

神妙な顔で座らされているのは、我が家のワンコです。
熊本のおじさんから宅急便で地元の西瓜が届きました。玄関に置きっぱなしで出かけているすきにワンコがやってくれました。幸いスイカは無傷でした。中身が気になったのでしょうね。子供みたいです。
反省しているみたいです。クリックすると拡大します。
スイカは冷やして美味しくいただきました。おじさんありがとうございました。
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12時35分、事故発生時、当該列車の勤続35年のベテラン機関士は貨車を仕分線から出発線に入れ替える作業を行っていた。機関士は列車を発車させた後、進行方向のポイントの向きが間違っていることに気づき、空気ブレーキを作動させたが、ポイントまでに止まり切れないと判断、ブレーキをかけたまま機関車がポイントに到達するまでに飛び降りて走り、ポイントを切り替えてまた運転席に戻ろうとした。
機関士は更にブレーキをかけるため、空気ブレーキに加えてダイナミックブレーキを最大まで動作させてから機関車から飛び降りた。ダイナミックブレーキを使用することにより機関車は更に減速するはずだった。しかし、実際はパワーモードが力行からダイナミックブレーキに切り替わっておらず、コントロールレバーがフルスロットルになったことで機関車は無人のままフルパワーで加速し始めてしまった。機関士は慌てて機関車に飛び乗ろうとしたが、雨で手すりが濡れており、這い上がれずに転落した。
機関車に空気ブレーキはかかっていたが、入れ替え中のため貨車にブレーキホースが接続されておらず、機関車にしかブレーキがかかっていない状態だったため、加速する列車を止めることはできなかった。また機関車には、一定時間操作を行わないと列車を緊急停止させる、Alerterと呼ばれる日本のEB装置にあたるデッドマン装置が装備されていたが、空気ブレーキがかかった状態であったため動作しなかった。
12時38分、事態はオハイオ州警察(以下警察)に通報された。また、操車場スタンリーヤード管制室(以下管制室)に、事故の連絡を受けたCSX社副社長アラン・クラウンが詰めかけ、事態収拾の指揮を執った。
管制室から知らせを受けた勤続31年の機関士ジョン・ホスフェルドは、約6.4km地点のダンブリッジの踏切へ先回りし列車先頭の機関車に乗り込もうとするが、速度が早く断念せざるを得なかった。実は、この時まで機関車がフルスロットルとなっている事実を管制室が知らず、時速10km程度の徐行速度だろうから乗り移ることが可能と考え、連絡したのだった。
機関士ジョンから連絡を受けて初めて、管制室は事態の深刻さに気付いた。貨車に積載されていたのは、2万リットル(L)もの毒性の高い溶解状態のフェノールであり(他は飼料や資材)、加熱され気化し空気と混ざり合うと爆発性の混合ガスになる可能性があった。
スタンリーヤードから約106km離れたオハイオ州ケントンには下り勾配の急カーブがあり、安全に通過するには、時速40km以下である必要があった。さらに、その周辺には燃料倉庫やガスタンクや民家が密集していた。ケントンの急カーブに差し掛かる頃にはフルスロットルの為、時間と共に加速された列車が時速100kmを超え、急カーブで脱線することは確実で、その前までに列車を停止させなければ1万5千人のケントンの町を巻き込む大惨事になるのは間違いなかった。
13時、ケントンの急カーブまで残り距離80kmの地点で、警察は機関車の緊急停止用非常スイッチを狙撃し列車を停止させることを管制室に提案。燃料タンクへの引火を管制室は懸念したが、最終的に了承した。
13時30分、フィンドレイの踏切で警官2名が、少しでも当たるようにと至近距離からショットガンで狙撃したが、非常停止スイッチはわずか3cmの幅しかない小さなもので、さらに列車の速度がこの時点で時速70kmという想定以上の速さだった為、失敗した。
13時35分、周囲に人気のない55km地点のダンカークの待避線の切り替えポイントに、先回りしていた機関士ジョンが管制室の合意の下、予めポイントを切り替えることで安全な場所で列車を脱線させ停止させようと試みる(人けが無いので、脱線し爆発しても被害が最小限に抑えられるため)が、時速80kmというあまりの速度にポイントが跳ね返され、列車は本線を突き進み、失敗した。ケントンの急カーブまで残り距離30kmとなった所で、ケントンの町で避難誘導が始まった。また、アメリカのメディアもヘリコプターで列車を空撮して、報道した。
14時5分、暴走列車と同じ本線で逆方向から進行中だった別の貨物列車Q96号(勤続28年の機関士ジェス・ノールトンと長年ジェスとコンビを組んでいる車掌テリー・フォーソンが乗務中であった)に対し、「正面衝突を避ける為、一旦、待避線に入り、貨車を切り離した上で待機。暴走列車が本線を通過後、待避線から本線に進入し、暴走する列車の後部に機関車を連結し、ブレーキをかけて止めるように」との指示が管制室からなされた。指示通り、待避線に進入後、貨車を切り離し、待避線で待機。暴走列車が横の本線を通過後、待避線内ではQ96号は方向転換が出来ない為、バック走行のまま時速100kmのスピードで暴走列車の追跡を開始した。バックでの運転で、進行方向の状況が見えないQ96号機関士ジェスの為に、Q96号の後方(進行方向では前方)に車掌テリーが無線を持って立った。
ケントンの急カーブまで残り時間7分の地点で、Q96号は追いついたが、スピードを緩めた場合、引き離される恐れがあった。やむを得ず機関士のジェスは車掌テリーにその旨を無線で伝えた後、そのままのスピードで連結を試みた。テリーはその場で手すりにつかまり、衝撃に備えた。通常は、徐行運転で連結する為、成功するかどうか危ぶまれたが、見事に連結は成功し、テリーも何とか無事であった。
後部機関車でダイナミックブレーキをかけ暴走列車は減速していった。
列車の速度が約18km/hまで落ちたところで、先回りしていた機関士ジョンが乗り移って8888号のスロットルを戻し、エンジンを停止。それに気づいたQ96号の機関士ジェシーがQ96号のブレーキをかけ、約106km離れたオハイオ州ケントンで列車は14時30分、ようやく停止した。
脱線が確実視されていたケントンの急カーブまで残りわずか2kmの地点であった。最高時速110km、走行距離延べ105.6km、走行時間約2時間の暴走だった。
なお、8888号のブレーキシューは全て焼き切れていた。
幸いにもこの事故による死者はなく、また、事故発生時に転落して軽症を負った機関士以外に負傷者はいなかった。