2014年02月28日

カザフスタンの水たばこ



生まれて初めて水タバコを吸いました。これが水タバコです。私は煙草は吸いません。一生の間に学生時代に2分の1本吸って以来、煙草を吸ったことがありませんでした。理由は初めて吸った時に、煙たくでノドが痛くなったからです。
以前に料理を紹介したカザフスタンのレストランで、火のついた炭を持ち歩いしてる従業員の人がいるので、「この炭はなんですか」と聞くと水タバコ用の炭との答えでした。前々から水タバコに興味があったので頼んでみたわけです。

この時に頼んだのは一番人気のあるアップルとハープが混ざったものでした。吸ってみましたが煙たくなくて煙草とは別物でアップルとハーブの香りを楽しむ感じでした。
煙草を吸わない女性でも、全く問題なく楽しむことが出来ました。タバコを楽しむのではなく、初めての体験を楽しんだわけです。是非とも体験してみてください。


セッテングするまでを紹介いたします。追加で頼むと先ずはタバコの葉(干したアップとハーブ)と炭を入れる部分を逆に吹かして清掃します。


タバコの葉に相当する干したアップとハーブ(ミント)を入れます。


その上に炭を入れます。


炭と干したアップとミントをいるる部分の写真です。


さらに拡大してみました。


結構、楽しめました。
楽しい雰囲気の大きな写真を掲載したいところですが顔がわからない右の小さい写真で勘弁してください。楽しい雰囲気がわかってもらえるでしょうか。調べてみると、水タバコはペルシアで発明されイスラム圏で大成した喫煙具の一種と言われています。香り(フレーバー)付けがされたタバコの葉に炭を載せて熱し、出た煙をガラス瓶の中の水を通し吸うというものだそうです。
大きさは小さい物で高さ30cmからあり、一般的な物は60–80cmほど、大きい物では1mを超すものも多いと書かれていました。今回のものは1m級に近かったです。フレーバーには果物からスパイス、花、コーヒー、ガムなど多くの種類があるそうで、今回はアップルとミントでした。私が初めて水タバコを見たのはエジプトでした。インドや中近東でも人気があるそうです。


首都アスタナでも屈指の中央アジア料理のレストランでした。


レストランの場所を紹介します。紫色マーク( )が今回のレストランです。
 店名 Алаша Alasha
 住所 Республика Казахстан г.Алматы ул. М.Оспанова, 20
    Republic of Kazakhstan Almaty Ospanov st., 20
 電話 0727-254-0700
 HP http://www.alasha.kz/ru/contacts


すでに紹介したカザフスタン料理を再度掲載いたします。

やっぱり最初はビールですね。右が無濾過のビールです。左は濾過されたクリヤーなビールですが、女性だと不思議なことにストローが入れられてきました。


この日は肉料理が中心になることから、先ずは野菜を頼みました。ハーブ類も入った野菜の盛り合わせです。


このパンも特徴のある有名なものだそうです。


さっそく肉のオードブルが出されてきました。どれもビールに合うおいしい一品ばかりでした。


こちらのお店の名物に「うどん」があるということなので頼んでみました。スープは日本のうどんとは違うものでしたが、正式名はわかりませんが確かに日本人がウドンと呼ぶにふさわしい料理でした。


中に入っている麺はこれでした。讃岐うどんのような強いコシはありませんが、確かに麺の味はうどんでした。


これがメインデッシュのリブロースと串焼きの肉です。


特徴的な焼き飯もありました。各自のお皿に民族衣装着た人が取り分けてくれました。


肉も焼き飯もおいしかったです。


やはり肉の国です。しっかりと焼くのがカザフスタン流ですが牛肉の高級な部位は柔らかくておいしかったです。


この肉料理もおいしかったです。結局はウォッカを2本あけてしまいました。もちろんウォッカは一本9200円位のベルーガです。


こちらのお店ではステージがあって中央アジア風の踊りを楽しみながら食事をいたしました。


レストランの場所を紹介しておきます。ナイフとフォークのマークのところです。

より大きな地図で レストランの位置 を表示
posted by SORI at 22:43| Comment(48) | TrackBack(2) | アスタナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

