2026年01月21日

極寒の地に馬達がいました。

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が17/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

12月1日の午前中にカザフスタンのアスタナからカラガンダまで車で216kmほど走りました。
気温は-20℃近くまで下がっており家畜はほとんど見ることはありませんでしたが、上の馬たちを見つけました。これより以前にカザフスタンで馬を見たのはカザフスタンの最大の町であるアルマトイの近くのダムの観光用の馬だけでした。この寒さの中、で、このように放牧されたている馬を見ることが出来るとは思ってもいませんでした。この寒い中、人が馬に乗って付き添っていました。右の小さな写真は馬の写真を撮る直前の景色です。

この地図の青いラインがアスタナのホテル(A)からカラガンダの昼食のためのレストラン(B)まで走ったルートです。
この三台のトヨタ製LAND CRUISERで走りました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 カザフ語  Қарағанды
 ロシア語 Караганда
 英語    Karagandy/Karaganda
隠れてしまって見えませんが航空写真内の左上に出発地の首都アスタナがあります。

羊やヤギも見ることが出来ました。ただし家畜を見ることが出来たのは馬も含めて2回だけでした。
上で紹介した馬の時は、人が馬に乗って見ていましたが、こちらは完全な放し飼いのようでした。


上の写真はこちらの写真から切り取りました。 右側にも羊やヤギがいました。
カザフスタンは内陸にあり、車の出発地の首都アスタナでもマイナス40℃になることもあるそうです。
この時もアスタナのホテルから外に出るとマイナス20℃でした。
IMG_3513-1230-27.jpg

冒頭の写真はこちらの写真から切り取りました。
IMG_3340-1230-27.jpg

この写真(9時54分51秒)から3分41秒後が馬が居いた場所です。
IMG_3513-1230-27.jpg
もうすぐSSブログサービスが終了するということなので、珍しい場所(カザフスタン アスタナ~カラガンダ)の記事を2024年12月19日に再掲載させていただきました。
 2011年12月19日 掲載
 2024年12月19日 再掲載 閲覧数:1,744 nice!:74 CMT :28
 2024年12月20日       閲覧数:1,847 nice!:95 CMT :31
posted by SORI at 15:32| Comment(42) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月20日

カザフスタンのショッピングモール

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
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本記事が16/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

カザフスタンの32万人の都市アクトベにあったショッピングモールMEGAです。2023年7月のストリートビュー(SV)で確認するとKeruen Cityとも書かれているので、Keruen Mall, Aktobeになったようです。ただしMega Aktobekの言葉も残っているようです。昼間に車で横を通ったので上の写真を撮りました。

こちらは翌日の早朝にモスクや教会を見るために歩いて散歩した時に同じショッピングモールMEGAを撮った写真です。広大な場所に名前の通り大きなショッピングモールが建っていました。
早朝のため駐車場には車もなく人もいませんでした。
手前に写っている道は道路ではなくショッピングモールの駐車場につながる誘導路です。
クリックすると拡大

すでに紹介したモスクと教会と国旗と泊まったホテルの位置関係を航空写真にマークしました。
青色マーク()が中央モスクで赤色マーク()が聖ニコラス正教会です。今回のショッピングモールは教会の近くの黄色マーク()の位置です。巨大な国旗があったのが緑色マーク()で泊まったホテルは空色マーク()です。早朝なので散歩できましたが昼間は38℃あったので歩くのは難しかったです。
ここは極寒/ 極熱(極暑)の場所でした。

より大きな地図で Aktobe を表示
ショッピングモールの店内も紹介します。こちらはアクトベのショッピングモールではなく同じ日にカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アルマティー)に飛行機で戻った時に興味があったので町の中にあるお店に入ってみました。すごい広さでした。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

それぞれの売り場が大きかったです。これはクッキー売り場です。この写真に写っている2倍くらいの広さにクッキーだけが並べられていました。肉売り場はもっと迫力がありました。全ての食材がこのような規模で売られていました。お寿司も売っていました。
クリックすると拡大

