社」

10月8日  天満宮と書かれた幟(のぼり)「天満宮の幟立て」

10月10日 村社、天満宮のお祭り    「菅原神社祭礼」

10月11日 お祭りの終わり       「天満宮の幟倒し」
 


*1,2は5種類の色紙を特殊な切り方や折り方で、梵天というものを作り、篠の先に刺す。

奥州三山塚に行って、梵天を神前に刺し祝詞をあげてお参りする。

・梵天は奥州参りに行って、その後亡くなられた方への供養です。

・奥州講では同じ梵天を作り、三山塚に奉納します。



明治新政府は神仏分離令を出して、神社から仏像を一掃しました。

下高野では明治以前の行事そのままに、神仏習合として奥州三山の神社の「梵天」と仏様の梵天ハギの「梵天」を同じように作っています。

以上が下高野の行事です。ご参加されたいものや写真に残したい行事がございましたら お知らせください。


来年以降の最初の「申の日」と「庚申の日」を調べてみました。

 2012年 1月12日(木) 壬申   2月29日(水) 庚申

 2013年 1月06日(日) 壬申   2月23日(土) 庚申

 2014年 1月13日(月) 甲申   2月18日(火) 庚申

 2015年 1月08日(木) 甲申   2月13日(金) 庚申

 2016年 1月15日(金) 丙申   2月08日(月) 庚申 1月3日が初甲の日

 2017年 1月09日(月) 丙申   2月02日(木) 庚申

 2018年 1月16日(火) 戊申   1月28日(日) 庚申

 2019年 1月11日(金) 戊申   1月23日(水) 庚申

 2020年 1月06日(月) 戊申   1月18日(土) 庚申


2014年3月16日追伸 タイトル:下高野の平成26年の庚申塔
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千葉県八千代市には7年ごとに新しい庚申塔が建てられている貴重な伝統行事が残っている下高野という地区があります。すでに紹介させていただいたように、その八千代市下高野では2014年3月2日13時から女性の講中である十九夜塔の建立式典が盛大に行われました。十九夜塔も7年ごとに新しい石碑が建てられていますが、同じ日に庚申塔も7年ごとに建てられているのです。
2014年3月2日に新しく建てられた庚申塔が上の写真の前列の一番右側です。

下の大きな写真は新しい庚申塔の部分を拡大したものです。クリックするとさらに拡大します。花が供えられている庚申塔が平成26年の庚申塔で、クリックすると拡大左側が7年前に建立された平成19年の庚申塔です。新しい庚申塔の後ろの木の板は卒塔婆(そとば)と呼ばれるものです。卒塔婆は右の写真のように十九夜塔の建立式典で一旦は十九夜塔の場所に供えられて念仏が唱えられた後に庚申塔の場所に移動して供えられたものです。右の写真の右側の卒塔婆が庚申塔用で、左側が十九夜塔用の卒塔婆です。
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庚申塔の設置工事(石建)自体は3月1日に行われました。こちらの写真は十九夜塔の建立式典が行われる前の3月2日9時50分に撮ったものです。まだ卒塔婆や花は供えられていませんでした。
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新しい庚申塔は正面には鮮やかな朱色で「庚申塔」と書かれており、左面には「下高野講中」と書かれています。
右面には「奉造 平成二十六年 三月吉日」と刻まれています。287年続いている伝統行事として、今でも定期的に新しい庚申塔を建てられる地区は非常に珍しいことだと想定されることから、シンプルな庚申塔ではありますが、現時点において伝統行事として建てられた庚申塔では、全国で一番新しい庚申塔なのかもしれません。
いずれにしても平成二十六年の庚申塔は非常に貴重なものだと思います。こちらの庚申塔塚には新しい庚申塔も含めて14基が設置されていました。ネットで調べた範囲では、さわらびYさんの記事に平成の庚申塔は千葉県木更津市の戸隠神社に平成20年に復元された庚申塔が3基あるそうです。
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下高野の庚申塔の位置をでプロットしてみました。
上の写真のように庚申塔が沢山建てられた場所を「庚申塔塚」と呼ばせていただきます。その庚申塔塚が緑色マークです。
地区の十九夜塔は寺院の敷地などの一か所に建てられますが、庚申塔の場合は庚申塔塚だけでなく地区の辻などにも単独で設置されます。その辻などに設置された庚申塔が黄色マークです。
赤色マークが下高野で十九夜塔がまとめて設置されている場所です。空色マークが下高野以外の近隣地区の庚申塔です。
画面の中の右端のは佐倉市先崎の庚申塔塚です。画面外にもプロットしているので-のアイコンをクリックしてもらうと八千代市米本、佐倉市青菅、佐倉市井野、佐倉市小竹の庚申塔の場所を表示します。赤色ライン内が八千代市下高野です。紫色マークは今は移設されてありませんが、昔に庚申塔が建っていた場所です。
   庚申塔   庚申塔塚 14基 1~9 18 21~24 
   庚申塔   単独設置 10基 10~17 19 20
   庚申塔   10番の移設前の位置
   十九夜塔  32基
   庚申塔   近隣地区 先崎 青菅 小竹 米本

