2013年05月26日

ぎんらん(銀蘭)を見つけることが出来ました。


クリックすると拡大右の写真の金蘭(キンラン)を探しに近くの雑木林に行きました。そこで沢山のギンラン(銀蘭)の花を見つけることが出来ました。前日に以前にギンランを見つけた場所に行きましたが、見つけることが出来なかったので、沢山生えていたので驚きました。

花の部分部分を拡大いたしました。


こちらでは7本のギンラン(銀蘭)を見つけました。キンラン(金蘭)は雑木林全体で見ることが出来ましたが7本のギンランすべて数m以内に生えていました。残りの6本のギンランを紹介いたします。花が一つの幼い株もありました。
この日と前日の2日間で3ケ所の雑木林を探しました。キンラン(金蘭)は45本見つけることが出来ましたがギンラン(銀蘭)は7本だけでした。数mのこの場所を見つけることが出来なければ銀蘭の発見は0(ゼロ)本でした。やはりキンランに比べると少ないです。





2010月5月13日掲載 タイトル:銀蘭の花を紹介いたします。
が表示された写真はクリックすると拡大します。

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キンラン(金蘭)の花を紹介したのでギンラン(銀蘭)の花も紹介いたします。近くの雑木林には金蘭が沢山咲いています。一方、銀蘭は非常に少なく稀にしか見つけることが出来ません。それも一輪だけのものばかりでしたが、幸い沢山の花を付けた銀蘭(ぎんらん)を見つけました。これがギンランです。

花を拡大しました。すばらしい純白の花でした。
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この写真のように、この辺りでは上のような多輪は珍しく1~4輪程度なので感激でした。


レイリーさんキンラン・ギンランにTBしています。
posted by SORI at 10:56| Comment(18) | TrackBack(4) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

「ちごゆり」が咲きました。

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春になってきました。家の庭にも稚児百合が咲きました。ゆり科の小さな花です。
学名は Disporum smilacinumです。
同じ百合でも大きさが違いますね。

有名な図鑑の説明文です。
IMG_3605回転-480.jpg
参照文献 : 牧野新日本植物図鑑
ラベル: ゆり科 野草
posted by SORI at 06:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦国時代の城 先崎城


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先日、千葉県佐倉市小竹地区の小竹城と、その城を築城した小竹五郎高胤の墓を紹介いたしました。→ポチッ
小竹城があった戦国時代に隣の先崎地区も先崎城がありました。城があった周りで先崎城という表示を探した結果、上の写真のように「先崎城主 墓石」の標柱(墓守記念碑)を見つけました。

臼井城のあった東の方向から先崎城の方向を撮った写真です。赤い矢印のところに先崎城がありました。高台から平地に睨みを利かす形でお城があったことが判ると思います。今から400年前の戦国時代はどのような景色だったのでしょうね。
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先崎城があったあたりを拡大いたしました。写真の中央の高台に主郭があったものと思われます。


震災のあと、このあたりも、新しい家が増えましたが、昔からの家もたくさん残っています。タイムスリップした気分にさせてくれる場所です。



航空写真で先崎城を紹介します。青いマークのところが先崎城です。現在の先崎城のある場所の住所は千葉県佐倉市先崎1567番~1580番です。先崎の明確な経緯はネットでは記載されていないので千葉県や印旛郡や佐倉市の沿革から想定される経緯は次の通りです。
 江戸時代~          下総国印旛郡先崎村   佐倉藩管轄
 1871年07月14日(明治04年) 佐倉県印旛郡先崎村   廃藩置県
 1871年11月14日(明治04年) 印旛県印旛郡先崎村 
 1873年06月15日(明治06年) 千葉県印旛郡先崎村      
 1889年04月01日(明治22年) 千葉県印旛郡志津村先崎 1町7村が合併 
 1954年03月31日(昭和29年) 千葉県佐倉市先崎    佐倉市が設立

