2014年01月31日

ベトナムの焼肉

クリックすると拡大
ベトナムのBIA HƠI(ビール)に関しての記事を書いたことで、昔のことですが、この記事を掲載することにいたしました。この中で出てくる2リッターの地ビールがBIA HƠI(ビアホイ)だったのです。そのため再度、この記事を掲載いたします。
上の写真はカンボジア国境の町ティエンHaTienの近くのtt. Kiên Lươngという町(村)でNO.2のレストランです。
プラスチックの椅子はショボイけれど味はバッグン

右の写真の地ビールは2リッターボトルで100円、もちろん焼肉は炭火焼きです。
牛肉以外は野生動物の肉でした。日本では珍しい肉が5~6種類ありました。意外なことに牛肉よりもおいしかった肉がいくつかありました。クリックすると拡大
どれも一皿150円で野菜も豊富!
確か、右のウォッカも1瓶100円だったと思います。
10人で飲んでも全員で2000円は超えませでした。つまり一人200円以下でした。


お店を忘れないように看板の写真を掲載しました。 
どれがお店の名前かな。GIĂN HĂNGかな それともBI VAかな? 
GIĂN HĂNGをネットで訳すと「ブース」「売店」「仮小屋」「露店」が出てきました。看板の中にBIA HƠI(ビアホイ 生ビール)の文字があることを今回見つけました。クリックすると拡大

焼肉店の場所を紹介いたします。緑色のマークの場所が紹介の焼肉店です。黄色いマークがすでに紹介したフーコック島です。緑色のマークの下に赤色と空色のマークが隠れていますが、赤色マークがすでに記事で紹介したtt. Kiên Lương村でNO.1レストランで、空色が宿泊した場所の近所です。
赤色ラインはホーチミン空港からの車でのルートです。ホーチミンからは335kmで車で8時間ですが、初めてここに来たころはメコン河に橋が無く、フェリーで渡ったために11時間かかりました。フェリーの場合は青色ラインです。

より大きな地図で ベトナムの焼肉店 を表示
橋が無いころには2度フェリーで渡りますが、それぞれで1時間待ちだったのです。でも可愛い子供たちが飲み物を売りに来るので退屈することはなく、かえって楽しかったです。もちろん冷たいビールを頼みました。買い物をするとすごく喜んでくれて、笑顔が清々しかったです。2度のフェリーの内、大きい方のフェリー渡し場の航空写真を紹介します。
posted by SORI at 21:16| Comment(38) | TrackBack(1) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月30日

BIA HOI ( BIA HƠI / ビアホイ ) てなに?



旧ハノイ城跡からタンロン遺跡の周りを廻ってホーチミン廟の前を通って国旗揚揚台まで歩いたので汗を沢山かいたのでビールが飲みたくなりました。ちょうど国旗揚揚台の近くに洒落た屋外カフェがあったのでビールを飲むためにさっそく入りました。沢山の人が入っていました。タイトルではBIA HOIと書いていますがベタナム語ではBIA HƠIです。よく見てもらうとわかりますがƠにヒゲが付いています。

生ビールはありませんでしたが冷えた缶ビールが、ちゃんとありました。昼間からビールですが、この後は夜行便で日本に帰るだけなので気にせずに飲みました。
車で幹線道路を通っていると「BIA HOI」と書かれた看板をよく見ました。これはビールが飲める場所のことなので、この場所は洒落たBIA HOIと言うことになるようです。ただしほとんどの人がパフェやジュースやコーヒーなのでCafeの方が正確かもしれません。Cafeはベトナム語でもCafeでした。


昆野誠吾さんから「つまみ」のご質問があったので、「つまみ」の拡大写真を掲載いたしました。


我々の席からの景色です。


車でハノイとホーチミンを結ぶ一号線を走っていると頻繁に BIA HƠI (ビアホイ) の看板が出てきます。ビールが飲める場所であることは聞いていました。そしてBIAはビールのことなのでBIA HƠI (ビアホイ)はビアホールのことかなと思っていましたが、ネットで詳しく Bia Hơi を調べてみるとHơiは英語でFreshのことでした。つまりBia HơiはFresh Beer(生ビール)のことでした。
その点から見ると冒頭のお店は生ビールがなかったのでBIA HƠIとは呼べないことになります。日本でも「越南酒飯 BIA HOI(ビアホイ)」などBIA HOIビアホイ)と名前をつけたベトナム料理の居酒屋さんがあることもネットで知りました。
ラベル:ベトナム ビール
posted by SORI at 23:59| Comment(10) | TrackBack(1) | ハノイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月29日