日本のお店では見かけないものが売っていました。 横で売られているレッドブルとは関係ありません。


こちらが拡大したものですが、生ビールの販売機です。
この容器にビールを入れてもらい家に帰って飲むそうです。
posted by SORI at 20:20| Comment(50) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月19日

巨大なカザフスタン国旗

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が15/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
カザフスタンのアクトベという町を早朝に散歩してモスクと教会を訪れました。もう一つ気になっていたところに行ってみました。それがこの写真の場所です。高いポールに大きな旗が風でたなびいていました。上の写真は是非ともクリックしてみてください。高さが実感してもらえるかもしれません。
ネットで調べたけれども、これは出てこなかったので正確な高さはわかりませんが、60m~70mではないかと思えました。もしかしたら、もう少し高いかもしれません。このポールの高さをご存知の方が、おられたら教えてください。

旗も遠くなので小さく見えましたが、かなりの大きさです。
この旗がカザフスタンの国旗です。おそらく15mを越える長さの旗だと思いますが強い風のおかげで、たなびいていました。


この旗は大きな公園の真中辺りに立てられており、周りには池などもありました。


カザフスタンの1人当たりGDPは11,415ドル、失業率は1999年に13.47%あったものが下がり続けて2013年には5.3%になり、独立直後の経済状況に比べ、クリックすると拡大著しい飛躍を遂げています。
この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型であるといえます。 採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在します。 輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占めています。 豊富な地下資源も、何もしなければ宝の持ち腐れですが、経済発展を成し遂げたヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領は、1991年12月16日の初代から2019年3月20日まで5期大統領を務め、絶大な人気で2011年4月3日の大統領選挙では95.5%の得票率でした。 参考に日本の失業率もプロットいたしました。大統領の写真はWikimediaから拝借いたしました。
ネットによれば2024年の184国中、カザフスタンの失業率は4.83%(84位)で日本は2.50%(24位)です。
参考ですが ドイツ3.40% 米国4.02% スイス4.34% 英国4.36% イタリア6.50% フランス7.40% です。

ポールの根元の部分です。根元にはいろんな飾り付けや文字が書かれていました。この裏側には大統領と思われる写真も取り付けられていました。ポールは亜鉛メッキのようでした。


さらに文字が読める大きさに拡大しました。残念ながら我々はカザフ語は分からないです。
写真をクリックすると同じ縮尺で広い範囲の大きな写真を表示します。


下から見上げるように撮った写真です。 迫力がありました。
ただしこの瞬間は風がなくて旗が垂れているのは残念です。


公園の入口の門からの写真です。入口から一直線に花壇が続いていました。
この写真はGoogle地図のカメラマーク(M-29.gif)の場所から撮りました。
Google地図で確認したところ公園の入口にある門から旗までの距離は470mです。
クリックすると拡大

上の写真と同じ方向からのGoogleマップのストリートビュー(SV)を紹介します。
こちらは2018年6月に撮影されたSVです。同じように花壇に花がいっぱいです。


航空写真で目いっぱい拡大して見ました。
Googleマップには Флаг Казахстана と書かれています。


緑色マーク()のところに巨大なカザフスタンの国旗が立っていました。紹介したモスク(青マーク)や教会(赤マーク)から近いところにありました。黄色マーク()はショッピングモールです。
Google地図の航空写真内のカメラマーク(M-29.gif)が巨大な国旗の上の写真を撮った位置です。
ネットで調べるとカザフスタンはカザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっています。
アジア系が60~70%というイメージは当たっていました。日本人に似た人も多かったです。


カザフスタン共和国の国旗(1992年6月4日~現在)
カザフスタンの国旗は1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立(1991年12月16日)した際に制定(1992年6月4日)されました。 ソ連時代に使われていた赤い色はなくなりました。
青地は空、中央の黄は33本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様で、この青地は、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴しています。クリックすると拡大中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとで、この地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表したそうです。
ちなみにウクライナの国旗も右のように青色と黄色でした。
クリックすると拡大

独立する前のカザフ・ソビエト社会主義共和国時代の旗を古い順に紹介します。
このころは赤が主体でした。真中は第二次世界大戦のころの旗になります。一番最近のものにはブルーの色が入りました。文字もなくなりました。下の国旗はクリックすると拡大します。 
     1937年~1940年          1940年~1953年          1953年~1991年
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

首都のアスタナにも、町の中に大きな国旗が建てられていたので紹介します。
アクトベの国旗よりも少し小さいようですが、それでもかなりの大きさでした。
posted by SORI at 17:32| Comment(51) | TrackBack(3) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月18日

Hotel Dastan Aktobe 日本食がブーム?

