2014年02月24日

悲しい報告です。 蕎麦屋「あまね」

2014年2月23月追記 タイトル : 悲しい報告です。 蕎麦屋「あまね」
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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蕎麦屋「あまね」さんの新店舗が建設中にストップしてしまい。再開の兆しがないことから、気になっておりました。その理由をネット検索で偶然に知ることになりましたので報告させていただきます。
それはuribo10inosisiさんの「アントンくんの静かな日々」の記事に「あまね」の方からのコメントが入っていることで知ったのでした。それは蕎麦屋「あまね」の御主人が2013年の5月に亡くなられたとの訃報でした。 長い間、美味しいお蕎麦を楽しませていただき、ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
今回、掲載させていただいた4枚の写真は蕎麦屋「あまね」さんで、最後にいただいた手打の「せいろ」です。これで630円だったのです。
あまねさんからのコメントの内容を枠内に転記させていただきました。
あまね  2013年08月26日 00:12

突然のコメントで大変申し訳ございません。

長い間、そばやあまねをご愛顧頂きまして、ありがたく存じます。

本来なら、店主より新店舗移転のお知らせと、長い間の暖かいご支援の感謝を込めて、こちらへコメントとして記載させて頂きたかったのですが、本年5月、新店舗開店のお知らせをする事も叶わず、店主が夭折致しました事を、長い間新店舗の開店を心待ちにして頂いていた皆様に、お詫びと感謝を持ちまして、ご連絡させて頂きます。

長い間、皆様の暖かいご支援に、何とお礼を申し上げれば良いか、本当に、感謝の言葉もございません。
大変遺憾ながら、新店舗として、あまねが今後開店する事は叶いませんでしたが、皆様の暖かいご支援と、ブログによって、店主の想いのつまった店舗を懐かしく思い返せる幸せを、心より感謝致します。
 
本当に、ありがとうございました。

これがご主人の打ったお蕎麦です。美味しくいただきました。
今回、追加で掲載した4枚の写真は、クリックすると、特別に大きい写真が表示されるようにいたしました。是非ともクリックしてみてください。
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冒頭の写真に写っている天ぷら以外にサービスで出された竹輪天です。この心遣いが思い出されます。
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100円の「ごはん」も頼んで、「せいろ」についている天婦羅を乗せて小天丼もいただきました。サツマイモとナスとマイタケとキスの天婦羅です。ごはんに付いてくる天丼用のタレが良くあいました。いい思い出となりました。
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2013年3月29月追記 タイトル : 開店予定場所が見つかりました。 
蕎麦屋「あまね」

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2012年6月末で閉店した超人気の蕎麦屋「あまね」さんの新しく開店する場所を執念で探されている方のブログ「アントンくんの静かな日々」から新しく建てているお店の場所がわかりました。文面の中の「八街神社を右に見て通り過ぎるとすぐに四木入口の信号のある交差点がある。その交差点の手前左角に店はある。」との表現から推測したのが赤色マークの新しい蕎麦屋「あまね」(仮の名)さんの場所です。空色マークが前の蕎麦屋「あまね」さんの場所です。旧あまねからの距離は22.6kmでした。驚いたことに昔よく行ったゴルフ場に行くときに車で通ったルートにありました。残念ながら最近、別のゴルフ場の会員になったことから、この場所を通ることはなくなりましたが、お店が完成したら食べに行きたいと思っています。お店の名前は「あまね」ではないそうです。住所は「千葉県八街市八街へ199-???」です。
この場所を探されたuribo10inosisiさんには敬服いたします。ありがとうございました。

航空写真で見るとスペースが大きそうで、駐車場問題はなさそうです。表示が航空写真でなく地図の場合は地図上のアイコン写真をクリックしてみてください。
 ストリートビューはこちらです。→ ポチッ 2008年1月撮影

より大きな航空写真で 蕎麦屋「あまね」 を表示
2013年6月7日追伸
クリックすると拡大そろそろお店が開いているのではないかと開店予定地に行ってみました。理由はわかりませんが、残念なことに「アントンくんの静かな日々」さんが3ケ月前に掲載された写真の状態から、右の現在の写真のように工事は進んでいませんでした。店の前に置かれた資材も3ケ月前と同じで、違いは草が生えてきたくらいでした。


2012年8月17月追記 タイトル : すごく残念です。
今日2012年8月15日に、久しぶりに蕎麦屋「あまね」さんに食べに行くとシャッターが閉まって「テナント募集」の張紙が貼られていました。ネットで調べると2012年6月末で閉店したそうです。
あれだけ人気があり沢山のお客さんが来られていたので超行列のお蕎麦屋さんの突然の閉店は信じられません。今までは日曜日だけが休みでしたが、すこし前(4月)から土曜日も休みとなったことから何らかの事情があったものと推察いたします。すごく残念です。
初めて「あまね」さんの記事を掲載したのが2006年8月18日でした。長い間、おいしいお蕎麦を提供し続けていただきありがとうございました。
ネットのブログによると名前も変えて半年後に八街市四木にお店を出すそうです。あの手打ちそばの味ならどこで開店しても繁盛間違いなしです。


2011年8月28日掲載 タイトル:海老天を一本追加すると立派な「天せいろ」
クリックすると拡大一年ぶりの蕎麦屋「あまね」さんの追加掲載です。
この日(2011年8月27日)は、いつも頼んでいる630円の「せいろ」に海老天(200円)を追加しました。もともとが「せいろ」と言えども、天婦羅が沢山ついた立派な「天せいろ」ですが、海老の天婦羅がつくことで正真正銘の「天せいろ」になりました。
この「天せいろ」が830円(630円+200円)で食べれるのですから人気があるはずです。この日も駐車場に入れるのには苦労いたしました。さらにお店に入るまで30分ほど待ちました。
今までは海老天を追加することはありませんでした。それは630円でエビは入っていませんが立派な天婦羅がついていたから海老天が割高に思えてしまうからでした。カラッと揚がった揚げたて海老天を食べてみて値打ちがわかりました。

