2025年05月20日

ノートルダム寺院

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
フランス旅行でのパリ市内の観光を中心に連続12記事を紹介させていただきました。この時は時間の関係でエッフェル塔やモンマルトルの丘には行かなかったので昔に遡ってエッフェル塔やモンマルトルの丘の記事と、他のパリの記事も合わせて12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。
本記事が/12です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでにフランス8回目の時のノートルダム寺院を紹介(右下の写真)しましたが、昔の写真を紹介します。
今回紹介のノートルダム寺院の写真は初めて(1回目)のフランス訪問時で、今から19年5ケ月前(2005年12月3日)で、クリックすると拡大その時の移動は成田(11/27)→フランクフルト(11/27)→チューリッヒ(11/29)→フランクフルト(11/30)→パリ(12/2)→リヨン(12/2)→パリ→ロワール→パリ(12/5)→ミラノ(12/8)→デュッセルドルフ(12/9)→シカゴ(12/9)→ルイビル(12/13)→シカゴ(12/14)→成田(12/15)世界一周の旅でした。
セーヌ川とくればノートルダム寺院ですね。セーヌ川の中州のシテ島に建つ姿は素晴らしいです。パリのノートルダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂とも) はゴシック建築を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂です。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されています。現在もノートルダム寺院は、パリ大司教座聖堂として使用されているそうです。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指そうです。上の写真ですぐに寺院の名前が判る人は多いと思います。

でも正面だけでノートルダム寺院とわかる人は少ないでしょう。でもないか! 私が知らなかっただけでした。パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前のこの場所が起点となっているそうです。
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やっぱり、ここで記念写真を撮ってしまいます。冬のパリはいつものこのような天気で、晴れている景色は滅多にないようです。
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セーヌ川のほとりのノートルダム寺院は絵になります。 この角度のノートルダム寺院の姿は素晴らしいと思います。いろんな町の大聖堂は建物に囲まれており正面の広場からの写真は見ることが出来ますが、この角度から大聖堂の全景を見ることが出来るところは少ないと思います。そんな素晴らしい景色のノートルダム寺院を見ることができてよかったです。
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同じ構図で教会部分を拡大いたしました。大聖堂の全長(奥行き)は127.50m、幅は48 m、尖塔の高さ96 mです。入口の四角い2つの双塔(北塔と南塔)の高さは69mで、身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路の高さは32.50mだそうです。大聖堂内には9000人の人が収容できるそうです。地面から伸びるアーチのフライング・バットレスと呼ばれる沢山の梁が印象的でした。この梁によって巨大な大聖堂を実現させているとの記述もありました。
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川と反対側の角度のノートルダム寺院もいいですよ。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でしたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設したそうです。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成したそうです。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられそうです。そして最終的な竣工は1345年なので183年の歳月をかけて作られた傑作だと思います。
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航空写真で上から見ると大聖堂は十字架の形をしています。
クロスの中心に96mの尖塔が建っています。
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斜めからの航空写真でも紹介します。
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ネットに立体的な絵があったので紹介します。
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寺院の中はやっぱりすばらしい!
中に入るとミサが行われていました。おごそかな中でも観光客や一般の人は自由に入れます。フランスでは一般的に「ノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)」と呼ばれているそうです。内部の最大の見どころは聖書の世界を描いたステンドグラスです。手前から奥にかけて時代が変わっていきます。それぞれのステンドグラスにはキリストの一生が描かれています。左側の写真が身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路です。
聖歌隊席の周りにあるレリーフも立体的で見応えがあります。写真をクリックすると露出調整した拡大写真を表示します。
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入口(西)、北、南と3カ所に配置された美しい円型のばら窓のステンドグラスは圧巻です。
クリックすると拡大外側から見ると左の写真の部分です。冒頭の写真から切り取った使いました。預言者達が描かれた入口(西)の直径9.6mのステンドグラスが最も古く1210年に作られました。写真はキリストと天使を描いた南窓です。北窓には聖母子が描かれており、南窓と北窓は直径13mの大きさです。右の南窓の写真をクリックすると拡大した大聖堂の全景が表示されるので、その南窓の大きさが分かってもらえると思います。


