2014年02月20日

追記 ハロン湾の海上レストラン

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

昔の記事でベトナムのハロン湾あるいはハーロン湾(Ha Long Bay / Vịnh Hạ Long)にある海上レストランを紹介いたしましたが、その場所をgoogle地図で探しても、なかなか見つけられませんでしたが、やっと航空写真で見つけることが出来ましたので、記事を追加掲載させていただきました。表示が航空写真ではなく地図の方はアイコン写真をクリックすると航空写真に切り替わります。
航空写真のイカダの上の配置は、その時の記憶通りでした。巨大な四角い生簀が沢山あるのがわかってもらえると思います。
地図上には「Ba Hang Bar」と書かれています。レストランの中のバーの名前だと思います。最初に掲載した記事で紹介しているように大きなイカダの上にレストランが作られており、建物も立てられており屋外でも屋内でも食べることが出来ました。もちろん屋外で食べました。マークの位置のテーブルで食事をいたしました。

食事に訪れたのが夜であったことから、海のレストランの写真を撮っていなかったので、以前から海上レストランの写真の写真を探していましたが見つけることができませんでしたが、場所がわかったことから写真も見つけることが出来ました。これが海上レストランの全景です。イカダの下の巨大な生簀から魚をすくって料理してくれました。
我々が行ったのは非常に大きいな海上レストラでしたがネットを見ていると小さな海上レストランや水上住宅が沢山集まった場所がありました。→ポチッ ポチッ
こちらの写真はクリックすると拡大いたします。
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広範囲が見える航空写真も掲載いたします。3つの島に囲まれる場所に海上レストランがありました。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると、この場所がわかってくると思います。

ワンピースの海上レストラン「バラティエ」も「どーん!」と紹介しておきます。



2010年9月19日掲載 タイトル:海の桂林・ハーロン湾

今、先日(2010年9月7日~10日)に行っていたホーチミンの記事を掲載中です。
ベトナムということで以前に行ったベトナムの北の端のハーロンの景色を紹介いたします。上の写真が海の桂林と呼ばれているベトナムのハーロン湾!です。霧にかすんだ島影がまさに桂林のような景観です。この写真は末尾に紹介している宿泊したホテルの窓から撮ったものです。

この手前の船で島の間を走り景色を楽しみます。 ハーロン湾は1994年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された幻想的な場所です。007のロケ地であることも有名です。乗り合い船に乗ってもいいのですが交渉すれば一隻チャーターしても安くなるので仲間がいれば自分達だけで乗るのも楽しいですよ。もちろん食事付きなので食事を楽しみながらのんびりすごせます。途中で小船が追いかけてきて高級食材も売りにきます。(これで儲けているのかも!)


ハロン湾(Vịnh Hạ Long,)は、ベトナム北部のトンキン湾北西部にある湾です。カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在します。カットバ島以外の島は現在は無人ですが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいたそうです。数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用されたそうです。
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北は中国の桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角であるため石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となったそうで「海の桂林」と呼ばれています。こちらの写真はクリックすると拡大とします。
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と、ここまでは普通の観光案内 で、実はお勧めなのが海上レストラン

海上レストランと言えばワンピースの海上レストラン「バラティエ」を思い浮かべる人が若干名いると思います。バラティエは船でしたがここは大きなイカダをいくつもつないだ上にレストランを作っています。
写真の景色の中の小さな島に固定された高級なレストランです。かなりの広さがあり室内でも食べれますが屋外で月明かりの中で食べると開放感があります。ここには専用の船で行きます。名前は忘れましたがホテルで聞けば判ると思います。残念ながらレストランの写真は残っていません。メニューは、すべてベトナム語だったので料理が判らないし、魚介類の英語の単語は通じないので身振り手振りとなり、出てくるまでの楽しみとなります。幻想的な食事が楽しめると思います。イカダの下が海で巨大な生簀になっていました。シーフードが主体ですが雰囲気が最大のご馳走です。