こちらの手打ち蕎麦は、私の好きなタイプなのです。こちらのお店では蕎麦も天婦羅も出来立てを出されるために、お盆の上には両方が乗って出されることはほとんどありません。天婦羅に関しては2回3回に分かれることも偶にあるくらいに出来立てにこだわっています。でも1分以内には蕎麦と天婦羅はそろうので、この日も、ちょっと待って天婦羅が出てきてから上の写真を撮りました。


海老天以外の天婦羅はマイタケにナスにオクラに竹輪にキスでした。メニューには3品と書かれていますが、この日も5品を出してもらえました。美味しくいただきました。
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お店のメニュー「おしながき」の「せいろ」は630円を見てあれ!
私の記憶では680円だったのです。本記事の過去記事を調べてみました。やっぱり!
2010年2月14日掲載記事(写真→ポチッ)では680円でした。
なんと値下げをしてくれていたのです。「せいろ」だけではなく「鴨せいも」や「海老天」や「追加せいろ」も値下げしてくれていました。もっと過去にさかのぼって値段を調べてみました。今は「天せいろ」と「小天丼とせいろセット」はありませんが海老天(200円)とタレ付きご飯(100円)を頼むことでこの両方が食べれます。せいろ(天婦羅なし)を頼んでもサービスで天婦羅一品を付けてくれました。天婦羅は3品と書いてあるのですがほとんどサービスで5~6品になります。

            2006年8月  2010年2月  2011年8月 値引き

  せいろ 天婦羅あり  550円    680円    630円   -50円

  せいろ 天婦羅なし         500円    500円

  鴨せいろ       900円    950円    900円   -50円

  追加せいろ      300円    350円    300円   -50円

  海老天               220円    200円   -20円

  天せいろ       800円

  小天丼とせいろセット 890円



初めてお店の内部を紹介いたします。偶然にも目の前の席が2つ空いたので、写真を撮りました。梨が売られているのが判ってもらえると思います。


そばや「あまね」さんの隣は梨園なので、お店の中でも、この日の朝に採れた梨が売られていました。我々は待っている間に梨園に行って一袋500円の梨を買いました。家に帰ってから数を数えると10個は入っていました。500円で10個も、かなりお得でした。お店の外で待っているときに蕎麦の精算を終わった方がこの袋を持ってお店を出る人を何度も見かけました。石川梨園の人も補充にこられていました。お店の名前は石川梨園です。いつも家の近くの梨園から知り合いに梨を送っていましたが、美味しかったので、今年は、この梨園から8月30日に3箱送りました。


さっそく冷やしていただきました。梨の季節です。
  店名:石川梨園
  住所:佐倉市上志津原244-2
  電話:(043)461-0882


お店の廻りの航空写真です。赤色マークが「そばや・あまね」さんで青色マークが「石川梨園」さんです。斜め格子模様の畑が梨畑(梨園)です。

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2010年8月14日掲載 タイトル:お店の味をおうちで!
いつもの、「あまね」さんのお蕎麦を家で食べる機会があったので紹介いたします。
家のワンコは預けるとストレスがかかるようで長期間預けられません。したがって我が家ではワンコの世話のために交代で帰省しています。
クリックすると拡大娘が帰省していた四日前の火曜日(2010年8月10日)に家内と二人でよく行く、お蕎麦屋さん「そばや・あまね」に、食べに来たときの写真です。これに加えてピーマンの天婦羅は後から出てきました。常に揚げたてを出すのが基本で蕎麦と天婦羅も別々に出てくる場合が多いのです。そしていつも通りに右の写真のように小天丼にして食べました。(作り方は下のほうで紹介しています。)
てんぷらの写真はいずれも家内と行った時(2010年8月10日)のものです。
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テーブルの上には塩も用意されているので、天婦羅を塩で楽しむことが出来るのは、うれしいです。私は塩派ですけん。(テレビの影響で、なまってしまいました。) 
器には荒い塩がはいっていました。クリックするとつぶつぶ感が判ると思います。
そして昨日(2010年8月13日)は家内が帰省しているので、こちらのお店に娘と二人で蕎麦を食べに行きました。
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ところが、昨日(2010年8月13日)は、常に満車で苦労する駐車場が、ガラガラなのです。定休日は日曜日なのにどうしたのかな。と思っているとお店の中から、いつもの、お姉さんが出て来られたので、車の窓ガラスを下ろすと「すみません、お店の主人がケガをしたので臨時休業します。」と言われて、打ち立ての手打ちの生蕎麦をプレゼントされました。心遣いがうれしかったです。ご主人、早く怪我を直してください。
こんな形で蕎麦を頂きました。


生の蕎麦の拡大写真です。表面に沢山の粉がついています。
のびやすい蕎麦は、茹で加減が大切であることは聞いたことがありました。茹で時間をどれくらいにするかネットで、いろんなサイトで調べてみました。平均的に結論を出すと、再沸騰してからの時間は太さにより30秒~60秒というのが正解のようです。それで今回は無難なところで40秒と決めました。冷水に入れるまで手間取ると考えてタイマーは30秒にセットしました。大きな鍋にたっぷりの水を入れて強火で沸騰したところに、頂いた蕎麦を入れました。再沸騰したところでカウントダウンです。
クリックすると茹で上がった状態