ノートルダム寺院の前のセーヌ川には水上バスも通っていました。写っている橋はノートルダム寺院に最も近くにかかっている ドゥブル橋です。右の護岸の上にノートルダム寺院が建っています。
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昼食のためにノートルダム寺院のすぐそばのドゥブル橋を渡ったところにあるカフェテリアCafé Panis‎に入りました。窓際の席は絵になる人が優先との噂も! 明確ではないけれどそんな傾向はありましたね。
日本の女性の方も沢山入ってこられるレストランでした。記事の一番下に掲載した地図の黄色いマーク()がCafé Panis‎で、絶好の場所にあることがわかってもらえると思います。
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パリっぽいサンドイッチとコーヒーを頼みました。おかげてゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。サンドイッチは分厚いチーズとハムをフランスパンに挟んだだけのものです。
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クリックするとネットの写真お店の外観を紹介したいのでネットの写真を転用させてもらいました。左奥の建物がノートルダム寺院です。お店がノートルダム寺院の真横にあることが分かってもらえると思います。フランス8回目の訪問の初日のランチも同じレストランでした。→ポチッ
 名前 Café Panis‎
 住所 21 Quai Montebello, 75005 Paris, France
 電話 01-4354-1971
 営業 8:30~23:30
 HP  https://cafepanis.com/
クリックするとネットの写真

Google地図の中の中央付近のが紹介したノートルダム寺院です。
 ノートルダム寺院(中央) ルーブル美術館(左上)
 Café Panis‎ 昼食を食べたカフェ
 セーヌ川にかかる橋 次の記事で紹介します。


あらためて、この時の旅の移動ルートを紹介します。マーク()は空港です。
この時の移動は成田(11/27)→フランクフルト(11/27)→チューリッヒ(11/29)→フランクフルト(11/30)→パリ(12/2)→リヨン(12/2)→パリ→ロワール→パリ(12/5)→ミラノ(12/8)→デュッセルドルフ(12/9)→シカゴ(12/9)→ルイビル(12/13)→シカゴ(12/14)→成田(12/15)世界一周の旅でした。
posted by SORI at 14:16| Comment(54) | TrackBack(2) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月19日

パリの巨大な緑のボックス


2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
フランス旅行でのパリ市内の観光を中心に連続12記事を紹介させていただきました。この時は時間の関係でエッフェル塔やモンマルトルの丘には行かなかったので昔に遡ってエッフェル塔やモンマルトルの丘の記事と、他のパリの記事も合わせて12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。
本記事が/12です。
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朝早くパリの街を散歩していると歩道に大きな緑の塊が置かれていました。近づくと瓶の回収ボックスでした。さすがです。ワインの国だからかな? やはり瓶が中心の世界なのですね。
先日、テレビで、このビンの回収ボックが出てきました。持ち上げた状態で底が開くような仕組みになっており回収車の荷台に瓶を豪快に落としている映像が流れました。確かにほとんどがワインの瓶でした。
それでは、その他のゴミはとネット で調べてみました。2002年から各家庭に3種類のゴミ箱渡して、それを収集日に路上に出しているようです。生ゴミは蓋が緑色のゴミ箱、ガラス・ビン類は蓋が白いゴミ箱、新聞雑誌・金属・容器包装類は蓋が黄色のゴミ箱とのことでした。
フランスには8回訪問して、この時が3回目(2006年1月)の訪問の時でした。
この時は成田(1/16)→パリ(1/16)→イスタンブール(1/19)→パリ(1/20)→カサプランカ(1/22)→リヨン(1/23)→マルセーユ(1/23)→リヨン(1/24)→パリ(1/24)→成田(1/25)と移動しました。