より大きな地図で 先崎城 を表示
城があった高台の崖下に小さなお堂があります。これが先崎地蔵尊で、お堂の中に高さは90cmの丸彫りで一心に合掌する坐像の石仏が奉られています。
クリックすると拡大右の説明書きには次のように書かれていました。
先崎地蔵尊

 願主 友野河内

 一.慶安三年二月二十四日創建

 二.地蔵信仰と庚申信仰が習合の文化

 三.座像の地蔵尊は珍しい

    佐倉市文化財審議委員会談

慶安三年は1650年です。
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お堂の格子の間から地蔵尊を見ることが出来きました。右側のお地蔵さんは明治四十二年一月に友野富三郎さんによって収められたものです。お地蔵さんは「子供の守り神」のためか、左側に子供の人形も収められていました。


地蔵尊の左側に冒頭の写真で紹介の先崎城主の墓石がありました。墓石の右側には先崎城主墓石と書かれた標柱があり、標柱の裏には「慶安三年ニ月建立 (1650年)」と書かれていました。時代背景はよくわかりませんが1650年は江戸時代に入って47年目の年です。そして今から363年前です。
墓石に掘られている年代をは右から次の通りです。真ん中の墓石には桂岳道照と書かれています。この墓石は宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる形式だそうです。
 慶安三年四月四日   1650年
 慶安三年六月      1650年
 寛文二年八月十八日  1662年
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上で紹介の年代はそれぞれの台座に掘られており写真をクリックすると読み取れます。下の方は読み取れませんが戒名と思われる「楓早紅禅定門 」「禅定尼・ 」「禅定門霓・ 」の文字も見れます。
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上で紹介の墓石以外にも沢山の墓石がありました。明治三年四月廿二日に友野幸太郎さんが再建した石碑(墓石)などもありました。小竹城の場合は小竹五郎高胤が築城したものですが、先崎は人の名字ではなく印旛沼の中の岬(先崎)に由来する地名です。ネットで調べても築城者の当時の氏名は判りませんが、先崎地区で沢山ある名字の友野氏の祖先にあたるものと思われます。
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同じ場所に沢山の庚申塔もたてられていました。


さらに別の石碑も建てられていました。
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ネットで先崎城を検索した結果、歴史的背景の記載されたものはほとんどありませんでしたが謙信、下総臼井城攻めの章 関東騒乱(七)内で永禄8年(1565年)に臼井城を上杉謙信が攻めて敗退した時の記述に先崎城の名前があったので転記しました。戦国時代の厳しさが伝わってきます。少なくとも1565年以前に先崎城が存在したことになります。

剛勇の武士。その働きは北條家の赤鬼とまで異名されたと関八州古戦録にある。
此方から援軍に駆けつけるはずの大和田砦から、反対に松田孫太郎が援軍に来たのであれば、小田原からの援軍も期待できるとの思いを持った上野介胤貞、松田の援軍を臼井城に案内すると直ぐに自兵をその主要な支城である小竹城、先崎城、志津城、師戸城、岩戸城を固め、臼井城周辺に置かれた洲崎、仲台、宿内、手繰、稲荷台の各砦に人数を詰める事にした。...

謙信は先陣である長尾顕長、富岡重朝の手勢を印旛沼の北側に送り込み、岩戸城、師戸城を取り囲ませると、中備えの本庄繁長、北条丹後守、新発田治長の手勢を印旛沼南岸の西北方面から、先崎城に向かわせ、他国衆の本庄秀綱、三上兵庫介正秋、石毛平馬持之、森下三河守の手勢には臼井城南西にある志津城を囲ませている。...

印旛沼対岸でも先崎城から崩された原上野介の兵が仲台砦にばらばらと逃げ帰っており、志津城からも同様に越後兵に追われた城兵が手繰砦に逃げ込んでいた。
謙信本陣もこれを見て陣を動かし、目の前の小竹城に寄せると、これも三月十日までには総崩れとなって手繰砦へと入って行った。...

高台の淵は絶壁になっています。こちらが東側です。写真をクリックすると東方向の景色を表示します。
クリックすると東方向の景色

こちらが南側の絶壁です。写真をクリックすると崖下の景色を表示します。
クリックすると崖下の景色

絶壁の淵は土塁のように盛り上げられていました。写真の右側が絶壁です。当時の地形が残っているものと思われます。写真をクリックすると内側を表示します。
クリックすると内側を表示

高台から奥に入ったところにも古い墓石のような石碑がありました。左の墓石には寛文九年五月(1669年)先崎村と書かれておりました。形式は五輪塔(ごりんとう)で高野山の墓石でよく見かけました。右の石碑には享保十年十月四日(1725年)先崎村と書かれていました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

古い墓石あるいは石碑がさらにありました。年代は宝永四年(1707年)、寛政六年(1794年)、天明六年(1786年)が読み取れました。


先崎城のそばには鷲神社があります。鷲神社の開創は承平七年七月七日(937年)とのことなので先崎城が出来る以前からあったものと思われます。ただし建物は応永年間(1394~1428年)に火災により被害を受けたことから1844年に再建されたものだそうです。石の鳥居は寛文十三年(1673年)に建立された当時のままだそうです。


先崎城、先崎城主墓石、地蔵尊、丘の上の墓石、鷲神社の位置関係です。
クリックすると広範囲の地図を表示続きを読む
posted by SORI at 01:41| Comment(27) | TrackBack(2) | 千葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

白鷺軍団

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今の時期は田んぼでシラサギをよく見かけます。近づくとすぐに飛んで離れた場所に行ってしまうので警戒されないように、先週は散歩の時に800mmのレンズを持って出かけてみました。簡単には近づかせてくれません、これが精一杯の距離です。

遠くから撮るといろんな姿を見せてくれます。警戒されると3枚目の写真のように、少し後ろ向きになります。さらに近づこうとすると4枚目のように飛んで逃げてしまいます。家から歩いて15分くらいの場所です。写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

ここから下の写真は以前のものです。印旛沼の畔の田んぼにも沢山のシラサギがいます。写真をクリックすると広範囲を表示するように設定しているので、もっと沢山のシラサギを見ることが出来ます。数えてみると29羽でした。
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自転車を買ってから4回目くらいの時に撮ったものです。いつも早朝に走っており2時間程度ですが、この日は3時間程度(6時15分~9時30分)といろいろと写真をとりながら走りました。白鷺は田んぼで数匹程度は良くみますが、これだけの集団は初めてだってので白鷺軍団をバックに自転車を撮らせてもらいました。
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別の角度からの写真です。遠くの白い点々がシラサギです。白鷺(しらさぎ)とは、コウノトリ目サギ科のうちほぼ全身が白いサギ類の総称で、日本ではダイサギチュウサギコサギカラシラサギを指し、シラサギと言う正式名の鳥はないそうです。


以前にサンカノゴイ(山家五位)撮影隊と言うタイトルでサンカノゴイの撮影を紹介した場所には相変わらず写真を撮りにこられておられました。丁度、このときにサンカノゴイが頭上を飛んできてカメラの前に降りました。このカメラの方は連写で撮られて、「こんなにいい写真をとる機会は今までなかった。」と言われて大満足の様子でした。写真をクリックすると以前の記事を表示します。
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私はポシェットから急いでカメラを取り出しましたが、すでに着地して葦の茂みの中で写真を撮ることは出来ませんでしたが、目の前で、あのサンカノゴイを見ることが出来たのは、この日の最大の成果でした。この葦の茂みの中に巣があるために、皆さんがこの場所に来られていることもわかりました。目の前をゆっくりと旋回しながら30m先に降りたので、写真を撮ることが出来た人が「いい写真が撮れた」と言われたのはわかる気がしました。


6月12日から6月14日の3日間にラベンダー祭りが行われた場所にもよってみました。「グロッソ(grosso)」と言う品種が6月下旬~7月上旬が見ごろと書かれていたのを思い出したためです。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大

6月中旬には満開だった「濃紫早咲(nousi-hayazaki)」や「おかむらさき(okamurasaki)」の花は全て刈り取られていたためにラベンダー畑自体の迫力はなくなっていましたが、きれいな紫色の花が咲き誇っていました。
こちらもクリックすると拡大します。蜂やモンシロチョウが沢山きていました。このグロッソの写真は是非ともクリックしてみてください。
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posted by SORI at 10:42| Comment(20) | TrackBack(2) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月22日

カルガモの親子

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泊まっていた東京ドームホテルの側にある日本庭園の小石川後楽園に行って見ました。そこでカルガモさんを見つけました。足元まで寄って来るほど人間になれているのに驚きました。あれから一週間経っているので子ガモさんは、もう少し大きくなっているでしょうね。今回は写真をクリックすると全て拡大するので見てください。

こちらはお父さんかな? 日本庭園に溶け込んでいました。
IMG_3867-1325.jpg

最初は置物かなと思うほど身動きしませんでしたが、じっくり見て本物であることがわかりました。ネットでカルガモを調べてみました。
体長は 60cm 前後であり、日本産のカモ類の中では大型。全身は茶褐色で尾に近づくほど濃い茶色になる傾向がある。野外での雌雄の識別は容易でないが、山階鳥類研究所等によれば、雄は下尾筒上部(腹の先端で尾の下近く)が黒く、雌では黒い羽毛に白斑が混ざり薄く見えることで判別できる。
東アジアに広く分布し、本州以南では、平野部から山地にかけての水辺に広く分布する留鳥だが、北海道では夏鳥(一部冬季も残留するものもいる)である。市街地でも普通に観察されるそうです。北方の亜種(学名:A. p. zonorhyncha, 英名:Chinese Spotbill)は渡りをし、冬季には東南アジアで越冬するそうです。
  目 : カモ目 Anseriformes
  科 : カモ科 Anatidae
  属 : Anas
  種 : カルガモ Anas poecilorhyncha
IMG_3866-1325.jpg続きを読む
posted by SORI at 04:59| Comment(30) | TrackBack(1) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

コンク貝レストラン


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

バハマの食べ物で一番有名なのがコンク貝(法螺貝)です。写真のレストランは料理の名前が、そのままお店の名前になっていました。名前は、ずばりCONCH FRITTERSです。 コンク貝料理の専門店と言うところです。このお店がホテルの真前にあったので、前日も迷わずこのお店に入っていたらコンク貝料理が食べれたのです。ここには翌日の昼食に入りました。したがって頼んだのはスープとグリルでした。バハマに着いて初めてコンク貝料理にありつけました。

コンク貝のスープです。名前はConch Chowder US$6.95 です。コンク貝が沢山入ったおいしいスープでした。


コンク貝の料理です。 今回はGrilled Conch US$18.95です。写真をクリックすると拡大写真を表示します。コンク貝は色が違う二種類の肉がタップリ入っており、一皿だけで二人で食べるのに十分な量がありました。やっぱり貝料理はおいしいですね。あとはコンク貝の刺身を食べれば満足ですが、残念ながら、このお店は刺身はやっていませんでした。
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そしてバハマのビールです。瓶のままラッパ飲みするのがバハマ流(アメリカ流)です。
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お店のメニューです。黄色の枠で囲ったのが食べた料理です。ちなみにお店の名前になっているConch FrittersはUS$7.5です。
そのほかの法螺貝料理をメニューから探すとConch Salad、Crack Conch Basket、Scorched Conch、Conch Burger、Crack Conchが見つかりました。
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レストランの場所です。
  店名 Conch Fritters Bar & Grill
  住所 Marlborough St. , Nassau City, New Providence, Bahamas
  電話 +1 242-323-8778
  営業 7:00~23:00
  Web HP  Facebook

より大きな地図で Conch Fritters Bar & Grill を表示
posted by SORI at 22:46| Comment(14) | TrackBack(3) | バハマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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