出来上がったのが、このお蕎麦です。ちょっとさびしいけれど茹で具合は、いつもの食感! ちょうどよかったようです。味わいも、よかったような気がしました。
残念ながらいつもの天ぷらはないため、スーパーで天婦羅を買ってこようかと考えましたが、「あまね」さんの天婦羅には、とてもかなわないので天婦羅は想像だけに、いたしました。気がついたことが一つ。それは不思議なことに蕎麦はザルに乗っている方が美味しそうに見えることです。家内が帰省しておりザルが見つからなかったので、なるべく渋いお皿に乗せましたが、どうやら「ざる」には、かなわないようです。
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2010年2月14日掲載 タイトル:せいろ
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昨日(2010年2月13日)に、家の近くで一番のお気に入りの手打ち蕎麦屋さんに行ってきました。今、先週と先々週に行ってきた韓国の記事を連載させてもらっていますが、あいだにお蕎麦の記事を入れさせてください。
上の写真は「天せいろ」ではありません。お店の看板メニューの「せいろ」です。それも値段が680円です。その「せいろ」に100円の「ごはん」を頼みました。多少昔とメニューが変わりました。その昔と現在を紹介いたします。先ずは現在です。

「せいろ」なのに天婦羅が沢山付いています。この日は舞茸が二つに茄子、さつまいも、ピーマン、キスと6品が乗っていました。ごはんを頼むと天婦羅を多めに乗せてくれる気がします。特に舞茸はしっかりとした立派な物が使われており材料費だけでも原価を越えてしまうのではないかと思ってしまうのでした。実は天婦羅なしも頼めるのですが、その場合の値段差は180円(=680円-500円)なのです。つまりこれだけの天婦羅が180円と言うことになるからです。塩が置かれているのもうれしいですね。
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さらにうれしいのが、以前にも紹介した天丼サービスです。
100円の「ごはん」を頼むと右の天丼用のタレが付いてくるのです。
「せいろ」に付いてくる天婦羅を「ごはん」の上に乗せてタレをかけると天丼の出来上がりです。タレは少し甘めの市販や家では真似が出来ない美味しい味です。このタレの味には感心してしまいました。タップリとかけて食べると「ごはん」だけでも美味しくいただけること間違いないです。天ぷらの量が多いのでごはんの上に乗り切りません。このときも2品は天ぷらとして塩で食べました。この写真は是非ともクリックしてみてください。この写真は2010年2月27日の新しいものです。上の天婦羅と少し違うのが判ってもらえると思います。この日は舞茸が二つ、キスも二つに茄子、さつまいも、竹輪と7品でした。追加のタラの芽も天丼に乗せました。
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お得な天婦羅サービスのことばかり書きましたが、実は蕎麦のおいしさが一番うれしいことなのです。是非とも写真をクリックしてみてください。美味しさが伝わってくれると思います。
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これがお店のメニューです。基本的に「せいろ」と「鴨せいろ」だけで冷たいお蕎麦だけのこだわりのお店です。以前はもう少しメニューがありましたが、沢山のお客さんに対応するためにシンプルにされているのだと思います。


こちらが500円の「天ぷらなしの、せいろ」です。こちらにも竹輪の天婦羅がついていました。「天婦羅つきの、せいろ」では量が多すぎる人にはいいと思うし、この味の手打ち蕎麦が500円で食べれるのもうれしいです。
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そばや「あまね」下の写真は11時42分です。いつも車でいっぱいです。実は、このお店は紹介したくないのです。いつも車の駐車に苦労するから、これ以上お客さんが増えると困るからです。 でも美味しいお店は紹介したくなります。 
  店名 そばや「あまね」
  住所 佐倉市上志津原245-2 
  電話 043-489-7031
  休日 日曜日(祭日は臨時休業の場合あり)
  営業 11:00~14:30(L.O.) 営業は昼のみ
      だだし、そばめん終了で閉店



2010年2月27日掲載 タイトル:鴨せいろ と たらの芽
IMG_6494-960.jpg
今日(2010年2月27日)の昼食に、いつもの御蕎麦屋さんに行ってきました。今まで「鴨せいろ」を紹介したことがなかったので、今日は「鴨せいろ」を注文してみました。一緒に乗っている「たらの芽の天婦羅」は追加で頼んだものです。今の時期は4~5本のタラの芽の天婦羅が150円で食べれるのです。こちらのお店のメニューは基本的に、この「鴨せいろ」と先々週に紹介した「せいろ」の2種類だけです。

鴨セイロのつけ汁にはいろんな具が入っていました。
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こちらがタラの芽です。これで150円はやっぱり安いです。
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次に昔の「あまね」さんを紹介いたします。昔は日曜日も営業されていました。

2006年10月28日掲載 タイトル:ちょっと得した気分になる蕎麦屋さん
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タイトル「ちょっと駐車に苦労するお蕎麦屋さん」で紹介した蕎麦屋「あまね」さん 相変わらず蕎麦はおいしいです。写真をクリックしてみてください。おいしさ伝わるかな。
私は細い更科系の蕎麦が大好きなんです。

ここでのお得な食べ方を紹介しておきます。
天セイロを注文すると同時にごはんを頼むんです。
いつごろからか、ごはんを頼むと「丼のタレ」を付けるサービスを始められました。白っぽい右上の入れ物が「丼のタレ」です。このときはさらに上右端の舞茸とししとうの天婦羅もサービスしてもらえました。
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ごはんの上にサービスの舞茸とししとうの天婦羅を乗せてタレをかけると天セイロと小天丼の出来上がりです。
もちろん海老を乗せても舞茸の天婦羅はそのまま食べてもおいしいです。
天セイロ800円+ごはん100円なので、これが900円で食べれるんです。
天セイロが800円だけでもものすごくお得のに、この特別サービスには脱帽です。「あまね」さんありがとうございます。
サービス続けてくださいね。
舞茸とししとうのサービスがなくても天セイロの天婦羅は沢山あるので心配いらないです。ちゃんと小天丼は作れます。
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小天丼だけでもすごいです。これが追加で100円で食べれるのがうれしいです。でもこのときは昼食だったので食べすぎになってしまいました。この次は夕食に利用しようと。