マルセーユでも見つけました。やはりゴミだけではなくてなにかの回収のようです。写真は3種類ですが4種類置かれていたような気がします。形も違うし種類も多いのでシステムはパリとは違うかもしれません。そこまでは調べ切れませんでした。箱の上には吊金具が付いているのでトラックに積んでそのまま持ち帰るのだと思います。


これは? ? ?  電話ボックス?
トイレでした。パリは何でも歩道に置くのかなぁ~~?
確かに歩道しかスペースがないかもしれません。
ラベル:パリ ワイン
posted by SORI at 09:53| Comment(48) | TrackBack(1) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月18日

22時のパリ

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
フランス旅行でのパリ市内の観光を中心に連続12記事を紹介させていただきました。この時は時間の関係でエッフェル塔やモンマルトルの丘には行かなかったので昔に遡ってエッフェル塔やモンマルトルの丘の記事と、他のパリの記事も合わせて12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。
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冬の日曜日の朝の景色を2つ( 冬の日曜日の朝のパリの風景パリは寒くても屋外が人気)連続で紹介させていただいたので、パリの22時の景色を紹介したいと思います。パリ2回目の訪問の2006年6月8日なので初夏になります。この時の移動は成田(6/7)→ロンドン(6/7)→ラグビーロンドン→パリ(6/8)→リヨン→アヌシー→リヨン→チューリッヒ→レンツブルグ→チューリッヒ→フランクフルト→ハイデルベルグ→フランクフルト→ミラノ→成田(6/17)です。パリは一泊だけででした。
この日はイギリスの田舎町ラクビー(Rugby ラグビーの発祥の地)から列車と飛行機を乗り継いで一気にパリまで来ました。
夕方の便だったのとヒースロー空港が混雑時間のためフライトが遅れてホテルに着いたのは午後9時ごろでした。それから食事のため外出! 上の写真は午後10時ごろです。パリはロンドンとそんなに経度が違わないけど1時間遅いのでロンドンよりさらに夜は明るいのです。上の写真はルーブル美術館前の広場でちょうど日が沈んだ記念の写真なのです。

さらに遅い時間の凱旋門です。明るいけれど人通りは少ないです。パリの初夏は22時でもこんなに明るいのです。


この日はフランス料理を食べようと思っていたけれどお店は全て店じまい! 仕方なくパリで沢山あるラーメン屋さんへ、ここでもお店に入っても断られ、3軒目にやっとOKでした。感謝!なので、お店の名前紹介しておきます。お店の名前は「東京ラーメン」と言っても札幌ラーメン系! 美味しかったですね。店員さんは全員日本人です。驚き!
ちなみにラストオーダー23時でギリギリでした。他の「ひぐま」や「札幌ラーメン」は30分は早いと思います。覚えておいてください。パリは沢山の日本料理(ラーメンが主)があります。お店の名前が判らない時の美味しいお店の見分け方お教えしておきます。パリ在住何十年の人と駐在3年の人が同じ話していたので間違いないかな!
コツ →「焼き鳥や寿司の写真を表に掲げているお店を避ける」でした。 100%ではないけれど!

下はロンドン→パリの飛行機からの写真です。
フランスの海岸線です。断崖ですね。昔の映画でこんな海岸があったような!
写真の場所はノルマンディー(Normandie)地域のペンリー(Penly)という場所で、ノルマンディー上陸作戦が行われたのは写真よりもっと100kmほど下方向(西南西方向)です。
下の方に写っている施設はパンリー原子力発電所(Centre Nucléaire de Production d'Électricite de Penly/Centrale Nucléaire de Penly)です。クリックすると拡大Googleマップの航空写真ではぼかしが入れられていました。SV
cheese999さんのコメントでドーバー海峡を挟んだイギリス側の海岸が有名なセブン・シスターズ(Seven Sisters 右の写真)であることを知りました。ネットから拝借したSeven Sistersの写真を右に紹介いたします。

                        
着陸寸前の景色です。


こちらがパリのホテル(Hotel de Malte)の入口です。SV
初パリの時の前回(2005年12月)のホテルは趣きがありましたが不便だったので別のホテルにしました。こちらのホテルは小さく全て顔でチェック出来るほど!