こちらはハーロン湾の中の市場の風景です。
右の小さな写真のように写真の右側に私が立っていますが大きな写真ではカットさせていただきました。沢山の人がベトナム特有の三角笠をかぶっていました。何気なく撮っているように見えますが、こちらの女性に頼んで自然な感じの記念写真を撮らせてもらいました。


下は南のカンボジア国境近くの暖かい地域の市場での一こまです。 雰囲気が違いますね。市場全体の写真はクリックすると拡大します。電線が沢山なの気になってしまいます。
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ハーロン湾で宿泊したホテルHeritage Halong Hotel(ヘリテージ ハロン ホテル)です。朝にビーチに散歩に出て撮りました。冒頭の幻想的な写真と3枚目の写真は、このホテルの窓から撮ったものです。そして4枚目の写真は、この写真を撮った同じ場所から海を撮った写真です。ハーロン湾には3度来る機会がありました。海上レストランに行ったときは、この辺りのホテルが満席であったことから、少しは離れた小さな町の小さなホテルに泊まりました。その場所が海上レスランに近い場所にあったことから海上レストランを知ることが出来たのです。


ハーロン湾の衛星写真も紹介しておきます。写真の中の島々が桂林のような景観を見せてくれることから海の桂林と呼ばれています。
赤いマークが鍾乳洞です。黄色のマークは泊ったことがあるホテルで緑のマークが夕食をした大きな海上レストランです。青のマークは大きなホテルが満席で、なんとか探した小さなホテルがあった町の場所です。空色のマークは小さな海上レストランや水上住宅が沢山あるところです。

耀
posted by SORI at 23:02| Comment(26) | TrackBack(1) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニサンザイ古墳

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

飛行機の上から大阪平野を見ると沢山の前方後円墳に気が付かれる方が多いと思います。その中の一つに2014年2月8日に行ってみました。それが紹介するニサンザイ古墳です。上の写真はGoogle地図のニサンザイ古墳の航空写真です。

ニサンザイ古墳の周豪で幅12mx長さ45m以上の古墳時代最大の橋脚後の柱跡が新たに発見されたことが2016年1月27日に堺市文化財課から発表がありました。枠内がその掲載記事です。2013年の記事→ポチッ
幅12メートル、古墳時代最大の橋跡 大阪・堺のニサンザイ

日本経済新聞 2016/1/27 21:29

2013年に橋脚跡とみられる柱穴が見つかった陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(堺市北区、5世紀後半)の周濠(しゅうごう)から、新たに柱穴5カ所が見つかり、堺市文化財課が27日発表した。橋は幅約12メートルで、長さは45メートル以上だったと推測でき、古墳時代最大の木橋と分かった。
全長約300メートルの前方後円墳で全国7番目に大きく、大王墓とみられている。橋は古墳の中心線上にあり、白石太一郎大阪府立近つ飛鳥博物館館長は「水をたたえた古墳での埋葬方法は分かっておらず、葬送用の橋ではないか」と推測、古墳の築造過程や葬送の様子を知る遺構となりそうだ。
2013年の調査で後円部近くに7列の柱穴を確認。橋は丁字形の可能性もあったが、昨年10月からの調査で対岸側でも7列の柱穴があることが分かった。今回の柱穴は直径66~92センチ。また、木製埴輪(はにわ)の一種「笠形木製品」も1点出土した。
古墳時代の木橋の跡は群馬県高崎市の三ツ寺I遺跡や石川県小松市の千代・能美遺跡で見つかっているが、いずれも橋幅は5メートル以下と考えられている。
陵墓や参考地は宮内庁が管理しており、周濠の調査例がほとんどない。ニサンザイ古墳の周濠は堺市が所有していたため発掘調査した。一瀬和夫京都橘大教授は「ほかの巨大古墳でも同様の施設があるのではないか」と期待を寄せた。〔共同〕