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本の、どんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開しました。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事が14/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
すでにカザフスタンのアクトベのモスク教会などを紹介いたしましたが、ここの町はクリックすると拡大下の航空写真のように15km程度の範囲に入ってしまう町でした。その町で泊まったホテルが、前記事で紹介した右の写真のHotel Dastan Aktobeです。前日はカザフスタン最大の町であるアルマトイ(アノマティー)でカザフ料理を堪能いたしましたが、こちらのアクトベでは、このホテルで種類はこだわらないでアラカルトで頼んでみました。アクトベ(Ақтөбе)はアクトベ州の州都で人口は約32万人の町です。この町で食べた料理を紹介いたします。最も驚いたのがアクトベの町で、上の写真の寿司が食べれたことでした。カザフスタンでは首都のアスタナでも日本食店はなく、日本食店があるのはカザフスタン最大の都市アルマティー(Almaty)だけと思っていたからです。

この地図の空色マーク()の位置が、ホテルの場所です。
マークをクリックすると名称を表示します。 モスクと教会はすでに紹介しました。
  Hotel Dastan
  モスク Nurgasyr Regional Central Mosque
  教会  St. Nicholas Orthodox Church in Aktobe 聖ニコラス正教会 

より大きな地図で Aktobe を表示
チーズたっぷりのシーフードサラダというところでしょうか。チーズがたっぷり乗っているところがカザフスタン風なのかもしれません。


こちらもチーズがたっぷ乗った「きのこ」のクリームシチューのようなソースの美味しい料理でした。味わって見て、こちらのホテルのレストランは一流の味であることが徐々にわかってきました。昼食で食べたボルシチもすばらしかったです。


ロシアの特徴である黒パンも出てきました。


クリックすると拡大これらを肴にしてビールです。写真のピントはバックのテーブルの方にあってしまったのでレストランの雰囲気もわかってもらえると思います。右の写真をクリックすると背景の山の絵の拡大写真を表示するようにいたしました。


こちらのレストランでは日本風の料理も食べれるのが特徴でした。肉がたっぷりの野菜炒めです。


こちらは、まさに焼肉でした。次のように日本食の飯類もありました。クリックすると拡大
 親子丼     Oyakodon                  550テンゲ 310円
 鰻玉丼     Una-Tama don              1500テンゲ 847円
 牛丼       Gyudon                   500テンゲ 282円
 シーフード焼飯 Tennpanyaki rice with seafood   1300テンゲ 734円
 野菜焼飯    Tennpanyaki rice with vegetables  550テンゲ 310円
 ごはん     Gohan                    500テンゲ 282円


こちらが冒頭の写真です。究極の日本食であるお寿司もありました。これには驚きでした。ここはカザフスタンの首都アスタナでもなく、最大の年アルマトイでもなく、日本人が住んでいるとは思えない砂漠の辺境の町アクトベなのです。そこで、お寿司が食べれるとは!
辺境の地ではありますが、人口はカザフスタン5番目(38万人)の町です。
サーモンと鰻のお寿司を頼みました。
クリックすると拡大