兵庫陶芸美術館 立杭焼の里

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
すでに紹介した焼き物の里である兵庫県篠山市今田町の立杭地区と川を挟んだ山の裾野に陶芸美術館があります。室町時代から大正時代に兵庫県内で作られた焼き物の美術館で正式名は兵庫陶芸美術館です。本記事ではその兵庫陶芸美術館を紹介いたします。JR相野駅を9時35分発(始発)に乗ったバスはこの兵庫陶芸美術館行きで、ここに着きました。
兵庫陶芸美術館が建てられた立杭の焼き物は平安時代からの歴史があり、丹波立杭焼、あるいは丹波焼、あるいは立杭焼ともいわれて、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と共に六古窯の一つに数えられています。山のふもとの斜面に建つ白い建物が兵庫陶芸美術館です。

こちらはすでに紹介した記事「丹波立杭焼の里」の中で掲載した兵庫陶芸美術館の写真です。川の名前は四斗谷川(しとだにがわ)で、陶芸の里らしく壺が飾られた橋の名前は「ほとけ橋」です。
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登り坂の入口に作られた兵庫陶芸美術館の看板です。
英語の名称はThe Museum of Ceramie Art, Hyogoです。


看板を過ぎで坂を登っていくと陶芸美術館が見えてきます。


エレベーターで上がった後、この渡廊下で美術館に向かいます。


ガラス張りの渡廊下からは立杭の集落が見えました。私が乗ってきたバスも右端に少し写っています。


正面が美術館の入口です。ここには9時50分に着きました。Openの10時まで周りを散策させてもらいました。小さな陶器のランタンが沢山並べられていました。日が暮れるときれいな景色が見れるのだと思います。
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美術館の入口から上の写真を撮った場所の方向の写真です。沢山の石が景色を作っていました。
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石だと思ったのは陶器でした。
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割れ目を作っていないと陶器とはわからない色合いと地肌でした。これらは杉浦康益さんの一つの作品で作品名は「丹波逍遥・語り合う沈黙2005」です。
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クリックすると拡大こちらが入館券です。この時の観覧料は本来は600円でしたがJAFの会員カードを持っていたことから団体と同じ500円になりました。
名前 兵庫陶芸美術館

    The Museum of Ceramie Art, Hyogo

住所 兵庫県篠山市今田町上立杭4

電話 079-597-3961

営業 11月~3月 10:00~18:00

    4月~10月 10:00~19:00

    特別イベント 10:00~21:00

休館 月曜日 12月31日~1月1日

料金 展覧会ごとに異なるそうです。

    ネットで割引券入手可

HP  http://www.mcart.jp/ 

開館 2005年10月1日

所蔵 1700点

     この時に展示されていたのは152点でした。

構成 展示室5室(1階:2室、2階に2室、地下:1室)

展示 丹波焼(丹波) 出石焼(豊岡) 八鹿焼(養父) 三田焼(三田) 王地山焼(篠山)

    東山焼(姫路) 珉平焼(淡路) 赤穂焼(赤穂) 明石焼(明石) 舞子焼(神戸)

    明浦山焼(明石) 鷺脚焼(姫路) 盈進舎(出石) 永世舎(姫路) 淡陶舎など
  

美術館では新収蔵品展「美の再発見 兵庫のやきもの」が行われていました。会期は2013年12月7日~2014年2月16日でした。
美術館内は写真撮影禁止なので、展示室の雰囲気を感じてもらうためにネットから下記の写真を転用させていただきました。展示は部屋ごとに4章に分かれて132点が展示されていました。
 2F 第1章 丹波                   1 ~ 42 室町前期~江戸後期
 2F 第2章 出石と八鹿              43 ~ 65 江戸~明治~大正
 B1 第3章 三田・王地山そして東山・赤穂  66 ~ 94 江戸~明治~大正
 1F 第4章 明石・珉平そして清風与平     95 ~132 江戸~明治~大正