ホキ美術館 写実絵画専門美術館

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
関西の親しい知り合いが娘さんたちの関東の住まい探しのために2014年1月17日~21日まで、我が家(千葉県佐倉市)に泊まりました。1月19日に住まいの目途がたったことから、関東で行きたいところはないかと聞くと「ホキ美術館」という聞きなれない美術館の名前を言われました。そこで家内と3人で、そのホキ美術館に2014年1月20日に行ってきました。私は、初めてホキ美術館を知ったわけですが、関西の方はテレビで紹介されたことで、知ったとのことでした。上のホキ美術館の写真は加工をほどこしています。10秒後に1秒だけオリジナルが表示されます。
クリックすると拡大ホキ美術館は2010年11月3日に開館した世界的に珍しい写実絵画専門美術館です。もちろん日本初の写実絵画専門美術館です。ホキ美術館の「ホキ」は創設者である保木将夫氏の名前からとられたもので保木将夫氏が収集した約350点の作品の中から常時、約160点が展示されているそうです。右の写真は島村信之が描いた保木将夫氏の写実絵画でタイトルは「館長」です。

展示されている作品もすばらしいのですが、写真を見てもらってわかるように美術館の斬新な建物もすばらしいのです。この写真は建物の東側から見た景観です。
地上1階、地下2階の湾曲した回廊型の躯体が3層に重なり、回廊の総延長は500メートルにわたる回廊型ギャラリーで、写真のように1階のギャラリー部分の一部鉄骨造によって30m程度ほど跳ね出し構造になって、空中に浮いているのです。本建築は2009年にスペイン・バルセロナで開催されたWAF(World Architecture Festival)のfuture project 部門で最終審査まで残った建物だそうです。日本においては以下の様々な賞を受賞しています。
    2011年 日本建築家協会 「日本建築大賞」
    2011年 千葉市 「千葉市都市文化賞 優秀賞」
    2011年 千葉県 「千葉県都市文化賞 優秀賞」
    2012年 社団法人日本建設業連合会 「第53回BCS賞」
クリックすると拡大

上の写真とは反対側から撮った建物の写真です。つまり西側から建物を見ているわけです。冒頭の写真は南東方向から見た美術館です。我々が見学を終る頃に学生風の外国人の沢山の人が来られていました。
ホキ美術館には下記の約50名の作品が展示されていました。

 森本草介 野田弘志 中山忠彦 磯江毅 青木敏郎 原雅幸 大矢英雄

 島村信之 生島浩 諏訪敦 石黒賢一郎 五味文彦 小尾修 大畑稔浩

 羽田裕 藤原秀一 李暁剛 塩谷亮 松澤茂雄 横尾正夫 永田英右

 木原和敏 藤井勉 福井欧夏 山本大貴 高橋和正 津地威汎 安彦文平

 松村卓志 渡抜亮 曽根茂 卯野和宏 岩本行雄 石田洋一 永山優子

 廣戸絵美 中根寛 井澤幸三 向井潤吉 林武 芳川誠 吉田伊佐

 伊勢崎勝人 黒澤信男 松田一聡 山木章 曽剣雄 冨所龍人

 Adolf Sehring  Dario Campanile  Jean-Pierre Bédarrides 他

クリックすると拡大

外部も内部も斬新です。少しカーブした回廊の組み合わせで作られています。特に展示室に入って最初に目に入ってくる細長い回廊のGallery 1 は圧巻です。クリックすると他のフロアーも含めたフロアマップを表示します。
クリックするとフロアマップ

航空写真でもホキ美術館を紹介します。形がよくわかってもらえると思います。

こちらが美術館の入口です。入って右側にレストランがあり左に進むとガラスの壁全体がスライドし美術館の内部に進めるのです。
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入場券のデザインには建物の形が使われていることが判ってもらえると思います。
   名前 ホキ美術館
   住所 千葉県千葉市緑区あすみが丘東3-15
   電話 043-205-1500
   料金  一般 :1800円  高校生・大学生・65歳以上:1300円
      中学生:900円  小学生以下無料
   休館 火曜日(祝日の場合は翌日)
   時間 10:00~17:30