ホテルの受付嬢 すごく親切だったので了解をもらい写真を撮らせてもらいました。


家庭的なホテル


私の部屋だけベットが3っ! でも値段は同じでした。


ホテルの窓からの景色です。 屋根が印象的です。
posted by SORI at 20:10| Comment(82) | TrackBack(1) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月17日

パリは寒くても屋外が人気

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
フランス旅行でのパリ市内の観光を中心に連続12記事を紹介させていただきました。この時は時間の関係でエッフェル塔やモンマルトルの丘には行かなかったので昔に遡ってエッフェル塔やモンマルトルの丘の記事と、他のパリの記事も合わせて12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。
本記事が/12です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

パリは1月の後半なのに、こんな2階建のオープンなバスが走っていました。
驚いたことに風が当たるオープンの2階に乗られている方が8人(or 9人)もおられました。風が当たりにくいフロントガラスに近いところに多く座られていました。
日本より寒いパリで信じられない光景でした。カフェでも外が人気なのがわかる気がします。ただしこの時期のカフェでは屋外の人は、ほとんど見ませんでした。バスの2階は景色がいいので寒くても乗られているのかもしれません。

画像はよくありませんが2階席を大きく拡大しました。本記事も前記事「冬の日曜日の朝のパリの風景」と同じく今から17年4ケ月前の2008年1月20日の朝の景色ですが、時刻は10時17分でした。バスに書かれている各国の国旗の一番上が日本なのも印象的でした。


少し広い範囲の写真も紹介します。
前記事で紹介したようにフランスには8回訪問して、この時が3回目の訪問の時でした。この時は成田(1/16)→パリ(1/16)→イスタンブール(1/19)→パリ(1/20)→カサプランカ(1/22)→パリ(1/24)→成田(1/25)と移動しました。少し前に紹介した記事「パリっ子」の右の写真を撮ったのも同じ日の21分前の9時56分でした。


その時(9時56分)の広場の大きなCafeの屋外テーブルには1組(2名)しか座っていませんでした。
写真をクリックすると拡大するので1組(2名)を探してみてください。立ち話をしている2名ではありません。
posted by SORI at 05:45| Comment(52) | TrackBack(1) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月16日

冬の日曜日の朝のパリの風景

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
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この日は昼のフライトでパリを離れるために朝の散歩に出ることにしました。暗いので朝早く見えますが9時ごろです。冬の時期は9時でも暗くのです。日曜日なので人通りや車も少ないのです。
真中に見える塔はヴァンドーム広場に立つナポレオンが自らの栄光のために建てた記念柱(再建)だと思います。今回の街の景色は今から17年4ケ月前の2008年1月20日に撮りました。
フランスには8回訪問して、この時が3回目の訪問の時でした。この時は成田(1/16)→パリ(1/16)→イスタンブール(1/19)→パリ(1/20)→カサプランカ(1/22)→パリ(1/24)→成田(1/25)と移動しました。

静かなパリを感じることが出来ました。古い石造りの建物の街並みが残っているところがパリの素晴らしさだと思います。


こちらの道はオペラ通りです。正面に見えるのはルーブル美術館です。オペラハウスの近くから撮った写真です。
前記事(エッフェル塔の下でのアクロバット走行)と前々記事( モンマルトルの丘)は、初めて(1回目)のパリ訪問時で今から19年5ケ月前(2005年12月3日)で、その時は成田(11/27)→フランクフルト(11/27)→チューリッヒ(11/29)→フランクフルト(11/30)→パリ(12/05)→ミラノ(12/08)→デュッセルドルフ(12/09)→シカゴ(12/09)→ルイビル(12/13)→シカゴ(12/14)→成田(12/15)の世界一周の旅でした。