前方後円墳は3世紀から7世紀頃にかけて盛んに造成された形式で「円形の墳丘(後円部)」と「方形の墳丘(前方部)」を組み合わせた日本独特の特徴の古墳です。大きすぎて地上からの写真では、前方後円墳の形の実感を伝えるのは難しいのですが、少しでも全景を伝えらるの角度を周囲を一周して探しました。クリックすると拡大そのひとつが「方形の墳丘」の後ろ斜めからの写真です。北西方向の方向から撮りました。上の航空写真で言えば左上方向からの写真です。この写真では、左奥の方向が「円形の墳丘」です。右の前方後円墳の模式図はWikimediaから拝借いたしました。
 名前  ニサンザイ古墳
 形状  前方後円墳
 規模  全長290m 
      円墳径156m 円墳高さ24m  
      方墳幅226m 方墳高さ22.5m
 築造  5世紀後半
 被葬者 名前不明
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ニサンザイ古墳の周囲の土手を一周いたしました。2014年2月8日と言えば関東では観測史上1~2番の積雪があった日ですが関西では前日の夜から降り始めて当日は、この写真の程度の積雪でした。
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こちらの写真はもう一方の「方形の墳丘」の斜め後ろからの写真です。右奥がの方向が「円形の墳丘」です。
方向的には南西方向(左下方向)からの写真です。
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ニサンザイ古墳の周囲は住宅地であり散策路が整備されていました。
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こちらが円墳の部分です。
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円墳の正面より少し右側に池を渡る通路がありました。ただし入口には鍵がかけられており中には入れませんでした。
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ニサンザイ古墳は大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳で日本で8番目の大きさです。ただし世界最大の仁徳天皇陵の築造以降5世紀後半に限れば日本最大の古墳であることから、当時の大王の墓と考えられています。百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しいそうです。
現在の周濠は一重ですが二重目の濠が一部確認されています。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査では、現在の墳丘の端から5m外側の濠の底から本来の裾部分が見つかったことから全長が300mを超えていた可能性もあるとされています。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」、すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられているそうです。周囲には聖塚古墳や舞台塚古墳などの小古墳である陪塚が点在しているそうです。
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西側公園になっており子供とお母さんが雪遊びされていました。


東側は墓地になっていました。見えている森の部分がニサンザイ古墳の円墳の部分です。大阪府泉南郡岬町淡輪にもニサンザイ古墳というなの古墳があります。そちらは「淡輪ニサンザイ古墳(たんのわニサンザイこふん)」とよばれており、今回紹介の大阪府堺市百舌鳥西之町のニサンザイ古墳は「土師ニサンザイ古墳(はぜニサンザイこふん)」と呼ばれています。
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墓地の中には沢山の石碑が積み上げられていました。
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ニサンザイ古墳の北西方向には百舌鳥古墳群があり、その中に日本最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があります。仁徳天皇陵が一般的な呼び名ですが正式には大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)だそうです。大仙陵古墳は築造年代は5世紀前期~中期とされており、日本最大(全長486m、高さ35m)の前方後円墳であり、墓域面積では世界最大でもあります。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を構成しています。ちなみに履中天皇百舌鳥耳原南陵は日本で3番目の大きさだそうです。
 百舌鳥古墳群の構成  (全長100m以上は数値を記載)
   大仙陵古墳(仁徳天皇陵)(486m)
   履中天皇百舌鳥耳原南陵(365m)
   反正天皇百舌鳥耳原北陵(148m)
   ニサンザイ古墳(290m)
   御廟山古墳(203m)  
   いたすけ古墳(146m)
   長塚古墳(102m)  七観音古墳     源右衛門山古墳
   永山古墳(100m)  菰山塚古墳     収塚古墳
   狐山古墳      銅亀山古墳     グワショウ坊古墳
   銭塚古墳      竜佐山古墳     寺山南山古墳
   旗塚古墳      樋の谷古墳     孫太夫山古墳
   塚廻古墳      丸保山古墳      
   鳶塚古墳(復元)   原山古墳(復元)
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posted by SORI at 10:58| Comment(24) | TrackBack(2) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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