より大きな地図で 八千代市下高野 を表示
下高野の庚申塔を一覧表にまとめました。全部で24基です。内訳は庚申塔塚に14基で、単独に辻などに設置されている庚申塔が10基です。庚申塔が単独で建てられているのは一時期、庚申塔は「道しるべ(道標)」のして役割も果たしていたためであると推測されます。道標となっていたのは明治28年(1895年)~昭和40年(1965年)であったことが、一覧表にしてみて判りました。したがって、辻に設置された◆マークもすべて明治28年(1895年)以降になっています。
十九夜塔は32基に対して庚申塔は24基です。十九夜塔は女性の講中の石碑で、庚申塔は男性の講中であり、同じ年から始まっていることから数が8基も違うのは不思議です。これは、十九夜塔は同じ場所に建てられる石碑であることから、下高野に現存している十九夜塔は32基であると言えます。失われた数も少ないと思われるのに対して、庚申塔はいろんな場所に設置されたものも多くあることから、失われた可能性も高い上に、まだ発見できていないものもあるかもしれません。
道沿いは下高野の方(Kazuさん)も丁寧に探されたようなので、現存していて、まだ見つかっていないものがあるとすれば八千代ゴルフクラブの敷地内ではないかと思われています。八千代ゴルフクラブの敷地内には昔は道があったとのことだそうです。ただし、道標として庚申塔が建てられるようになったのは1895年からなので、現存する可能性があるとすれば、1899年、1933年前後の2基ではないかと想像されます。それ以前のものは建てられていたとしても、すでに失われた可能性が高いと思われます。庚申塔塚は複数あることも考えられることから、1895年以前の物も現存する可能性はゼロではありません。表をクリックすると十九夜塔の詳しいデーターを表示します。
クリックすると十九夜塔
               十九夜塔の建立年   庚申塔の設置場所
               ◎ :完全に一致    △:庚申塔塚
               〇:近似年に建立   ◆:辻などに単独
庚申塔の形式 ( 写真はクリックすると拡大 )
 青面 : 青面金剛像  文字 : 青面金剛(文字)    文字 : 庚申塔(文字)
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

庚申塔塚の庚申塔はすでに2011年10月9日の記事で紹介しているので、今回は、辻などの道端に単独で設置されている庚申塔と道標を兼ねた庚申塔を新しい順(18 17 15 14 13 12 11 10 9)で紹介いたします。道標と兼ねた庚申塔が限られた期間だけに存在するのは興味深いことです。庚申塔に書かれている文字を赤色文字で「正面→右面→裏面→左面」の順番に紹介いたします。