ということで夕食に利用しました。天セイロでなくてもセイロだけでも天婦羅が付いてくるので大丈夫です。
さらにおまけの舞茸の天婦羅もあります。


                ↓ 小天丼つきに変身です。


さらにインゲンとイカの天婦羅もサービスしてもらいました。


次が、はじめて紹介したときの記事です。2014年2月22日から7年6ケ月前です。

2006年8月18日掲載 タイトル:ちょっと駐車に苦労するお蕎麦屋さん 

このお店も口コミで教えてもらいました。それ以来、かなりの回数行っています。細めの手打蕎麦です。おいしい蕎麦を出してくれるお店です。麺もタップリ乗せてくれます。初めて訪問させてもらって3~4回目で、この時、2006年8月6日でした。

セイロです。でも天ぷらが三点付いています。
これで550円には驚きです。
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昔は「小天丼とせいろのセット 890円」が一番人気でしたが事情があって今は3種のみとなっています。それでも人気です。
 セイロ  550円(天ぷらが三点付)
 天セイロ 800円
 鴨セイロ 900円
お手ごろ価格も人気ですが蕎麦のおいしさが人を引きつけるのだと思います。

蕎麦屋「あまね」はいつも満員です。席が4~5テーブルと少ないので車の中で待ちます。10台程度は停められるのですがそれでもお客さんの数の割りには駐車場が狭くて、いつも一杯です。そのため諦める人の方が多いくらいです。ちょっと辺鄙なところなので車でしか行けないのが残念です。すんなり停められることは少ないけれど私は諦めたことはありません。このお店はネットでもかなり取り上げられています。


下の写真が天セイロです。 一番出ているメニューのようです。天婦羅は「海老」と「キス」と「なすび」と「舞茸」と「しし唐」です。写真は載せていませんが鴨セイロも本格的です。都内でこのレベルを食べようと思うと倍近い値段になってしまいます。
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営業時間は下記ですが時間が来る前に蕎麦がなくなってしまうため開始時間から1時間以内(確実なのは30分以内)に行くことをお勧めします。今は昼間だけの営業で夕方の営業を行っていないので注意してください。
posted by SORI at 22:41| Comment(140) | TrackBack(1) | 蕎麦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

大阪でお好み焼き ぼてぢゅう

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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久しぶりに大阪のお好み焼き店「ぼてぢゅう」に入りました。関西に住んでいたころは、お好み焼きを食べに「ぼてぢゅう」によく食べに行きましたが、関東に引っ越してからは、ご無沙汰していました。
今回、大阪を外国の人に案内する機会があったので、大阪の味を知ってもらおうと昼食は「お好み焼き」にすることにしました。急に決めたことなので「ぼてぢゅう」以外は思いつきませんでした。とりあえず携帯で宿泊していたホテルの近くのお店を探しました。私が頼んだのは上のネギモダンです。

入ったお店は阪急三番街地下2Fにある1969年(45年前)に開店した梅田店で伝統のカウンタースタイルのお店でした。来たときは満席で入れなかったので店の前に一人残ってウインドショッピングをしてもらいながら席が空くのを待ちました。すぐに席があいたので携帯電話で連絡してお店に集合しました。
阪急三番街が1969年11月30日に開業と同時に出来たお店なので阪急三番街も45年が経つのだなと妙に懐かしく感じました。
お店に入って、さっそく焼いてもらい始めました。カウンター席のおかげで大阪の雰囲気を味わってもらえました。
お店の名前をぼてゅうと思われている方も多いと思いますがぼてゅうが正解です。つまりではなくてなのです。なぜ「」なのだろうと調べてみました。
お好み焼きをテコで「ぼて」とかえし、さらに「ぢゅう」と焼くことが語源だそうです。
でも、ヂュウヂュウ焼く(2)と書くよりも、ジュウジュウ焼く(42,800)と書く方が多いので「じ」と「ぢ」の違いの説明にはなっていないかもしれません。括弧内数値はYahooでの検索件数です。
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外国人にはメニューの写真を見て好きなものを選んでもらいました。お好み焼きを食べに来たのですが、みなさん焼そばを頼んでいました。確かに外国の人から見たらこちらの方が美味しそうに見えるのかも知れません。
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別の外国人が頼んだのもモダン焼でした。お好み焼きの種類ではありますが、これも純粋なお好み焼きではないですね。
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せっかく外国の人に、純粋な、お好み焼きを紹介したかったのですが、思惑が外れてしまいました。そこでシンプルなお好み焼きを追加で頼んで味わってもらいました。もちろん皆さん、お好み焼きも、焼ソバも、モダン焼きも、大満足でした。もしかしたら私が一番食べたかったのかもしれません。
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お好み焼きにはビールですね。グビ、グビと何杯も飲んでしまいました。この日の夕食も大坂名物の串カツにいたしました。


店舗数を調べてみました。「ぼてぢゅう」が有名と思っていたら、実はお好み焼きチェーン店で店舗数で最大のが「道とん堀」です。2011年と2014年を比較すると両方ともに地道に延びてきている感じがします。
専門の人が作るのが「ぼてぢゅう」に対して「道とん堀は基本的に自分で作るお店です。みんなで楽しく自分で焼くのを楽しむか、専門の人に焼いてもらうのか、その時その時」に決まってくるのだと思いました。料理店として別物で比較するのは次元が違っていたような気がしました。
実は「道とん堀」は家から車で3分で行けるところにあるほど千葉に浸透しているけれど「ぼてぢゅう」は1店舗もなかったのですが、現在は酒々井アウトレット店を含めて3店舗が出来ました。
         ぼてぢゅう      道とん堀
       2011年 2014年   2011年 2014年
海外6    12    0    5   
大阪15    18    4    3   
東京13    21    29    25   
神奈川5    9    24    23   
埼玉2    3    30    34   
兵庫2    4    3    2   
愛知1    3    7    8   
山梨1    0    3    3   
岡山1    3    2    2   
奈良1    1    1    1   
千葉0    3    22    25   
その他0    7    165    170   
合計47    84    290    301   