メニューのお寿司の部分ですが、メニューでは日本食の部分に4ページも使うほどの力の入れようでした。メニューはカザフ語とロシア語と英語の3種類が書かれています。左側がカザフ語とロシア語で右側が英語でした。クリックすると拡大するのでメニューが読めると思います。一番下の9品の「デラックス盛り合わせ(Delux Moriawase)」の寿司の内容を紹介いたします。値段は15000テンゲ(約8470円)です。「巻き盛り合わせ(Maki Moriawase)」かが5500テンゲ(約3100円)で、「寿司盛り合わせ(Sushi Moriawase)」が6500テンゲ(約3670円)でした。単品の巻物は550~1600テンゲ(310~900円)です。ちなみに一番安いのがカッパ巻(Kappa Maki)です。クリックすると拡大
   Sake Kunsei nigiri
   Unagi nigiri
   Izumi tai nigiri
   Maguro nigiri
   Hotate nigiri
   California maki
   Unagi maki
   Maki with baked salmon
   Philadelphia maki
クリックすると拡大

ホームページに、こちらのレストランの動画があったので紹介します。残念ながら日本食は出てこなかったですが、雰囲気は伝わってくると思います。


実は、ここは小さいホテルでしたがカザフスタンの大統領も訪問するほどのホテルでした。ホテルの壁には有名な人と思われる方々の写真が沢山飾られていましたが、この写真はその中の一枚です。


ホテルの中は日本風の絵が沢山飾ってあったことからも日本にこだわっていることが感じられました。


地方の小さなホテルではバーはあるけれども早くしまってしまうことが多いけれども、こちらではバーも遅くまでやっておりカクテルを楽しみました。


ついカクテルの、おかわりもしてしまいました。


クリックすると拡大ホテルの部屋も紹介いたします。アクトベには2度訪問し、この時(初めて訪問)も寝室と居間が分かれたタイプでした。ただし前記事でタイプとは違うタイプで、少し小さな部屋でした。
右のタイプの部屋だったように感じています。


長期に滞在する人にも対応できるようにしているのでしょうか。キッチンや大形冷蔵庫もありました。


少しアクトベを紹介いたします。ネットでの記載内容です。
ラテン文字表記はAqtöbe(またはAktöbe、Actöbe)。ロシア語ではアクチュビンスク(Актюбинск)と呼ばれる。
住民の民族構成は多彩で、カザフ人とロシア人を始めとして、ウクライナ人・タタール人・ウイグル人・チェチェン人・アルメニア人・ユダヤ人・ギリシア人などが住んでいる。ペレストロイカ以前はドイツ人の大きなコミュニティがあった。
アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来する。 1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始した。要塞は拡張され町も大きく整備された。1891年、アクチュビンスクという名の市に昇格した。1901年にはトランス・アラル鉄道も開通した。 ロシア第一革命ではボリシェビキが活発な反政府活動を展開、ロシア革命で完全にアクチュビンスクを掌握した。その後、戦略的に重要なアクチュビンスクをめぐって赤軍と白軍が激しい争奪戦を展開、1919年4月、アクチュビンスクは白軍の手に落ち、ボリシェビキの中央アジアへの連絡路は断たれた。しかし、9月になるとミハイル・フルンゼのボリシェビキ軍は激戦の上、アクチュビンスクを奪還、以降、タシュケントへの鉄路は赤軍の掌握するところとなった。1920年、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生し、その後、カザフ・ソビエト社会主義共和国のアクトベ州となる。 第二次世界大戦では、工場がロシアやウクライナから疎開、フェロアロイ工場やクロム工場も移転してきたため工業都市として飛躍することになった。1990年代以降、アクトベのヴォルガ・ドイツ人たちはドイツへと帰還した。
空色マーク()の場所がお寿司が食べれたカザフスタンのアクトベ(Aktobe)です。
すでに上で紹介したようにカザフスタンは首都アスタナ(Astana)でさえ日本食店はありませんでした。
カザフスタン最大の都市アルマティー(Almaty)でも日本食店は2~3店しかないことから首都アスタナや最大の都市アルマティーから遠く離れた、この場所で日本食が食べれたことが、どれだけすごいことかが、判ってもらえると思います。 画面の中のカメラマーク(M-29.gif)は次の記事の説明で使います。
プラスのアイコン(+)を12回~18回クリックするとホテルの位置がはっきり分かってくると思います。
posted by SORI at 21:36| Comment(60) | TrackBack(0) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月17日