これらの写真はパンフレットとHPから転用させていただいた陶器7点です。
 左側の写真が室町時代後期の丹波焼の壺です。
 右側の写真が江戸時代後期の三田焼の青磁牡丹文角皿です。


 左側の写真が明治時代の出石焼の白磁梅樹文龍耳花瓶です。
 中央の写真が江戸時代後期の王地山焼の赤絵金彩唐人物図花瓶です。
 右がの写真が江戸時代後期の東山焼の染付騎馬人物鹿図耳付花瓶です。


 左側の写真が江戸時代後期の明石焼の色絵亀甲文手桶形水指です。
 右側の写真が明治~大正時代の淡陶社の色絵花鳥図鉢です。


同じ館内の1F(一階)で、田島悦子展も行なわれていました。ガラスと黄色の陶器を組み合わせた作品でした。14点が展示されていました。こちらは2013年9月21日~2014年2月19日までの開催でした。併設して江戸時代前期の丹波焼の壺も6点展示されていました。作品は「灰釉山椒壺」が3点、「灰釉六角朝倉山椒壺」が1点、「灰釉六角面取山椒壺」が2点でした。


陶芸美術館に隣接して「立杭陶の郷」があり、こちらには沢山の観光バスが停まっていました。この中には立杭の窯元が54軒集まった窯元横丁があり、じっくりと見て作品を買うことが出来ます。ただし私は知らなかったのでこちらには来ませんでした。
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こちらがホームページから転用させていただいた窯元横丁の写真です。
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今回は知らないでいかなかったのですが、紹介する値打ちがありそうなのでホームページから転用させてもらった窯元横丁の地図を掲載します。この地図からも雰囲気が判ってもらえると思います。私が今回買った吟兵ヱ窯や以前に壺を買った丹京窯もあります。前記事で紹介した窯元は、すべてそろっています。
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赤色マークが陶芸美術館で、黄色のマークが窯元横丁などがある「立杭陶の郷」です。左側の緑色マーク(窯元案内板)や空色マーク(登り窯)がある集落が、沢山の窯元がある立杭地区です。窯元を訪ね歩くのも懐かしくて楽しかったです。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
ace:
posted by SORI at 18:17| Comment(28) | TrackBack(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

宝塚まんじゅう



伊丹空港のお土産シリーズです。今回は私の育った町の一つである宝塚のお土産です。伊丹空港で「宝塚まんじゅう」と言う宝塚名物が売られていました。

柔らかな草もちが12個入っていました。これで680円とは、お得です。


さっそく食べてみましたが、美味しかったので紹介いたします。創業は1934年(昭和9年)だそうです。80年になる老舗の焼餅でした。宝塚に16歳から28歳まで住んでおり、今でも実家がありますが、こちらのお店は知りませんでした。昔から自然の材料だけで作られて最近注目されるようになったのかもしれません。


ほんとうに柔らかな焼餅で手でちぎると平たくなってしまうので写真のために包丁で切りました。皮は新粉と上用粉と餅粉とよもぎの絶妙な配合で搗き上げられていました。お餅の中のこしあんも、やわらかく煮き上げられてた自慢のこしあんだそうです。もちろん添加物・保存料は使われていませんでした。
空港で売っているものは美味しいものが多いのに驚きます。


実家が宝塚なので、帰省した時に買いに行きました。こちらがお店の写真です。
  店名 元祖やきもち 河本本舗
  住所 兵庫県宝塚市栄町2-1-1 ソリオ宝塚 1・GF
  電話 0797-84-2184
  営業 9:00~19:00
  定休 水曜日
  創業 1934年(昭和9年)  80年前
  地図 http://goo.gl/maps/Lc6Ju
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下記は今までの伊丹空港で買ったお土産の記事です。
   伊丹空港の旬のお土産 活炊き「くぎ煮」
   抹茶チーズケーキ 伊丹空港のお土産
   今回の伊丹空港のお土産は豚まん
   今回の伊丹空港のお土産はチーズケーキ
   宝塚まんじゅう
posted by SORI at 07:56| Comment(38) | TrackBack(2) | 土産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