お店を紹介いたします。
 店名 :ぼてぢゅう 梅田店
 電話 :06-6374-2254
 営業 :11:00~22:00
 住所 :大阪市北区芝田1-1-3 
       阪急三番街 B2F
 開店 :1969年(昭和44年)
 系列 :ぼてぢゅうグループ   
 特徴 :カウンター席のみ
 
「ぼてぢゅう」のなかでも「カウンター席のみ」のお店は珍しいです。

「ぼてぢゅう」は、終戦(1945年8月)から10ケ月目の1946年6月(68年前)に大阪市西成区玉出で西野栄吉さん(左の写真)が創業したお店だそうです。
その後、紆余曲折を経て、分家として「ぼてぢゅうグループ」と「大阪ぼてぢゅう」が出来て、本家は「ぼてぢゅう総本家」として続けて、長く3社で「ぼてぢゅう」の名前が使われていました。ところが2009年5月に「ぼてぢゅう総本家」が破産をして、「ぼてぢゅうグループ(東京フード)」が商標権などを引き継いだそうです。今回食べたお店は、我々が一番よく知っている「ぼてぢゅうグループ」です。その「ぼてぢゅうグループ」は、現在の社長の栗田英人さんの父である北村貞次さんにより1962年7月に創業したそうです。クリックするとマヨネーズの説明
お好み焼と言えばマヨネーズですが、それを最初に始めたのが西野栄吉さんでした。その味の噂からタカラジェンヌ達の贔屓(ひいき)のお店になったことがきっかけで大阪中に評判が広がり、現在の「ぼてぢゅう / BOTEJYU」につながったそうです。本白黒の写真は「ぼてぢゅう」のホームページから拝借させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
posted by SORI at 09:53| Comment(54) | TrackBack(1) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

龍角寺古墳群

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で大阪の古墳を紹介した機会に、房総の古墳も紹介いたします。
上の地図の中の茶色のクリックすると地図を表示部分が古墳で、なんと114基あります。
千葉県八千代市の古墳を紹介させてもらった機会に過去記事ですが、龍角寺古墳群の記事を一番下の表を追加して再掲載させていただきます。
前方後円墳、円墳および方墳が判っているだけで114基もある全国最大規模の龍角寺古墳群が千葉にあることは、全国的には、あまり知られていないと思います。
画像をクリックすると大きな地図が出るので見やすくなります。大型の古墳は少ないけれど、確かに、これだけ沢山の古墳を一度に見れる場所は初めての出会いでした。皆さんにも知ってもらいたいので紹介いたします。

古墳には番号が付けられており、看板が立てられています。看板がないと古墳とは気がつかないような、小さな古墳もあります。これは全長42mの21号の前方後円墳です。上の地図では左の上の方にあります。この日は自転車で来てみました。


こちらは57号の前方後円墳です。地図に57と書かれている古墳で風土記の丘資料館のすぐそばにあります。114基の内訳は円墳が71基で前方後円墳が37基で方墳が7基です。高さが1~8mのものが103基とこの範囲が大半を占めていました。
ただし下の表にあるように全長(円墳は直径 方墳は一辺)に関しては1基が8mですが、残り113基は全て10m以上でした。


古墳広場です。小さな丘のように見れるのが全て古墳です。こちらの広場も圧巻です。沢山の古墳の中で遊ぶことが出来ます。古墳の新一覧表はこちらです。→ポチッ


こちらは発掘調査に基づき古墳がつくられた当時の様子を復元させた101号の円墳です。楯(たて)を持つ武人や猪、犬、馬、水鳥などを含め約100体の埴輪が並んでいました。


埴輪が沢山置かれていました。昔の人はお墓を大事にしたのですね。
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上空からの101号古墳です。写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


こちらは大きな龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)です。上の地図で場所を確認してみてください。こちらでは今でも石室を見ることが出来ます。鉄格子のところが石室です。この岩屋古墳は、千葉県印旛郡栄町にある方墳で、114基ある竜角寺古墳群の105号古墳です。
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鉄格子の間から石室を撮らせていただきました。南面には2基の横穴式石室が10メートル間隔で並でいます。西側石室は奥行4.23メートル、奥壁幅1.68メートル、高さ2.14メートルで、東側の石室は西側よりやや大きいが、この時は崩落してブルーシートがかけられていました。石材は凝灰質砂岩で、この地方で産出される貝の化石を多量に含んだものだそうです。被葬者は不明で、1970年(昭和45年)に墳丘と横穴式石室の測量調査が行われました。
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岩屋古墳はちょっとした小山です。印旛沼北岸の標高約30メートルの台地上に位置する。築造年代は古墳時代終末期の7世紀前半頃と考えられています。一辺78メートル、墳丘は3段築成。高さは13.2メートル、幅3メートルの周溝と周堤が巡っている。同時期の大方墳である春日向山古墳(用明天皇陵)、山田高塚古墳(推古天皇陵)をもしのぐ規模であり、この時期の方墳としては全国最大級の規模だそうです。


岩屋古墳を上空から見ました。こちらも写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


古墳の上には登れません。でも一ヶ所だけ登れる古墳がありました。


それが浅間山古墳(せんげんやまこふん)です。頂上まで階段がありました。浅間山古墳は龍角寺古墳群に属する111号古墳で、7世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳です。
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ここが浅間山古墳の頂上です。浅間山古墳は古墳群内最大の前方後円墳で、墳丘長は78メートルとされています。浅間山古墳には複室構造の横穴式石室があり、石室は筑波山付近から運ばれた片岩の板石を用いて築造されており、石室内からは金銅製冠飾、銀製冠、金銅製の馬具や挂甲などが出土しました。
墳丘からは埴輪は検出されておらず、前方後円墳最末期の古墳であることは間違いないとされますが、石室の構造や出土品から浅間山古墳の造営を7世紀第二四半期という新しい時期を想定する研究者もあります。一般的には6世紀末から7世紀初頭と考えられている前方後円墳の終焉時期との関係で論議を呼んでいる古墳です。
浅間山古墳を含む龍角寺古墳群は、古墳時代後期から龍角寺の創建に代表される飛鳥時代にかけての地方首長のあり方を知ることができる重要な遺跡と評価され、2009年2月12日、すでに史跡とされていた古墳群内の岩屋古墳に追加する形で、龍角寺古墳群・岩屋古墳として史跡に指定され、また出土品は2009年3月4日、千葉県の文化財に指定されました。