この道もオペラ大通りです。遠くに見えているのがオペラハウスであるオペラ・ガルニエ(Opera Garnier)です。ルーブル美術館の近くから撮りました。


オペラ・ガルニエの近くまで行きましたが、こちらでも車が少ない景色を撮ることが出来ました。


写真の右端にルーブル美術館の一部が写っています。遠くに見えているのはチュイルリー広場沿いの建物群です。


チュイルリー広場沿いの建物群を拡大しました。


エッフェル塔があるとパリらしい風景になります。


何気ない町の風景も絵になります。


パリの朝の風景を撮っているのは私だけではありませんでした。


朝も9時50分くらいになるとルーブル美術館の前は観光客の人たちが増えてきました。やはり冬のパリはいつも雲に覆われて暗いです。冒頭で紹介した通り、今回は1月20日の写真です。
ラベル:パリ
posted by SORI at 18:15| Comment(60) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月15日

エッフェル塔の下でのアクロバット走行

2025年2月1日にSSブログからSeesaaブログに全記事を移行させました。Seesaaブログに慣れるために、昔の記事に手を加えてブラシュアップして再掲載させことから始めさせていただいています。
フランス旅行でのパリ市内の観光を中心に連続12記事を紹介させていただきました。この時は時間の関係でエッフェル塔やモンマルトルの丘には行かなかったので昔に遡ってエッフェル塔やモンマルトルの丘の記事と、他のパリの記事も合わせて12記事をブラシュアップして掲載させていただきます。
本記事が/12です。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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地下鉄に乗ってエッフェル塔に行ってみました。長い行列が出来ていたのでエッフェル塔に登るのはあきらめて周辺を散策することにしました。
今から19年5ケ月前(2005年12月3日)に撮ったエッフエル塔の写真です。

そのエッフェル塔の下でアクロバット走行をやっていたのでつい撮ってしまいました。


こちらの写真はクリックすると拡大します。ロータリーを一周していました。
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この写真の中でアクロバットが行われていました。手前の橋はセーヌ川に架かるイエナ橋(Pont d'Iéna)です。橋の四隅に彫像が建てられています。正面に見えている建物は1750年にルイ15世によって創設された軍学校エコール・ミリテール(École militaire)です。
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このようなスポーツカーも走っていました。
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色違いの車も登場しました。写っている建物がエコール・ミリテール(École militaire)
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エコール・ミリテール(École militaire)も写真に撮っていたので紹介します。


クリックすると大きな地図を表示アクロバット走行が行われていたのが画面の中央のロータリーです。エッフェル塔の真下ではなくエッフェル塔より少し南東方向(右下方向)にあるロータリーです。公園の名前はシャン・ド・マルス公園(Parc du Champ-de-Mars)です。1867年に行われた第2回パリ万国博覧会の開場でした。
マイナスのアイコンを1回クリックすると、画面の左上のあたりに上から見たエッフェル塔があるのがわかってもらえると思います。


参考にWikipediaから転用させていただいた1867年に行われた第2回パリ万国博覧会の会場の絵を紹介します。エッフェル塔は第2回万国博覧会から22年後の第4回万国博覧会に合わせて1889年3月15日に完成しました。手前の橋の端から約170mの位置を中心にしてエッフェル塔が建ちました。イエナ橋の長さ約155mで幅は約38mです。
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クリックすると拡大最後に冒頭の写真と反対方向の南東方向から撮ったエッフエル塔の写真を紹介します。
エッフェル塔の312.3m(アンテナが設置される前の当時の高さ)は1930年までの41年間、世界一高い建造物でした。
現在の高さは約330mです。312.3m→約321m(1957年 アンテナ設置)→約324m(2000年 放送アンテナ設置)→約330m(2022年 放送デジタルアンテナ設置)
右の頂部の写真はWikipediaから転用させていただきました。2010年の時なので高さ約324mの時(デジタルアンテナ設置前)です。右の写真はクリックすると拡大します。
ラベル:パリ
posted by SORI at 21:36| Comment(62) | TrackBack(0) | パリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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