丹波立杭焼の里

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年2月5日~9日まで関西に行って宝塚の実家に泊まっていました。2月7日に時間があったので関東に引っ越してからご無沙汰になっていた丹波立杭焼の里である兵庫県篠山市今田町の立杭地区に行ってきました。
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は丹波焼あるいは立杭焼ともいわれています。起源は平安時代にまで遡るといわれ、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と共に六古窯の一つに数えられて主に生活雑器を焼いてきました。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、直作、一房、花遊、一此、市作など世に名を轟かせる陶芸家を輩出したそうです。窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代になって、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼と呼ばれるようになったそうです。
丹波立杭焼の特徴は、登り窯により最高温度約1300度で50〜70時間も焼かれるため器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、また炎の当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すことだそうです。

JR福知山線の宝塚駅を9時6分発の篠山口行きの快速に乗って相野まで行きそこからバスかタクシーで行くつもりでした。バスの時刻は判らないので、とりあえず立杭に10時くらいに着く電車を選びました。


相野駅が見えてきました。
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相野駅のホームです。


相野駅には9時30分に着き、出発寸前のバスに飛び乗りました。戻ってきたときに確認するとバスは9時35分発でした。ゆっくりとトイレに行ってからバス停に行ったのでギリギリだったわけです。


すぐにバスに乗れたので頻繁にバスがあるのかと思いましたが、下の時刻表を見てもらえればわかるようら一日に6本しか走っていないバスに偶然に乗れたのでした。それも始発でした。なんという偶然なのでしょう。平日が6本で土曜、日曜、祝日が8本なので、電車で行かれる方のために時刻表を掲載いたしました。帰りも気をつけないといけないことが判ってもらえると思います。降りる時に親切な運転手さんに帰る時のバス停留所が時間帯によって違うことを教えてもらいました。この時刻表をクリックすると下立杭の時刻表を表示します。
クリックすると下立杭の時刻表を表示

なんとバスは相野駅から終点の陶芸美術館まで私一人でした。


バスはこの坂を登って見えている県陶芸美術館に到着いたしました。県陶芸美術館で兵庫県のいろんな時代の陶器を見た後に立杭の集落の方に向かいました。


立杭の集落に向かう途中で見える陶芸美術館の景観です。川の名前は四斗谷川(しとだにがわ)で、陶芸の里らしい橋の名前は「ほとけ橋」です。
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立杭の周辺の景色を紹介します。北の方向を撮った写真です。正面に見える山は白髪岳(721.8m)だと思います。丹波富士とも言われています。
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こちらは立杭の集落です。左の方が下立杭で右の方が上立杭です。現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区に約60軒の丹波立杭焼の窯元があるそうです。
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集落の中に入りました。ほそい路地が趣がありました。その路地に「窯元路地歩き」の看板が立てられるだけのことがありました。その路地にはそれぞれ「アベマキ坂」「こやすさん坂」「窯の壷坂」「なかみち通り」「やきもの通り」などの名前が付けられていました。
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この路地を登ったところにも窯元がありました。
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路地を歩いていると小さな社(やしろ)もありました。真っ赤な鳥居には稲荷大明神と書かれていました。