栄町教育委員会ホームページのデーターを元に、龍角寺古墳群の114基の古墳の大きさを、表にいたしました。全長の数値は円墳の場合は直径で方形の方墳は1辺の長さです。前記事で紹介した百舌鳥古墳群の古墳に比べると、一つ一つの古墳は小さいけれでも数に圧倒されます。旧資料(2009年)では115基でしたが新資料では114基になっていました。
龍角寺古墳 クリックするとオリジナルの新資料を表示します。

龍角寺古墳群の場所を地図で紹介します。 A マークのところが古墳群の中心あたりです。房総風土記の丘史料館で検索すると判ると思います。「千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺1028 Tel:0476-95-3333)」の近くでもあります。直接に古墳群に行きたい場合は「房総風土記の丘資料館(0476-95-3126)」を入力するとよいと思います。
古墳群のある風土記の丘は無料なのがうれしいです。房総のむらと史料館は有料ですが、両方合わせて中学生以下は無料で高大学生は150円で一般は300円と内容からみて安いです。行列の鰻屋さんも、この近く(8.1km)なので寄ってみてはいかがでしょうか。→ポチッ
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2014年02月21日

バスの窓から見えるチベット族の村々

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

九寨溝の中のチベット族の村はすでに紹介いたしましたが、ここでは黄龍や九寨溝に向かうバスの中から見ることが出来たチベット族の村々を紹介いたします。是非とも訪れてみたくなる景観が広がっていました。黄龍に向かう途中の3900mからの景色で遠くに見える山々は5000m級で、この村は標高3700~3800mの高地でチベット族の人たちが暮らしている村です。こちらは「天空の村」と呼ぶにふさわしいところでした。ここをもう少し進むと標高4007mの雪山梁峠があります。

村のあたりを拡大してみました。段々畑が山のすそ野に作られているのが印象的でした。建物は小さくてわかりにくいと思いますが立派な家々が立ち並んでいました。


さらに村を拡大しました。チベット族の村の象徴であるルボリが確認できます。
撮影角度は3枚ともすこしづつ違います。


こちらは九寨溝に向かう途中にあった標高3200mのところにあったチベット族の集落です。集落を見下ろす山の麓に白っぽい飾りがありました。


その飾りを拡大しました。塔を中心に五色の旗が沢山飾られている下に、チベット語と思われる文字が書かれていました。


建物のあたりを拡大いたしました。九寨溝の中で見た家の前の塔は石で出来ていましたが、こちらの村では各家に木を寄せた円錐形の塔が経っていました。家々も大きく立派でした。こちらでも山のすそ野に5色の旗の「のぼり」がいくつも立てられてチベット族の地域に来ていることを実感させられました。


道の脇の家も何枚か紹介いたします。道の近くでは、ほとんどの家が道よりも高いところに建てられていたため、すべて見上げるような写真となりました。高い石垣が組まれているのが印象的でした。


こちらも石垣が印象的でした。旗の数もすごかったです。


沢山の家がある典型的な村だと思うのですが、道路からの写真だと見上げる構図となってしまいます。道路を挟んで反対側の斜面に登って撮ると素晴らしい景観だと思います。


その構図の写真がこちらですが、こちらは直接に村を撮った写真ではありません。チベット族の人たちの歌や踊りが行われていたステージのバックに張られていた大きな写真のパネルです。おそらく、この辺りで最も有名な村の写真だと思います。
クリックすると拡大

道路から遠く離れた村を撮ると村の様子がよくわかります。少し高いところを走ってる道路から遠くに見えた村です。これは珍しい角度の写真で沢山の家が一列に並んでおり各家の前に大きな庭があることがわかりました。庭には木の円錐の塔が立てられていました。


金色の屋根を持つ立派な建物がある村もありました。このような大きな金色の屋根の建物がある村をいくつもありました。貧しいという印象が一変してしまいました。手前の方にはヤクが放牧されています。このヤクの放牧された光景も印象的でした。こちらも3400m近い標高の場所でした。バスが標高3500m程度を走っているときに撮った写真です。


こちらの村にも金色の屋根の大きな建物がありました。山のすそ野の飾り付けも立派でした。村の前の大きな畑では沢山の人たちが働いていました。


金色の屋根の建物が写っている3枚の写真は、それぞれ別の場所です。ここは比較的道路に近い開けた場所の集落で沢山の人が暮らしている様子でした。


やはり5色の旗のノボリの数は半端ではありませんでした。普通の景色のように見えるけれども、この辺りの標高も3300mあります。マラソンの高地トレーニングにいいかもしれません。


大きな塔が建てられた集落もありました。場所は中国の四川省チベット自治州の九寨溝あたりです。



これらの写真は右の地図の青いラインで示す54kmの道路沿いで撮ったもので、写真は概ね南(下)から北(上)の順番に紹介しています。

地図内のアイコンをクリックすると地形図が現れます。その状態でのアイコンをクリックして縮尺を上げると道のあたりの標高が3000m~3800mの地域であることがわかると思います。富士山の頂上に近いところで暮らすチベット族の村々でした。このあたりの周りの山々はさらに高く、標高4000m~5588m(雪宝頂)です。

地図内のアイコンをクリックすると航空写真に変わります。
posted by SORI at 17:30| Comment(16) | TrackBack(2) | 九寨溝 黄龍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月20日