こちらが20番(1986年)の庚申塔です。
こちらの庚申塔は庚申塔塚から道路を挿んだ辻に建てられていました。辻に建てられていますが道標にはなっていませんでした。ただし庚申塔の後ろには古い道標が建てられていました。庚申塔に書かれていた文字は次の通りです。
  正面   庚申塔
  右面   昭和六十一年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   下高野講中
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こちらの辻には2基の庚申塔が建てられていました。
新しい方が19番(1979年)の庚申塔です。
道を挟んだ場所には藁の大蛇の「辻切り」が設置される場所でもあります。こちらも道標ではありませんでした。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔
  右面   昭和五十四年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   下高野講中
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こちらが19番(1979年)の傍の17番(1965年)の庚申塔です。
こちらは道標(道しるべ)の庚申塔です。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔 下高野講中
  右面   東 先崎 ニ至ル
  裏面   昭和四十年三月吉日
  左面   西 大和田 ニ至ル  正面 志津 ニ至ル
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こちらは16番(1958年)の庚申塔です。
下高野の人達が住んでいる集落の中に建てられていました。こちらも道標タイプの庚申塔です。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔 下高野講中 
  右面   北ノ方 保品 ニ至ル
  裏面   昭和三十三年三月吉日
  左面   西ノ方 米本 ニ至ル
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先崎との境界の15番(1940年)の庚申塔です。
すぐそばには下高野の馬頭観音や先崎の馬頭観音がありました。書かれている文字を紹介します。現在の地名で「當區」は見つかりません。小竹の庚申塔の中に「當村講中」と書かれたものがあることから、今は存在しない當村と関係しているのかもしれません。「區」は「区」と同じであり、「村」と解釈することが出来るのかもしれません。また當は当の意味があるようで当地区(下高野)を示している可能性もあるようです。
  正面   庚申塔  此方 米本 ニ至ル  下高野講中
  右面   此方 當區 ニ至ル
  裏面   昭和二十七年三月吉日
  左面   此方 先崎 ニ至ル
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米本に近いところに建っていた14番(1940年)の庚申塔です。「米本いなり」は米本稲荷神社だと思われます。
  正面   庚申塔 下高野講中
  右面   北 米本いなり道  東 先崎 青菅道
  裏面   ( 空白 )
  左面   西 米本 城橋道  昭和十五年三月吉日
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こちらは13番(1926年)の庚申塔です。この部分は歩道を作るために盛り土がされたようで庚申塔の下の部分は地面に埋まってしまっていました。そのために文字の下の方は読み取れませんでした。
  正面   庚申塔  米本 城橋・・・・・・
  右面   上高野道・・・・・・   大正十五年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   青菅 臼井・・・・・・
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こちらが冒頭で紹介の2014年3月25日に新しく見つけることが出来た12番(1920年)の庚申塔です。2014年3月13日にKazuさんが2基の庚申塔を発見されて、さらにKazuさんが八千代ゴルフクラブ内で大正二年の庚申塔を見つけられたことで、明治28年以降で見つかっていなかった庚申塔は3基のみとなっていましたが、今回の発見で残りが昭和8年と明治32年前後の2基となりました。その2基を探して、八千代ゴルフクラブの敷地以外の、昔の道があったと思われるところを隈なく探しましたが見つけることが出来ませんでした。これで、残りの2基の探索は八千代ゴルフクラブの敷地内ですが、無断で入ることが出来ないので、次の、なんらかの機会にゆだねることにいたします。今回発見された庚申塔に書かれていた文字は次の通りです。
  正面   庚申塔  下高野講中  西 米本いなり道
  右面   北方 米本城橋道
  裏面   大正九年三月吉日
  左面   東 青菅臼井 道
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こちらが庚申塔の裏面です。この裏面は東方向に建てられた思われますが、現在はフェンスの土台に南方向に立掛けられていたことから、フェンス工事の時に地面から抜かれて、現在の状態に立掛けられたと思われました。この庚申塔の裏面の自然の地肌を掘り込んでいるところは11番の大正二年の庚申塔に似ていました。

 場所はこちらです。 →
 ポチッ
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2014年3月16日にKazuさんから八千代ゴルフクラブ内で大正二年の庚申塔が発見されたと連絡があり、次の4枚の写真も送っていただきました。12番(1913年)を上の一覧表に追加いたしました。書かれている文字を紹介します。その道しるべに書かれている「北 保品渡船」から、大正初期には保品に印旛沼(新川)を渡るための渡し船があったものと思われます。
  正面   庚申塔  西 米本稲荷 下高野区中
  右面   南 上高野
  裏面   東 臼井 大正二年三月吉日
  左面   北 保品渡船
   正面      右面       裏面         左面
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

