2013年07月19日

シドニーのダウンタウン



シドニーの話題を紹介しているので、少ない写真の中から続編としてオペラハウスあたりからのダウンタウンの景色を紹介いたします。最初は夜の景色です。

こちらは昼間の景色です。オペラハウスの側から撮っていることがわかってもらえると思います。オペラハウスの一部が左端に写っています。


シドニーで有名なハーバーブリッジも目の前にありました。


海面近くに下りてハーバーブリッジを撮った写真を紹介いたします。


ハーバーブリッジとオペラハウスの位置関係を知ってもらうために航空写真を掲載いたしました。ダウンタウンはこの写真の南に広がっています。マイナスのアイコンマイナスを数回クリックしてもらうとわかると思います。


この地図には今までに行った海外のレストランもプロットしています。オーストラリアには1997年に3度行ってシドニーの港の近くの海の見える有名なレストランで美味しいシーフードや牡蠣を食べましたが、大凡の場所は覚えているのですが、写真が無いために残念ながらレストランの名前までは特定できていないのでプロットできていませんでした。記憶とSVとネットで、そのシドニーのレストランを探し出すのが次のミッションでしたが、クリックすると拡大お店からハーバーブリッジの見える角度と店内の雰囲気から右の小さな写真のThe Squire's Landingという名のレストランであることが分かってプロットいたしました。
Oyster(牡蠣)とMud crab(蟹)を食べたことを覚えています。


オペラハウスとハーバーブリッジが目の前にありました。
posted by SORI at 04:15| Comment(16) | TrackBack(0) | オーストラリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昔の白川郷



学生時代にサイクリング部(自転車部)の仲間と白川郷に車で行きました。昔の白川郷です。今も建物は変わらないと思いますが、すべての場所が観光化されておらず素朴そのものでした。
右の写真のように2年生の時の夏休みには自転車でも行きました。コースは下記で(甲府→東京)だけ友達の車で後は関西まで自走でした。
関西→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→関西
東京からは、その友達と自転車で伊豆を走りました。

上の写真の左側の方を拡大いたしました。


こちらは右の方を拡大した写真です。


近くで水芭蕉を見かけたのでとりました。


つい、その水芭蕉の前で記念撮影をしました。


近くのダムの写真です。ネットで調べた結果、このダムは鳩谷ダムです。途中で九頭竜ダム御母衣ダムにも寄りました。
posted by SORI at 04:12| Comment(18) | TrackBack(5) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウクライナの地方都市でドイツビール



ウクライナについて2晩目はドイツの居酒屋風のレストランになりました。ホテルの近くで簡単に食べようかといろんなレストランに入ってみましたがクレジットカードが使えるお店がなかなか見つかりませんでした。クレジットカードが使えるお店を探したのは現金をあまり持っていなかったためです。そんな時に上の写真のポールが立っているのを見つめました。
これは見覚えがあります。→ポチッ
もっと巨大なポールでしたがドイツの田舎の村で見かけました。マイバウムと呼ばれるお祭りで建てられるものです。ここはドイツ料理店だと直感して入口まで行ってみました。一応クレジットカードのマークもドアにあったのでさっそく入りました。

さっそくビールを頼みました。ドイツの無濾過のビールでした。


これはチーズをジャガイモに包んでフライにしたものです。これはビールに合います。


これは?
カザフスタンに着いた初日のカザフスタン料理で食べた裂きチーズに味が似ていました。見た目は違いますが裂きチーズです。


鶏肉の乗ったサラダです。これもビールに合いました。


ドイツと言えばソーセージです。ドーンと出してもらいました。


スモークサーモンに玉葱の料理です。なかなかウクライナのドイツ料理はいけました。


これがすばらしくビールに合いました。黒パンを揚げたものです。少し味がつけられていてビールに合うのです。


途中でスープを飲むのもいいですね。ビールばかりなので暖かいスープがより美味しく感じられました。


野菜の揚げ物に!