追記 ハロン湾の海上レストラン

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

昔の記事でベトナムのハロン湾あるいはハーロン湾(Ha Long Bay / Vịnh Hạ Long)にある海上レストランを紹介いたしましたが、その場所をgoogle地図で探しても、なかなか見つけられませんでしたが、やっと航空写真で見つけることが出来ましたので、記事を追加掲載させていただきました。表示が航空写真ではなく地図の方はアイコン写真をクリックすると航空写真に切り替わります。
航空写真のイカダの上の配置は、その時の記憶通りでした。巨大な四角い生簀が沢山あるのがわかってもらえると思います。
地図上には「Ba Hang Bar」と書かれています。レストランの中のバーの名前だと思います。最初に掲載した記事で紹介しているように大きなイカダの上にレストランが作られており、建物も立てられており屋外でも屋内でも食べることが出来ました。もちろん屋外で食べました。マークの位置のテーブルで食事をいたしました。

食事に訪れたのが夜であったことから、海のレストランの写真を撮っていなかったので、以前から海上レストランの写真の写真を探していましたが見つけることができませんでしたが、場所がわかったことから写真も見つけることが出来ました。これが海上レストランの全景です。イカダの下の巨大な生簀から魚をすくって料理してくれました。
我々が行ったのは非常に大きいな海上レストラでしたがネットを見ていると小さな海上レストランや水上住宅が沢山集まった場所がありました。→ポチッ ポチッ
こちらの写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大

広範囲が見える航空写真も掲載いたします。3つの島に囲まれる場所に海上レストランがありました。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると、この場所がわかってくると思います。

ワンピースの海上レストラン「バラティエ」も「どーん!」と紹介しておきます。



2010年9月19日掲載 タイトル:海の桂林・ハーロン湾

今、先日(2010年9月7日~10日)に行っていたホーチミンの記事を掲載中です。
ベトナムということで以前に行ったベトナムの北の端のハーロンの景色を紹介いたします。上の写真が海の桂林と呼ばれているベトナムのハーロン湾!です。霧にかすんだ島影がまさに桂林のような景観です。この写真は末尾に紹介している宿泊したホテルの窓から撮ったものです。

この手前の船で島の間を走り景色を楽しみます。 ハーロン湾は1994年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された幻想的な場所です。007のロケ地であることも有名です。乗り合い船に乗ってもいいのですが交渉すれば一隻チャーターしても安くなるので仲間がいれば自分達だけで乗るのも楽しいですよ。もちろん食事付きなので食事を楽しみながらのんびりすごせます。途中で小船が追いかけてきて高級食材も売りにきます。(これで儲けているのかも!)


ハロン湾(Vịnh Hạ Long,)は、ベトナム北部のトンキン湾北西部にある湾です。カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在します。カットバ島以外の島は現在は無人ですが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいたそうです。数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用されたそうです。
クリックすると拡大

北は中国の桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角であるため石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となったそうで「海の桂林」と呼ばれています。こちらの写真はクリックすると拡大とします。
クリックすると拡大

と、ここまでは普通の観光案内 で、実はお勧めなのが海上レストラン

海上レストランと言えばワンピースの海上レストラン「バラティエ」を思い浮かべる人が若干名いると思います。バラティエは船でしたがここは大きなイカダをいくつもつないだ上にレストランを作っています。
写真の景色の中の小さな島に固定された高級なレストランです。かなりの広さがあり室内でも食べれますが屋外で月明かりの中で食べると開放感があります。ここには専用の船で行きます。名前は忘れましたがホテルで聞けば判ると思います。残念ながらレストランの写真は残っていません。メニューは、すべてベトナム語だったので料理が判らないし、魚介類の英語の単語は通じないので身振り手振りとなり、出てくるまでの楽しみとなります。幻想的な食事が楽しめると思います。イカダの下が海で巨大な生簀になっていました。シーフードが主体ですが雰囲気が最大のご馳走です。

こちらはハーロン湾の中の市場の風景です。
右の小さな写真のように写真の右側に私が立っていますが大きな写真ではカットさせていただきました。沢山の人がベトナム特有の三角笠をかぶっていました。何気なく撮っているように見えますが、こちらの女性に頼んで自然な感じの記念写真を撮らせてもらいました。


下は南のカンボジア国境近くの暖かい地域の市場での一こまです。 雰囲気が違いますね。市場全体の写真はクリックすると拡大します。電線が沢山なの気になってしまいます。
クリックすると拡大

ハーロン湾で宿泊したホテルHeritage Halong Hotel(ヘリテージ ハロン ホテル)です。朝にビーチに散歩に出て撮りました。冒頭の幻想的な写真と3枚目の写真は、このホテルの窓から撮ったものです。そして4枚目の写真は、この写真を撮った同じ場所から海を撮った写真です。ハーロン湾には3度来る機会がありました。海上レストランに行ったときは、この辺りのホテルが満席であったことから、少しは離れた小さな町の小さなホテルに泊まりました。その場所が海上レスランに近い場所にあったことから海上レストランを知ることが出来たのです。


ハーロン湾の衛星写真も紹介しておきます。写真の中の島々が桂林のような景観を見せてくれることから海の桂林と呼ばれています。
赤いマークが鍾乳洞です。黄色のマークは泊ったことがあるホテルで緑のマークが夕食をした大きな海上レストランです。青のマークは大きなホテルが満席で、なんとか探した小さなホテルがあった町の場所です。空色のマークは小さな海上レストランや水上住宅が沢山あるところです。

耀
posted by SORI at 23:02| Comment(26) | TrackBack(1) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニサンザイ古墳

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

飛行機の上から大阪平野を見ると沢山の前方後円墳に気が付かれる方が多いと思います。その中の一つに2014年2月8日に行ってみました。それが紹介するニサンザイ古墳です。上の写真はGoogle地図のニサンザイ古墳の航空写真です。

ニサンザイ古墳の周豪で幅12mx長さ45m以上の古墳時代最大の橋脚後の柱跡が新たに発見されたことが2016年1月27日に堺市文化財課から発表がありました。枠内がその掲載記事です。2013年の記事→ポチッ
幅12メートル、古墳時代最大の橋跡 大阪・堺のニサンザイ

日本経済新聞 2016/1/27 21:29

2013年に橋脚跡とみられる柱穴が見つかった陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(堺市北区、5世紀後半)の周濠(しゅうごう)から、新たに柱穴5カ所が見つかり、堺市文化財課が27日発表した。橋は幅約12メートルで、長さは45メートル以上だったと推測でき、古墳時代最大の木橋と分かった。
全長約300メートルの前方後円墳で全国7番目に大きく、大王墓とみられている。橋は古墳の中心線上にあり、白石太一郎大阪府立近つ飛鳥博物館館長は「水をたたえた古墳での埋葬方法は分かっておらず、葬送用の橋ではないか」と推測、古墳の築造過程や葬送の様子を知る遺構となりそうだ。
2013年の調査で後円部近くに7列の柱穴を確認。橋は丁字形の可能性もあったが、昨年10月からの調査で対岸側でも7列の柱穴があることが分かった。今回の柱穴は直径66~92センチ。また、木製埴輪(はにわ)の一種「笠形木製品」も1点出土した。
古墳時代の木橋の跡は群馬県高崎市の三ツ寺I遺跡や石川県小松市の千代・能美遺跡で見つかっているが、いずれも橋幅は5メートル以下と考えられている。
陵墓や参考地は宮内庁が管理しており、周濠の調査例がほとんどない。ニサンザイ古墳の周濠は堺市が所有していたため発掘調査した。一瀬和夫京都橘大教授は「ほかの巨大古墳でも同様の施設があるのではないか」と期待を寄せた。〔共同〕


前方後円墳は3世紀から7世紀頃にかけて盛んに造成された形式で「円形の墳丘(後円部)」と「方形の墳丘(前方部)」を組み合わせた日本独特の特徴の古墳です。大きすぎて地上からの写真では、前方後円墳の形の実感を伝えるのは難しいのですが、少しでも全景を伝えらるの角度を周囲を一周して探しました。クリックすると拡大そのひとつが「方形の墳丘」の後ろ斜めからの写真です。北西方向の方向から撮りました。上の航空写真で言えば左上方向からの写真です。この写真では、左奥の方向が「円形の墳丘」です。右の前方後円墳の模式図はWikimediaから拝借いたしました。
 名前  ニサンザイ古墳
 形状  前方後円墳
 規模  全長290m 
      円墳径156m 円墳高さ24m  
      方墳幅226m 方墳高さ22.5m
 築造  5世紀後半
 被葬者 名前不明
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ニサンザイ古墳の周囲の土手を一周いたしました。2014年2月8日と言えば関東では観測史上1~2番の積雪があった日ですが関西では前日の夜から降り始めて当日は、この写真の程度の積雪でした。
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こちらの写真はもう一方の「方形の墳丘」の斜め後ろからの写真です。右奥がの方向が「円形の墳丘」です。
方向的には南西方向(左下方向)からの写真です。
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ニサンザイ古墳の周囲は住宅地であり散策路が整備されていました。
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こちらが円墳の部分です。
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円墳の正面より少し右側に池を渡る通路がありました。ただし入口には鍵がかけられており中には入れませんでした。
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ニサンザイ古墳は大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳で日本で8番目の大きさです。ただし世界最大の仁徳天皇陵の築造以降5世紀後半に限れば日本最大の古墳であることから、当時の大王の墓と考えられています。百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しいそうです。
現在の周濠は一重ですが二重目の濠が一部確認されています。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査では、現在の墳丘の端から5m外側の濠の底から本来の裾部分が見つかったことから全長が300mを超えていた可能性もあるとされています。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」、すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられているそうです。周囲には聖塚古墳や舞台塚古墳などの小古墳である陪塚が点在しているそうです。
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西側公園になっており子供とお母さんが雪遊びされていました。


東側は墓地になっていました。見えている森の部分がニサンザイ古墳の円墳の部分です。大阪府泉南郡岬町淡輪にもニサンザイ古墳というなの古墳があります。そちらは「淡輪ニサンザイ古墳(たんのわニサンザイこふん)」とよばれており、今回紹介の大阪府堺市百舌鳥西之町のニサンザイ古墳は「土師ニサンザイ古墳(はぜニサンザイこふん)」と呼ばれています。
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墓地の中には沢山の石碑が積み上げられていました。
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ニサンザイ古墳の北西方向には百舌鳥古墳群があり、その中に日本最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があります。仁徳天皇陵が一般的な呼び名ですが正式には大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)だそうです。大仙陵古墳は築造年代は5世紀前期~中期とされており、日本最大(全長486m、高さ35m)の前方後円墳であり、墓域面積では世界最大でもあります。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を構成しています。ちなみに履中天皇百舌鳥耳原南陵は日本で3番目の大きさだそうです。
 百舌鳥古墳群の構成  (全長100m以上は数値を記載)
   大仙陵古墳(仁徳天皇陵)(486m)
   履中天皇百舌鳥耳原南陵(365m)
   反正天皇百舌鳥耳原北陵(148m)
   ニサンザイ古墳(290m)
   御廟山古墳(203m)  
   いたすけ古墳(146m)
   長塚古墳(102m)  七観音古墳     源右衛門山古墳
   永山古墳(100m)  菰山塚古墳     収塚古墳
   狐山古墳      銅亀山古墳     グワショウ坊古墳
   銭塚古墳      竜佐山古墳     寺山南山古墳
   旗塚古墳      樋の谷古墳     孫太夫山古墳
   塚廻古墳      丸保山古墳      
   鳶塚古墳(復元)   原山古墳(復元)
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posted by SORI at 10:58| Comment(24) | TrackBack(2) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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