ベットルームが2つ アクトベNO.1のホテル

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
カザフスタンの記事を20ブラシュアップして紹介していましたが12掲載していたところで中断して、日本のどんど焼の記事を掲載しました。どんど焼の11記事掲載が終わったのでカザフスタンの記事掲載を再開します。カザフスタンの首都のアスタナと最大都市アルマトイは後日ブラシュアップいたします。
本記事がカザフスタン記事の13/20です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事でカザフスタンの首都アスタナのNO.1ホテルを紹介したので、地方都市のNO.1ホテル紹介させていただきます。 その地方都市のアクトベ(Aktobe/Ақтөбе/Актюбинск/Aqtöbe)で泊まったホテルが上の写真です。 入口に書かれているHOTEL DASTANがホテルの名前ですが、記事の最後の写真にも出てくるので覚えておいてください。

以前にカザフスタンの主要な都市の位置を紹介した地図です。 マーク()をクリックすると都市の名前を表示します。 赤色マーク()は訪問した町で、左から順番にアクトベ、アスタナ(Astana)、カラガンダ(Karaganda)、アルマティー(Almaty)です。 つまり一番左の赤いマーク()が、今回のホテルのあったアクトベです。 人口は地図の中のマークの都市の中では7番目で317,700人です。 カザフスタンでは中堅の都市と言えます。
日本(377,976km²)とほぼ同じ面積のアクトベ州(300,629km²)の州都が、今回の町のアクトベです。
ちなみに赤色ライン(━━)で囲ったアクトベ州の人口密度は日本の1/100(1%)です。
 アクトベ   面積 2,300km²   人口 596,195人    人口密度 260人/km²
 アクトベ州 面積 300,629km² 人口 950,536人    人口密度 3.16人/km²
 日本    面積 377,976km² 人口 123,342,000人 人口密度 333.7人/km²
より大きな地図で カザフスタン を表示
アクトベ市の辺りを航空写真で表示しました。 赤色マーク()がHOTEL DASTANの位置です。
薄青色ライン(━━)がGoogleマップで表示されたアクトベ市範囲です。


Googleマップでの表示のハードコピーも掲載させていただきました。
この表示を参考にして上の地図に薄青色のラインを追加しました。


その中堅の都市で泊まったホテルの部屋にはベットルームが2つありました。
正面に入口が2つありますが、それぞれがベッドルームなのです。


こちらが左側の入口のベットルームです。


こちらは右側の入口のベットルームです。


居間(リビング)にはキッチンや大型の冷蔵庫も設置されていました。


上の写真の居間(リビング)は結構広かったです。 広さが判るように部屋の端から撮りました。
画面の左側に上の写真のキッチンがありました。


左上のNo06が私の部屋でした。 着色されている部分がリビングで右側の2部屋がベットルームです。
クリックすると面積で16倍に拡大するので文字が読めると思います。ただしカズフ語です。


泊まった部屋の部分を拡大しました。 矢印は避難方向を示しているようです。
IMG_3212-615-26.jpg

冒頭の写真ではクリスマスツリーを作っている最中でしたが夜には完成して点灯いたしました。
ホテルを紹介します。
 名前 Hotel Dastan Aktobe
 住所 2 Bogenbay street, Aktobe, Kazakhstan, 030008
 HP  http://www.dastanhotel.kz/en/main
 電話 07132-90-1000


ホテルの前の道路です。 寒そうでしょう。
いつもなら散歩をするのですが、さすがに散歩に出る気にはなりませんでした。


ホテルの壁にはホテルを訪問した有名人と思われる人の写真が沢山、飾られていました。一際、目立っていたのがカザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の写真でした。大きくはないホテルでしたが、アクトベNO.1のホテルの証しだと思います。ちなみにヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は初代から30年間(1990年4月24日 - 2019年3月20日)大統領を務めた大統領でした。2011年4月3日の大統領選挙では95.5%の得票率で再選(5選)された絶大な人気の大統領でした。

クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

ホームページにホテルを紹介した3分22秒の動画があったので掲載いたします。
空港からホテルへの移動で日本の車(トヨタ)が登場します。
ナンバーブレートにホテル名の HOTEL DASTAN と書かれているのに驚かされます。