ジャガイモも頼みました。


ナイフとフォークのマークがドイツレストランの場所です。緑のマークが泊まったホテルです。ホテルから目と鼻の先でした。小さな写真は、すでに紹介した教会です。

より大きな地図で Dnepropetrovskのレストラン を表示
posted by SORI at 03:57| Comment(26) | TrackBack(1) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パンタグラフ



こちらはウクライナに入って最初に泊まったドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)です。この町には赴きのある路面電車が走っていたので紹介します。
上の路面電車で目立っているのが、大きなパンタグラフ (Pantograph)です。パンタグラフは菱形の集電装置のことですが、今ではパンタグラフと形のものは見かけなくなり専門家の間では電車の集電装置のことをパンタグラフと呼ばなくなったようです。でもこちらの町では今でもこの菱形のパンタグラフが活躍していました。
Dnepropetrovskは日本では長らくロシア語名に基づいてドニエプロペトロフスク、ドニェプロペトロフスク、ドネプロペトロフスクなどと表記されていたが、ウクライナの独立後はウクライナ語名に沿った表記が広く使われるようになってドニプロペトロウシクとなりました。ただし日本国内におけるウクライナ語の認知度が低いため現在でも「ドニエプロペトロフスク」と表記されることが多いそうです。
線路の雰囲気から、この町では古くから路面電車があったように思えました。右の航空写真の中心あたりが路面電車の写真を撮ったところです。
この町は人口は資料により110万から130万の間といわれおり、ウクライナ第2の都市または第3の都市と呼ばれています。ドニエプル川の河畔に位置する工業都市で兵器の生産やエネルギー産業などの重工業を主産業としているそうです。ソ連時代を含めて多数の人材を送り出しています。特に独立後の首相を4名(レオニード・クチマ、パーヴェル・ラザレンコ、ワレーリー・プストヴォイチェンコ、ユーリヤ・ティモシェンコ)も輩出していることには驚きです。より大きな地図で見る場合→ ポチッ


路面電車の後姿です。上の線路を走っているところです。ここは町の中でも丘の上で高いところを走っています。


こちらは町の中の路面電車の線路と架線です。


町のいたるところに路面電車が走っていました。


下の写真のように前から見るとパンタグラフの大きさが実感できると思います。冒頭の写真の丘の上の路面電車とは、かなりの高低差があったのでつながっていないかもしれません。より大きな地図で見る場合→ ポチッ
この地方で確認されている人間の居住は15万年前だそうです。いくつかの民族の交代があり、紀元後1世紀ごろからスラヴ人が住むようになったそうです。9世紀にキリスト教が伝わり、修道院が建てられたが1240年にタタール人に破壊されたそうです。タタール人の勢力がこの地方に進展したころには、ドニエプル川の東岸にタタール人、西岸にスラヴ人が対峙し、12世紀にコサックがこの地域を勢力下におくまでこの状態が続いたそうです。16世紀には、ポーランド王国、オスマン帝国、モスクワ大公国の勢力が角逐する場となったそうです。最終的にロシア帝国領となり、1775年現在の都市が建設されたそうです。当時の名は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名をとって エカチェリノスラフ(Екатеринослав)と命名され、ロシア革命後に現在の名に改称されたそうです。


この町(ドニプロペトロウシク / Dnepropetrovsk)では路面電車だけではなくトロリーバスも発達していました。


さとけさんのプラハの路電にトラックバックしています。←車体がそっくりです。
posted by SORI at 03:26| Comment(14) | TrackBack(1) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レンガ造り



すでに紹介したとおりウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)は石作りのビルが多かったけれども、レンガ(煉瓦)造りのビルも目立つ町でした。レンガ造りも趣のある雰囲気がありました。

煉瓦造りの風景もドニプロペトロウシクの町の風景の一つなのでいくつか紹介いたします。煉瓦の建物は3階までのようでした。


煉瓦造りのビルは石造りのビルは半永久的ですが煉瓦造りのビルは寿命があるようです。取り壊し寸前のビルもいくつかありました。
posted by SORI at 03:25| Comment(10) | TrackBack(0) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

この円筒はなに?