それぞれの窯元も趣があります。こちらは俊彦窯(としひこがま)です。清水俊彦(S20)さんと清水剛(S50)が作られているそうです。
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こちらの窯元は丹波・山キ窯・喜仁です。
こちらの「山キ」は文字ではなく「山キ」=なのです。つまり「丹波窯」です。こちらは大上喜仁さん(S31)がやられています。
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こちらも大きな窯元でした。こちらは茶陶丸カ窯です。
こちらの「丸カ」も文字ではなく「丸カ」=なのです。つまり「茶陶窯」です。こちらは市野年彦さん(S31)がやられています。
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こちら窯元は丹窓窯です。写真の中の右端に登り窯が写っています。
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遠くから撮った写真に、その登り窯が写っていました。
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これが登り窯です。
全国的に中世には轆轤(ろくろ)を用いない紐作りという手法で形を整え、窖窯と呼ばれる独特の窯で釉薬を用いず、焼き締めて作られていたそうです。江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、ここ立杭では今でも沢山の登り窯が残っているようです。
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反対側から見た登り窯です。
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クリックすると拡大立杭の登り窯の特徴は先端の「蜂の巣」と呼ばれる煙出しの部分です。この煙出しの部分は「くど先」「火さき」とも呼ばれています。右の「蜂の巣」から炎が噴き出している写真はネットから転用させていただきました。最近は煙突が付けらりることが多くなったことから、「蜂の巣」から炎が噴き出す美しい光景は少なくなったそうです。
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登り窯は山麓の傾斜地に「そだて石」とよぶ石を並べて基礎とし、割り竹を縄で編んだものを支えとして、両側から「まくら」を半円形に積み上げられるそうです。このまくらは、山土を型に入れてこしらえた立方体の日干し煉瓦(れんが)で、現在では鉄板を支えとして積まれることが多いようです。このとき出入り口や燃料の投入口も設けられ、最後に「ごぢん」とよぶ窯内部の床を厚く塗り固めて完成します。この図はネットから借用させていただきました。
クリックするとオリジナル記事を表示

こちらが窯詰の出入口です。中の煉瓦の表面から高温で焼かれることが判ってもらえると思います。
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ここには複数の登り窯がありました。煉瓦の煙突が建てられた登り窯です。これらは上立杭にあった登り窯です。
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下立杭の方に下りていく途中に大きな木の下にクリックすると拡大社が立てられているところがありました。この木はアベマキで、「上立杭の大アベマキ」として平成元年12月12日に郷土記念物に指定されました。木の姿が扇を開いたように見えるので「おうぎの木」あるいは「おみの木」とよばれ、地域の神木として崇められています。アベマキとしては、兵庫県位置の巨木です。ここから右に行く道が「アベマキ坂」と名付けられています。鳥居には「正一位稲荷大明神」と書かれていました。
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「おみの木」の脇を上がっていく道です。この奥にも窯元がいくつかありました。
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こちらの道にも沢山の窯元がありました。
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立杭の集落のメインストリートです。
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窯元マップがあったので写真を撮りました。クリックすると拡大します。左方向が北方向になります。この看板に書かれている窯元を紹介いたします。
樫山窯 大雅窯 英一窯 省三窯 末晴窯 陶幸窯 山五陶勝窯 大熊窯 丹水窯 (かねと)窯 茶陶窯 丹波窯 製陶所 源右衛門窯 義治窯 窯 丹波窯 窯元やまの 丹窓窯 雅峰窯 珀耀窯 俊彦窯 こおほ窯 陶芳窯 義年窯 丹京窯 丹泉窯 新右エ門窯 信行窯 炎丹久窯 豪人窯 稲右衛門窯 昇陽窯 伝市窯 陶山窯 丹山窯 丹満窯 悟窯 忠作窯 吟兵ヱ窯 松本製陶所 直作窯 圭泉窯 丹誠窯 丹久窯 林造窯 鎮台窯 寿庵 壺市
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緑色マークが窯元マップが立てられていたところです。空色マークが登り窯で、すでに紹介したのが、北側(上側)の登り窯です。赤色マークが陶芸美術館で、黄色のマークが54軒の窯元の作品が広いスペースに窯元ごとに並べて売られている「立杭陶の郷」です。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
上の地図の南側(下側)の登り窯です。沢山の登り窯があることが判ってもらえると思います。