動画の中から探すのが面倒な方のためにその場面をハードコピーしました。 クリックするとナンバープレート表示部分からの動画を表示します。→画面1(空港迎え) 画面2(空港出発) 画面3(ホテル到着)
posted by SORI at 20:23| Comment(54) | TrackBack(1) | カザフスタン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月16日

2026年 青菅の「どんどれえ」を見に行きました。

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こちらの写真は2026年1月14日(水曜日)の、火をつける前のどんど焼きの写真です。 千葉県佐倉市の青菅地区で江戸初期の420年前~322年前(川口氏知行)の間、つまり最低でも今から322年前から行われている「青菅のどんどれえ」と呼ばれるどんど焼き/左義長です。 この伝統行事は佐倉市の無形民俗文化財(指定番号63)にも指定(2007年6月29日)されています。 上の写真は当日の昼(15時)に様子を見るために行った時に撮りました。 短い時間でしたが見に来ている6人に会いました。
本記事はSeesaaブロクからのブラシュアップではなく、4つ目の新規記事です。 

こちらは、どんどれえ(どんど焼)が始まる10分前の17時49分の写真です。
周辺の人達が集まり始めていました。
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17時56分です。もうすぐ始まります。
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18時06分 青菅とんどれえが始まりました。 青菅地区の区長さんの挨拶から始まりました。
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区長さんの横に立っている女の子が、今年のどんどれいに火を着ける大役行うのです。
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点火時刻になりました。上で紹介された女の子が点火役です。
女の子を手伝っているのは青菅地区の区長さんです。
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火がついた瞬間です。
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上の写真の火がついた瞬間から2分後です。 晴れた日が続いて乾燥していたのだと思います。
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沢山の人が見守っていました。竹の先についているのは、どんどれえで焼くためのお餅です。どんどれえで焼いたお餅を食べると1年間元気に過ごせるそうです。
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今回は点火したのは1ケ所だけでしたが火はすぐに広がりました。
ただし反対側まではこの時点では広がっていません。
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かなりの熱さなので、皆さん遠くから見ています。
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火は上の方にも広がっていきました。
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撮った動画も紹介します。 カメラが周りの声を拾っているのでBGMを入れさせていただきました。
無限繰返しAutoplayに設定したので、音がうるさい場合はスピーカーマーク(M-27.gif)をクリック(M-27.gifM-27.gif)して消音するか、画面をクリックして停止してください。
最初から画面が停止している場合は、画面をクリックしていただくと動画が起動します。


9本の竹に伝って炎は上にも上がっていきました。
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9本の竹の周囲の8本が焼け落ちて中心の御神木(どうしんぼく)だけが残った状態です。8本の竹の先端の葉の部分には火はあまり移らないうちに焼け落ちたので以前紹介したような高い炎にはなりませんでした。この後すぐに、どうしんぼくの太い竹が燃え始めて倒れました。中央の竹の「ドウシンボク」の倒れた方角で一年の豊凶を占います。青菅側(南側/手前側)に倒れると青菅が豊作、先崎側(北側/向こう側) に倒れると先崎が豊作と言われています。 今回は南(手前側)に倒れました。
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9本の竹が立った根本です。つまり「どんどれえ塚」の頂部です。 ⑨の竹の地固めをしています。
竹を立てた順番を①→②→③→④→⑤→⑥→⑦→⑧→⑨で示しました。 中心の⑥の竹がドウシンボク(中心に立つ御神木)です。 画面をクリックすると文字が読みやすい画像を表示します。
 東面:①②③  北面:①④⑦  西面:⑦⑧⑨  南面:③⑤⑨
クリックすると拡大