クリックすると拡大
ウクライナのDnepropetrovskの街角に円筒形のものが建っていました。
これは何でしょう?    クリックすると拡大します。

  答えは 売店(キオスク/kiosk)でした。

雑誌や新聞などを売っていました。

キオスク(Kiosk)はJR東海の販売店の名前だと思っていましたが、奥の深い語源でした。キオスクとは現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、仮設小屋の一種を示す言葉で、ロシアなどでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指すそうです。ネットでのキオスクの説明は下記の通りです。

キオスクとは、地中海沿岸や中東などで発達した、庭園の簡易建造物。東屋やガゼボなどと同じく小さな建物で、全面または一部の面に壁がなく、外に開放されている。

キオスクはイランからインドにかけての庭園によく設けられていた。13世紀にはペルシャ人からトルコ人に伝わり、オスマン帝国では宮殿や庭園などにキオスクが建てられた。イスタンブルのトプカプ宮殿の周囲には多数のキオスクがあるほか、オスマン帝国の支配下にあった地域、例えばギリシアなどにもキオスクのある庭園が残る。

キオスクという語はペルシャ語のクシュク(kušk)に由来し、「日陰をつくる物」を指していた。これがトルコ語でキョシュク(köşk)になった。「キョシュク」は現在でも、オスマン建築の中でも宮殿や邸宅の離れといった住宅建築を指すのに使われる。当初は木造で、後には石造などでも建てられたキョシュクは、表面は石や金属やタイルなどで覆われ、2階建て以上の高さがある建物であった。トルコなどには、皇族や貴族が夏や冬に住みかえて過ごすための邸宅や離れが多数残っている。特に夏用の邸宅は風を取り入れるために開口部が大きい。18世紀にはヨーロッパにオスマン文化の影響が及び、庭園に「キオスク」と呼ばれる休憩用の建物が建てられるようになり、造園に際しての重要な要素となるに至った。

ギリシアの都市によくみられる型のキオスク現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、キオスクとは仮設小屋の一種で、一方の壁面に大きく開いた窓があるものを指す。キオスクを使う商人も多く、道路や公園などにキオスクを設置して新聞、雑誌、地図、ライター、タバコ、菓子など安いものを売っており、新聞スタンド・雑貨屋・駄菓子屋の機能を果たしている。ロシアでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指す。ソ連崩壊・ロシア市場経済成長と共に、大手スーパーチェーンの進出や浸透により数は少なくなりつつある。日本では駅売店がキヨスクと呼ばれている。

キオスクと呼ばれるものの中には、催し物を紹介する無料のパンフレットや地図などを配布したり、観光客の案内所として使われるもの(information kiosk, information booth)もある。またキオスク端末やインタラクティブ・キオスクと呼ばれる、コンピュータやインターネット端末を置いた小屋やブースを、路上や店舗内などに置いて公的サービスを提供したり情報を提供したりしている国もある。
各国の言葉は下記の通りです。
 ペルシア語  : کوشک‎ kušk
クリックすると拡大 アラビア語   : كشك‎ košk
 トルコ語    : köşk
 タガログ語  : kyos
 ウルドゥー語 : khoka
 フランス語   : kiosque
 ギリシア語  : κιόσκι
 ドイツ語    : Kiosk
 ポーランド語 : kiosk
クリックすると拡大 英語      : kiosk
 チェコ語    : kiosek
 ポルトガル語 : quiosque
 ルーマニア語 : chioşc
 ブルガリア語 : кьошк kyoshk
 クロアチア語 : kiosk
 セルビア語  : киоск or kiosk
 スペイン語   : quiosco or kiosco
 日本語     : キヨスク or キオスク  クリックすると拡大
posted by SORI at 17:27| Comment(22) | TrackBack(0) | ウクライナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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