こちらの登り窯は兵庫県の指定文化財です。この窯は現在も共同で使用されています。長さは47mで9袋を持っているそうです。記録によると今から119年前の明治28年(1895年)の構築で、立杭に置いては現存の登り窯のなかで最も古いそうです。
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上の写真と反対側から撮ったものです。
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上の方向からの写真も紹介します。
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宝塚の実家に住んでいたころに同じ登り窯を撮った写真が残っていました。
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クリックすると拡大クリックすると拡大入社してすぐのころは車で気楽に行けたので何度も社内の友達同士や、家族で行きました。右の写真はお袋と姪っ子(私の姉の長女)です。
近世における丹波焼は、慶長16年(1611)ごろ、朝鮮式半地上の登り窯が導入されて穴窯時代から登り窯時代になったといわれています。その頃は釜屋の山麓に登り窯が築かれていたので「釜屋時代」「山麓時代」ともよばれていたそうです。人が住む下立杭や上立杭に登り窯が作られたのは宝暦2年(1752)で、里に登り窯が作られたことから「里窯時代」とよばれたそうです。
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昔の写真で煙出しの「蜂の巣」の写真がありました。蜂の巣から吹き出される真っ赤な炎は美しいと思います。
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横には別の登り窯もありました。
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横には丹京窯という窯元がありました。
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実は、昔、こちらの丹京窯で大きな壺を買いました。その壺は今も実家にあります。今は息子さん(清水昌義さん)が窯元をやられているそうです。つまり先代(清水丹京さん)の作くられた壺になります。今度、実家に帰った時に写真を撮って紹介いたします。
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追伸
こちらが、昔に買った清水丹京さんの壺です。
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拡大してみました。クリックすると拡大

添えられていた説明書きです。
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久しぶりに立杭に来たのでお土産を買おうとしましたが閉っているお店も多かったです。寒い時期の平日のため、立杭の集落では、ほとんど人は見かけませんでしたが10月の第3土曜、日曜日には「陶器まつり」が開催され、普段は人通りもまばらな窯元の立ち並ぶ小路まで多くの人々が繰り出し終日賑わうそうです。年間で十万人が訪れるそうです。お土産に買ったのがこちらの吟兵ヱ窯です。


店内を撮らせていただきました。今の窯元の名前は吟兵ヱ保宏(大西保宏)です。私が関西に住んでいたころの窯元のお孫さんだそうです。時間がたったことを感じました。吟兵ヱ窯を紹介します。
  窯元 吟兵ヱ窯(ぎんべいがま)
  陶工 吟兵ヱ保宏(大西保宏) 先代は大西寿
  住所 兵庫県篠山市今田町下立杭187-1
  電話 079-597-2065
  詳細 http://www.tanbayaki.com/kamamoto_shosai/59.htm
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壁際に並べられているのが薪で焼かれた陶器です。手前の方にガス窯および電気窯で焼かれたものが並べられていました。せっかく立杭に来たので薪で焼かれたごはん茶碗を買いました。薪を燃料とした場合は登り窯と穴窯の両方があるようです。
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これが購入した、ご飯茶碗です。
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お土産も買ったので帰ることにいたしました。立杭公会堂前が12時30分のバスで、乗ったのは一停先の下立杭だったので12時32分でした。このバスを逃すと15時25分までバスがありませんでした。心配していましたが時間通りに相野駅行きのバスが来ました。


次の電車は13時3分でした。


相野駅の写真を紹介します。
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この電車で宝塚まで帰りました。
クリックすると拡大

翌日は学生時代のサイクリング部のOB交流会に出た後、2月9日は雪のためにべた遅れの飛行機に乗って家に帰りました。
さっそく立杭焼きの茶碗で、ご飯を頂きました。趣のある茶碗で食べるご飯は美味しかったです。
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これらが我が家のごはん茶碗です。
クリックすると拡大クリックすると拡大右の3枚の写真は1998年に買った2っの笠間焼と1999年ごろに買った益子焼の茶碗ですが、最近、割ってしまいました。ちょっと残念ですが、使うことを前提に買っているので仕方クリックすると拡大がないことなのです。
下の写真の上段の左が砥部焼で、真中が割った茶碗と一緒に買った笠間焼です。上段の右の茶碗と下段の右の茶碗が益子焼です。下段の左が今回買った立杭焼の茶碗です。大事に使わさせていただきます。
クリックすると拡大

立杭の場所を紹介いたします。兵庫県篠山市今田町上立杭および兵庫県篠山市今田町下立杭が立杭集落です。赤色ラインが相野駅~立杭のバス路線で、緑色ラインが宝塚~相野のJR福知山線です。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
ラベル:茶碗 陶器 砥部焼
posted by SORI at 11:24| Comment(24) | TrackBack(1) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

広州の珠江あたり

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
こちらは中国の広州の珠江の夜景です。
上海の外灘はきれいな夜景が見れますが、ここの夜景もきれいでした。
写真をクリックすると拡大いたします。

White Swan Hotel前の沙面街です。 
みやげもの屋や海鮮料理店が軒を連ねています。
この写真はチョット謎があります。 このホテルには1994年9月 2000年1月 2005年9月に宿泊しましたが同じ風景でした。写真をクリックして拡大すると判るかも知れません。
クリックすると拡大

White Swan Hotelから沙面街を上から見ました。 この一角が西欧風であることが判って貰えると思います。洒落たお店が沢山あります。沙面街は1861年以降、フランス、イギリスを中心とした欧米列強の租界地となり、現在でも当時の洋館の美しい街並みが残されている場所です。
租界や租界地は海岸沿いの沢山の都市に設けられた。最も有名なものに上海の共同租界やフランス租界がありますが、すでに紹介したとおりに天津にもありました。大連、青島、広州には租界地が出来ました。廈門にも共同租界が出来ました。こちらの写真もクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大
posted by SORI at 18:34| Comment(16) | TrackBack(0) | 広東省 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大坂と言えば串かつ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この日のお昼の昼食は「ぼてぢゅう」のお好み焼きにしたので夕食も大坂らしいものと思い決めたのが梅地下の串カツでした。カウンター席で二度つけ禁止のソースが入ったステンレスのケースが思い出されますが、外人の人には難しいと思いテーブル席のある串カツ屋を梅地下(梅田地下街)を歩きながら探しました。大きな串かつの張り紙を見てお店に入りました。さっそく串かつ(メニューでは串揚げ)を頼みました。右の写真はネットから拝借

大坂の梅地下の特徴は生のキャベツと野菜のステックがついてくることですが、こちらのお店でも出てきました。梅地下の伝統は生きていました。


これは野菜とウズラとタコの串カツです。
クリックすると拡大

これはキスの串カツです。こちらのお店の価格は1本がほとんどが180円以上なので、けっして安くはありません。でも、ゆっくりとテーブルで落ち着いて食べれました。
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こちらのお店はメニューを見ると焼き鳥と串カツの両方を売りにしているようなので焼き鳥も頼みました。焼き鳥も串カツも美味しかったです。
クリックすると拡大

焼き鳥や串カツ以外の料理もあったので、頼みました。


偶然に入ったお店でしたが、味はなかなか良かったのとネットで調べても詳しい掲載がほとんどなかったので、お店を紹介させてもらいます。ネットで調べると同じ名前のお店が梅田駅近辺に7軒(実際には10軒以上あると思われる)もあるので、今回のお店を地図を掲載させてもらいました。旗のマークのところのお店です。他の「むさし乃」は焼き鳥が専門のところが多いようです。
 店名 むさし乃 東店
 営業 12:00~23:00
 電話 06-6360-6528
 場所 梅田地下街 イーストモール
 住所 大阪市北区小松原町梅田地下街4-2
クリックすると広範囲を表示
ラベル:大阪 串カツ 同僚
posted by SORI at 06:27| Comment(34) | TrackBack(2) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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