ドウシンボク(御神木)が倒れていくまでの5枚の写真を紹介します。  
8本の竹は倒れて残ったドウシンボク(御神木)が、かろうじて立っています。
倒れ始める瞬間です。 時刻:18時23分28秒 (+0秒)
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ドウシンボク(御神木)が少し傾きました。 餅を棒で餅を焼いている人がいますが大部分の人は熱いので待っています。 右側の人はこの後、焼くのを諦めました。 時刻:18時23分32秒 (+4秒)
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ドウシンボク(御神木)が上向き45度まで倒れました。 時刻:18時23分33秒 (+5秒)
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ドウシンボク(御神木)が下向きになりました。 時刻:18時23分34秒 (+6秒)
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ドウシンボク(御神木)が完全に倒れました。 時刻:18時23分35秒 (+7秒)
この後燃えてしまいました。 
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倒れたドオシンボク(御神木)を拡大しました。
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いよいよ餅焼ですが、まだまだ炎の近くは熱いので、餅を焼きたい皆さんも遠巻きで待っています。
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一部の人は餅を焼き始めました。
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こちらの人も熱いので顔を背けて焼いています。
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餅を焼く人が増えてきましたが、まだまだ少数派です。
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いよいよ餅を焼く人が増えてきました。 全国の類似の行事の呼び名を並べてみました。
どんど焼き、とんど焼き、どんど、どんどん焼き、とんど(歳徳)、どんと焼き、どんと、とんど小正月、どんどっぴ、どんどや、とんどさん、どんどれえ、とうどうさん、左義長、火祭り、さいと焼き、おんべ焼き、鬼火焚き(おにびたき)、鬼火、おねび、ほっけんぎょう、ほうけんぎょう、ほんげんぎょう、御焚上(おたきあげ)、焼納祭(しょうのうさい)、あわんとり、おねっこ、おねび、おねび焼き、おねぶ焚き、おんべ焼き、御柴灯(おさいとう)、かあがり、かんじょ、さいと焼き、さぎっちょ、三九郎、しんめいさん、道祖神祭り、ほんやり、ほんやりさま、やははえろ、どんと祭、さいの神、才の神焼き、歳の神、塞の神、かんがり、かんがりや、さいと焼き、墨塗り(婿投げ・墨塗り)、ほうげんきょう、ほっけんぎょう、ほんげんぎょう、鬼火焚き(おにびたき、おねび)、サイノカミ、グロ、トンドウ
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見ている人は遠巻きです。
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火の勢いが落ちてきました。
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火も弱まってきたので、さらに多くの人が餅焼をはじめました。
Wikipediaに書かれていた千葉県佐倉市青菅の歴史を紹介します。
江戸期は、元禄11年(1698年)までは下総国葛飾郡青菅村で、その後は下総国印旛郡青菅村でした。慶長11年(1606年)から旗本川口氏領、元禄11年(1698年)から佐倉藩領となりました。その旗本川口氏領の時(1606年~1698年)に青菅のどんどれえ(どんど焼)が始まったとされています。つまり420年前~328年前の間に青菅のどんどれえが始まったことになります。下総国葛飾郡青菅村の時代です。
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Wikipediaの青菅村の記載の続きです。
江戸時代の青菅村の村高は、元禄郷帳 141石余、天保郷帳と旧高旧領ともに151石余で、元禄14年(1691年)差出しによれば、反別田14町余・畑屋敷4町余、家数26、馬29でした。
AIに「元禄時代の141石の価値」を聞いてみると705~3807万円答えでした。
さらにAIに「天保時代の151石の価値」を聞いてみると約151人の1年分の食料答えでした。その後何度か入力すると別の答えで安定してきました。
延享3年(1746年)明細帳によれば、村内に御林(藩有林)が8か所あったそうです。天保8年(1837年)の免状によれば、取米は58石余で、安政4年領分村高帳によれば、小物成として夫役永425文余・野銭永1貫60文・山銭鐚4貫738文が見えるそうです。(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)
明治6年千葉県に所属し、神社は稲荷神社、寺院は真言宗正福寺・浄土宗称念寺(印旛郡誌)、明治6年(1873年)に千葉県に所属し、明治22年(1873年)に志津村の大字となりました。昭和29年(1954年)に佐倉市が発足して佐倉市青菅となりました。
まだまだ燃え続けるし、名残惜しいけれどもここで帰ることにしました。
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posted by SORI at 21:03| Comment(36) | 風習・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする