
水郷地帯の名所・加藤洲十二橋と呼ばれる場所に行きました。この水門の向こう側が加藤洲(かとうず)と呼ばれる集落があります。その集落の中を通っている水路に、それぞれの家の人が水路を渡るために庭先から橋を架けたそうです。その数が12個あるので加藤洲十二橋と呼ばれています。そこをサッパ舟でめぐる観光を「十二橋めぐり」と呼ぶわけです。昭和30年(1955年)に、ここ加藤洲を舞台とした美空ひばり主演の映画「娘船頭」が上映されて以後、爆発的に観光客が増加したと言われています。そして加藤洲十二橋を含む北総地域から茨城県南部一帯は、1960年(昭和35年)に水郷筑波国定公園の指定を受けました。
不思議なことに十二橋めぐりには香取市佐原の「加藤洲十二橋めぐり」と潮来市前川の「前川十二橋めぐり」の2つがあります。前川十二橋の名前は前川水門橋、あやめ橋、雨情橋、思案橋、水雲橋、潮音橋、天王橋、出島橋、まこも橋、千石橋、上米橋、前川橋です。今回は映画「娘船頭」の舞台となった「加藤洲十二橋めぐり」を体験するために上の写真の水門のところまで車でやってきました。水門の横の大友酒店にお願いして舟を出してもらうことにしました。水門と書きましたが正確には閘門(こうもん)だそうです。利根川と水路の水位が違うために、船が行き来するために水門が2重になっており、常に一枚の扉は閉まっているのです。閘門は聞きなれない言葉なので、以降は水門と記載させてください。
ネットで「加藤洲十二橋」を検索すると→ Yahoo Google
オレンジのラインが加藤洲十二橋舟めぐりでサッパ船が通ったコースです。人数が多い場合は乗船料金は1300円/人ですが、我々2名だけだったので貸切となることから6500円/舟でした。混んでいる時期は待っているお客さんが居るので貸切は断っていると教えてもらいました。すいていたからこそ貸切の贅沢が出来たわけです。
全行程7.2kmであったことから十二橋の細い水路以外はエンジンで走りました。右上の緑の太いラインが十二橋があるあたりで左の緑のマークはすでに紹介した水郷佐原水生植物園です。右上の黄色いマークは今回は行きませんでしたが潮来市営あやめ園の場所です。赤のラインは車で走ったコースです。
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水門近くの十六夜橋からサッパ舟に乗ります。舟の上の橋が十六夜橋です。
水門に近い北側から順番に橋の名前を紹介します。
1 よしきり橋 行々子橋
2 いざよい橋 十六夜橋
3 おもいで橋 想い出橋
4 こそだての橋 子育ての橋
5 すいせん橋 水仙橋
6 みかえり橋 見返り橋
7 ふじみの橋 藤見の橋
8 きんぽうじゅの橋 金宝樹の橋
9 しのぶ橋 偲ぶ橋
10 いこいの橋 憩いの橋
11 こうもん橋 黄門橋
12 しあん橋 思案橋
13 あじさい橋 紫陽花橋
一つの橋以外は、橋の北側にはひらがなで名前が書いてあり南側には漢字で名前が書かれていました。紫陽花橋(あじさい橋)だけは反対でした。
あれ十二橋のはずなのに橋が13ありました。一番南にあるコンクリート製の紫陽花橋(あじさい橋)か一番北にある水門のそばの行々子橋(よしきり橋)が加藤洲十二橋から外れるのかもしれません。
この中で十六夜橋のひらがな側の表示は確認できませんでした。
下の写真は十六夜橋を出発してすぐの景色です。一番手前の趣のある細い橋の名前は水門から3つ目のおもいで橋です。こそだての橋とすいせん橋も写真に写っています。

こちらは、みかえり橋、ふじみの橋、きんぽうじゅの橋、しのぶ橋、いこいの橋と5つの橋を一度に見ることが出来るスポットです。



こちらが我々を案内してくれた娘船頭さんでこの地域の昔のことを沢山教えてもらいました。この辺りに住んでいる方で、ほんとうにサッパ舟で嫁入りをされたそうです。ここでは水路が道代わりだったので舟の扱いを覚えて今は船頭をされているとのことでした。先般の地震では電気や水が長期間止まって苦労されたそうです。

加藤洲十二橋を見た後はエンジンを回して与田浦の水郷地帯の景色を楽しんだ後に加藤洲十二橋に戻ります。

何隻ものサッパ舟とすれ違いました。観光の歴史も古く、今から88年前の大正14年(1925年)には水郷遊覧船株式会社が設立されとの記載もありました。

この辺りの水郷地帯は、今は道路や鉄道も走っていますが、昔は道路がなくすべて船を使った交通だったそうです。写真はJR東日本の鹿島線で丁度、貨物列車が通ったので写真を撮りました。この写真の左方向には無人の十二橋駅があります。十二橋駅の時刻表を見ると昼間は1時間に1本以下(朝夕でも2本)の列車本数なので貨物列車とは言え珍し光景に出会えたことになります。

与田浦の最も広い場所で正面が花菖蒲を見てきた水郷佐原水生植物園です。この場所から大割水門を通って利根川の方に抜ける水路もあるので、東日本大震災の前は、そこを通ってもどる一周コースもあったそうですが、地震の影響で今は通れないと言われていました。
加藤洲十二橋舟めぐりのサッパ舟に乗る方法は我々のように十二橋がある加藤洲まで行って乗る方法と、この水郷佐原水生植物園の近くから乗る方法があります。コースはどちらも同じで料金も同じだと思います。我々のように十二橋がある加藤洲から乗ると十二橋を2回楽しんだ気分になれる気がします。与田浦まで行かないで十二橋だけを楽しむ短いコースもあります。さらに運がよければ、おまけの楽しみもあります。おまけは次の記事で紹介いたします。
ネット内で加藤洲十二橋舟めぐりの記事を見ると、ほとんどが与田浦の水生植物園の脇から乗って十二橋までを往復する内容でした。我々のように十二橋から乗る内容の記事は貴重かもしれません。

十二橋は加藤洲の人家がある400mの間にあります。それでは南側から順番に13つの橋をすべて紹介いたします。これが紫陽花橋(あじさい橋 13)です。これが十二橋に入るかどうかわかりませんが、念のために掲載いたします。この橋以外は全て木造の橋でした。十二橋のあたりだけはエンジンを止めて竹竿で進みます。

これは思案橋(しあん橋 12)です。赤字で「エンジン停止」と書かれていました。
おそらくここからが十二橋だと思います。この場所は直線の水路に6つの橋が架かっているために最も沢山の橋が見れる場所でもあります。ただし5番目と6番目は遠くて判別は難しいです。橋の欄干には思案している日本髪の女性が描かれています。


こちらが黄門橋(こうもん橋 11)です。この加藤洲は寛永三年(1626)に整地されたそうです。ここでは一島二戸の生活が営まれ、そのために水路を挟んだ隣家との往復のために簡単な橋が作られたのが十二橋の始まりだそうです。黄門様で有名な水戸光圀公もよく訪れたそうです。そのこともあり黄門橋の名前が、つけられたのかもしれません。黄門様が梅と係わりがあるからでしょうか、飾られている絵は梅のようです。




こちらは偲ぶ橋(しのぶ橋 9)です。欄干が片側だけの細い橋です。












この辺りは、かつて家と家、あるいは田んぼの間を、縦横に張り巡らされた水路(江間・えんま)を舟で行き来していました。加藤洲の水路には、家と家を結ぶ一枚板の簡単な橋が12架っていたので十二橋と呼ばれたようです。今は使われていないとのことでした。こちらも欄干が片方だけの細い橋でした。
想い出橋(おもいで橋 3)は家がなくなったことから、今は使われなくなったとのことでした。


十六夜橋(いざよい橋 2)です。

十六夜橋の奥に見えるのが行々子橋(よしきり橋 1)です。

水門の脇にある行々子橋(よしきり橋)です。



十二橋が確認できるほどのサイズの航空写真を掲載いたします。12+1の橋が確認できると思います。航空写真ではなく地図が表示されている場合は地図の中のアイコン「写真」をクリックすると表示が航空写真(衛星写真)に変わります。緑のラインが十二橋のあるところです。加藤洲十二橋舟めぐりの受付窓口の大友酒店さんが航空写真の中にありました。
店名 大友酒店
住所 千葉県香取市加藤洲553
電話 0478-56-0626
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追伸 タイトル: 陸からの加藤洲十二橋を見に行きました。

陸からの加藤洲十二橋(かとう ずじゅうにきょう)を紹介いたしました。上の写真は陸から撮った水仙橋(すいせん橋)です。十二橋は水路を挟んだ個人の家を結ぶ橋のために個人の敷地内に作られていることから橋の上には行けないので、家と家の間の道から橋を撮りました。
個人宅の門のあたりから撮った見返り橋(みかえり橋)です。
この写真で個人の家の橋であることがわかってもらえると思います。

舟めぐりの時に家がなくなって使われなくなった橋をあることを思い出して、その橋を探してみました。行ってみると、水路の手前側は家はなく空き地になっていました。この写真で個人の敷地にあった橋あることがよくわかってもらえると思います。こちらは子育ての橋(こそだての橋)です。

隣の想い出橋(おもいで橋)から見た子育ての橋(こそだての橋)です。こちらも家がないことから橋を渡ることが出来ました。


驚いたことに大友酒店の前で、前回お世話になった女船頭さんに出会えました。

想い出橋は一枚板の橋です。江戸時代に作られた十二橋に最も近い橋ではないかと思います。