さっそく2014年3月24日に新しく発見された12番(1913年)クリックすると拡大庚申塔を見に行きました。ゴルフ場の中であることが判ってもらえると思います。庚申塔に書かれている西、南、東、北は実際の方向を示していることから、建てられた時の方向通りに今も建っていると思われます。一方、この庚申塔は道に背を向けて建っていることから、庚申塔の後ろの道は、後から出来たものと推察します。
クリックすると拡大

こちらは十九夜塔が設置されている福蔵院の敷地の中に建てられていた10番(1906年)の庚申塔です。元々は、こちらの庚申塔は上の地図の紫色マークの近くに建てられていたものを保護の目的で福蔵院に移設されたものです。下の写真を見てもらえると庚申塔がかなり削られているのが判ると思います。これは某大学の研究員(学生)が分析のために削って持ち帰ったようです。偶々、学生が削りに来ているところを地元の人が見つけたそうです。右下の写真が元々建てられていて石が削られた場所です。
クリックすると拡大さらに削られないように福蔵院に移設したそうです。この庚申塔の赤色の石材が珍しいそうで、分析のために削ったそうです。
  正面   庚申塔
  右面   東 青すげ道  先さき
  裏面   右 米本いなり道
  左面   明治三十九年三月吉日
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庚申塔塚の14基の庚申塔の中で、一つだけ「道しるべ」が書かれている庚申塔があります。
正面から見て左面に「北 先崎道」と書かれた大きな庚申塔が判ると思います。
それが9番(1895年)の庚申塔です。庚申塔に書かれている文字を紹介いたします。
  正面   庚申塔  西 米本城橋道
  右面   ( 空白 )
  裏面   東 青菅 臼井 道
  左面   北 先崎道  明治廿八年三月吉日
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参考に下高野の外側の近隣地域(先崎、青菅、井野、小竹、米本)の庚申塔を紹介します。いずれも古い庚申塔で、下高野のような平成の庚申塔がないことからも今も庚申塔を建て続けていることが貴重なことであることが判ってもらえると思います。


こちらは佐倉市先崎の庚申塔塚です。下高野の境界線に隣接した空色マークの場所です。
クリックすると拡大

こちらは佐倉市青菅の庚申塔塚です。
クリックすると拡大

こちらが佐倉市小竹の庚申塔塚です。
クリックすると拡大

こちらが佐倉市おだけ井野の庚申塔塚です。
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下の写真は2014年3月25日に下高野の新しい庚申塔を探すために下高野を散策した時に足を延ばして撮りに行った八千代市米本の庚申塔塚です。道路脇にきれいに並べられていました。ここには庚申塔だけでなく二十三夜塔(1基)や馬頭観音(3基)や猿田彦命(さるだひこのみこと 1基)や月讀尊(つきよみのみこと 1基)の石碑も並べられており、クリックすると拡大さらに道標の書かれた庚申塔も複数あることから10基の庚申塔の内、いくつかは後世に集められた庚申塔塚なのかもしれません。クリックすると拡大するので是非とも見てください。右の写真の2基の庚申塔は八千代ゴルフクラブの敷地内にありました。道路のすぐ脇に建っていたので撮らせていただきました。
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2014年3月17日追伸
今日の15時から3月22日夕刻まで関西に出かけます。この間はネットへのアクセス手段は空港のラウンジとネットカフェだけとなるため、記事の更新など、限られたことしかできません。皆様の記事へ本格的な訪問は3月23日からとなることをお許しください。
帰って来ましたらKazuさんが、新しく発見された大正二年の庚申塔を見に行きたいと思います。


2014年3月26日追伸 サブタイトル:24基目の庚申塔を見つけました。 
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いつもお世話になっている下高野のKazuさんが、本ブログのコピーを親しくされている下高野のTさんに見せたところ、Tさん畑の近くの道沿いに庚申塔があるとの連絡がありました。さっそくKazuさんに同行して2014年3月25日に庚申塔に探しに行きました。その結果、上の写真の大正九年の庚申塔を見つけることが出来ました。下の道標を兼ねた庚申塔を紹介している欄に詳細を追加掲載いたしました。追加したところは紫色の文字にしています。
posted by SORI at 21:23| Comment(83) | TrackBack(6) | 風習・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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