残念ながら内部の写真撮影は禁止されているためネットに掲載されている写真で展示室(Gallery)を紹介いたします。この写真は一階のGallery 1 を入口側から進んでいく方向を撮ったものです。Gallery 1 には第1回ホキ美術館大賞展での入選56点が展示されていました。
クリックすると拡大

Gallery 2からGallery 9 はすべて地下になります。こちらがGallery 2 とGallery 3 です。Gallery 2 と 3 もGallery 1と同じように長い回廊になっています。Gallery 2からGallery 9の写真をクリックすると展示内容を表示いたします。
Gallery 2 には森本草介をはじめ、島村信介などの中堅作家の代表的な作品が展示されていました。 Gallery 3 は野田弘志を中心に、中堅作家の大型作品が展示されていました。
 Gallery 2                Gallery 3


Gallery 4 は五味文彦の静物画を中心に紹介されていました。Gallery 5 は陶芸のギャラリーでした。Gallery 5 だけが写実絵画以外のコレクションのギャラリーでした。
 Gallery 4                Gallery 5


Gallery 6 は吹き抜けのホールが利用された展示で中山忠彦などの作品が飾られていました。Gallery 7 はエジンバラに住んでいる風景画家の原 幸が展示されていました。
 Gallery 6                Gallery 7


Gallery 8 には14人の巨匠と中堅作家の100号以上の14点が音声ガイド付きで展示されていました。Gallery 9 には若手女性作家の大作2点が展示れていました。
 Gallery 8                Gallery 9


写実絵画が展示された部屋に入ると一見すると写真展の会場に入った錯覚に陥ります。しかし人物が描かれた大きな大作に近づいて瞳を見て、写実絵画の一端を感じることが出来ました。どこまでも近づいても写実なのです。到底写真では感じることが出来ないもののような迫力が伝わってきました。この精密さはなんだろう、おそらく1年に数作品、あるいは1作品しか描けないほど精密に細かく描かれているのです。残念ながら作品を写真に撮っても写真としか見えないのが写実絵画なのですが、雰囲気を感じていただくために作品を紹介いたします。ただし館内は撮影禁止なのでパンフレットとネットの写真で紹介いたします。作品の写真はクリックすると拡大します。
この3つの作品は展示されている約50名の作品の中で代表する3名の作品です。
      森本草介        野田弘志      中山忠彦
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
こちらはHP掲載で、作品名は
 左 横になるポーズ
 中 アナスタシア
 右 燭台のある部室  です。

こちらは島村信之の「幻想ロブスター」です。
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こちらは森本草介の「休日」です。ホキ美術館は、森本草介(1937年生まれ)の作品が32点コレクションされていることでも有名だそうです。これは日本最大の数だそうです。これも含めてパンフレットから4点を紹介いたします。
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こちらの2点は森本草介の「未来」(左)と「光の方へ」(右)です。
クリックすると拡大クリックすると拡大

森本草介の「田園」です。このような風景画も描かれていました。


こちらは野田弘志の「聖なるもの THE-IV」です。
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HPに掲載されていた作品をいくつか紹介します。
 生島浩の「Box」          大矢英雄の「春の風の理由」
クリックすると拡大クリックすると拡大
 塩谷亮の「耀」           島村信之の「日差し」
クリックすると拡大クリックすると拡大
 大畑稔浩の「川尻港」  五味文彦の「レモンのある静物」
クリックすると拡大クリックすると拡大
 原雅幸の「ナローカナルのボート乗り場」 青木敏郎の「椿・レーマ杯・染付図」
クリックすると拡大クリックすると拡大
 小尾修の「南瓜」     羽田 裕の「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」
クリックすると拡大クリックすると拡大
第1回ホキ美術館大賞の受賞作品です。左から大賞、準賞、館長賞です。
山本誠「4月3日の記憶」 川原田亜紀子「九十年」 小木曽誠「巡界する刻の中で」
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

ホキ美術館の動画がInternet Museumのサイトにあったので紹介いたします。これを見ると写真と写実絵画の違いかを感じてもらえるかもしれません。
3つの動画のプレーボタン( )をクリックして、同時に見てもらうと効率的だと思います。映像時間の関係で下から順番にクリックすることをお薦めします。
動画は上から1F「Gallery 1」 B2F「Gallery 8」 B1F「Gallery 2」です。




こちらは写実絵画ではありません。ホキ美術館に隣接する「昭和の森」の写真です。
クリックすると拡大

すばらしい美術館ですが、残念なのが昭和の森の敷地の中にホキ美術館を建てることが出来なかったことです。公的な敷地の中に私的な美術館を建てることは難しいとは思いますが、この広い敷地の中に冒頭の斬新な建物が建っていたら、すばらしい景観になっていたと感じるのは私だけではないと思います。
相乗効果で、もっともっと沢山の人が訪れることになるのだと思います。
クリックすると拡大

こちらは写実絵画でしょうか? 写真でしょうか?
答えは昭和の森に咲いていた水仙の写真です。中央の水仙のみにピントが合っているのが写真の証拠です。写実絵画であれば、遠くの水仙も近くの水仙も鮮明に描かれるのが一般的なのです。写実絵画と写真には外見的にも内面的にも多くの違いがある中の一つの差に過ぎません。クリックすると拡大するので写真であることが実感されるのではないかと思います。
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ホキ美術館の場所を地図で紹介いたします。赤色マークのところです。

posted by SORI at 23:59| Comment(24) | TrackBack(1) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

タンホア鉄橋



6月9日にハノイから南に車で230km走った時ですが、途中にタンホアという町がありました。その町の近くに写真の鉄橋がありました。この橋はソンマ川に架かっているタンホア鉄橋です。この橋はベトナム戦争で大変に有名になった橋なのです。ただし、これは当時のものではなく再建されたものです。昔の写真を見る限り形は、当時の鉄橋と同じです。
この鉄橋がベトナム戦争中、北軍の兵站輸送路であったため航空機の最重要目標の一つであるタンホア橋(Thanh hoa)でした。第1回目のアメリカの攻撃が1965年4月3日に、下記通りの総数79機の大攻撃部隊編成で、このタンホア橋に対して行われましたがほとんど被害を与えることは出来ませんでした。
 F-105x46機(15機:防空網制圧, 31機:橋への攻撃)
 F-100x21機(4機:MIGCAP, 2機:天候偵察, 7機:防空網制圧, 8機:RESCAP)
 RF-101x2機(写真撮影)
 KC-135X10機(空中給油)
翌日には第2回目が、ほぼ同じ編成での攻撃が行われましたが、一ヶ月後には鉄道路が修理開通する程度の被害しか与えることが出来ませんでした。一方で米軍側も3機のF-105が失われました。
第3回目の攻撃は1965年5月7日に行われました。さらに半月後には第4回目が行われ、この時点で合計1000発の爆弾とミサイルが投下されました。
その後、1968年の空爆停止(パイロットの被害が大きすぎたため停止)までの3年間に延べ800機の攻撃が行われたにもかかわらずタンホア橋はソンマ川に存在しつづけ「不死身のドラゴンジョー(龍の顎)」と呼ばれました。

クリックする記事下の写真の右側にタンホア鉄橋が写っています。旗が立った丘も有名です。この丘の上に対空砲やミサイルが設置されタンホア橋を守り続けたのです。そのために遠くからの攻撃になり、周りの地面が右の写真のように月面のごとくクレーターだらけのようになりましたが、橋には致命的な損害を与えることはありませんでした。
撃墜されたアメリカ側の航空機の数も40機を越えたと、ベトナムに長く住んでいた日本人が話してくれました。ベトナム戦争全体では米軍機は約2700機(海軍1000機 空軍1700機)を失っているので、不自然な数字ではないようです。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

この丘の上に対空砲AAAや対空ミサイルSAMが設置されていたそうです。
タンホア鉄橋は米軍呼称で、場所がタンホア省にあるのでタンホアにある鉄橋というような意味です。ベトナム側ではHam Rung(ハム・ラン)橋と呼ばれており、英訳された"Dragon’s Jaw"(竜の顎)の方がよく知られたそうです。


この丘は記念の場所らしくベトナム国旗が立てられていました。
多くの攻撃を受けながら橋が7年間も存続出来たのは防衛網だけではなく橋自体が極めて頑丈だったことも一因だったそうです。他の橋はフランスの技術によって作られたために強度的な無駄がなかったことから簡単に破壊されたそうです。この橋はヨーロッパの技術で作られたのではなく中国の設計によることから極めて(無駄に)頑丈なため小さな爆弾が当たっても橋が落ちるほどの危害にはならなかったそうです。


当初の精密誘導兵器はミサイルに頼っていたので弾頭威力が足りなかったそうです。この橋が破壊できたのは4年間の北爆停止後の1972年4月27日の最新鋭のTV誘導弾とレーザー誘導弾を使った攻撃でした。上空には雲がかかっておりレーザー誘導弾は使えませんでしたが5発の大型のTV誘導弾(AGM-62「ウォールアイII」EOGB)が発射されて初めてタンホア鉄橋の橋桁を落すことに成功したそうです。攻撃機も当時最新のF-4DファントムIIでした。4年前以前の攻撃でも2000ポンドのTV誘導弾が使われても破壊できなかったことから見て4年間でTV誘導機能が進歩したものと想像されます。
しかし三年後の1975年4月30日に北ベトナム軍によって南ベトナムの首都サイゴンが陥落してベトナム戦争が終わりました。


現在の航空写真です。丘と鉄橋が判ってもらえると思います。2本の橋の上側がタンホア鉄橋です。下側は道路用の橋で、この橋の上を車で通過する時に冒頭の写真を撮りました。


Google地図でタンホア鉄橋(Thanh hoa Bridge)とポールドゥメ鉄橋(Paul Doumer Bridge)の場所を紹介いたします。
   タンホア鉄橋    Thanh hoa Bridge
   ポールドゥメ鉄橋  Paul Doumer Bridge

より大きな地図でタンホア鉄橋 を表示
ベトナム戦争の悲惨さをわかってもらうために死者および不明者数を紹介します。死者および不明者は合わせて813万7千人になります。この内、アメリカは58,245人の戦死者と約2,000人の行方不明者が出しています。
クリックすると拡大         南ベトナム側  北ベトナム側
   推定戦死者   285,000   1,177,000
   行方不明者   1,490,000   604,000
   民間人死者   1,581,000  3,000,000
   合計      3,356,000  4,781,000
ネットの記事よれば1972年6月8日に撮られた有名な右上の写真の少女キム・フック(9歳)はナパーム弾により、顔を除く全身に医者に見放されるほどの火傷を負っていたそうです。写真を撮った写真家のニック・ウトさんの医師への説得で治療が行われて、幸いにして一命を取り留め、現在は56歳となるカナダ在住の2人の母だそうです。
ラベル:ベトナム
posted by SORI at 23:05| Comment(16) | TrackBack(2) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

フーコック島

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この雲の写真が気に入っています。普通の雲なのが特に!
これはホーチミンからフーコック島(Phú Quốc)へのプロペラ機から撮った雲です。ジェット機と違いプロペラ機は低い高度を飛行するので雲が横に見えます。
実はフーコック島への着陸回数は4回になります。当然飛び立った回数も4回なので、この辺の海は上から8回見ていることになります。

信じられないかもしれませんが空気と海がきれいなので飛行機から海の中の海亀が見えるんですよ!
気をつけていると何匹も見ることが出来ます。
海亀はベッコウの材料になるタイマイという種類だと思います。
初めて、この島に初めて来たときは一週に2便でしたが、今は毎日で一日に4~5便も飛ぶようになりました。リゾート地として注目され始めたのだと思います。初めての時は、もし飛行機に乗り遅れると次のフライトまで3日間ほど島で、過ごすことになるので緊張しました。写真の飛行機が飛びました。
クリックすると拡大

フーコック島の空港の待合室は欧米人ばかり、このゆったりとした時間の雰囲気は、あこがれます。


フーコック島? 知らないのは当然ですね。ベトナムの西の端にある島です。
記事「ビーチでシーフード料理」で紹介したビーチから真西の位置にあるしまです。
タイランド湾(シャム湾)に浮かぶベトナム最大(561km²)の島でベトナムでありながらカンボジアの沖合にあります。ハティエンと書かれたところの白い線がカンボジアとベトナムの国境です。
人が少ないところをご希望ならば、このフーコック島(Dao Phu Quoc)を、お勧めします。ここは魚醤ヌックマムの産地で、年間600万リットルが生産されているそうです。胡椒の産地であるとともに漁業が盛んで、特に南洋イカ漁が有名です。南洋イカのスルメは美味しいですよ。プライベートビーチの木陰て寝そべっているとスルメ焼きのおばさんが来ます。そこでビールを飲みながら焼きスルメを食べるのが最高の贅沢な時間です。(値段は、めっちゃ安いけど)
クリックすると拡大地図を表示のマークがフーコック島の飛行場の場所です。
posted by SORI at 17:40| Comment(32) | TrackBack(1) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月26日

さっそく「京きさらぎ漬」を頂きました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日(2014年1月17~21日)、我が家に来られている時に、「美味しい京漬物を見つけたので、送ります。」と言われた人から、さっそく漬物が2014年1月25日午前に届きました。

下記の箱でクール宅急便「冷蔵」で届きました。
小さな箱ですが、づっしりとした重さがありました。


箱を開けると沢山入っていました。お店は旬の野菜にこだわっているそうです。
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漬物の種類は「はくさい塩漬」「赤かぶ塩漬」「かぶ塩漬」「しょうゆ漬(刻み)」「だいこん塩漬」で、全部で5種類入っていました。しば漬けのような「しょうゆ漬(刻み)」だけは通年の漬物のようでしたが、他の漬物の材料は「白菜」と「蕪」と「大根」が主体で、確かに旬の野菜でした。
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賞味期限は「しょうゆ漬(刻み)」が2月7日で他の漬物は1月31日でした。
説明書に「保存の仕方と美味しい食べ方」が書かれていました。「京きさらぎ漬」はナイロン袋から必要量を取り出して、水でサッと洗って食卓に出して、クリックすると拡大残りは漬汁とともに封をして氷温(チルド室)で保存するそうです。
  はくさい塩漬     389g
  赤かぶ塩漬     255g
  かぶ塩漬      159g
  しょうゆ漬(刻み)  170g
  だいこん塩漬    257g
クリックすると拡大

すぐにの1月25日の昼食で2種類を食べてみることにしました。一つが「赤かぶ塩漬」です。新鮮さが伝わってくる見事な色でした。器は砥部焼です。
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拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
クリックすると拡大

「はくさい塩漬」も開封いたしました。これも美味しそうです。
クリックすると拡大

拡大いたしました。どうでしょうか。
クリックすると拡大

ご飯と一緒にいただきました。食べてみて美味しさの秘密は、少し酸味があることでした。発酵によって出来た酸味の味で、これが絶妙な味わいを出しているのだと思います。
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「赤かぶ塩漬」も酸味が美味しさを作り上げている気がしました。確かにこの味なら人気がでるわけです。お店を紹介いたします。京都で作られていますが、直営店はすべて大阪です。
  店名 有限会社 丹波
  名前 京きさらぎ漬
  野菜 主に自家農園
  住所 淡路店    大阪市東淀川区淡路4-13-21
      本社・製造  京都府亀岡市千代川町小林前田39番地 
  電話 06-6815-3380
  HP  http://www.tanba-web.co.jp/
  店舗 淡路店 十三店 黒門店 他に姉妹店が4店舗あり  
クリックすると拡大


追伸 2014年1月26日
1月26日の朝食は、こちらの「だいこん塩漬」と「しょうゆ漬(刻み)」にいたしました。美味しい漬物には似合う器を用意いたしました。ごはん茶碗も向井窯・佐賀栄次さんの砥部焼を使いました。
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こちらが「だいこん塩漬」です。是非ともクリックして味わってみてください。
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ごはん茶碗には漬物が似合います。炊き立てご飯です。
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こちらが「しょうゆ漬(刻み)」です。しば漬けに似ています。味わいは醤油の味がすこし残った上品なシバ漬けという感じでした。
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こちらも、ごはん茶碗に乗せて写真を撮りました。
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追伸 2014年1月28日
1月28日の夕食は、最後の「かぶ塩漬」を食べました。 5つの漬物の中でも1~2の美味しさでした。旬の美味しさと発酵酸味のバランスがお石を作り出していることが感じられました。
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もちろん炊き立てのご飯で頂きました。
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美味しさを感じて抱くために拡大写真を掲載いたしました。
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ラベル:漬物 京都 砥部焼
posted by SORI at 21:35| Comment(24) | TrackBack(0) | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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